~僕を食べてください~
ユノの口内に指を突っ込み、彼の舌に僕の血をなすりつける。
ユノの喉は動かない。
飲むことを拒否している!
赤い血は、ユノの顎と首を汚すばかりだった。
「ユノ!
お前は強いんだろ?
力も凄いじゃないか!
僕の20倍の寿命なんだろ?」
そこまで言って、全身の血の気が下がった。
永遠に生きるとは言っていなかった。
だから、ユノにも死が訪れるということ。
「嫌だ!」
僕はユノの頭をかき抱き、ぐっしょりと血で濡れた髪を撫ぜた。
「僕を置いていくな!」
ユノの唇がかすかに震え、僕はその声を聴きとろうと耳を寄せる。
「チャンミン...」
「うん、うん」
「チャンミン...」
「うん」
「俺の夢は叶ったよ」
「夢?」
「愛する恋人の血を今、吸っている」
「ユノ!」
吸ってなんかいないくせに。
これっぽっちも、飲み込んでいないくせに。
「...ありがとう」
ユノの美しい水色の瞳は、まぶたで隠されてしまった。
「嫌だ、嫌だよ」
手首をもう一度、ユノの唇に押し付けた。
「吸って」
絞り出すように、肘から手首に向かって腕をごしごしとこすった。
「吸って」
彼に懇願していた。
「もっと...もっと吸って」
うわ言のように繰り返した。
「お願いだ...吸って...!」
彼のためなら命を失ってもよかったんだ。
「お願いだから、吸うんだ!」
僕の目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「お前を食べるのは止めにした」
ユノは目をつむったまま、ゆるゆると首を振るばかりだった。
「僕を食べて!」
僕は叫ぶ。
ユノの肩をゆさぶった。
切れ長のまぶたを縁どった、漆黒のまつ毛がゆっくりと持ち上がった。
「僕をっ...食べろ!」
淡い淡いアイスブルーの、どこまでも透明な美しい瞳。
魚一匹棲んでいない、綺麗すぎる死の池。
「お願いだから...。
僕を...。
...僕を食べてください」
僕の哀願を聞いたユノは、うっすらと笑った。
「その気持ちだけ、頂戴するよ」
・
あの夏から10年が経った。
ばあちゃんの3周忌の法要に帰省していた。
色褪せたレッドのX5を繰って、砂利道を進む。
日差しが強い。
サングラスをした僕は、スーツの上着を脱いで助手席に放った。
涼しい車内から外に出ると、むっとした草いきれに包まれる。
僕に刻印を残したあの人。
前庭は背丈のある草で覆い隠され、ツタの絡まる廃工場。
そっと手首をなぞる。
廃工場のさびついたシャッターは閉まっている。
僕の革靴が、雑草をかきわける。
裏手に回ると、谷川が流れる涼し気なせせらぎが聞こえる。
白がまぶしいTシャツがが風にひらひらとはためいている。
10年前と変わらない、若く美しい青年がほほ笑んだ。
僕もつられてほほ笑む。
サングラスの下の小さな鼻。
口角をキュッと上げて笑っている。
「チャンミン」
「ユノ」
サングラスを外したユノは、かざした手の下で眩し気に目を細めた。
・
あの日のことを思い出す。
僕は捕食者になったつもりで手首から噴き出す血をすすり、口いっぱいに含むとユノに口づけた。
ユノの食いしばる顎は力は弱く、こじあけて流し込んだ。
「飲んで」
何度も。
すすっては、ユノの中へ注ぎこむ。
何度も。
ユノの喉を、ザクロの果汁が滑り落ちていく様を想像しながら。
「ほら...ユノ、飲んで」
ユノの喉が、こくりと動いた。
「いいよ、ユノ...いい子だ」
鉄さび味のキスを繰り返す。
こくりこくりと、ユノの喉が動いた。
・
僕は滑らかな手首を、もう一度撫ぜた。
僕は未だに、狂っているんだ。
「...上物を手に入れたんだ」
「やったね」
X5のラゲッジスペースを親指で指すと、ユノの目がきらりと輝いた。
藍色だった瞳が、一瞬で墨色に転換する。
「食事の前に...」
ユノの腰を僕は抱き寄せる。
「飲み合いっこしようか?」
ユノも僕の腰に腕を回した。
狂っている僕らは、互いのものをすすり合いながら交わり合う。
肉体の接触こそ愛だと信じるユノ。
快楽と苦痛の狭間を探るユノの愛し方。
ユノの信じる愛とは、肉体のように実体をもったもの。
僕は全身でもってそれを受け止め、「どこにもいかないよ」とユノを安心させる。
肌に触れるもの以外にも、愛は存在するんだと、ユノに教えてあげるんだ。
時間だけはたっぷりとある。
100年でも1,000年でも、いくらでも。
僕は死ぬまでユノと一緒だ。
君の為なら、僕はいつでも食べられるから。
僕もあなたを食べるから。
(おしまい)