(11)添い寝屋

 

 

 

「インラン?」

 

「うん。

滅茶苦茶気持ちがよかったんだ。

初めてだったんだよ?」

 

「......」

 

僕はユノの腕の中で一回転して、彼と向かい合わせに座った。

 

ユノはぽかんと口を開けていた。

 

白い肌に、そこだけ紅色に色づいた唇が、Oの字になっている。

 

ふふふ。

 

そんな間の抜けた表情が、たまらなく可愛らしく僕の目に映っている。

 

僕の話の展開についていけなくても当然だよね。

 

『不能』になった経緯の途中で、『淫乱』なんていうワードが飛び出したんだもの。

 

「よだれを垂らすくらい気持ちがよかったんだ」

 

ユノは片膝を立てると、人参スティックを摘まんで口に運ぶ。

 

シャクシャクと咀嚼しながら、視線は僕から離さない。

 

「チャンミンを運んだ3人の男とも、ヤッたのか?」

 

「...うーん、多分」

 

「『多分』って!?

覚えていないのか?」

 

「部屋は暗いし、皆裸だし...僕もね、自分で脱いだのか脱がされたのか...。

何か特別なお香でも焚かれていたのかなぁ。

ふらふらのメロメロ気分。

あそこには棒と穴しかない。

快楽を追求する空間だったんだ」

 

僕は目を閉じて、当時のあの場所のあの映像を、頭に思い浮かべながら説明した。

 

赤い照明、そちこちに置かれたソファやベッド、エキゾチックな装飾のパーテーション、天井から下がるシフォンの布は、透けていて間仕切りの役を果たしていなかった...。

 

「そのクラブの名前は憶えているか?」

 

僕は首を振った。

 

「精魂尽き果てるまで、僕は没頭した。

3人の男の一人が『彼女が待っているよ。帰りなさい』と声をかけるまで、僕はドロドロになっていた。

前も後ろも...僕の下半身のことだよ...快感の余韻が凄くてね。

エレベーターを上がって出たそこは...驚いた...酒をしこたま飲まされたクラブだったんだ」

 

ユノはひとりで、野菜スティックのパックを平らげてしまっていた。

 

「彼女とは、どうなったんだ?」

 

「ホテルに戻った時は、朝方で、僕はフラフラだった。

彼女は泣き腫らした顔をしていた。

心配して当然だよね、物騒な大男たちに彼氏が連れ去られて。

僕はひどい恰好をしていた。

真冬なのに、コートも着ず、ジャケットも着ず(クラブに置いてきたんだろうね)、しわくちゃのシャツだけで。

全身べたべただったから、僕はお風呂に直行した。

僕を介抱する彼女の目が、僕の身体に釘付けになっていて...そこで気付いたんだ。

全身、あざだらけだったんだ。

『警察に通報しましょう!』と、彼女が電話をかけようとしたのを、僕は止めた」

 

「あざだらけ、って、つまり...?」

 

「うん。

キスマーク」

 

「...それから?」

 

「彼女とは別れたよ」

 

「...そうなるだろうなぁ」

 

「僕の身体はね、挿れる側から挿れられる側になってしまったんだ。

あの夜を境にね」

 

「男が好きになったっていう意味じゃないんだろう?」

 

「うん。

とにかく後ろを埋めて欲しいんだ。

暴力的な欲求だ。

例のクラブに通うようになった。

警察へ連絡する彼女を止めたのは、あの場所を守りたかったからだよ」

 

「チャンミンの知られざる性癖が、あそこで暴露された。

エロスのボタンが押されてしまって、チャンミンは暴走したんだな。

でもさ、この件を思い出すだけで恐怖を覚えるのは、なぜ?

気持ちがよかったんだろ?」

 

この辺の説明が少しばかり難しい。

 

ニュアンスがちゃんと伝わればいいんだけど。

 

「もうね、凄かったんだから。

僕の魂は下半身の...あの一点だけに宿っているみたいだった。

仕事どころじゃないんだ。

ずーっと『そのこと』ばっかり考えているんだよ?

そんな風になってしまった自分が怖かった」

 

「そいつは、辛いなぁ」

 

「ユノも今がそうでしょ?

昼も夜も、男も女もって...昨日言ってなかったっけ?」

 

ユノはがくっと首を折って、「はあ」と深いため息をついた。

 

ユノの黒髪のつむじが可愛くて、頭を撫ぜてしまいそうになるのを我慢した。

 

今夜のユノは昨日より親近感があって、彼の何もかもが可愛らしく僕の眼に映っていた。

 

なぜだろう?

