~獲物だった~
だらしなく下半身をさらした僕は、しばらくの間馬鹿みたいに呆けていた。
自分のしでかしたことに、茫然としていた。
頬を涙で濡らしたユノは、枯草の上で横たわったままだった。
罪悪感に浸る前にすることがあるだろう?
無理やり引き下ろしたユノの下着とパンツを元通りにした。
ユノの白い手足は力が抜けていて、まるで人形のようだった。
ユノの下腹に僕が放った精液がたらりと。
拭きとってあげたかったが、適したものを何も持ち合わせておらず、申し訳なくてたまらない僕は自身のTシャツの裾ででぬぐい取った。
パンツは細身だったため苦労したが、その間ユノは僕にされるがままで、その表情もうつろだった。
ユノが欲しくてたまらなかった僕は、手中におさめるために、ユノを貶めた。
ユノの獲物だった僕が、ユノを獲物にしてしまったのだ。
「?」
ユノの様子が変だ。
まぶたを半分落とし、軽く開いた唇も紙のように真っ白だった。
「ユノ?」
肩をゆさぶったら、見下ろす僕と目を合わせ、「...チャンミン?」とぼそりと言った。
「具合が悪いのか?」
「少し休めば、大丈夫だ」
ユノの額に手を当てると、ぞっとするほど冷たい。
「病院。
病院に行こう!」
ユノの首の後ろに腕を通して、抱き起す。
首が座っておらず、頭がぐらぐらと揺れた。
ユノのうつろな眼は、さっき流した涙で潤み、碧く澄んでいる。
黒髪に青い瞳の組み合わせが人形めいていて、非常事態なのにも関わらず、胸をつかれるほど美しかった。
周囲を見渡す。
朝日が昇りかけており、見上げた木立の枝葉の間から白い光が差し込んできた。
それでも山中のここは薄暗く、ひんやりとした湿気に満ちている。
ユノを抱いて林の中を抜けるのは難しい。
傾斜もきつく、地面から不意に突き出た木の根に足をとられて、転倒する恐れがあった。
抱き上げかけたユノを、そっと地面に下ろす。
同じ場所に戻ってこられるよう、周囲の風景を記憶に刻む。
所有地の境界を印す蛍光ピンクのリボンがあそこに2本、木の幹に赤いスプレーでマークされた数字がここ。
「ユノ!
待ってて。
人を呼んでくるから」
「待て」
Tシャツの裾が引っ張られ、立ち上がりかけた僕は、ユノの口元に耳を寄せた。
「どうした?」
「医者はいらない」
「いらないって...?
こんな状態で何を言ってるんだよ!?」
「チャンミン...」
「っつ!!」
耳朶にズキッっと痛みが走り、とっさにかばった指先がぬるりと濡れた。
「何するんだよ!」
耳朶をユノに噛まれたのだ。
デニムパンツで指を拭ってユノを叱りつける。
ユノの唇が僕の血で赤く染まっている。
なまっちろい肌に血が付着したユノの顔が...映画やドラマで観たことがある光景...殺人被害者のようで、背筋がそくりとした。
まるで、僕がユノを殺したかのようで。
「!」
僕の手首がぎゅっとユノの手によって握りしめられた。
手首の骨がきしむほどの力だった。
半分閉じられていたユノの眼がかっと見開き、僕を射るように見据えられた。
あの時と同じだ...ユノと出逢った日...ユノに突き倒されて、あの時と同じように暗い墨色の目が僕を見上げていた。
一瞬の間、僕は金縛りにあったかのように、ユノの瞳に囚われていたが、頭を振って現実に引き戻す。
「こんな時にふざけるなって!」
ユノの手を振り切ろうと、手首をひいたらあっさりとその力は緩む。
「とにかく、人を呼んでくるから。
ここで待ってて」
「......」
ユノは視線をゆるめると、ぷいと僕から目を反らした。
まぶたが完全に閉じてしまった。
「すぐに戻って来るから!」
僕は素早く立ち上がると、一度だけ振り返ってユノの存在を確かめた後、斜面を下りて行った。
ここを真っ直ぐに下りると、確か処理場の裏手に出るはずだ。
ばあちゃんちと廃工場、処理場の位置関係は三角形を描いている。
棘草や笹の鋭い葉先が僕の腕を傷つける。
ユノを失ってしまう恐怖心と焦燥、それから肉欲に目がくらんでいた僕は、ユノを見ていなかった。
多分...昨日、河原へ行った時だ。
あの時から、ユノは僕の力にあっさりと屈していたような気がする。
河原を出てからも、家へ帰れと言うユノの言葉を無視していた。
泣いてユノに取りすがった。
自分のことしか考えていなかった。
人間離れしたユノなら、僕のお願いを聞くことくらい大したことないと甘えていた。
・
最後の藪を突っ切って、半ば転げ落ちるようにして平坦な地面に下り立った。
鉄格子の中には、焦げ茶の獣がうずくまっている。
小さな黒い目と目を合わせないように、檻の前を通り過ぎた。
建物の表に回るとトラックが横付けしてあり、僕は安堵する。
Sさんがいた。
「Sさん!」
「おお!」
荷台へ荷物の積み下ろしをしていたSは、息せき切って駆けてくる僕に驚いた表情を見せた。
「どうした?
