【12】添い寝屋

 

 

ユノはお酒にそれほど強くないみたいだった。

 

ますます身体が熱くなった、とうるさいから、ベランダに出て夜風に吹かれよう、と誘った。

 

僕らは手すりにもたれ、眼下に広がる夜景に見惚れていた。

 

巨大団地の整列した白い点々、数珠つなぎになったテールランプの赤い点々。

 

僕は手すりに顎を乗せて、隣のユノをちらりと横目で見た。

 

綺麗な横顔だな、と思った。

 

ユノは神様がこしらえた人形だ。

 

「気付いてる?」

 

ユノは前を向いたまま、僕に尋ねる。

 

「?」

 

「チャンミン...敬語じゃなくなってるよ」

 

「あ!」

 

ユノに指摘されて、初めて気づいた。

 

「...すみません」

 

「気を許してくれた証拠だな。

ため口でいてくれよ」

 

「...うん」

 

ユノと知り合ってまだ2日なのに、僕の口はいつのまにか軽くなっていて、長年の友人を前にしているみたいに、振舞っていた。

 

「僕の話はまだ半分だけど...ユノの話も聞かせて?」

 

「いいよ。

...でも、その前に...」

 

ユノの熱い指が僕の顎に沿えられた。

 

斜めに傾けた美しい顔が近づき、ユノの湿った、柔らかな唇が僕のものを覆った。

 

唇が触れた瞬間、僕の唇に火花が散って、顎、首、鎖骨へと電流が流れた。

 

その痺れはお腹、腰へと落ちていって、「んんっ」って変な声が出てしまった。

 

ユノに触れられると、今まで出したことのない、自分のものなのに自分のものじゃないおかしな声を漏らしてしまうのだ。

 

目をつむるタイミングを逃してしまって、ユノの肩ごしに街の灯りでかすんだ星空を見ていた。

 

両腕を脇に垂らしたまま、コンクリート製の床が裸足に冷たかった。

 

ユノが僕の顔から離れても、僕はぽぉっとしていた。

 

宙に飛んでいってしまった僕の意識が、僕の脳みそに戻ってくるまで、ユノはじぃっと待っていた。

 

手すりにもたれたユノが...特に斜めに傾げた腰のラインが艶めかしかった。

 

僕の目のやり場に気付いて、ユノはニヤリとした。

 

その笑顔にぞくりとしてしまう。

 

おかしいな...僕は男の人が好きなわけじゃなくて、こんな風にパジャマ姿で寛いでいるのも、添い寝屋と客同士だからで...。

 

冷えた心と身体の行く末が怖くて、たまたま雇った添い寝屋が美人過ぎて...。

 

おかしいな...僕は男の人が好きなわけじゃなくて、後ろを埋めてもらわないとイケない身体になっただけで...。

 

自分で自分に、沢山の言い訳をしていた。

 

目の前の青年に、強烈に惹きつけられている事実を認めるのが、少し怖かった。

 

「今のは...仕事として?」

 

僕の声は掠れていた。

 

「さあ...どっちだと思う?」

 

ユノの瞳の中で、マッチが擦られぽっと小さな炎があがり、軸のぎりぎりまで燃えた後、ふっと消えた。

 

あれ...今のは何だろう?

 

ポーカーフェイスを装っているユノだけど、僕は分かりかけてきた。

 

ユノの瞳は彼の感情を映す鏡だ。

 

底無しの沼のような時、凪いだ湖面のような時、ギラギラと鋭い光を放つ時。

 

そして、たった今のように、感情の揺らぎを露わにする時もある。

 

生きているのが不思議なくらい、精巧な人形から目が離せずにいた。

 

だから、ほんのわずかの変化に僕は敏感になっていた。

 

「......」

 

「冷えてきたな。

ベッドに戻ろうか?」

 

僕は頷いた。

 

ユノに手を引れた先は、最高に寝心地の良いマットレス。

 

先に横たわったユノの隣に、僕も身体を寄せる。

 

パジャマの裾から、ユノの手が忍び込んできた。

 

「今夜は抵抗しないんだな?」

 

僕はこくりと頷いた。

 

多分あの時、一瞬だけど、真の意味でユノと心が通じ合ったんだ。

 

ユノの熱い手の平が気持ちよかった。

 

「温めてやるよ」

 

ユノの指が、僕のパジャマのボタンをひとつひとつ外してゆく。

 

最後のひとつが解かれ、右腕、左腕と袖が抜かれるまで、僕はじっとしていた。

 

次は僕の番だと、ユノのパジャマのボタンを外そうとしたけれど、かじかむ指のせいでうまく出来ない。

 

「あれ...おかしいな...?」

 

