(8)Hug

 

 

「この辺でいいかな」

 

河原の土手際の草むらに、車を乗り入れた。

 

ギッとサイドブレーキを引くと、ユノは運転席を降り、ぐるっとまわって助手席のドアを開けた。

 

「どうぞ、姫君」

 

「ユノがナイト役?

なんだよ、それ」

 

差し出されたユノの手をとって、チャンミンは草地に足を下ろした。

 

(スポーティーな車じゃなくて、軽トラックなんだもの)

 

ユノの気障な仕草に、チャンミンはくすくす笑った。

 

コンクリート製の土手に2人は腰をかけた。

 

数メートル下を流れるその川は、上流にあたるため流れは急で、ごろつく岩の間を白いしぶきが散っていた。

 

ユノはチャンミンの手をとると、指を絡めた。

 

(ユノ...何を言い出すんだろう)

 

ふざけた空気がふっと消えたユノの横顔に、チャンミンはドキドキしながら彼の言葉を待つ。

 

ユノは頭に巻いたタオルを外すと、

 

「チャンミンっ...」

 

泣き出しそうな顔でチャンミンを振り返った。

 

前髪が立ち上がり、白い額がむき出しになって、その下の眉がひそめられている。

 

「まずは、ハグさせて!」

 

「へ?

ユ...」

 

しまいまで言わせず、ユノはチャンミンの腕を引き寄せ、抱きとめた。

 

勢いよく、チャンミンの頭がユノの固い肩に押し付けられた。

 

「チャンミン...あのさ...」

 

とユノは言いかけたが、続きの言葉は飲み込んだ。

 

テツにくぎを刺されたことを、思い出したからだ。

 

「......」

 

「やっとで、2人きりになれたね」

 

代わりにそう言って、チャンミンの額に唇を押し当てた。

 

「うん」

 

(ユノが言いかけて止めた内容って、何だろう?)

 

「ユノ、ごめんね」

 

ユノのジャージのファスナーを上げ下げしながら、チャンミンは謝った。

 

「大勢で、うるさくて、ゆっくりできないでしょ?」

 

「チャンミン2人になれないのは、大いに不満だけど...楽しいよ」

 

ユノはチャンミンの髪に頬を埋めた。

 

(チャンミン...いい匂い)

 

「皆さん、いい人たちだね。

よそ者の俺に、気さくで。

ゲンタさんには、何度怒鳴られたことか」

 

くくくっとユノの胸が揺れる。

 

「チャンミンは、こんな家族の中で育ったんだなぁって。

知ることができてよかった」

 

ユノが話すたび、チャンミンの首筋に温かい息がかかった。

 

「最初は、嫌でたまらなかった。

チャンミンの家族に会う心の準備ができていなかった。

俺...いちお、チャンミンの恋人だけど。

お祭りに参加するなんて...。

せっかくの休みは、チャンミンとのんびり過ごしたかった。

沢山の知らない人に囲まれるなんて、気が重かった。

でも、来てよかったと、思ってるよ」

 

「強引に連れてきてごめんね」

 

「俺の方こそ、ごめん」

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

『彼氏』だって、紹介されなかったことにムカついた。

 

チャンミンが言わないのなら、バラしちゃえって、際どいことを言ってふざけた。

 

チャンミンったら、本気で焦るんだから。

 

それを見て、ますます意地悪な気持ちが湧いてきた。

 

でも、テツさんの話を聞いて、俺がいかに軽率だったか知った。

 

抵抗なく、年下の俺を紹介しづらいチャンミンの気持ちが分かった。

 

それを受け入れがたい家族の心情を、俺は知らなかった。

 

堂々としていないチャンミンに、イラついていた。

 

どんなことでも受け止める、って胸をはったけど、実はちょっとだけ自信をなくしたんだ。

 

だから、無性にチャンミンをハグしたくなった。

 

「ごめんなさい」の気持ちと。

 

「俺を信じて」の気持ちと。

 

それから...不安な気持ちでいっぱいになった。

 

ずっとチャンミンのことが好きだったけれど、俺はチャンミンのことをよく知らないことに気付いたよ。

 

チャンミンは、あまり自分のことを話さないから。

 

いつも俺だけがペラペラ喋ってて。

 

俺にホントのことを話したら、俺が引くと思ったのか?

