~チャンミン~
ユノを強く恋焦がれる思いが、僕に彼の幻影を見せる。
はたからは、僕はひとりごとを言っているように見えただろう。
けれども、僕は大真面目だった。
僕の目には、テーブルの向こうで果実酒をちびちびと飲む貴方が映っているんだ。
もうしばらく。
もう少しの間だけでいいから。
僕の気持ちがしゃんとするまで、貴方に会っていたい。
・
会社にいる時、友人といる時、僕は平気なふりをしている。
あまりに平然としているから、実は恋人を亡くして打ちひしがれているとは...誰も想像も出来ないと思う。
平気なふりをしているうちに、だんだんとそれが普通になってきた。
彼の不在が当たり前のようになってきたことが、哀しい。
彼がいなくて、僕は息の根が止まるほど苦しいのに...僕は生きている。
これからは、貴方がいない世界を生きていかなくてはならない。
彼が僕の前に現れる日が、少しずつ減ってきたことも、たまらなく寂しい。
寂しいけれど、日常は容赦なく続くわけで、幻想の世界に浸っているばかりもいられない。
・
数年ぶりに、職場の同僚たちと飲んで帰宅した深夜のことだった。
リビングのソファで酔いつぶれていると、彼がすっと現われた。
「ユノ...」
当然、僕はがばっと身体を起こす。
彼の名前を口にしようとしたけど、彼は「しーっ」と人差し指で僕の唇を塞いだ。
僕の頭を膝にのせて、手ぐしで髪をすいてくれる。
...ああ、そうだった。
僕はこうされるのが大好きだった。
「なぁ」
僕はとにかく酔っぱらっていて、半分眠っている状態で目をつむったまま、彼の声を聞いていた。
「お前はもっと、人と会うべきだ、いろんな人とね。
いろんなところへ出かけるべきだ。
美味いものを食べて、飲んで。
腹を抱えて笑う日が来て欲しいと、願っている。
お前はハンサムで、とても優しい奴だ。
お前のことを好きになる奴は沢山いるはずだ。
俺のことを想ってくれるのは嬉しい。
でも。
今のままじゃ駄目だ。
いつまでも、悲しみの海の底にいるんじゃない」
彼の低い声...子守唄のようで、僕を眠りに誘う。
僕の頬に触れる、彼のニットの袖。
僕がプレゼントした、バター色の美しいセーター。
それがよく似合っていた貴方。
「俺は、ずっとお前のことを忘れない。
お前は、俺のことを忘れるんだぞ?
...でも、全部忘れられたら寂しいなぁ。
よし、こうしよう!
1年に1度だけでいい。
ちょっとだけ思い出すだけでいいからな」
彼は、僕の髪をやさしくなでる。
「お前をいつまでも引き止めてしまって、ごめん。
ごめんな」
・
明け方、猛烈な喉の渇きを覚えて目を覚ました僕は、蛇口から流れる水を手ですくって飲んだ。
何度も手ですくって飲んだ。
濡れた口元を手の甲で拭いながら、リビングを振り返る。
スーツはしわだらけで、部屋の空気はよどんでいる。
カーテンをひき、窓を開けて、新鮮な空気を取り込んだ。
窓の外の明け方の白んだ空に、淡い三日月が見える。
僕は異変に気づいて、ハッとする。
セーターが消えていた。
カーテンレールには、ハンガーだけが残されていた。
あのニットがなくなっていた。
そっか...。
彼が、持っていったに違いない。
しんとした心で、僕は確信していた。
もう、彼は僕の前に現れることは、ないだろう、と。
僕はもう、貴方に会えなくなった、と。
「しっかりしろ!」
僕は声に出す。
ぴしゃぴしゃと、頬を叩いた。
『お前は生きているんだ』
夢うつつの中、昨夜、彼が最後に言った言葉を思い出す。
『お前は、俺がいなくても大丈夫だから』
僕はぐっと涙をこらえて、もう一度口に出す。
「しっかりしろ、シムチャンミン!」
僕は大きく深呼吸をして、しわくちゃのスーツを脱ぎ、熱いシャワーを浴びるためバスルームへ向かった。
ほとばしるシャワーと真っ白な湯気の中、むせび泣いていた。
泣くんじゃない。
熱いお湯が頬を叩く。
泣くんじゃない。
しっかりするんだ。
僕はぐっと唇をかんで、心の中で話しかける。
ユノ、ありがとう。
今までありがとう。
側にいてくれてありがとう。
僕は頑張りますよ。
見ていてくださいね。
大丈夫です。
ユノ。
僕は貴方のことが大好きでした。
死ぬほど貴方を愛していました。
(つづく)