~夫の夫~
俺はアオ君を責めていない。
「このままじゃいけないよ」と、思い出させてあげただけだ。
「ずっとここに居続けるわけにはいけないよ」と。
「突然アオ君がいなくなったら、チャンミンの落ち込みようは酷いと思う。
もちろん、俺も寂しいよ、とても」
「......」
俯くアオ君の頭に片手をのせた。
垂れた前髪が濃い影を作って、アオ君の表情を覆っていた。
俺から頭を撫ぜられるがままのアオ君は、もう17歳、まだ17歳だ。
「俺の場合は最初から事情を知っていたから、多少はマシだろうけど、チャンミンは何も知らないからね。
最後まで内緒にしているのは、さすがにチャンミンが可哀想だ。
早いうちに、チャンミンには説明をしておいた方がいいかもしれないなぁ」
「そうですね...」
「アオ君だって、何も知らせずに行ってしまうのは嫌だろう?」
「嫌です」
「最初は最後まで知らせない方がいいと思っていた。
でも、アオ君の手助けを始めてすぐに、これは俺だけが抱えきれる秘密じゃない、と考えを変えた。
どうせすぐにバレるだろうからと、外出の言い訳も適当にしてたしさ」
「...じゃあ、爪痕を残してもいいんですか?」
「ああ。
ガツン、とね。
その時は俺も一緒にいるから」
アオ君の頭の上にあった手を彼の肩に落とし、ぽんぽんと叩いた。
「どう?
得られたものはあった?」
「あったと思います」
「それはよかった。
じゃあ、どこかで場を設けるよ」
「理解してもらえるでしょうか?」
「するさ。
チャンミンは小説家をやってるだけあって、感情面で柔軟性はあると思うよ」
パタパタと、聞きなれたリズムのスリッパ音に顔を上げると、夫が寝室の戸口に立っていた。
「ユノ~。
具合はどう?」
「楽になったよ」
「ホントに?」
俺の言葉を信用していない夫は「どれどれ~?」と、俺の額に手を当てた。
炊事中の夫の手は冷たくて気持ちがよかった。
「昼間より下がったかなぁ?
夫は反対側の手をアオ君の額に当ててみせると、「あれ?アオ君の方が熱い?」と首を傾げて今度は自身の額に手をやった。
「あれ?
僕も熱があるかも」
「それは手が冷たいからだよ」
「ユノの風邪がうつったかも。
ほら、おでこに触ってみて。
熱いから」
「いや...全然」
「体温計使えばいいじゃないですか」
「そりゃそうだけど」
俺たち3人は、互いの額の温度を比較し合っては笑った。
・
~僕~
夫が風邪をひいた。
朝出勤していった夫が、昼食前にふらふらになって帰宅したのだ。
「もぉ!
僕の言うことを聞かないから!」
湯上りの身体で寒空の下、出掛けていった夫が悪い(寒い季節、暑いくらいに暖房がきいた部屋で食べるアイスクリームが最高なんだとか)
僕は夫を着替えさせ、寝床に押し込んだのち、執筆の続きに戻る為書斎に引っ込んだ。
キーボードを打つ指のスピードは落ちない。
生活が充実しているおかげなのか、近頃の僕は冴えているのだ。
気持ちが若くなったと感じるし、夫のダメダメなところが気になりにくくなった。
第一章まで書き上げた時、夫を寝かせてからちょうど3時間が経っていた。
音をたてないようドアを開け、寝室の様子をうかがうと、夫はまだ寝息をたてていた。
額に貼っていた冷却シートを新しいものと交換してやる間、風邪薬がよく効いているのか夫はぴくりとも動かなかった。
口元に耳を寄せ、呼吸音とリズムを確かめた。
吐息は熱く、うっすら開いた唇はかさかさに乾いている。
「......」
僕ら以外誰もいるはずないのに、キョロキョロ周囲を見回してから夫にキスした。
今のキスの相手が素面の健康体の夫だったとしたら、首根っこをつかまれベッドに引きずり込まれていただろうな。
・
お粥でも用意しようと台所に立った丁度その時、チャイムが鳴った。
「寒い寒い!
ぼたん雪っていうの?
でっかい雪が降ってきた」
前髪と両肩に雪をのせたアオ君だった。
今夜、アオ君を夕食に誘っていたことを忘れていた。
夫が風邪で寝込んでいることを知らせると、アオ君の表情が瞬時に曇った。
「えっ!?
大丈夫なの?」
「だいじょーぶ。
ユノはひと冬に必ず1度は風邪ひく人なの。
僕は滅多にひかないんだけどね~、はは~」
アオ君のおろおろ具合が面白かった。
「病院は!
病院に連れていかなくてもいいんですか?」
心配する挙句、寝室まで突撃しようとするアオ君を引き留めた。
「今はゆっくり寝かしておくことが、一番の養生だよ」
「...分かったよ」
「お粥を作るんだけど、教えてあげようか?」
「...しょうがねぇな。
教えてもらうよ」
アオ君は僕の隣に立って、米の研ぎ方包丁の持ち方などを手取り足取り指導した。
ネギに添えたぶきっちょなネコの手に、僕は心の中でクスクス笑っていた。
・
夫が目覚めるまでの間、僕とアオ君は共にコタツでみかんを食べていた。
外皮をむくなり、2,3房まとめて口に放り込むアオ君に対して、僕はみかんのスジを丁寧に取り除く派だ。
「チャンミンらしい食い方だなぁ」
「うるさいなぁ。
そうだ!」
僕が夫の浮気を疑う以前、密かに温めていたプランについて、アオ君に助言を仰ぐことにした。
引きこもりの僕よりも、若者の感覚の方が頼りになりそうだった。
「ユノに贈り物をしたいと思ってるんだ。
まとまった原稿料が入ったんだよ。
何をあげた方がいいと思う?」
「名目は何?」
アオ君は2個目のみかんの皮をむきながら尋ねた。
「クリスマス兼誕生日兼バレンタイン兼ホワイトデー兼いままでありがとう、これからもよろしくね兼、「大好きだよ」プレゼント...とか?」
「う~ん」
「財布やパス入れ。
万年筆、ネクタイ。
王道なものでいいんじゃね?」
「実はね...大体のものはあげつくしたんだ」
各種イベントごとに、ちょっといいモノをお互いに贈り合ってきたから、近年ネタ切れになってきていた。
「旅行もいいかなぁ、と思ってはいるんだけどさ」
アオ君は僕の左薬指を見て、「アクセサリーは?」と訊ねた。
「ファッションリングってこと?
ネックレス...ユノなら付けそうだね、休みの日とか」
「ピアスなんかはどうかな?
ユノさん、ピアスホール開いてたし」
アオ君は自身の耳たぶを指さした。
「ユノさんなら、30過ぎてもピアスが似合うイケオジになれるよ」
「あのね~、ユノはオジサンな年じゃないよ」
「俺からみたら、30過ぎたらオジサンだよ」
「...っ」
いちいち相手にしていたらきりがない、スルーすることにした。
「ピアスか~。
ちゃんとしたものはあげたことないかも」
夫から無理やりピアスホールを開けられた過去を思い出していた。
ファッション雑貨コーナーへふくれっ面の僕を連れてゆき、揃いのピアスを買ったっけ?
1ペアを半分こしたはず。
懐かしいなぁ...。
「いいね。
ピアス、いいかも」
土鍋の蓋がカタカタ音をたて始めた。
出来上がったお粥は、アオ君が寝室に運ぶことになった。
(つづく)
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