(20)僕らが一緒にいる理由

 

 

「やっぱり、ユノから聞いていないんだ?」

 

「あ、うん」

 

姪の誕生日パーティに誘われていたとは知らなかった。

 

「『行けない』って」

 

「そっか...」

 

「行けない」というより、「行かない」「行きたくない」が本心だろうなぁ、と思った。

 

僕に意向を訊ねる前に断っていたからといって、僕は全然腹が立たない。

 

誘いに応じてパーティに出席したところで、そこは針のむしろだ。

 

結婚の意志を伝えにいったあの日から10年...僕ら夫夫が揃って訪ねられるようになるまでに、まだまだ時間が必要そうだ。

 

Jちゃんは、兄から断られることを知っていても、もしかしたら...」の期待をこめて何かと誘ってくれるのだ。

 

僕らが知らないだけで、夫と両親の間を取り持とうと気を配り続けていたのかもしれない。

 

「...でも、親戚ばっかりで堅苦しい感じになるだろうから、参加しなくてよかったかもしれないわ」

 

「あははは」

 

(...ん?)

 

夫の親戚が集まる...ということは、アオ君の両親もその場にいる可能性があるかもしれないということか。

 

駅から僕の家までは、車で3分足らずの距離だ。

 

「今日は何時まで大丈夫?」

 

「夕食はこちらの友人ととる約束をしているから、それまではフリーよ」

 

「せっかくだから僕んちに寄ってよ」

 

タクシーが自宅前に到着した時、僕はJちゃんを誘っていた。

 

「いいの?」

 

「全然オッケーだよ。

ごちゃごちゃしてて悪いんだけど...」

 

「ふふっ。

そんなことないわよ」

 

僕はタクシーから降りるJちゃんの荷物を引き取った。

 

 

「ごちゃごちゃしててゴメン」

 

僕はJちゃんをリビングに通すと、大慌てで部屋干ししていた洗濯物を除け、斜めになっていた座布団を真っ直ぐにした。

 

「ホッとするのよねぇ、この部屋」と、Jちゃんはキョロキョロと室内を見回している。

 

「いい風に言えばね」

 

「あら?」

 

「どうしたの?」

 

お茶の用意をしていた僕は、Jちゃんの方を振り向いた。

 

「これ...」

 

「あ!」

 

Jちゃんが手にしたものに、僕は大声をあげてしまった。

 

「これって...?」

 

アオ君の忘れ物...数学の教科書...だった。

 

よくアオ君は持ち込んだ教科書や問題集を、我が家のコタツに広げていた。

 

「え~っと」

 

アラサー男2人暮らしの部屋に、高校数学の教科書...「なぜ?」となるだろう。

 

Jちゃん相手ならば、アオ君が我が家に出入りしていることを話してしまっていいものか迷った。

 

でも、夫だからこそ頼ってきたのかもしれないから、内緒にした方がいいだろう。

 

「昔の教科書が出てきてさ。

懐かしくってさ」

 

「今も取っていたんだ。

チャンミンさんらしいわ。

こんな難しいものを、よく昔は解いていたなぁって思うよね」

 

「うんうん、そうそう」

 

お茶と茶菓子の用意が整い、僕らはしばらく互いの近況や配偶者についての話題で盛り上がった。

 

「パーティにはどれくらいの人が集まるの?」

 

僕はおもむろに、話題を変えた。

 

「さあ...母が取り仕切ってるから詳しいことは分からないけど、多分30人くらい?」

 

「Jちゃんとこは親戚が多いんだってね。

従兄弟って何人くらいいるの?

僕の従兄弟は3人だっけなぁ」

 

「従兄弟?

何人いるかなぁ...。

父方、母方どちらも兄弟が多い方だから...そうねぇ」

 

Jちゃんは空を睨んで、指折り数え出した。

 

僕はJちゃんに訊きたいことがあったのだ。

 

「従兄弟っていっても、うんと年上の人がいたりしない?

