洗濯ものと弁当を携え、アオ君のアパートメントを訪ねた帰り道のことだ。
夫用のビジネスソックスを新調してやろうと、駅近の商店街へと足を向けていた。
ついでにアオ君の靴下も買ってあげようかと思いついた後、大股歩きだった足を止めた。
「やり過ぎかな?」と迷ったのと、夫の怒った顔が浮かんできた為、靴下のアイデアは却下した。
夫愛用の靴下がセール中だったことに僕はご機嫌で、いい気分ついでに夫お気に入りのコロッケをたくさん買い求めた。
肩にかけたトートバッグから、揚げ物のよい匂いが漂ってくる。
キャベツは千切りしただけにしようか、軽く塩もみしようか...と、夕食の段取りを考えながら駅前のタクシー乗り場を通り過ぎたちょうどその時、
「チャンミンさ~ん」
僕の名を呼ぶ声に振り向くと、一台のタクシーからひとりの美女が手を振っていた。
「あれぇ?
Jちゃんじゃん」
Jちゃんとは夫の妹だ。
色白な肌に今どき珍しくカラーリングしていない髪色は漆黒で、スレンダーな身体つき、切れ長な目元など...つまり、Jちゃんは夫に似て美人さんなのだ。
「こっちに帰ってきてたんだ。
どうしたの、こんなところで?」
「昨日、帰国したの」
「そうだったんだ」
Jちゃんは海外在住で、現地で知り合った男性と結婚し、一昨年女の子を出産した(交流がある親戚の貴重なひとりだ)
「家族みんなで?」
「ええ。
ちょうど会えてよかった。
チャンミンさんたちにお土産があったから、ご自宅に寄ろうと思ってたの」
「ちゃんと片付いていたっけ?」と不安になっている僕の考えを、Jちゃんは察知したようだった。
「アポなしでごめんなさい。
お渡ししたらすぐに帰るつもりだったから」
「いや、いいんだ。
上がってもらっても構わないんだけど、散らかってるからさ。
昨日、締め切りだったもので...」
「ふふ。
チャンミンさんの言う『散らかってる』は散らかっていないんだから。
チャンミンさんは片付けに関しては厳しかったよね」
「そこは否定しません。
へへへ」
似たようなことをアオ君からも言われたばかりだったなぁと、僕は苦笑してぽりぽり鼻をかいた。
タクシーの後部座席のドアが開いた。
「?」
「乗ってください。送るわ」と、Jちゃんは座席奥に移動した。
「それじゃあ...」
僕はお言葉に甘えることにした。
「JJちゃんは?」
「夫に預けているの。
ホテルにいるわ」
JJちゃんとは、Jちゃんの子供の名前だ(彼女とは未だ会ったことはない。写真を見せてもらっただけだ)
「だよね。
海外だもの。
簡単に帰ってこられないよね」
「ええ。
JJの2歳の誕生日がもうすぐなの。
だから、初顔見せも兼ねて帰ってきたのよ」
「そうだったんだ!
