(28)僕らが一緒にいる理由

 

~夫の夫~

 

アオ君のカミングアウトを受け、目を丸くし、口をあんぐりと開けフリーズしてしまった夫。

無理もない、と思った。

俺だって最初は全く信じなかった。

 

 

初冬の帰宅途中、アオ君は突如、俺の前に現れた。

後輩が犯したミスについて上司から雷を落とされ、その後始末に奔走した日だったため、疲労度MAXだった日だ。

残業は2時間程度で済み、夜9時過ぎの駅前広場はまだまだ賑やかだった。

自宅まで片道20分の道のりを、疲労した身体を引きずって歩くのかと思うと、心底うんざりした。

夫の手料理が恋しかった。

帰宅した時の光景を先回りして想像してみては、帰路の活力剤にした。

ラップをかけた料理がダイニングテーブルに、サラダが冷蔵庫に、スープはガスコンロの鍋にある(これは機嫌がいい時バージョン。悪い時はおかずゼロ、もしくは悪魔のスープ、地獄のコロッケなど)

浴室が冷えないよう、湯船の蓋は開け放ってある。

夫自身はとっくに風呂も食事も終え、コタツでごろ寝してTVを観ていると予想(締め切り間際にならない限り、夫は夜間の執筆はしない)

ゲームをしているかもしれないし、眠いからと早寝しているかもしれない。

コタツの天板に、封の開いた菓子の袋か皮をむいたリンゴの皿がある(「腹が出てきた」と騒いでるくせに、寝しなのおやつは我慢できないようだ)

夫に甘えたい。

帰宅するなりコタツに直行し、彼を背後から抱きしめたい。

「コートにしわが付く!」と肘鉄していても、俺にうなじを吸われているうちに、その気になってきて...想像しているだけで顔がにやけてしまう。

駅前広場のそちこちにたむろす酔っ払いをすり抜け、住宅街へ向かう道へ足を向けたその時。

ぽん、と肩を叩かれた。

振り向くと、丹精な顔立ちの少年が立っていた。

声をかけられた理由は何だろう?

道を尋ねる、もしくは落とし物を拾ってくれた。

歓迎できないのは、勧誘行動。

彼は俺を呼び止めたものの用件を言うわけでもなく、俺の顔をまじまじと見ているだけだったから、この3候補は違うと思った。

次に、家出を疑った。

 

「ひと晩、泊めてくれませんか?」と。

 

それにしては、表情に悲壮感がない。

長年探し求めていた者と奇跡の出会いを果たしたかのように、ぱぁっと顔を輝かせているのだ。

この寒空の下、彼は上着も羽織らず、手ぶらであるところに違和感があった。

身なりは清潔そうで、肌つやがいいから栄養状態は良さそうだから、家出少年とは考えにくい。

まるで、ついさっき暖房の効いた車内からぽいっと降ろされたような感じがした。

彼に声をかけられてからの数秒間で、これだけの候補を次々と挙げていったのである(夫の小説のアイデア出しに付き合っているうちに鍛えられた技である)

 

「え~っと、俺に何か?」

 

身長は170㎝後半ほどで、俺の視線のやや下に彼の目元がある。

フレッシュな瑞々しい眼が、俺を真っ直ぐ見つめている。

 

「...ユノさん...ですよね?」

 

「!!!」

 

突然名前を呼ばれて、心臓が大きな音を立てた。

ゾッとした俺は、認めたらいけない気がして「違います」と否定した。

 

「いいえ。

ユノさんですよね?」

 

真っ先にストーカーを疑った。

ところが、彼は俺の疑念を直ぐに読み、「大丈夫です」と俺を安心させようとした。

 

「僕はストーカーじゃありません。

邪魔になりますから、場所を変えましょう」

 

彼は俺の腕を取ると、先に立って歩き出した。

 

「え、どこに!」

 

俺の自宅がある方向へ向かっている。

 

「待って!」

 

大きなストライドでずんずん歩く。

トレーナーの丸首から、すんなりと長い首が延びている。

長い脚はひょろりと細い。

 

「ねぇ、君!

俺の名前...?

どうして?」

 

「驚きますよね?

