~縛ってください~
電車の発車時刻ぎりぎりまで、僕らは互いの身体を貪った。
僕が貪られた。
もっと正確に言うと、貪られるのを望んだのは僕の方だ。
互いの性器を丹念に舐め合い、味わった。
前夜見た夢のことを思い出しながら、ユノに貫かれる。
モノクロの世界の中、僕が全身を浸していた池だけ血のように真っ赤で、唇についたその水はザクロの果汁だった。
僕とユノとの恋には、先行きの見えない前途多難の予感しかしない。
僕らを取り囲む世界は灰色と黒色。
甘い蜜の池に沈んでいる間は、そのことを忘れられるんだ。
「縛って」
「正気?」
「僕を繋ぎとめて欲しい。
だから...縛って...」
ユノは僕を憐れむような眼で見た。
脱ぎ捨てられたデニムパンツからベルトを引き抜き、配管に通すと僕の手首に巻き付けた。
「もっときつく」
「痕が残るぞ?」
「構わない...っ!」
ぎりぎりと手指の感覚がなくなるまでベルトが引き絞られた。
両腕を上げた状態で手を拘束され、自由を奪われた。
腕を下ろすこともできない。
僕の身体はユノに弄ばれるんだ。
僕は狂っている。
「チャンミンはやらしいなぁ」
そう言って、ユノは僕の額に唇を押し当てた。
「可哀想だから脚は縛らないでおく。
ただし、動かしたら駄目だ。
少しでも動かしたら...」
ユノは立ち上がるとマットレスを離れ、ボトルを持って戻ってきた。
ボトルを傾けて手の平いっぱいに中身を注ぐと、とろとろになった両手で僕のペニスを包み込んだ。
「ああっ...あうっ...」
快感を逃そうと膝を動かしたら、ユノは僕のペニスから手を離してしまった。
「舐めてあげないし、しごいてもあげない。
...じゃないか!
チャンミンにはペニスは必要なかったんだ!
チャンミンはこっちのほうが...」
つぷり、とユノは2本の指を僕の入口にねじこんだ。
「...んはぁっ!」
がくんと僕の膝が折れる
「ひっ...」
腰を落としてしまいそうになるのを耐える。
かかとに力を込めて、快感にのたうち回りそうになるのを堪える。
強めに中をこすられて、開きっぱなしの僕の口から唾液が漏れる。
ぷすぷすと入り口から漏れる空気の音が、卑猥過ぎる。
両手を握りしめようとするが、血が通わないせいで力が入らない。
「はっ...あっ...」
睾丸を握られて、僕は短い悲鳴をあげる。
「あぁっ...あぁぁ...」
痛みと快感の狭間をいったりきたりして、僕はどうにかなってしまいそうだった。
イキそうになると、ユノは動きを止めてしまう。
ベルトの固い革が僕の手首の皮膚を、傷つけていく。
・
午前10時の廃工場内に、僕の嬌声が響き渡る。
左右に揺らすだけのユノの動きがもどかしくて、自らも腰を揺らした。
「動くなって言っただろう?」
乳首が強くつねられて、僕は歓喜の悲鳴をあげてしまう。
「いっ...!」
「気持ちいいか?」
「うん...いいっ...いい...もっと...」
「もっと?」
僕の口元に耳を寄せて、「ここ?」と乳首をぐりっと押しつぶした。
僕の身体は、激しくのけぞる。
まるで、水槽から引き揚げられた魚が、まな板の上でびちびちと跳ねるように。
「あっ...ん...そう...そこを...もっと」
僕のペニスはこれ以上ない程に硬く膨れ上がって、下腹が痛いくらいだ。
動かして欲しい。
引っ張るほど手首に革が食い込むばかりで、強烈な性感から逃れられない。
幸福から逃げたくなる、でも逃げられないから幸福なんだ。
自分がそう仕向けたんだ。
不自由な状況下で一方的に与えられる快感に、目が眩むほど僕はのめり込んでいた。
手首の痛みがもはや、快感になっていた。
さんざん焦らされ、フラストレーションが溜まって爆発しそうだった。
ようやくユノが腰を埋めたときには、僕はイッたのかそうじゃないのか分からなくなっていた。
・
「はぁはぁはぁ」
まるでシャワーを浴びたかのように、僕の全身は汗びっしょりだった。
これから帰りの電車に乗らなければならないというのに。
手首の拘束を解かれた。
案の定、内側のやわらかい皮膚が帯状に擦りむけ、血が滲んでいた。
しびれた手指を開いたり閉じたりしていると、血の気が戻ってきた。
「種明かしをしてあげよう」
ユノは僕の手首をとると、自分の方に引き寄せた。
そして、ユノ自身の親指の付け根辺りに噛みつく。
ユノの口が離れると、犬歯がつけた2つの穴からぷくりと血が膨れ上がり、張力を越えたそれはたらりとユノの手首を汚した。
何が始まるんだ?と僕は固唾を飲んで見守る。
ユノはその手を、僕の両手首にこすりつけた。
「!」
僕の血とユノの血に覆われていて、その変化を確認することはできなかったが...。
タオルで僕らの血が拭われると、
「はい、出来上がり」
まっさらな僕の手首があらわになった。
消えた二の腕の傷の謎がこれで解けた。
乗り換えの駅を知らせるアナウンスに、僕は席を立った。
つい数時間前まで、緑迫る山中にいたことが嘘のようだった。
何の気なしに空虚な気持ちで帰省した結果、僕が陥ってしまったこと。
僕の魂を持っていかれた。
僕はもう狂っていた。
僕はもう一度、ユノに会いたかった。
文字通り骨の髄までしゃぶられたかった。
僕をもっといたぶって欲しかった。
飽くことなく抱き合いたかった。
もっと、もっと。
・
街にもどった僕は、1週間も待てずに再び故郷へ向かった。
・
週末の度、僕は帰郷してはユノと抱き合った。
遠慮のなくなったユノは僕の前で堂々と「食事」をするし、その傍の僕は自分の弁当を広げるだけの図太さを身につけた。
山中で動かなくなってしまったユノを助けた方法とは実に野蛮な行為で、もう一度やれと言われたら足がすくんでしまうだろう。
「ユノ...それはその...美味しいの?」
ファストフード店のカップに移し替えたそれを、ストローで吸うユノにおずおずと尋ねた。
初めて襲われた日も、こんな風にユノは「食事」をしていた。
あの時は、ストローを通るものの正体は知らなかった。
「まあまあ。
もっと美味しいものを知っているけれど、それは我慢して代わりにこれを飲んでいるだけ」
僕は唾を飲み込んでから、おずおずと尋ねた。
「ユノは...僕のを吸いたいと思ったことはないの?
