(2)大好きだった-水彩の月-

 

~チャンミン~

 

ユノを強く恋焦がれる思いが、僕に彼の幻影を見せる。

はたからは、僕はひとりごとを言っているように見えただろう。

けれども、僕は大真面目だった。

僕の目には、テーブルの向こうで果実酒をちびちびと飲む貴方が映っているんだ。

もうしばらく。

もう少しの間だけでいいから。

僕の気持ちがしゃんとするまで、貴方に会っていたい。

 

 

会社にいる時、友人といる時、僕は平気なふりをしている。

あまりに平然としているから、実は恋人を亡くして打ちひしがれているとは...誰も想像も出来ないと思う。

平気なふりをしているうちに、だんだんとそれが普通になってきた。

の不在が当たり前のようになってきたことが、哀しい。

がいなくて、僕は息の根が止まるほど苦しいのに...僕は生きている。

これからは、貴方がいない世界を生きていかなくてはならない。

が僕の前に現れる日が、少しずつ減ってきたことも、たまらなく寂しい。

寂しいけれど、日常は容赦なく続くわけで、幻想の世界に浸っているばかりもいられない。

数年ぶりに、職場の同僚たちと飲んで帰宅した深夜のことだった。

リビングのソファで酔いつぶれていると、がすっと現われた。

 

ユノ...」

 

当然、僕はがばっと身体を起こす。

の名前を口にしようとしたけど、は「しーっ」と人差し指で僕の唇を塞いだ。

僕の頭を膝にのせて、手ぐしで髪をすいてくれる。

...ああ、そうだった。

僕はこうされるのが大好きだった。

「なぁ」

 

僕はとにかく酔っぱらっていて、半分眠っている状態で目をつむったまま、の声を聞いていた。

「お前はもっと、人と会うべきだ、いろんな人とね。

いろんなところへ出かけるべきだ。

​美味いものを食べて、飲んで。

​腹を抱えて笑う日が来て欲しいと、願っている。

お前はハンサムで、とても優しい奴だ。

お前のことを好きになる奴は沢山いるはずだ。

​俺のことを想ってくれるのは嬉しい。

でも。

​今のままじゃ駄目だ。

いつまでも、悲しみの海の底にいるんじゃない」

の低い声...子守唄のようで、僕を眠りに誘う。

僕の頬に触れる、のニットの袖。

僕がプレゼントした、バター色の美しいセーター。

それがよく似合っていた貴方

「俺は、ずっとお前のことを忘れない。

​お前は、俺のことを忘れるんだぞ?

...でも、全部忘れられたら寂しいなぁ。

よし、こうしよう!

1年に1度だけでいい。

ちょっとだけ思い出すだけでいいからな」

彼は、僕の髪をやさしくなでる。

「​お前をいつまでも引き止めてしまって、ごめん。

ごめんな」

 

明け方、猛烈な喉の渇きを覚えて目を覚ました僕は、蛇口から流れる水を手ですくって飲んだ。

何度も手ですくって飲んだ。

濡れた口元を手の甲で拭いながら、リビングを振り返る。

スーツはしわだらけで、部屋の空気はよどんでいる。

カーテンをひき、窓を開けて、新鮮な空気を取り込んだ。

窓の外の明け方の白んだ空に、淡い三日月が見える。

​僕は異変に気づいて、ハッとする。

セーターが消えていた。

カーテンレールには、ハンガーだけが残されていた。

あのニットがなくなっていた。

​そっか...。

が、持っていったに違いない。

しんとした心で、僕は確信していた。

もう、は僕の前に現れることは、ないだろう、と。

僕はもう、貴方に会えなくなった、と。

「しっかりしろ!」

僕は声に出す。

ぴしゃぴしゃと、頬を叩いた。

​『お前は生きているんだ』

夢うつつの中、昨夜、が最後に言った言葉を思い出す。

『お前は、俺がいなくても大丈夫だから』

僕はぐっと涙をこらえて、もう一度口に出す。

「しっかりしろ、シムチャンミン!」

僕は大きく深呼吸をして、しわくちゃのスーツを脱ぎ、熱いシャワーを浴びるためバスルームへ向かった。

ほとばしるシャワーと真っ白な湯気の中、むせび泣いていた。

泣くんじゃない。

熱いお湯が頬を叩く。

泣くんじゃない。

しっかりするんだ。

僕はぐっと唇をかんで、心の中で話しかける。

ユノ、ありがとう。

​今までありがとう。

側にいてくれてありがとう。

僕は頑張りますよ。

​見ていてくださいね。

大丈夫です。

ユノ

​僕は貴方のことが大好きでした。

​死ぬほど貴方を愛していました。

 

(つづく)