~足の指を~
最後の一滴まで絞り取られた僕は、ユノに「食べられた」のだろうか。
ユノに問いたいことは沢山ある。
「食べるって...どういう意味だ?」
サングラスをかけたユノは、じっと前方を向いたままだ。
僕がいつまでも見つめていると、
「アハハハハ」
と、喉をそらして笑った。
あまりにも大きな声で、僕はぎょっとする。
「そんなに可笑しいことか?」
「最初に言ったこと、気になってるわけだ?」
真っ黒なサングラスで、ユノがこちらに視線を向けているかどうかは分からない。
「そうだろうね」
ユノは僕の方に顔を向けた。
「まだ、食べていないよ」
「え...?
それってどういう...意味?」
「おいおい教えてあげるよ。
チャンミンを傷つけたりはしないから、安心しろ」
ユノは車を減速させた。
「ここでいいよな?」
ファミリーレストランへ車を乗り入れる。
巧みなハンドルさばきで狭い駐車場に車をおさめると、エンジンを切った。
ファミリーレストランの席につくと、ユノはサングラスを外す。
「俺は、チャンミンが気に入ったんだ」
そう言いながらも、ユノはまるで整い過ぎた陶人形のようで、揺らめきが一切ない平坦な目をしていた。
僕は、気づいてしまった。
ユノの瞳に浮かぶ色には、「静」と「欲」の2パターンしかないことに。
オーダーしたハンバーグ定食を平らげている間、ユノはシーザーサラダをフォークでつつきまわすだけで、その量は減っていかない。
「お腹が減っていたんだね」
ユノは食べる僕を微笑んで見つめているが、まぶたの下の瞳は揺らめきがなく、感情がない。
「美味しいか?」
「うん」
ユノの指は、ロールパンをちぎっては皿に落とし、ちぎっては落とすばかりで、皿の上はパンくずの山が築かれていた。
「いらないの?」
「うん、今はいらない」
そう答えると、ユノはサラダボウルを脇に押しやってしまった。
僕はそれを手元に引き寄せて、ユノがぐちゃぐちゃにしてしまったサラダの残骸を、食べだした。
「ユノは、どこから来たの?
旅行?
ここに引っ越してきたの?」
ユノは頬杖をついて食べ続ける僕を見つめるばかりだ。
「もったいぶらずに、教えてよ」
「そうだね。
謎の男じゃ、チャンミンも気持ちが悪いだろうから。
俺は下見に来たんだ」
「ここに?」
「ああ」
僕は安堵した。
旅の途中だったら、ユノは数日のうちにここを立ち去ってしまうだろうから。
「いいところだったら、ここに引っ越してくるってこと?」
「そんなところ」
「で、どう?」
「気に入ったよ。
条件をほぼ満たしているし」
ユノはテーブル越しに手を伸ばすと、僕の下唇を人差し指で拭った。
「こぼれてる」
ドレッシングのついた指を、僕の唇に押し入れた。
「!」
ユノの長い指が僕の舌に触れた瞬間、思わず彼の指に舌を絡めそうになった。
でも、公衆の面前だと気付いた僕は慌てて、レストラン内を見渡した。
昼食どきにはまだ早い、平日のファミリーレストラン内は、数組の客がいるだけだった。
周囲から、僕らは友人同士に見えるだろうか?
もっと観察眼の鋭い者だったら、単なる友人同士じゃなくて恋人同士なのでは?と疑ってくれたりして。
そうだったらいいな。
だってユノはとても綺麗だから。
昼間のうちにしなければならない用事を思い出した。
近隣市町村中の買い物事情を支える、生鮮食品も取り扱う巨大ドラッグストアへユノの車で向かった。
買い物カートを押して、缶ビール、野菜、調味料を次々と選んでいった。
そんな僕の後ろを、ユノは興味深そうにフルーツ牛乳のパックやカラフルなグミのパッケージを手にとっては、元に戻している。
「欲しいものがあったら、入れていいよ」
「色合いがきれいだなぁ、って思って」
「サングラスをかけたままで、色が分かるんだ?」
可笑しくて吹き出すと、ユノは不思議そうに僕を見た。
「チャンミン...やっと笑ったね」
そういえば、ユノとまともな会話を交わしたのは、これが初めてだった。
返答の言葉が見つからなくて無言のまま、僕は精肉コーナーへカートを向けた。
豚にしようか鶏にしようか迷う僕の手元を、ユノが覗き込んだ。
僕の二の腕にユノの温かい息がかかって、鳥肌がたった。
ユノの肌は冷たくひんやりとしているのに、唇の中はとても温かいんだ。
思い出した途端、じゅんと下腹部が痺れて、慌てていやらしい記憶を振り払う。
(僕ったら、こんなことばかり考えている!)
「豚か鶏か、ロースか手羽先か、迷ってるんだ」
ぴっちりラップで覆われた、ピンク色の生肉のトレーを両手に持って、ユノに見せる。
「そうだなぁ...どれも色が薄くて不味そうだ。
あれはどう?」
切り口から真っ赤な血がしたたる、ローストビーフをユノは指さした。
「美味しそうだけど、予算オーバーだ。
ユノの欲しい物はない?
レジに行くよ」
「欲しいものがある」
すたすた先を歩くユノを追いかける。
小さな後頭部が、広い肩幅を際立たせていた。
細身のボトムスの下で、太ももとふくらはぎの筋肉が歩みに合わせて盛り上がる。
いずれもが僕の胸を、甘く切なくときめかせた。
廃工場の出来事に結び付けてしまう。
どうかしてる。
薬局コーナーの陳列棚の中から、ユノは迷いなく見つけると、それを買い物カートに放り込んだ。
「!」
かごの中にが、キャベツと肉のトレー、めんつゆと一緒に、潤滑ゼリーのボトル。
「一度使ってみたかったんだ」
「......」
(使うって...僕相手にだろ?)
