~チャンミン~
「...子供は?」
ユノが口を開いた。
「...いない」
「作らないのか?」
「いらない」
「嫁さんは?
欲しがらないのか?」
「もう、いない...よ」
「え...?」
「別れたんだ。
あの後、すぐ」
「...そっか...」
僕は腕をほどいて、ユノを覗き込んだ。
ユノの反応を確かめたくて。
ところが全然、嬉しそうな表情じゃなかった。
僕が結婚早々別れてしまったと聞いて、ユノは喜ぶと思っていた。
ユノの心にはもう、僕はいないんだ。
「どうして、あの時別れるって言ったんだよ!」
我慢も限界だった。
全部、ぶちまけてしおうって。
未練がましくユノを呼び出した時点で、みっともない男に成り下がっていたのだから。
「そのおかげで、助かっただろ?」
「でも...!」
「今さらいいだろ、そのことは...」
苛立たし気にそう言うと、ユノは僕を膝から下ろした。
「忘れよう」
「嫌だ。
もう会わない方がいい、なんて言われて...。
僕はそんなの...嫌だった。
ユノと別れる...っなんて...っ」
しゃくりあげてしまって、言葉を発するのが難しい。
「別れるもなにも...そもそも付き合ってもいなかったんじゃないの、俺たち?」
「え...?」
ユノの言葉に、僕の心が凍り付く。
「会って、ヤッて...それだけだっただろう?」
「...そんな」
ユノの言う通りだ。
でも、それだけじゃなかったでしょ?
ホテルに向かう車中で、前戯の最中に、ことの後チェックアウトまでの残り時間に、テーマを決めない言葉のやりとりがあったじゃないか。
楽しかったのに。
挿入された時の快楽だけを求めていたわけじゃなかったのに。
今の僕なら、あの時のユノの気持ちがよく分かる。
まっとうな道へ進もうとする、大切な人の邪魔はしたくない、と思うこと。
みっともなく引き留めたり、未練がましく関係を引きのばそうとしたりせず、いさぎよく送り出してやりたい、と。
だから今この時も、あの時のユノのように振舞わなければならないのだろう。
「今日はよかったよ。じゃあな」って。
そして、それきり会わないのだ。
5年前。
ユノに送り出された僕は、新婚なのに全然幸せじゃなかった。
半年と待たずに、破局した。
妻となった人を抱けなくなり、深い愛情を抱けなくなった。
抱けないのなら誰かに抱いてもらおうと、その手の誘いにのってみたりもした。
怖気が走って、下着をつける間もなく逃げ出した。
僕が正直にならなかったばかりに、彼女もユノも傷つけてしまった。
僕が酷いのは、ユノを捨てて彼女を選んだのに、彼女を幸せにすることもできなかったことだ。
彼女を傷つけ、ユノも傷つけた。
あの日、ユノを選んだとしても、やっぱり彼女を傷つけてしまっていた。
もっと遡ってみる。
ユノと出逢った時点で、既に彼女を傷つけていたんだ。
僕が全部悪い。
「婚約破棄はしたくなかったんだろ?
挙式前日に、ナシになんて出来ないよなあ。
いいとこのお嬢さんだったよな、嫁さんは?
男のセフレはリスキーすぎる。
切り捨てやすいのは...俺、だったわけか?」
「違う!
僕はユノと別れるつもりなんて全然なかったんだよ?
あのまま、関係を続けていけたのに...それなのに...っ。
もう会わない、って言うなんて...っ...うっ...」
涙が次々と溢れてくる。
ベッドに腰掛けたユノの前で、僕は子供のように泣きじゃくっている。
「それってさ、つまり俺というセフレはキープ、って訳だろ?
チャンミンにとって、俺という男はその程度だったんだ?
酷い男だな」
「そんなんじゃないっ...」
「じゃあさ。
あの日、お前をかっさらっていけばよかったのか?
それも困るだろう?」
「......」
「ほらな。
そもそも、俺は天秤にもかけられていなかったわけだ。
悲しい話だ。
お前は、嫁さんとも俺とも両方、よろしくやりたかったんだろ?」
はっきりと言い当てられた。
これは、5年前のユノが、僕にぶつけたかった怒りの言葉だ。
「はっきり言うぞ。
俺はセフレなんて欲しくないんだよ。
不倫なんて、まっぴらごめんなんだよ」
~ユノ~
俺は立ち上がり、チャンミンに背を向けたまま下着をつけた。
シャワーを浴びていってもよかった。
でも、そうしなかった。
ことの後、シャワーを浴びる俺の背後に忍び寄り、チャンミンはぴたりと身体を寄せてくる。
チャンミンのおねだりに応えて、バスルームでの第2ラウンドが開始されるのだ。
かつてのお決まりのパターン。
それは、困る。
まだ俺たちが、各々の立場を無視して、無邪気に抱き合っていられた頃の話だ。
もうこれきり、チャンミンとは会わない。
今日だけの逢瀬だ。
なかったことにすべきこと。
気紛れに俺を呼び出して、話をするだけのつもりが結局は抱かれた。
離婚しただの、子供はいないだの、言い訳を聞かされた。
別れを切り出した俺を、それとなく責めた。
責めたいのは俺の方だよ。
泣きじゃくってもう止めてくれと懇願するまで、勘弁するつもりはなかったのに加減した。
苦痛に顔をゆがめるチャンミンが哀れだった。
快楽とは程遠いセックスだった。
むなしさだけが残った。
なぜ、あの電話を無視しなかったんだろうと、後悔していた。
会ってしまえば、もっと会いたくなるから。
憎らしくて、愛しい男。
俺は明日、結婚する。
そんな俺に今のチャンミンは手出しできない。
出来ないはずだ。
(つづく)
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