義弟(65)

 

 

~ユノ34歳~

 

 

スタッフ一同を心配させていた立体作品は、昨夜遅く無事到着したようで、会場中心からぶらさがっている。

 

昨夜の俺はチャンミンとX氏に抱いた疑惑と不安にかられ、役目を放り出していた。

 

非常識極まりない行動だった。

 

運営委員の面々が集合し簡単な打ち合わせを終えたのちは、パーティまでの時間、それぞれ会場内に散る。

 

俺の場合は、自身のブースをうろついて、作品についての解説を求める客に応じる。

 

応対にひっきりなしになったかと思えば、暇になる時もある。

 

パイプ椅子に腰かけ、乾いた喉を水で潤し、会場を見渡すのだ。

 

X氏は会場のどこにも見当たらず、彼に会いたくなかった俺には好都合だった。

 

X氏と対面して、俺が言うべき言葉が見つからない。

 

チャンミンの件を示唆して釘を刺してもよかった。

 

自身の仕事の今後について、考えを巡らせた。

 

昨夜とってしまった失礼な態度を振り返った。

 

X氏が知ってしまったこと...俺がX氏とチャンミンの関係に気付いてしまったこと、そして俺とチャンミンの義兄弟を越えた仲のこと。

 

X氏の怒りを買ってしまった今、今後の仕事の大半は失うだろう。

 

いや...X氏は腹を立てるどころか、この泥沼に陥った俺を面白がっているかもしれない。

 

X氏について多くは知らないが、眼力強いぎょろ眼を思うと、陰湿で残酷な匂いを嗅いでしまう。

 

「はあ...」

 

会場を埋め尽くす大勢の老若男女。

 

この中にどれくらいの者が不倫関係に溺れ、のちに苦しんでいるのだろうか...との思いにふけった。

 

俺は今、決断を迫られている。

 

一心に俺を慕うチャンミン。

 

何も知らないB。

 

社交的で自身の欲に正直に生きるBだったから、俺は口を挟まず、彼女のしたいようにさせてきた。

 

互いに干渉せず自由な夫婦でいるからといって、自由に恋をしその者と関係をもっていいわけない。

 

Bと出会ったばかりの頃...そして結婚式の日を思い、Bの弟と密会を続けている今を思い、その差に眩暈がした。

 

Bとチャンミン姉弟を不幸にしかけている今、俺がすべきこと。

 

このイベントが終わったら、行動に移さないと。

 

答えは出ているのだから。

 

「はあぁ...」

 

背もたれに深くもたれ、天を仰いでため息をついたその時、光が遮られた。

 

俺は即座に姿勢を正し、俺を覗き込んだ人物...妻Bを振り仰いだ。

 

十数メートル上の天井から注ぐライトの光で、一瞬くらっときた。

 

寝不足のせいだ。

 

「お疲れのようね。

ごくろうさま」

 

「今日でようやく終わるよ」

 

俺は立ち上がり、ひとつしかない椅子をBに譲った。

 

「パーティまであと...」

 

腕時計を確かめて、「3時間もあるぞ?」

 

自身の思いと今後の身の振り方について、じっくり考えたかった俺は、早々と会場入りした妻に、咎めの口調に聞こえないよう神経を払った。

 

「ほら、昨夜電話で言ったでしょう?

話があったの、ユノに」

 

「ああ...」

 

そう言えばそんなようなことを、Bは言いかけていた。

 

「もう!

やっぱり忘れてたのね」

 

Bは俺の肩を軽くつき、その頬を膨らませた顔から、チャンミンの拗ねた顔を見たことがないことに気付く。

 

あったのかもしれないが、思い出せない。

 

チャンミンが見せる顔とは、デフォルトの無表情、俺を誘う妖しい眼差し、達した後の意識を飛ばした顔、照れて俯いた時のつむじ...それから、昨夜の泣き顔、不安と苦痛で潤んだ眼...。

 

笑顔は?

 

航空チケットを贈った時に見せた年相応の笑い顔。

 

よかった、笑顔の記憶が見つかって。

 

でも、記憶を探らないと思い出せないほどに、チャンミンを笑わせていなかったこれまでを思い知らされた。

 

チャンミンが可哀想だった。

 

妻が隣にいるのに、俺の頭に浮かぶのは決まってチャンミンのことばかりだ。

 

「何かに夢中になると、いつもこうなんだから...なんてね。

ユノはいつも、私を最優先にしてくれる。

ユノはいい旦那さんよ」

 

Bの発言に、俺はうろたえてしまった。

 

「ふふ。

褒められて驚いてる...」

 

笑うBに、チャンミンの面影を見つけてしまいそうだった。

 

「...話って何?

こんな場所でよければ、今聞くけど?」

 

Bが俺にしたい話の見当が全くつかなかった。

 

Bの口ぶりから、いつものあれが欲しい、こうしたいといった類のものじゃないようだ。

Bのワンピースの裾から伸びる、小さな膝とふっくらした白いふくらはぎから、目を反らした。

 

すくすく育った、贅肉のない細く長い、骨ばったチャンミンの膝下と重ね合わせてしまったからだ。

 

「こんなところでする話じゃないから、今はよしておく。

あなたも忙しいでしょうし...ほら、あそこの方、あなたに用があるようよ」

 

パンフレットを手にした老夫婦が、こちらの会話が終わるのを待っていた。

 

「イベントが終わったらでいいわ。

久しぶりの夫婦水入らずね」

 

そう言ってBは会場を後にした。

 

 


 

 

~チャンミン17歳~

 

 

ベッドに身を投げ、顔だけを横に向けてうつ伏せの姿勢でいた。

 

ベッドスローは床に垂れさがり、シーツもしわくちゃだ。

 

僕が抜け出たままの形の空洞をつくった毛布を引き寄せ、それにくるまった。

 

朝食を無理やり詰め込んだせいで、胃がむかむかした。

 

姉さんを抱く義兄さん...姉さんにキスをする義兄さん、姉さんへプレゼントを贈り、姉さんに甘い言葉を囁く義兄さん。

 

僕と義兄さんが出会ったのも、婚約の挨拶に自宅に訪れた時だった。

 

僕は階段の踊り場から、玄関に立つ義兄さんをこっそり観察していた。

 

僕らの出会いは遅すぎたのかな...と思いかけて、義兄さんと姉さんが結婚をしなければそもそも、僕と彼は出会っていなかった事実に思い至った。

 

僕はカタツムリのように身体を丸め、自分を抱きしめた。

 

じわり、と涙が浮かんできた。

 

苦しい。

 

この恋は苦しい。

 

全然、うまくいかない恋。

 

大好きな人と裸になって抱き合っているのに、まるで片想いのようだ。

 

ある人に密かに想いをよせる一方通行の恋...片想い自体が初めてだったんだ。

 

僕が初めて好きになった人...ユノさん。

 

前言撤回して、『姉さんと別れて欲しい』と言ったら、義兄さんは困るかな。

 

困るよね?

 

 

(つづく)

 

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