 

「俺は『淫乱』じゃない。

下半身が『強い』だけで、チャンミンみたいに溺れてはいない」

 

ユノったら、威張った風に言うんだから、可笑しくてクスクス笑ってしまった。

 

「そいつらは最初からチャンミンが目当てだったんだ。

秘密クラブのメンバーの一員として、抜擢されたんだよ。

素質があるって」

 

「...抜擢ねぇ。

2晩とおかずに通ったからなぁ...メンバーか...そうなるよね」

 

定時きっかりに退勤して、一直線に向かったのはあのクラブ。

 

ふらふらになるまで快楽に溺れて、朝方になって帰宅して、シャワーと着替えを済ませて出社して。

 

当時の僕は、眠りを忘れていた。

 

「実はね、ユノ。

別れた彼女とは結婚を前提に、真面目に付き合っていたんだ。

あの日、クリスマスだったか誕生日だったか、何を祝おうとしていたのか、思い出してみた。

お祝いじゃなくて...その...」

 

「プロポーズ?」

 

「うん」

 

「結婚したいくらい、愛してたのか?」

 

「...多分」

 

「『多分』?

ずいぶん、あやふやだなぁ」

 

そんな大事な日のことを忘れていた。

 

「『恐ろしい体験』って言ってた理由が分かったよ。

チャンミンって、真面目で真っ当な人間だったんだろ?

それがさ、ひと晩で身を滅ぼすほどエロスに支配されただろ。

結婚まで考えてた彼女を、ぽいって捨てただろ」

 

『捨てた』の言い方は酷いけれど、ユノの言う通りだった。

 

この人となら将来を共に歩んでもいいと、かけがえのない存在だったはずなのに、たったひと晩でその思いは霧散して、彼女の存在を忘れた。

 

所詮、その程度の愛情...ありとあらゆる条件を考慮した末、僕の理想像にまあまあ近かっただけ...だったんだろうな。

 

「肝心なことを聞き忘れていたよ。

その頃から添い寝屋をしていたのか?」

 

「ううん。

添い寝屋を始めたのは、『不能』になってからのこと」

 

「淫乱状態で会社勤めは辛かっただろうに...。

...チャンミン...お前って、面白い奴だなぁ」

 

「面白いだなんて、酷いよ。

僕の中の常識がひっくり返る、恐ろしい体験だったんだ。

ほら、手が震えてる」

 

小刻みに震える僕の指先を、ユノはじっと見つめていた。

 

「あっ!」

 

ユノったら、僕の指をぱくりと咥えたんだ。

 

ユノの中は、火傷するかしないかのギリギリの温度のスープのよう。

 

手を引き抜こうにも、僕の手首はユノの力強い指にがっちりと拘束されていた。

 

「乱交クラブでの経験が、いずれ『不能』に繋がるわけなんだ?」

 

「...うん」

 

ユノの熱々の舌が、僕の人差し指にくねくねと絡みつく。

 

指の股を舌先でちろちろとくすぐられ、

 

「...あっ...」

 

お尻の辺りが、ずくんと痺れた。

 

なんだろ、この感じ。

 

「どうした?」

 

「な、なんでもない!」

 

ユノの目尻がにゅっと細くなっているから、きっと僕の反応を面白がっている。

 

「チャンミンの話は、折り返し地点まで来た?

その続きは?」

 

「今夜はもう疲れたから、話したくない」

 

僕はクタクタだった。

 

記憶を辿り、当時の感情を追体験し、知り合って2日目のユノに、僕の恥と恐怖を暴露した。

 

ベッドカバーの上に並んだ食べ物は、ほとんど手を付けられないまま残っている。

 

僕はベッド下に手を伸ばして、ビニール袋の中を探った。

 

「飲みましょうよ」

 

僕の指を咥えたままのユノに、缶ビールを突き出した。

 

「僕の指...そんなに美味しい?」

 

ユノはじゅるっと音をたてて吸ったのち、「うん」と答える。

 

ユノの唇...ぽってりとした下唇...のやわらかさに、再び僕の腰の奥が、痺れた。

 

「...んんっ...」

 

変な声が出てしまった。

 

空いている方の手で、口を塞いだ。

 

僕の反応にユノは、

 

「チャンミンの指...アイスキャンディーを舐めているみたいだ」

 

そう言って、弥勒の微笑を浮かべた。

 

 

(つづく)

 

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