「この辺でいいかな」
河原の土手際の草むらに、車を乗り入れた。
ギッとサイドブレーキを引くと、ユノは運転席を降り、ぐるっとまわって助手席のドアを開けた。
「どうぞ、姫君」
「ユノがナイト役?
なんだよ、それ」
差し出されたユノの手をとって、チャンミンは草地に足を下ろした。
(スポーティーな車じゃなくて、軽トラックなんだもの)
ユノの気障な仕草に、チャンミンはくすくす笑った。
コンクリート製の土手に2人は腰をかけた。
数メートル下を流れるその川は、上流にあたるため流れは急で、ごろつく岩の間を白いしぶきが散っていた。
ユノはチャンミンの手をとると、指を絡めた。
(ユノ...何を言い出すんだろう)
ふざけた空気がふっと消えたユノの横顔に、チャンミンはドキドキしながら彼の言葉を待つ。
ユノは頭に巻いたタオルを外すと、
「チャンミンっ...」
泣き出しそうな顔でチャンミンを振り返った。
前髪が立ち上がり、白い額がむき出しになって、その下の眉がひそめられている。
「まずは、ハグさせて!」
「へ?
ユ...」
しまいまで言わせず、ユノはチャンミンの腕を引き寄せ、抱きとめた。
勢いよく、チャンミンの頭がユノの固い肩に押し付けられた。
「チャンミン...あのさ...」
とユノは言いかけたが、続きの言葉は飲み込んだ。
テツにくぎを刺されたことを、思い出したからだ。
「......」
「やっとで、2人きりになれたね」
代わりにそう言って、チャンミンの額に唇を押し当てた。
「うん」
(ユノが言いかけて止めた内容って、何だろう?)
「ユノ、ごめんね」
ユノのジャージのファスナーを上げ下げしながら、チャンミンは謝った。
「大勢で、うるさくて、ゆっくりできないでしょ?」
「チャンミン2人になれないのは、大いに不満だけど...楽しいよ」
ユノはチャンミンの髪に頬を埋めた。
(チャンミン...いい匂い)
「皆さん、いい人たちだね。
よそ者の俺に、気さくで。
ゲンタさんには、何度怒鳴られたことか」
くくくっとユノの胸が揺れる。
「チャンミンは、こんな家族の中で育ったんだなぁって。
知ることができてよかった」
ユノが話すたび、チャンミンの首筋に温かい息がかかった。
「最初は、嫌でたまらなかった。
チャンミンの家族に会う心の準備ができていなかった。
俺...いちお、チャンミンの恋人だけど。
お祭りに参加するなんて...。
せっかくの休みは、チャンミンとのんびり過ごしたかった。
沢山の知らない人に囲まれるなんて、気が重かった。
でも、来てよかったと、思ってるよ」
「強引に連れてきてごめんね」
「俺の方こそ、ごめん」
~ユノ~
『彼氏』だって、紹介されなかったことにムカついた。
チャンミンが言わないのなら、バラしちゃえって、際どいことを言ってふざけた。
チャンミンったら、本気で焦るんだから。
それを見て、ますます意地悪な気持ちが湧いてきた。
でも、テツさんの話を聞いて、俺がいかに軽率だったか知った。
抵抗なく、年下の俺を紹介しづらいチャンミンの気持ちが分かった。
それを受け入れがたい家族の心情を、俺は知らなかった。
堂々としていないチャンミンに、イラついていた。
どんなことでも受け止める、って胸をはったけど、実はちょっとだけ自信をなくしたんだ。
だから、無性にチャンミンをハグしたくなった。
「ごめんなさい」の気持ちと。
「俺を信じて」の気持ちと。
それから...不安な気持ちでいっぱいになった。
ずっとチャンミンのことが好きだったけれど、俺はチャンミンのことをよく知らないことに気付いたよ。
チャンミンは、あまり自分のことを話さないから。
いつも俺だけがペラペラ喋ってて。
俺にホントのことを話したら、俺が引くと思ったのか?