気持ち悪いですよね?」

 

「ああ」

 

俺が連れていかれたのは、公園だった。

 

(乱暴されそうになっても、体格は俺の方が上だ。いざとなれば、通勤バッグで殴ればいい)

 

彼はブランコに乗ると、地面を軽く蹴った。

隣のブランコを勧められたが断った。

 

「僕の名前はアオ、といいます。

初めまして」

 

「...アオ君、ね。

初めまして」

 

俺の頭はクエスチョンマークがひしめき合っていた。

気味の悪い少年だけど、話だけは聞いてやろうと思った。

多分、彼からは好意しか感じ取れず、俺をどうこうするつもりはなさそうだったのと、彼の正体に興味があったのだ。

 

「僕はユノさんの子供です」

 

「は?」

 

「僕はユノさんの子供なんです」

 

とっさにイタズラに違いないと思った。

 

「信じてください」

 

「信じるも何も...俺には子供はいないよ。

いるはずがない」

 

『自分はゲイで、パートナーは男、女性と交際したことはない、だから子供は作れない』と、パーソナルな事情を話すのは気が進まなかった。

彼は、「僕はユノさんの子供です」と繰り返した。

まず最初に、「大人をからかうとはけしからん」と腹がたった。

適当にチョイスした誰かを騙すといった、友人同士の掛けゲームのターゲットに俺が選ばれたのだと思ったのだ。

小綺麗でいい子そうな少年だからと、ほいほい付いていった自分が情けない。

早く帰宅したいのに、時間を無駄にしてしまった、と。

でも、考えるにつれ、その可能性は潰れた。

俺の名前を知っているからだ。

軽いいたずら程度に、名前まで調べるだろうか?

とは言え、拾ったパスケースで名前を知ったり、知り合いの知り合いの可能性はあるから、いたずら説を完全には否定できないけれど。

 

「信じられないと思いますが、信じていただかないといけません」

 

「......」

 

「ユノさんのパートナーは、『チャンミン』さんですよね?」

 

「!!!」

 

「どうして知っているかって?

答えは単純。

僕のもう一人の父親が、チャンミンさんだからです」

 

「......」

 

「つまり僕は、ユノさんとチャンミンさんの間に生まれた子供ってことです」

 

「......」

 

「こいつは一体何を言ってるんだ?」と、彼の頭を疑ってしまった。

 

「僕はいたって正常です。

あ。

正常だと言う奴こそ、異常って言いますよね」

 

彼はクスクス笑った。

 

「でも」

 

彼はブランコの揺れを止めると、目線の矢で俺の胸を射った。

 

「僕はユノさんとチャンミンさんの遺伝子を受け継いでいます。

からかっていません。

事実を言っているだけです」

 

やっぱりこの子はおかしい。

つまり、彼の目に映っている世界、彼が信じている現実は俺とは異なるのだ。

例えば、自分は未来から派遣されてきた調査員、又は医療研究施設から脱走してきた被験者だとか。

当然俺は信じていなかったが、彼に合わせて、「へぇ」と同意したフリをしていた。

あまりに真摯な様子に、むやみに否定したらいけないと思ったのだ。

ところが、その日のうちに俺の気持ちは覆された。

彼の言う言葉はあながち嘘ではないのでは?と、思うようになった。

その後、腹が減ったと言う彼の求めに応え、夜のコンビニエンスストアを訪れた時だ。

並んで立つ俺たちの姿が窓ガラスに映り込んだその時だ。

背筋がぞくっとした。

夫に似ている、と思った。

彼が主張する話は、真実に近いのかもしれない、と。

現実世界には、説明のつかない不思議が転がっている。

心身が疲弊し、カスカスになっていた俺の心に、『アオ君』という夢があっという間に沁み込んだ。

夢を信じたい、と。

真実かどうかの答えは、夫にアオ君を会わせればはっきりする。

答えは夫が出してくれる、と。

否定できる要素は見当たらない。

彼の頭がおかしかったとしても、全力で信じようと思ったのだ。

やはり、騙されたのだとしても、腹を立てないだろう。

夫夫関係における次のステップを探していた。

束の間だけでも、夢を見たいと思った。

 

(つづく)