(12)僕らが一緒にいる理由

 

「ユノさんが買ってきてくれたヤツなんだ」

 

香ばしいよい香りに、アオ君はコーヒーを淹れようとしているようだ。

 

「量はこれくらいでいいのか?

...よくわからんけど、いっか。

あれ?

お湯が先か?」

 

ブツブツ言いながら台所でがちゃがちゃ音をたてるばかりのアオ君を見かねて、彼を手伝おうと立ち上がった。

 

「おっかしいなぁ」

 

「何が?」

 

このアパートの調理設備は小ぶりのシンクにまな板すら置けない極狭の調理台、1口電気コンロ、シンク台の下に備え付けの小さな冷蔵庫...これが全てだ。

 

アオ君と並んで立つと、彼の頭のてっぺんは僕の目の高さにあった。

 

髪の密度は高く、髪色は今どきの子にしては珍しく真っ黒だった。

 

調理台にコーヒーの粉が散らばっており、お湯が既にマグカップに注がれていた。

 

「ちゃんとできてるじゃないの」

 

「俺がイメージするコーヒーと違う」

 

「どこが?

インスタントコーヒーでしょ?」

 

「多分。

ユノさんが買ってきてくれた。

でも、粉が全然溶けてくれない」

と、アオ君はスプーンで中身をぐるぐるかき混ぜている。

 

「お湯は沸騰させた?」

 

「もちろん」

 

アオ君から受け取ったマグカップは、彼の言う通りしっかり熱いが、スプーンで攪拌されたコーヒーの粉が溶けることなく渦を巻いていた。

 

「あ~あ...」

 

僕は嘆息した。

 

家事初心者にドリップコーヒーはハードルが高いだろうに。

 

「これ、インスタントコーヒーじゃない。

最低でもコーヒーフィルターとドリッパーっていう道具が必要なやつだよ」

 

「へぇ...」

 

「買う時に確認しないと間違えやすいから仕方がないんだけど...」

 

僕の夫は日常的な買い物はほぼ僕に任せっきりだ。

 

アオ君だけじゃなく、夫にも家事のあれこれの再教育が必要そうだ。

 

 

無駄になってしまったコーヒーはシンクに捨てた。

 

「スープなら持ってきたよ」

 

魔法瓶に詰めてきたコンソメスープを、空になったマグカップに注いでアオ君に手渡した。

 

「すげぇな」

 

舌を焼くほど熱いスープをふうふう飲むアオ君を、僕は親鳥の目で見守った。

 

「美味しい?」

 

「うん。

出来合いの飯はいい加減飽きてきたんだ」

 

つい先日知り合ったばかりなのに既に打ち解けた感じがするのは、彼が漂わせる何かのせいだと思う。

 

それが何かは説明できないけど。

 

夫曰く、アオ君はセンシティブで人見知りする子らしいが、馴れ馴れしい口調から判断するに特定の人に対してのみ人懐っこくなれる子なんだろうな。

 

夫に見せる顔と僕に対する態度と随分違うようだ(夫にチクってやらねば)

 

でも、気を許してくれているようなので、嫌な気はしなかった。

 

「あのさ。

気になってたんだけど、僕のこと呼び捨てしてるよね?

ユノのことはさん付けじゃん。

なんで?」

 

「なんでって...」

 

僕からの質問に、茶色い弁当をむさぼり食っていたアオ君は、箸を止めた。

 

「う~ん」とアオ君は僕の顔をまじまじと見つめた後、「分かんね」とだけ言って、弁当の続きに戻ってしまった。

 

「今日、チャンミンが来てくれてちょうどよかったよ。

ユノさんにばかり世話になってて、俺って面倒くさい奴だから負担かけてて悪いなぁ、って思いかけていたんだ。

もっと早くチャンミンに頼ればよかったんだけどさ」

 

「ホントにその通りだよ」

 

浮気を疑って嫉妬で苦しんだことは、17歳の子供に口が裂けても打ち明けるものか。

 

「ユノさんの奥さんがどんな人か興味があったから、そろそろ会ってもいいかな、って思いかけてたんだ」

 

「お、奥さんじゃねぇし!」

 

「ユノさん、チャンミンのことを『奥さん』って言ってた。

1回か2回くらいだったけど、ついポロっと出てしまったんだな」

 

僕は内心で「ユノめ~」と唸っていた。

 

そりゃあ僕は、家のことをこまごまと手をかけることが好きだけど、イコール奥さんだと思われることに複雑な心境を抱えている。

 

僕だって『夫』だ。

 

そう力んでしまう辺りも、夫イコール男らしい保護者だと思っている証であり、案外僕の中にも世間の常識が染みついているようだ。

 

そこから、夫に対するひがみや劣等感が生まれているのだと思う。

 

「俺に弁当を届けてくれたり、スープなんて液体まで!