そんなに頼りないかなあ?
それくらいで、俺が引いちゃうって怖かったのか?
年下だから?
なあんだ。
俺も年の差を気にしていたみたいだ。
チャンミンが俺を信用して、打ち明けてくれるのを待ちたい。
うーん。
やっぱり、待てないかもしれない。
嫉妬の気持ちが湧いてきたから。
俺は若くて、人生経験が不足しているから「待てない」
チャンミンと俺との間の「壁」を僕がぶち壊していくからな。
覚悟していろよ。
・
「俺は人生経験が乏しいけど、心はドーンと広いつもり。
だから、どんなことでも受け止めるよ」
俺はそうつぶやいて、チャンミンの首筋に唇を押し当てた。
チャンミンの温かく湿りを帯びた肌から俺の唇へ、じじっと痺れが走る。
~チャンミン~
「受け止めるよ」というユノの言葉。
そっか。
家族の誰かから、聞いちゃったんだね。
気安くバラすような人たちじゃないから、ユノを試す意味で彼に教えたんだろうな。
僕を心配して、忠告のつもりでユノの耳に入れたんだろうな。
打ち明けるのは「今じゃない」、もっと僕たちの仲が深まってからにしよう、って僕は思っていた。
母さんが心配した通りだよ。
幻滅されるんじゃないかって、怖かった。
僕に対して抱いているだろうイメージを壊すのが怖かった。
だって、ユノはあまりに若くて、ピカピカな新品なんだ。
自分はなんて汚れているんだろうって、卑屈になっていたんだな。
ごめんね、ユノ。
ユノの腕が力強くて、固く引き締まっていて、本当にドキドキする。
参ったな。
いつもは、からかったり、照れたり、駄々をこねたり。
大人っぽく、男らしくされると、困ってしまう。
片耳はユノの肩に、もう片方はユノの腕に塞がれているから、川の音は遠い。
ユノに閉じ込められて、なんて心地よいんだろう。
・
「ユノに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
僕は口を開く。
「初めて家族に会わせた時、
『彼氏です』って紹介できなくて...ごめん」
「その気持ち、今の俺なら理解できるよ」
ユノは僕の首筋に唇をあてたまま喋ると、ふふふと笑った。
「ユノ、くすぐったい」
「チャンミン、いい匂いがする」
ユノがふざけてくれないと、調子が狂うよ。
ふぅっと一呼吸ついて、ドキドキする気持ちを落ち着かせて、僕は続ける。
「母さんにバレてた、とっくの前に」
「そりゃそうだろう?
チャンミンは分かりやすいんだから」
「ユノがバラしたようなものじゃないか」
「大正解。
いいじゃないか。
堂々としていようよ」
「うーん...。
今さら恥ずかしいんだけど」
「皆にもバレてるって。
堂々と『いちゃいちゃ』しようよ。
それに...チャンミンは男が好きだってこと、皆知ってるんだろう?」
「うーん...そうだけどさ」
・
ユノの隣を歩くのは、うんと若くて可愛い女の子が似合うのは分かってる。
そりゃあね、僕は男だし、若くないし、過去にいろいろあったし。
でもね、僕だってすごいんだから。
「ユノ」
「んー?」
「キスしていい?」
「は?」
予想外のチャンミンの台詞にユノは、固まってしまう。
(皆さん。
ちょっと...聞きました?
チャンミンが、「キスしたい」って。
聞きました?
初めてなんだけど!
チャンミンがこんなこと言うの、初めてなんですけど!)
「......」
光が当たって茶色く透けたチャンミンの瞳に見惚れていると、チャンミンの片手がユノのあごに添えられた。
吸い寄せられるように、2人の唇が接近する。
軽く触れるだけのキスを、1回、2回、3回。
4回目で、2人は深く深く口づけた。
(つづく)
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