(14)僕の失恋日記

 

口をつけたコーヒーカップの中身は空っぽで、代わりに水を飲んだ。

 

氷が溶けてしまった水は生温く、注ぎ足してくれるサービスもない適当さと、気楽に長居ができる店だった。

 

あと1時間半で、ユノが駅に到着する時刻になる(残業がなければ)

 

夕飯の支度を全くしていなくても、レトルトやスーパーの特売お惣菜でも、全く気にしない大らかさがユノにはある。

 

ユノの血液型はA型のはずだ(僕はB型。正反対なのだ)

 

A型ってそうだったっけ、定説では几帳面で神経質なのでは?

 

...まあ、いいや。

 

その大らかさに僕は何度、心が救われたか。

 

 

日記の中では、季節は早くも春の終わり。

 

4月から1か月以上、淡々とした生活ぶりが記されていた。

 

恋心をほのめかした日(髪をブリーチした日)以来、ユノとはその類の会話はしていないようだ。

 

大学も違ったし、バイトのシフトもいつも同じとは限らない。

 

それとも、途端に気恥ずかしくなって、会うのを遠慮し出したのか。

 

あいにく、細かい心情は忘れてしまっていた。

 

 

これを読みながら、20歳の僕はいつになったら、「あのこと」を暴露するのか待っていた。

 

日記の出だしの時点で「あれ?」と思ったのだ。

 

勘違いかと思ったが、根本から意味合いがすっかり変わってしまう事実を、早とちりするはずがない。

 

自分の為の日記なのに、真実を歪め自分自身を騙していた。

 

だから15年後の僕は騙されたふりをしていた。

 

 


 

ー15年前の5月某日ー

 

単にひねくれた性格のせいかもしれないが、僕は自分自身を騙すことがある。

騙し続けるのもそろそろ、限界がきたのだ。

 

 

真実を突きつけられ、全身の血液が一瞬で凍り付き、時間差で沸騰する。

この感覚はこれで何度目だろう?

 

デジャブ。

またかよ。

場所はバイト先の休憩室だった。

僕一人で、菓子パンを食べながら、壁に取り付けられた大型テレビから流れる、午後のワイドショーを観ていた。

 

『人気アイドルCCの妻(一般人)、妊娠6カ月...』

 

半年も経つのに打ちのめされる自分に、いい加減嫌気がさした。

バイトを終え、閉店間際のスーパーで弁当を買い、しっかりとした足取りで帰宅した。

風呂で頭を洗う頃には、気持ちは落ち着いていた。

ほらね。

数時間後には回復している。

着実にCCから離れていっている。

そうであって欲しい!

でも...胸が苦しい。

 

 

心の中に二人の男が棲みついている。

比較はできない。

二人は全く異なるステージに立っている。

一人は絵に描いた餅で、僕に試練ばかりを与える男だ。

 

 

自分だけの日記なのに、僕は自分を騙していた。

ユノも騙していた。

CCの結婚相手の性別にこだわっていた。

女性だったら敵わないから諦めるしかない。

僕と同じ男だった場合、選ばれなかった僕は彼に敗北したことになる。

さあ、どちらなら心の傷は浅い?

 

 

CCは男性アイドルで、女性ファンがほとんどだ。

もし僕が女性ファンだとしたら、CCの結婚相手が女性だった場合、猛烈に嫉妬すると思う。

ところが、CCの結婚相手が男だった場合、「しょうがないな」と諦めが早く、嫉妬心も少ないと思う。

「CCはゲイだったのね。私じゃあどうしようもないわね」と。

抱く嫉妬心の大きさは、結婚相手の性別が同性か異性かで変わるのだ。

(※あくまでも、僕の主観による)

 

 

ここからが、僕の複雑な思考回路だ。

僕とCCは性別が同じだ。

そして僕は、少数派とされるゲイだ。

CCの結婚相手が男だった場合、先に書いたように、僕はその人物に敗北したことになり、嫉妬心が生じる。

僕だって男なんだぞ!って。

一方、結婚相手が女性だった場合、以前書いたように、僕では太刀打ちできないのだ。

これも以前書いたことだけど、僕がこれまでCCを追いかけてこられたワケは、

「もしかしたら、0.00001%の可能性があるかもしれない」...その「もしかして」の期待感があったからだ。

馬鹿みたいだけど、そうだったんだ。

心の奥底で、CCはゲイであって欲しかった。

女性は僕には無いものを持っているし、僕が絶対に出来ないことが出来るんだ。

僕は女性になれない。

 

 

僕しか読まない、僕だけの日記の中で、僕は自分に嘘をついていた。

CCの結婚相手は男性ではなかった。

CCは女性が好きな男だった。

多数派のヘテロだった。

普通の男だった。

知りたくない事実。

普通過ぎて、がっかりしたのだ。

男である僕は、そもそも恋愛対象ですらなかったのだ。

そのことが悲しかった。

 

 


 

 

僕はノートから視線を外し、目頭を揉んだ。

 

(なぜ、ユノは間違いを僕に指摘しなかったんだろう?

僕への気遣い?

それはないと思う。

ユノは優しい男だが、深層心理まで読んでしまうような、恐ろしく鋭い勘の持ち主とまでは言えない。

もしそうなら、本音を読まれていそうで、傍にいてくつろげない。

単に芸能ニュースに興味がなかっただけのことだと思う。

後でユノに尋ねてみようか)

 

 

グラスの水は飲み干してしまった。

バイトのウエイトレスは帰宅したらしく不在で、仕方なくカウンターまでお代わりを貰いに行った。

カウンター内で熱心に新聞を読んでいた店主には、僕の「すみません」が聞こえていなかったようだ。

ついでにおしぼりを交換してもらった。

熱々のおしぼりをまぶたにあてて、疲れた眼を温めほぐした。

 

溢れてくる涙も拭いた。

 

当時の心の痛みを思い出していた。

 

失恋をこじらせていた理由は、失望だったのだ。