ごめん、何も用意していないや」
姪にあたるJJちゃんの誕生日は、僕の頭になかった。
「実家でJJのバースデーパーティを開くの。
集まれる親戚一同集まってね。
...兄も誘ったの。
きっと断られると思ったけれど...」
「そうだったんだ」
「チャンミンさんもご一緒に、ってね。」
初耳で驚く僕の様子に、Jちゃんは悲し気に笑った。
夫の実家は田舎の旧家の為、親戚縁者が特に多い。
そこで開催されるパーティは、さぞ華やかで盛大なものになるだろう。
・
僕は夫の実家へ、たった一度だけ訪問したことがある。
夫の両親へ僕らの婚約を報告するためだ。
夫は「その必要はない」と反対したけれど、「人生の上で大切な節目だから挨拶すべきだ」と、僕は意見を押し通した。
「ユノがその...ゲイだってこと、ご両親は知ってるんでしょ?」
「...ああ」
「これまでも普通に帰省してたじゃん。
ってことは、認めてくれてるってことじゃないのかな?」
「認めてないさ。
ブチ切れて俺を勘当したりなんかしたら、彼らが困るからだよ。
俺、一応長男だからさ」
「そう...だったね」
「若いうちは好きにさせておいて、30過ぎてそろそろ...って時になったら、見合いでもさせればいい。
彼らには、俺に男の恋人がいることと、女と結婚できないってことが結びついてないんだよ。
男と結婚がしたい...と知って、卒倒するだろうね」
化膿しかけたピアスホールを消毒しようと、夫は僕の耳たぶをつまんでいた。
僕は膝を抱えて座り、夫は片膝をついていて、僕らの足元に列車の切符が2枚あった。
「息子の幸せそうな顔を見られるんだからさ。
家族なんだもの...喜んでくれるよ」
全くもう、当時の僕ときたら呑気で視野が狭かった。
受け入れてもらおう、とまでは思わなかった。
許しがたい事だけど本人たちが幸せならば、少しだけでも祝福してあげようではないか...と期待していたのだ。
「俺さ、目が全然笑っていない両親の笑顔を見てきたんだ。
どこかでドカン、とくるだろうな、って覚悟してた。
怒鳴られるなり追い出されるなり、はっきりしてくれた方が分かりやすい。
うやむやにされているのは気持ち悪い。
両親に大切な人を紹介する...いいことだよ、とってもいいことだ。
...でも。
『分かってもらいたい』と押し付けるのは、俺たちのエゴさ。
相手をいたずらに刺激してしまうのは、彼らにとって害でしかないよ」
「......」
「俺を罵るなり嫌な顔するなり、それは構わない。
気乗りしないのは、チャンミンを傷つけたくないんだよ」
「......」
「すげぇ嫌な思いするかもよ?
いいのか?」
「うん」
夫は2枚の切符を取り上げ、印刷された駅名に視線を落とした。
ビリビリに破られてしまうかも...と、ドキドキしたけれど、夫はそうはしなかった。
「行ってみようか?
でも...どうなるか、知らないからな?」
・
結果はどうだったかというと、予想通りだったというか...なんだかよく分からない反応だった。
激高されて、玄関先でつまみ出されはしなかったし、手土産も受け取ってもらえたし、応接間まで通してもらえた。
ここまでの道中、たくさん用意してきた言葉は必要なかった
「結婚」の言葉に、夫の父親の眉毛がぴくり、と動いた(寝耳に水はよろしくないからと、前もってだいたいのことを手紙で伝えておいたらしい)
「そうか」と頷くと、彼は席を立ってしまった。
夫の母親は僕に一礼すると、遅れて応接間を出ていった。
供された紅茶はまだ湯気をたてていた。
・
タクシーを待つ間、僕らは無言だった。
石垣に座って、立派な門構えの大きな大きな家を眺めていた。
(なんだったんだ...あれは?)
拍子抜け...というか、夫が言っていた通り、怒鳴られた方がマシだったかもしれない、と思った。
僕を傷つけてしまうから両親に会わせたくない、と夫は言っていた。
逆だ。
ここまで夫を引っ張ってきた僕こそが、彼を傷つけてしまったのだ。
「ごめん」
しょんぼりしている僕の気持ちを読んだかのように、夫は言った。
「勘当されなかっただけマシだったよ。
はははは」
「そうだけど...」
「ムカつくけどさ、俺たちのことを受け入れられなくて当たり前なんだ。
彼らを刺激しないよう距離を置くのがいいね。
今回のことで、よ~く分かった」
「う~ん...そうなの...かなぁ?」
「俺の家族はチャンミンだよ」
「うん。
僕の家族はユノだ」
「『ふうふ』だね」
「ああ。
チェックインまで時間があるから、観光でもしようか?」
「うん」
せっかく遠くまで来たのに、そのまま帰るのは惜しいので、僕らは旅館を予約していたのだ。
「あ!
タクシーが来たぞ!」
「うん」
僕の存在を完全に無視されなかっただけマシだった。
わずか1分足らずの会見の間、夫の父親は息子だけを見ていたけれど、一瞬だけ、僕にその視線を向けた。
その眼力の鋭いことといったら。
夫の眼差しに力がみなぎっているのは、親譲りのものなんだろうね。
(つづく)
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