でも...噛みつかれたら僕も...ユノみたいになるの?」
「あはははは!」
ユノのはじけるような笑顔が、工場に響き渡った。
お腹を抱えて笑っている。
「酷いな...そんなに笑わなくたって」
ムッとした僕に対して、目尻に浮かんだ涙を拭うとユノは、
「何回俺に噛みつかれたと思っているの?
その通りだったら、チャンミンはとっくに『変身』してるよ」
「確かに...」
「チャンミンは、本の読みすぎ、テレビの見過ぎ。
人の血を吸い、日光と十字架とニンニクに弱いって?
噛まれた人間は、吸血鬼になっちゃうって?
そんなんじゃないよ、俺は」
「じゃあ、何だよ?」
「動物の血を食糧としている、寿命の長い、人間の姿をしたバケモノ。
野生動物みたいなものだから、夜行性なんだ」
ユノは顔を寄せると僕の唇を塞ぐ。
血の味がするキス。
その血は僕のでもユノのでもなく、イノシシの血なんだから怖気がたつ。
ちょっとしたことでは驚かなくなった僕は、この程度では怯まない。
・
あの朝、Sさんは檻の中の猪を僕に手伝わせて、処理場内まで運搬した。
そして、その喉をナイフを一突きし、勢いよく吹きだす血液を巨大なたらいで受けた。
ここからが凄かった。
ユノに大きな漏斗を咥えさせると、なみなみとたらいを満たしたものをひしゃくですくって、漏斗に注ぐ。
ユノの口から外れないように漏斗を支えるのが僕の役目だった。
最初のうちはただ、ユノの口を溢れさせるだけだった。
ごぼっと一度むせた後はごくりごくりと喉を鳴らして飲み込むユノの様子に、僕は安堵したし、ぞぅっとした。
ここで踏ん張らないと、生まれて初めてつかんだ恋を失ってしまう。
立ち去るのも、留まるのも全て僕の次第なのだ。
「生き血が一番いいんだ」と、Sさんは言っていた。
SさんとSさんの伯父さん、ユノがどういう繋がり方をしたのかは、僕は知らない。
「ギブアンドテイクの関係」だとSさんは言っていた。
過去に何らかの形でユノに助けられたことがあったんだろうけど、僕には関係のないことだ。
獣を「処理」する際に出る、捨てられるだけの大量の血液をSさんはポリタンクに詰め、それを指定の場所に置く。
ユノはそれを定期的に回収していく。
「魅入られてしまったら、もうお仕舞いだ」のSさんの言葉通り、僕は「なかったこと」にして立ち去ることは出来なかった。
「あの日、僕を襲ったのは、僕の血を...吸おうとしたから?」
僕はユノを横抱きにして、柔らかくて冷たい耳朶を舌先でくすぐった。
「半分は正解、半分は外れ」
「と、言うと?」
「あの時は、空腹だったんだ。
若くて美味しそうなチャンミンを見つけて、後を追っていた」
ユノの足音も気配も、一切なかったことを思い出した。
「僕を殺そうと?」
アハハハと、またユノが笑った。
「失血死するまで吸うのは、大変だよ。
4リットルも飲めるわけないだろう?
ちょっとだけ、舐めてみたかっただけ」
戯れ程度に舌や唇、耳たぶに噛みついていたのは、僕の血の味を楽しむためだったのだ。
「チャンミンが小さな坊やだった時。
あの頃、処理場の案は既にあった。
Sさんの仲介でね。
当初は、この工場を活かして建設する予定だった。
でも、お前のご両親の事故があって、周囲が騒がしくなったから延期することにした。
下見に来ていた時...血の香りに誘われて行ってみたところ...お前に会った、というわけ。
血まみれのお前が美味しそうだった。
でも、止めた」
「止めたのは...なぜ?」
「子供過ぎたから」
僕の割れ目にユノの手が伸び、中指を挿入してゆっくりとかき回した。
「...んっ...あ...はあぁぁ...」
ユノの指が僕の弱いところをかするたび、僕の下腹が波打った。
「ねぇ、思ったんだけど...。
僕の側にずっといたら、ユノは飢えずに済むよ」
「それが出来たらいいのになぁ...。
でも無理だ」
哀しそうに苦しそうに、ユノは笑った。
群青色の瞳に、僕の顔が映っている。
切れ長のまぶたの下の、青い星。
(つづく)