自分の親世代の年齢くらいに」

 

「ううん」

 

Jちゃんは左右に首を振った。

 

「両親は上の方だから。

一番年上の従兄弟でも38歳だったかなぁ」

 

「......」

 

「どういうことなんだろう?」と首を傾げた。

 

アオ君の両親はどんな人たちなのか知りたかった。

 

Jちゃんは、一番年上の従兄弟が38歳って言っていた。

 

でも、アオ君の両親にあたる「50代後半」の人物は夫の従兄弟衆の中にはいないらしい。

 

アオ君は夫の従兄弟にあたるのに、「従兄弟の子」だと僕が聞き間違えただけかもしれない。

 

「チャンミンさん?

私たちの従兄弟が、どうしたの?」

 

Jちゃんは黙り込んでしまった僕に、首を傾げていた。

 

「いやっ。

何でもない...」

 

 

「しばらくはこちらにいるから、近いうちに私たちだけでしましょうよ」

 

Jちゃんは1時間ほど滞在したのち、帰宅するためタクシーを呼んだ。

 

「いいね!

僕んちでやろうよ」

 

「そうしましょう!」

 

僕は走り去るタクシーに手を振り見送った。

 

 

 

    

~夫の夫~

 

結婚以来、俺は何度か風邪をひき、その都度夫に手厚く看病してもらった。

 

早退してきた俺に、夫は「やれやれ」とため息をついた。

 

「昨日、湯冷めしたんだよ。

薄着のままでコンビニに出掛けるんだからぁ」

 

「...うん。

ごめん」

 

昨夜の俺は、突如アイスクリームが食べたくなり、夫の反対を押し切って外出したものだから、秘密でもなんでもない。

 

夫は慣れたもので、てきぱきと俺の手当てを済ませると書斎に引っ込んでしまった。

 

なんとドライな扱いなんだろうと、落ち込んだりしない。

 

結婚当初は、俺が心配だからと熱にうなされる俺の側から離れずにいたのだが、年を経るごとに加減を知っていったのだ。

 

どれくらいうとうととしていたのか、目覚めるとアオ君が俺を見下ろしていた。

 

なぜアオ君だとすぐに分かったのかというと、シルエットの形が夫のものではなかったからだ。

 

「来てたんだ?」

 

枕元の目覚まし時計の針は18時を指していた。

 

廊下の照明の光が、開けたドアから薄暗い部屋へと差し込んでいる。

 

夕飯を我が家で摂ろうと、いつものように訪ねてきたのか、それとも夫が呼んだのか。

 

「ユノさん...大丈夫ですか?」

 

「ああ...喉が渇いた」

 

身体を起こすと、視界がぐらりと揺れ、頭がガンガン痛んだ。

 

「はい」

 

アオ君は枕元に置いたトレーから、水のグラスを手渡してくれた。

 

「ありがとう」

 

冷えた水が、干上がってひりひり痛む喉を潤してくれる。

 

「食欲はありますか?」

 

「吐き気はおさまったから、食べられそうかな」

 

「じゃあ...お粥はどうですか?

僕が作りました」

 

トレーにはグラスの他に、小さな土鍋もあった。

 

「へぇ、凄いじゃん」

 

「チャンミンさんに教えてもらったんです。

米から煮て、中華スープの素を入れて、最後に卵を落として。

味見してみたら、美味かったです」

 

俺は火傷しないよう、レンゲにすくったお粥にふうふう息を吹きかけた。

 

「うん、美味しい。

いつもの味だ」

 

風邪をひいた俺の為に夫が作ってくれるお粥の味だ。

 

とろとろの煮加減やダシの濃さ、馬鹿みたいに散らした輪切りネギ。

 

アオ君は枕元に正座をして、お粥を食べる俺の様子を観察している。

 

「ごちそうさま」

 

俺は完食した鍋をトレーに戻し、グラスの水を飲み干した。

 

「...アオ君。

いつ頃帰るんだ?」

 

「え...?」

 

俺の雰囲気で何となく察してはいただろうけど、まさか今この時切り出されるとは思いもしなかったのだろう。

 

「いつまでもここに居られないよね」

 

「......」

 

「...はい。

分かってます」

 

うつむいたアオ君は、小さくかすれた声で頷いた。

 

(つづく)

 

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