へたったスプリングで腰が沈み込み、熟睡できそうにないセミダブルベッドだった。
行為の間中、ギシギシと派手にきしむ音で気が散った。
隣室の者はTVの音量を上げるか、壁に耳を押し当てていたか。
チャンミンの喘ぎは女のようだから、まさか男同士だったとは思うまい。
・
午後4時から予定が狂った。
土砂降りに遭ったことも、乗車する予定だった電車が止まってしまったことも。
足止めされた俺たちは、こんなしけたホテルに駆けこまなければならなかったことも。
会えばせずにいられない俺たちだから、煙草の匂いがしみついた部屋で始めてしまったことも。
俺とチャンミンは、休日の3回に1回は会っていて、近場に買い物に出かけることはあっても大抵は互いの部屋で過ごしていた。
まんねりに陥りたくない俺だったから、メリハリをつけるために、季節の変わり目に遠出をした。
電車で2時間ほどの距離へ足を伸ばし、話題の美術館やアスレチック公園などを腹いっぱい楽しんだ。
日帰りのバスツアーは楽しかったなぁ。
牡蠣の食べ放題で、調子にのった俺は腹を壊してしまい、病院送りになったことも。
目的の施設が改修工事中で期間閉館していて、仕方なく中華料理店でチャーハンと餃子を食べただけで帰路についたことも。
とてもとても学生には見えない、若くはないが中年まではいかない男2人が連れだっている。
友人同士にしては距離が近すぎた。
まさか、人前でキスなんてしない。
映画館やジェットコースター、水族館でこっそり手を繋ぐくらいだ。
互いに贈り合う土産ものを選ぼうとはしゃぎ合い、ひとつのソフトクリームを分け合って食べる俺たちに、周囲はどんな視線を送っていたのか。
「どうってことない」と開き直れないんだけれど。
何を言われようと、どんな目で見られようと、俺はチャンミンと付き合い続けたい気持ちはちゃんとあるよ。
性格は見事に真逆だけど、俺たちはなぜか波長が合って、それに甘えたくなかった。
関係を長くもたせたいから、チャンミンと過ごす時間を大事にするための努力は怠っていない。
でも、目に見える形でけじめをつけることができない。
俺たちだけの思い出をひとつずつ重ねてゆく過程を大切にしていたのだ。
それはチャンミンも同様らしく、「ありがとう」や「ごめん」の言葉たち、うたた寝でかけられた毛布...それから誕生日などの記念日。
ひとつひとつ省略しないで、1個1個積み重ねゆくしかないのだ。
・
今日の俺たちは新たな思い出を築こうと、オープンしたての水族館を訪れていた。
電車の窓から注ぐ朝日が眩しかった。
チャンミンはワクワクを隠し切れない。
飴やガムを俺に勧めてくれては、スマホを睨みつけて「バンドウイルカ、ベルーガ、ハナゴンドウ...」とつぶやき、俺のジャケットの衿を直したりと、子供みたいだったり母親みたいだったりと落ち着きがなかった。
寝不足気味だった俺はしょぼしょぼする目を閉じた。
知らぬ間に眠り込んでしまい、チャンミンに肩を揺すられ目覚めた時には、目的地に到着していた。
開館時間ジャストに入館したいと、チャンミンは駆けだした。
長身痩躯で手足の長いチャンミンは、脚が早い。
俺も負けじとディパックを背負ったチャンミンを追いかけた。
イルカショーも観たし、全ての水槽も制覇し、併設のカフェのランチセットも美味かった。
ここまではよかった。
夕方までには帰宅したかった。
そして今日はずっと、寝不足と気がかりなことで緊張のしどおしで、早く静かなところで二人きりになりたかったこともある。
水族館を出るころ、外は土砂降りで気分は一気に盛り下がった。
「あ~あ」
空を見上げる俺たちは言葉を失い、ポカンと口を開けていた。
「傘は?」
用意周到なチャンミンの折りたたみ傘を期待して尋ねたが、今日に限っては忘れてきたらしい。
「バッグを取り換えた時にそのまま...。
ごめんね」
「気にするな。
持ってこなかった俺が悪い」
見上げた空は真っ暗で、すぐに止みそうな気配はない。
「帰ったら熱い風呂に入ろう」
ずぶ濡れになっても仕方がない。
とにかく俺は早く帰宅したかったのだ。
俺はチャンミンと手を繋ぎ、駅に向かって走り出した。
雨のつぶてで目を開けていらない。
どうせ既にびしょ濡れだ、水たまりも構わず走った。
駅に近づくにつれ、嫌な予感がした。
帰宅ラッシュの時刻には未だ早い。
駅構内に入れずあぶれた者たちで、周辺の人口密度が高くなっていた。」
野球試合後のスタジアム直結駅のようだった。
「なんだろ?」
「さあ...」
「再開の目途がたっていない」と繰り返しアナウンスされ、電光掲示板には、『運休』の文字がエンドレスに流されている。
「困ったね」
「...そういうこと、ね」
「どうしよっか?」
「そうだね。
今日中に運転再開になればいいね」
俺たちは揃って、楽観主義で呑気な性格だった。
だからこそ、平和に長く交際し続けられているのだと思う。
俺たちは床に座ることも出来ず、壁にもたれてしゃがみ込んでいた。
濡れた靴で床は滑りやすくなっており、湿度の高いムッとした空気で壁は湿り気を帯び、ひんやりしていた。
水煙をあげてざーざー降りの景色を、眺めるしかない。
「糖分摂取」
「ありがとう」
チャンミンはディパックから飴を取り出して勧めてくれた。
時と共に、濡れた衣服が俺たちの体温を奪ってゆく。
靴下まで濡れた足先が凍り付きそうだった。
チャンミンの唇が紫色になっていた。
握った指先も氷のようだった。
「...寒いな」
俺はチャンミンの肩を抱き、ゴシゴシと擦ってやると、チャンミンも俺の背中に手をまわして同様にゴシゴシ擦った。
群衆は鉄道会社へ向けた困惑と苛立ちでいっぱいで、身を寄せ合う男2人など視界に入っていないのだ。
「よし!」
立ち上がった俺の考えを読んだチャンミンも、同じ方向を見る。
築年数のいったビジネスホテルだった。
チャンミンに風邪をひかせたらいけない、贅沢は言っていられなかった。
(つづく)
※『恋人たちのゆーふぉりあ』の二人のその後です
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