まさしく『奥さん』だよ」

 

表情を曇らせた僕にハッとして、アオ君は「誤解するなよ」と言った。

 

「性別は関係ない。

チャンミンは『奥さん的』...そういう意味さ」

 

「あっそ」

 

外はすっかり暗く、正座をした僕と背を丸めて食事中のアオ君が窓ガラスに映っていた。

 

「そろそろ帰るね」

 

僕は立ち上がり、軽くなったトートバッグを肩にかけた。

 

「今日はありがとな。

弁当、美味かった」

 

素直に礼を言うアオ君に、「いい子ではないか、よしよし」と満足した。

 

「そうだ!」

 

ドアを開けると冷たい冬風が室内に吹き込んできた。

 

見送りは要らないという言葉に構わず、僕の見送りに立ったアオ君を振り返って、僕は訊ねた。

 

「アオ君から見て、ユノはどう見える?」

 

「ユノさん?

...完璧だと思う」

 

「やっぱり?」

 

僕の顔はふにゃふにゃに緩んだ。

 

「うっわ~。

さらりと惚気るね」

 

「堂々と惚気られるほどの仲ってことだよ。

それでさ、どういうところが完璧?」

 

「え~っと、顔?」

 

「顔だけ?」

 

「スタイルも」

 

「他には?

ルックスだけじゃなくて、性格とかさ。

教えてよ」

 

「あのさぁ」

 

アオ君はため息をついた。

 

「あえて俺に訊かなくても、チャンミンが分かってることじゃん?」

 

「でもさぁ、やっぱり人の口から聞いてみたいものじゃないの」

 

「ざっくりまとめると、ユノさんは『完璧』

...言っておくけど、恋愛感情をもってユノさんを奪うようなことはしないよ」

 

「分かってるよ、それくらい」

 

不思議なことに、その点は心配していなかった。

 

初対面の時に、夫とアオ君の関係に色恋は生じていないことを感じとっていたのだから。

 

夫の隣で10年近くい続け、何があろうと信じて当然の仲のはずだったのに、あろうことか浮気を疑い、浮気しているのを前提に尾行したくらいだ。

 

男の家を訪ねていた夫を見た時、よく確かめもせずに「浮気確定」スタンプを押しかねないほど頭に血がのぼっていたのに、しゅんとその疑いが消えてしまったのだ。

 

夫とアオ君の間には何もない。

 

「じゃあね。

ほら、早くドアを閉めなきゃ。

部屋が寒くなっちゃう...」

 

思い出したことがあって、閉めかけたドアを再び開けた。

 

「虫は?

平気なの?」

 

僕の質問に、照度乏しい玄関先でも明らかに分かるほど、アオ君の顔は青ざめた。

 

 

 

~夫の夫~

 

予定より仕事が早く終了し、駅近のレンタルショップでDVD...ごりごりのホラー映画...を借りた。

 

ホラーの中でもスプラッタ映画が超苦手なくせにそれを選択したのは、夫と共に鑑賞する時間が楽しいからだ。

 

殺人鬼の足音に息をのみ、血しぶきが舞う度に、俺は夫の胸ぐらにしがみつく。

 

対して、夫は「怖いなら観なきゃいいじゃないの」と、ポップコーンをつまみながら、俺に頼られてまんざらでもない表情をみせるのだ。

 

 

「ただいま~」

 

カラカラと玄関の戸を開けると、10秒もしないうちに「おかえり~」と出迎えがあるのだが...。

 

「...は?」

 

驚きで俺の口はあんぐりと開いた。

 

出迎えたのはアオ君だったのだ。

 

(つづく)

 

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