「いいよ、自分で脱ぐ」

 

そう言って、震える僕の手を優しく押しやると、ユノは半身を起こして、パジャマを素早く脱いでしまった。

 

昨夜も目にしたばかりなのに、背筋が作る美しい凹凸に僕は息をのむ。

 

上を脱いでしまったことで、僕は凍えそうに寒かった。

 

毛布に手を伸ばす前に、ユノの腕に深く包み込まれて、その手は宙に浮く。

 

あご先まで熱い風呂に浸かったみたいに、全身の緊張がほどけ、指先と爪先まで血が巡る。

 

今夜はどちらが添い寝屋役なのかな。

 

「添い寝屋さん」

 

「はい」

 

ユノに呼ばれて、僕は伏せていた顔を上げた。

 

僕らは抱きあっているから、ほんの数センチで互いの唇が触れそうだった。

 

しかも、僕らはパジャマの上を脱いでしまっていたから、肌と肌とがぴったりと密着していた。

 

こういう状況では普通、キスが始まるものなんだろうね。

 

お互いの身体に触れて、ズボンも脱いでしまって...いろんなことが始まるんだ。

 

僕の心臓は、確かにドキドキしている。

 

ユノというパーフェクトな人物に接していながら、僕の大事なところはしんと静かに、縮こまっている。

 

情けなくて、じわっと涙が浮かんでくるのだ。

 

今夜の添い寝屋は僕だ。

 

僕の『不能』の話より、ユノが抱える過去の話の方が深刻そうだ。

 

「ユノの話を聞かせてください」

 

「この話をするのは、チャンミンが初めてだよ。

...打ち明けたら、眠りを取り戻せるのかな?」

 

「僕に任せて」

 

何の保証もないのに、僕は請け負ってしまった。

 

何故だか分からないけれど、僕ならどうにかできそうな気がした。

 

気だるげで適当だった仕事ぶりは卒業だ。

 

全身全霊を持ってユノに添い寝をしてやろう、と心に決めたんだ。

 

「ユノのまぶたが閉じるまで、僕が添い寝をしてあげる。

こうやって...」

 

ユノの背中をとんとんと、叩いた。

 

「ふっ...。

どうせ俺より先に、寝ちゃうくせに」

 

「そうだとしても、ユノの話を聞いてから寝るよ」

 

「俺はね、今の仕事をかれこれ...10数年続けている」

 

「大先輩だね」

 

僕はせいぜい、数年だ。

 

「ある女性の熱を取り込んでしまうまでは、ごくごく普通の添い寝屋だった。

失恋した女の彼氏代わりに、胸を貸してやったり、慰めてやったりね。

男の客も同様だ」

 

「慰めるってつまり...?」

 

「...チャンミン。

お前の思考回路は『それ』しかないのか?

『不能』のくせに、溜まりまくってるんだなぁ」

 

ユノの真顔が笑ったものに変化して、薄闇の下で真っ白な歯が光る。

 

分かったことがひとつ加わった。

 

ユノのことを好ましく思うわけは、欠点を見つけられない外観の他に、彼が漂わせている清潔感のせいだ。

 

美しく清潔で人工的でとっつきにくと思いきや、芳香漂うかのように華やかな笑顔や、くるくると変わる瞳の表情に、人間味を感じる。

 

「うるさいうるさい!

僕のお腹に当たっているのは何?」

 

「チャンミンを抱っこしていたら、つい...。

嫌なら、離れようか?」

 

「ダメ!」

 

僕の背中から腕を離すユノに、僕はぎゅうっとしがみついた。

 

「俺を誘っているのか、拒んでいるのか、どっちかにしてくれよ?」

 

「どっちでもないよ!

ほらっ、早く続きを話しなさい!」

 

「チャンミンと違って、俺は出張サービスも引き受ける。

つまり、客が指定した場所...ホテルや客の家で添い寝してやるわけだ。

当時は、俺も未熟だったから、客の精神状態に引きずり込まれることも多かった。

それに、眠気に襲われる時もあった。

客と一緒になって眠ってしまわないよう、仕事前に食事は摂らない代わりにカフェインをたっぷり摂った。

昼夜逆転の生活だったなぁ」

 

「ユノは、真面目だね」

 

「今も真面目だぞ?

添い寝屋を初めて数年した頃かな、俺は恐ろしい経験をした」

 

ユノの裸の胸に頬をくっつけて、彼の話と同時に、頭蓋骨に直接伝わる彼の心臓の音を聴いていた。

 

僕の冷たい身体が、どうか少しでも彼の熱を冷やしますように。

 

ユノの熱い身体が、どうか少しでも僕の氷を溶かしますように。

 

 

 

(つづく)

 

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