 

そんなに頼りないかなあ?

 

それくらいで、俺が引いちゃうって怖かったのか?

 

年下だから?

 

なあんだ。

 

俺も年の差を気にしていたみたいだ。

 

チャンミンが俺を信用して、打ち明けてくれるのを待ちたい。

 

うーん。

 

やっぱり、待てないかもしれない。

 

嫉妬の気持ちが湧いてきたから。

 

俺は若くて、人生経験が不足しているから「待てない」

 

チャンミンと俺との間の「壁」を僕がぶち壊していくからな。

 

覚悟していろよ。

 

 

 

 

「俺は人生経験が乏しいけど、心はドーンと広いつもり。

だから、どんなことでも受け止めるよ」

 

俺はそうつぶやいて、チャンミンの首筋に唇を押し当てた。

 

チャンミンの温かく湿りを帯びた肌から俺の唇へ、じじっと痺れが走る。

 

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「受け止めるよ」というユノの言葉。

 

そっか。

 

家族の誰かから、聞いちゃったんだね。

 

気安くバラすような人たちじゃないから、ユノを試す意味で彼に教えたんだろうな。

 

僕を心配して、忠告のつもりでユノの耳に入れたんだろうな。

 

打ち明けるのは「今じゃない」、もっと僕たちの仲が深まってからにしよう、って僕は思っていた。

 

母さんが心配した通りだよ。

 

幻滅されるんじゃないかって、怖かった。

 

僕に対して抱いているだろうイメージを壊すのが怖かった。

 

だって、ユノはあまりに若くて、ピカピカな新品なんだ。

 

自分はなんて汚れているんだろうって、卑屈になっていたんだな。

 

ごめんね、ユノ。

 

ユノの腕が力強くて、固く引き締まっていて、本当にドキドキする。

 

参ったな。

 

いつもは、からかったり、照れたり、駄々をこねたり。

 

大人っぽく、男らしくされると、困ってしまう。

 

片耳はユノの肩に、もう片方はユノの腕に塞がれているから、川の音は遠い。

 

ユノに閉じ込められて、なんて心地よいんだろう。

 

 

 

 

「ユノに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」

 

僕は口を開く。

 

「初めて家族に会わせた時、

『彼氏です』って紹介できなくて...ごめん」

 

「その気持ち、今の俺なら理解できるよ」

 

ユノは僕の首筋に唇をあてたまま喋ると、ふふふと笑った。

 

「ユノ、くすぐったい」

 

「チャンミン、いい匂いがする」

 

ユノがふざけてくれないと、調子が狂うよ。

 

ふぅっと一呼吸ついて、ドキドキする気持ちを落ち着かせて、僕は続ける。

 

「母さんにバレてた、とっくの前に」

 

「そりゃそうだろう?

チャンミンは分かりやすいんだから」

 

「ユノがバラしたようなものじゃないか」

 

「大正解。

いいじゃないか。

堂々としていようよ」

 

「うーん...。

今さら恥ずかしいんだけど」

 

「皆にもバレてるって。

堂々と『いちゃいちゃ』しようよ。

それに...チャンミンは男が好きだってこと、皆知ってるんだろう?」

 

「うーん...そうだけどさ」

 

 

 

 

ユノの隣を歩くのは、うんと若くて可愛い女の子が似合うのは分かってる。

 

そりゃあね、僕は男だし、若くないし、過去にいろいろあったし。

 

でもね、僕だってすごいんだから。

 

 


 

 

「ユノ」

 

「んー?」

 

「キスしていい?」

 

「は?」

 

予想外のチャンミンの台詞にユノは、固まってしまう。

 

(皆さん。

 

ちょっと...聞きました?

 

チャンミンが、「キスしたい」って。

 

聞きました?

 

初めてなんだけど!

 

チャンミンがこんなこと言うの、初めてなんですけど!)

 

「......」

 

光が当たって茶色く透けたチャンミンの瞳に見惚れていると、チャンミンの片手がユノのあごに添えられた。

 

吸い寄せられるように、2人の唇が接近する。

 

軽く触れるだけのキスを、1回、2回、3回。

 

4回目で、2人は深く深く口づけた。

 

 

(つづく)

 

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