~ユノ34歳~
「チャンミンが好きな気持ちは本当だよ。
後悔なんてするものか」
「こんな僕なのに?」
俺にすがりつくような真剣な目...涙をたたえた充血した目。
「そんな言い方をしたらいけないよ」
「...っ僕は、義兄さんにふさわしくないって...。
僕に会ってくれるのは、僕とヤリたいだけなのかなって」
チャンミンがそう思ってしまっても仕方がない。
俺たちは会えば必ず、時間を惜しんで互いの身体を貪った。
「それは、チャンミンが恋しかったからだよ。
身体目当てじゃない」
そう答えたものの...そうか、俺たちに足りなかったのは、言葉の交わし合いだったんだ。
「話をしようって、何ですか?
僕っ...。
怖いから早く言ってくださいよ」
「チャンミンに謝らないといけないことが沢山ある。
Xさんとのこと...気付いてやれず悪かった。
どうすれば、チャンミンの心の傷を癒してやれるか、昨夜からずっと考えている」
「...心の傷なんて...っく。
僕は傷ついていません。
Xなんてっ...どうってことないです。
それよりも...うっ...それよりもっ...」
チャンミンの頬をつたった涙を、親指で拭ってやる。
「分かってるよ。
俺のことを気遣ってくれてるんだよな?
俺のことなら心配しなくていい。
そりゃあ、ショックだったよ。
ショックを受けて当然だろ?
俺なら大丈夫だから、チャンミンは安心していい」
「大丈夫って...何が大丈夫なんですか?」
チャンミンは「俺に嫌われたのではないか?」と怯えているのだ。
俺がどれだけ言葉を尽くしても、こんなにも追い詰められた表情をした今のチャンミンには通じないだろう。
チャンミンの背を撫ぜながら、心が痛かった。
たまらなくなって、後ろ髪に鼻先を埋めた。
「チャンミンが好きな気持ちだよ。
信じて欲しい」
「義兄さんは大人ですね」
テーブルからティッシュペーパーを取って、チャンミンの鼻水を拭ってやった。
「そりゃそうさ。
チャンミンより17歳も上だからね。
ちょっとやそっとのことで、気持ちは揺るがないよ」
「で...話って何です?」
チャンミンは誤魔化されない。
欲しい言葉を貰うまで、食い下がる。
「チャンミンに謝らないといけない、の続き。
Bとのこと、ごめんな」
嗚咽で揺れていたチャンミンの肩が静止した。
「......」
「辛かったよな?
もし俺がチャンミンの立場だったら、耐えられないだろう。
チャンミンに苦しい思いをさせて、本当に申し訳なかった」
実は。
あの時、チャンミンが俺との関係を口走ってしまっても仕方がない、と覚悟していた。
もしかしたら、チャンミンが暴露してしまうのを心の奥底で期待していたのかもしれない。
そんな狡い自分に気付かされた。
俺の背に回ったチャンミンの両腕は、ぎゅっと抱きしめるのではなく、そうっと包み込むものだ。
シャツにしわをつけまいと配慮の気持ちに、愛おしさが増す。
「苦しいです...僕っ...苦しい。
義兄さん...苦しい」
口が裂けても「じゃあ、止めるか?」なんて言えなかった。
どれだけ苦しくても、チャンミンは止める気はないと、俺には分かっていた。
同時に、チャンミンは楽になりたがっている。
妻Bを目の当たりにして、あらためて自身の立場の不安定さを実感し、罪悪感も増したのだろう。
俺だってそうだ。
行き止まりの恋。
判断を迫られているのは俺だ。
俺がどちらを選んだとしても、誰かが傷つかないといけない。
その傷がすこしでも浅く済む最善の方法を、俺は知っている。
でも、今は口にできない。
チャンミンはひっくひっくと、しゃくりあげだした。
俺以上に大きく成長した身体なのに、丸めた背中が幼く小さく感じた。
「...チャンミン?」
「......」
「...1年、待てるか?」
「...え?」
俺の胸から顔を起こしたチャンミンの顔は真っ赤、泣きすぎたせいでまぶたが腫れぼったくなっていた。
火の玉のように熱いチャンミンの頬を、両手で挟んだ。
「ずっと前、チャンミンは俺に言ったよね?