こんな朝っぱらから。
俺か?
なかなか罠にかからないから、米ぬかを追加しようと思ってな...」
「助けてください!」
僕の必死の形相に、Sさんの様子も真剣みを帯びてきた。
「チャンミン...お前、酷いぞ。
それはお前の血か?」
Sさんの視線の先を見てギョッとした。
襟ぐりが血で汚れていた。
ユノに噛まれた耳朶の傷から流れた血だ。
「えっと...枝をひっかけたんだと思います」
「助けて欲しい、って?」
Sさんに促された僕はここまで来た経緯を、荒い呼吸を整えながら説明したのだった。
・
ユノが居る場所の説明をすると、近辺の林中に詳しいSさんは見当がついたらしく、僕に先んじて林の中に踏み入っていった。
僕はSさんを見失わないようについて行くのに必死だった。
厚く降り積もった杉葉は、スニーカー履きには滑りやすいし、半袖Tシャツといった軽装の僕は、来た時と同様にあちこち擦り傷を作った。
いた。
茶色い地面に、ぐったりと伏せたユノがいた。
生きているようには見えないくらい、全身の力が抜けてしまっていた。
「チャンミンは、落ちないよう後ろから支えてくれ」
Sさんがユノをおぶり、僕はユノの背中を手で支えながらの下山となった。
「なあ。
この子は、大学の友達だって?」
「う、うん」
まさか、本当のことは言えない。
「そうか...」
山歩きに慣れたSさんの足取りは頼もしく、処理場に着く頃には僕はただ後を追いかけるだけだった。
「Sさん!」
処理場内のステンレス台の上にユノを寝かすSさんの無神経さに、僕は驚愕して大声を出した。
くたりと横たわったユノが、まるで解剖を待つ死体のようだった。
「病院に連れて行かないと!
電話をかけないと!」
「電話はひいていないんだ」
「ユノを車に乗せてってよ。
病院へ運ぼう!」
「チャンミン...」
Sさんが僕の名前を、低い落ち着いた声で呼んだ。
「こんなところに寝かすなんて!」
扇形に広がった羽のようなまつ毛だとか、目の下のどす黒い隈だとか、整った小さな鼻だとか、ステンレス台に広がる枯れ葉のついた黒髪だとか...何度もヤリまくった身体なのに、遠い存在に見えた。
ユノが死んでしまう恐怖がせり上がってきた胸が、苦しくて仕方がない。
Sさんの表情が不気味だった。
小さいころから可愛がってくれて、両親の事故の時生き残った僕に涙した人とは別人だった。
「お前は家に帰れ...と言っても無理か。
そうだよな...」
「当たり前だ!
意味わかんないよ。
いいよ、僕が連れて行くから」
ユノに飛びつく僕を、Sさんはがっしりとした腕で制止した。
「チャンミン、待て」
つぶやいたSさんは、しばらくの間宙をにらんで考えを巡らしていた。
「この子は、お前の何なんだ?」
「え...?」
「ただの友達か?」
「......」
(つづく)