いやらしい妄想図が鮮明に浮かんだ。
眩暈がした。
店内の明るすぎる白い光に照らされたボトルが、カートの車輪の振動でカタカタと音をたてている。
「きゃー、チャンミン!」
前方から見知った顔が手を上げた。
狭い町だ、遭遇してもおかしくない。
進学せず地元で就職した同級生の一人だった。
「元気?」
「ああ、そっちは?」
「元気元気ぃ?
あれ...お友達?」
どう説明したらよいか分からずにいる僕をよそに、彼女はユノに向かって会釈した。
「えっと...」
ユノの方を振り向くと、彼女に向けてお愛想たっぷりの微笑を浮かべていた。
「かっこいい...。
ふぅ~ん」
ユノに見惚れる彼女の前に、僕は立ちはだかって、買い物カートの中身を見られないよう冷汗をかいていた。
ユノを紹介して欲しそうな同級生に、僕は気づかないフリを貫いた。
同級生と別れて僕は、ため息をついた。
(焦った...)
ユノの姿を探すと、水筒売り場でひとつひとつ手に取っては、真剣に物色中だった。
「ユノ!
欲しいのなら買ってあげるから。
早く帰ろう」
山道の道幅は狭く、2台の車はすれ違えない。
そのため、退避場が何か所も設けられていて、そのひとつにユノはX5をガードレールぎりぎりまで寄せると、エンジンを切った。
ユノがここに停車させた理由はわからないけれど、僕の身体はこれからのことを察知しているみたいだ。
だーんと、銃声が山に轟いた。
「猟銃の音か?」
ユノは運転席のドアを開けると、僕にも降りるよう目で合図した。
「この辺りは獣害がひどいんだ。
人を恐れないから、たちが悪い。
夜は一人で外を歩くのは危ない」
車から降りた僕は、後部座席に座るようユノに促された。
猟犬たちの吠え声も響く。
子供の頃、はぐれた猟犬の一匹が自宅の庭をうろついていて、外出ができなかったことがあった。
「猟犬はな、ペットじゃないからな。
絶対に外へ出るんじゃないよ」
ばあちゃんはそう言って、犬が迷いこんでいるとどこかに電話をかけていたっけ。
身体が大きくて、愛玩犬とは違う獰猛な目と、牙がむき出しのよだれだらけの大きな口に、怯えていた。
「銃殺した獣は、食用には卸せないらしいね」
広々としたX5の後部座席に深く腰をかけると、ユノも僕の隣に乗り込んだ。
「自宅で食べる分には構わないけど、お金がからむような場合は、罠猟のものじゃないといけないんだそうだね」
「へえ。
そういえば、うちの近くに処理場が出来たんだ、ジビエ料理用の」
「らしいね。
散歩してた時見かけた。
死んで1時間以内に血抜きをしないと、使い物にならないそうだね」
「じゃあ、処理場ってのは血抜きのための場所か」
僕と会話を続けながら、ユノは僕のスニーカーと靴下を脱がせにかかっていた。
「ユノ!
何するんだ...あっ...」
裸足の僕の親指を、ユノがしゃぶりだしたのだ。
「駄目だってっ!
汚い..って...はっ...!」
ユノの口内で僕の親指が、丹念に舐め上げられた。
温かくて柔らかいユノの舌が、指と指の間をたどる。
「ふっ...」
僕は甘くて切ないため息を漏らす。
足の指を舐められるのが、こんなに気持ちがいいなんて。
薬指と小指の間に舌が這わされたとき、身震いした。
足指の愛撫を終えたユノは、唾液で濡れた唇を手の甲で拭うと、
「もう勃ってる」
と、僕のデニムパンツの股間部分に手の平を乗せた。
ひと撫でだけで僕の腰がぴくりと震える。
僕のものの形がくっきりと浮かんだそこを、ちらりと見やったユノは、
「服を脱いで」
と、僕に命じた。
ユノに狂っている僕は、応じる。
贅沢で高級なシートに腰掛けた僕は、一糸まとわない姿になった。
ハザードランプを点けて停車したX5の脇を、時折車が通り過ぎる。
真っ黒なスモークが貼られた後部座席は、覗き込まない限り車内で何が行われているか見られることはないだろうけど。
昼間に、いつ誰かにのぞかれるかもしれない車内で、裸になって。
「チャンミン...興奮しているね」
僕ときたら、一体何をやってるんだ?
「誰かに見られるかもしれないよ」
僕はいつから羞恥プレイを好むようになったんだ?
「こんなに大きくしちゃって。
...いやらしいね、チャンミン」
ユノによって、3回イカされた僕。
そのいずれもユノは着衣のままで、彼の素肌を拝めなかったばかりか、生肌に触れることも許されていなかった。
僕はユノの胸に、腰に、脚に直接手を触れ、彼のくぼみや突起に指を滑らせたかった。
そうしようと思えばできたはずだけど、僕の力では到底抗えないユノの馬鹿力と、鋭利な眼光を前にすると、間抜けな“でくの坊”になってしまうのだった。
ユノから一方的に与えられる快楽に溺れている僕だけど、いい加減、彼と一体になって性の悦びを堪能したくなってきていた。
(つづく)