Bと別れるな、って。
その約束を破らせてもらうよ。
別れたら、俺たちの関係をバラす、とも言っていたね」
「そ、それは...」
「俺とのことをバラしたければバラしていい...とは、俺は言わない。
バラして欲しくない。
俺のことを見損なったか?」
チャンミンはぶんぶんと首を横に振った。
「どうして、バラして欲しくないとお願いしているのか...分かるよな?」
「......」
「Bはチャンミンのお姉さんだ。
今、バラしたところで、最悪な事態になってしまう。
チャンミンにも分かるよね?
俺たちのことは、いつか必ずバレる。
だからと言って、『今』は得策じゃない。
俺からのお願いだ。
辛いだろうが、今は堪えてくれ」
「......」
「1年待って欲しい、というのはそういう意味だよ」
「1年って...1年後に何が待っているんです?」
「長くて1年だ。
あと1年の間は、義兄と義弟でいて欲しい。
俺からのお願いだ」
まさしく不倫男が言いそうな台詞だ。
「...それって...。
まさか...!」
「そうだよ」
「そんなっ...駄目、駄目ですよ。
姉さんは?」
「チャンミンを好きになった時点で、Bを裏切っていたんだ。
もっと早く決断するべきだった。
俺はね、チャンミンとの未来を夢見るようになったんだ。
だから、勢い任せの言葉じゃないよ。
そう思うと、あの時、
『Bと別れないで欲しい』と止めてくれたチャンミンに感謝している」
「...それは...」
「俺たちのことは...冷静にならないといけない。
注意深く進めていかないと。
この恋を守るためには、勢い任せは駄目なんだ。
だから、チャンミンが止めてくれて助かった」
「僕はそんなつもりじゃ...。
そんなつもりで言ったんじゃ...」
俺はチャンミンの頭を引き寄せ、もっともっと強く抱きしめた。
俺の気持ちがどうか伝わるように、と願いを込めて。
「計算高い男だって思った?」
「...はい」
「正直だなぁ」
子供扱いされることを嫌うことを知っていたが、チャンミンの頭を撫ぜずにはいられなかった。
シャワーを浴びたばかりなのか、石鹸のいい匂いがした。
「チャンミンはしっかり勉強しろ。
友だちと遊んで...高校生らしく過ごすんだ」
「...友達なんて、いません」
1年以上チャンミンを見てきて、「そうだろうな」と思った。
チャンミンは頑なで自身の世界に閉じこもりがちで、思い詰めたらとことん自身を追い詰めそうなところがある。
さらに、チャンミンは不安定ゆえに危なっかしいところもある。
その不安定さを助長させてしまった俺に責任がある。
17歳だということもあるが...。
「それから、Xさんとは絶対に会うな」
「......」
「『はい』、は?」
「はい」
よかった...俺を見上げる目に安堵の色が浮かんだ。
チャンミンの額に、唇を押し当てたら、くすぐったそうに笑った。
「よし!」
俺は太ももを叩いて、立ち上がり チャンミンに手を差し伸べた。
「あの...」
チャンミンは、立ち上がった俺のジャケットを引っ張った。
「どうした?」
そろそろ会場に戻らなければならなかったが、俺は椅子に腰かけた。
「願いがあります。
向こうに帰ったら、あの...。
義兄さんと二人でどこかにでかけたい、というか...。
ご飯を食べに行ったり、買い物に行ったり...したいです」
「分かった。
遊びに行こうか」
こういう時、チャンミンが男でよかった、と思うのだ。
「それから...。
義兄さんにあげたいものがあるんです」
「俺に?」
「誕生日プレゼントです。
せっかくですから、その時に渡したいです。
義兄さんが気に入るかどうか分かりませんが...」
「ありがとう。
楽しみだ」
じわっと涙が浮かんだ。
泣き出してしまいそうだった。
「それからもうひとつ...」
チャンミンは自身の膝に視線を落とし、それから勢いよく頭を持ち上げた。
「今から...したいです」
(つづく)
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