~犬~
諸事情があってペットを飼えない者が、ペットのある生活をひと時だけ疑似体験できるサービスがあるという。
自分のものにならないものを、気分を味わう為だけに『レンタル』するのもいかがなものかと、考えていたのだが...。
「女の方がよかったですか?
うちの店では全員、男なんですよ。
この子はどうです?
未使用に近いですよ?」
奥行き10メートルほどの店内に、横幅2メートルほどの水槽が等間隔に並んでいる。
勧める店主の売り文句を適当に聞き流して、店内奥へと水槽の中を1つ1つ覗き込みながらゆっくりと歩く。
「この子たちはみな、予防接種済みです。
月に一度は検査してますし...ですから病気の心配はございません」
店内は、煌々と水槽の中で灯された照明で明るい。
「この子にしますよ」
俺は突き当りの水槽を指さした。
「お目が高い」
店主は嬉々として、俺の手首に巻き付いた腕時計にちらちらと視線をやりながら、料金の説明を始めた。
「この子はね、女のように柔らかいですよ。
...どこが?だなんて質問は無しですよ。
で、お試しで1泊2日にします?
マンスリーもできますよ」
店主が説明する通り、水槽下に掲示してあるプライスカードには、時間貸しから最長で1か月のレンタル料金が並んでいる。
「1泊2日」
即答して、俺はキャッシュで支払いを済ませた。
半分は興味半分、半分は金の使い道に困っていた俺は、無駄遣いをしたかったのだ。
金を払うのなら、その店で最高のものを選択すれば、大抵は失敗も少ない。
水槽の中には白いファーが敷き詰められており、「商品」が...全裸に近い男が1人ずつディスプレイされている。
客である俺にウィンクしたり、小さな下着に包まれたあそこを見せつけるように腰をくねらせたり、己をセレクトしてもらおうと媚を売っている。
ペットをレンタルするかのように、俺はひとりの男を1泊2日でレンタルした。
俺がその男を選んだ理由はシンプルで、店主に見えないよう俺に向けて中指を立てていたからだ。
俺の気を引こうとしているんだと見え見えだったが、騙されてやることにした。
水槽の中の彼らは皆、首に太い黒革のベルトをしていた。
犬や猫がしている、所謂『首輪』だ。
「GPS装置です。
逃げ出したりしたら困りますからね」
「へぇ」
首輪に取り付けられた小さな機械...青いランプが点る...を指の背で触れると、革ベルトの下で彼の細い首に鳥肌がたった。
「奥の個室を使いますか?
連れて帰るのなら、リードは付けて行ってください」
そう言って店主に手渡されたものが、犬の散歩に使うリードそのままで、「ここまで徹底するのか」と絶句してしまう。
俺は客だが、紐に繋いだ男を連れ回す趣味はない。
「...案内して」
「おやおや、我慢できないんですね」と言った風に、店主は眉を大げさに上げてみせた。
「お気に召したら、うちは『買い取り』もできますから」
それはレンタルしてみた結果次第だ、との意を込めて、俺は肩をすくめてみせた。
・・・
薄汚く安っぽい場所を予想していたところ、案外清潔そうな部屋でほっとした。
ただ、中央に鎮座した寝台がビニール張りで、これが眠るためのものじゃないのは明らかだ。
中途半端なムードつくりはせず、機能性と衛生面を追求している業務感が、この店の堅実さを物語っている。
この手の店で、堅実さなんて不要なんだろうけどね。
この個室は、それだけの目的のための場所だ。
ここに来てようやく、俺は彼の顔姿を観察した。
背が高く、脂肪のかけらもない細身の体で、従順な犬のような丸い眼をしていた。
20代半ばかと判断したのは、10代にしてはひねた目付きをしていたから。
彼は鑑賞されやすいよう、俺の前で一回転した。
布面積の狭い黒のビキニパンツだけを身につけていて、後ろは紐が食い込むデザインだった。
この店の商品となれば、この格好も致し方ないが...。
それにしても...。
首に巻き付いたベルトだけが人間の尊厳を無視していて、異様だった。
「突っ立っていないで... 僕の方は、用意が出来てますよ。
あ...もしかして、お兄さんはそっち側ですか?
それならば、シャワーを浴びた方がいいですね」
壁のフックに鎖が引っかけてあり、俺の視線に気づいた彼は「ああ、これですか?」と、なんてことない風だった。
「わんわんプレイが好きな客用です。
ご希望ならどうぞ」
寝台に腰掛け、組んだ足をぶらぶらさせて、彼は面白そうに言う。
店一番の値を付けられていたのも納得の、美しい顔をしていた。
プライスカードに提示された価格は、相場より1桁多かった。
「僕を気に入ったら、1泊2日何て言わずに、もっと長くレンタルしてもいいんですよ?」
「もし俺がろくでもない客だったらどうする?」
彼は「お兄さんなら大丈夫そうです」とクスクス笑った。
「...それに。
お兄さんは綺麗だ」
すれすれまで俺に近づき、手の甲で俺の頬を撫ぜた。
ぞくり、とした。
「お買い得ですよ。
僕は出戻りだから、あれでも30%OFFなんですよ。
返品されちゃったんですよねぇ」
客を小馬鹿にするような言い方のわりに、世を舐め切った目付きをしているわりに、その口元がわずかに震えていて、青ざめていた。
「さあさあ、早く取りかかりましょうよ。
お兄さんは強そうだから、ひと晩で足りるかなぁ?
はははっ」
彼は俺の胸を押し、仰向けになった俺の腰に跨った。
「上がいいです?
下がいいですか?」
俺を見下ろすその目が、底なしに暗かった。
俺の目を見据えながら、彼の指は俺のボトムスのベルトとボタンを外した。
にたにたと唇の端だけで笑いながら、焦れったくなるほどゆっくりと、じじっとファスナーを下ろした。
「お!
ヤル気満々ですね。
お兄さんのは立派ですねぇ」
そう言って、腰を左右に揺らして自身のものをすりすりと擦りつけた。
俺を煽ることばかり吐いているが、彼の本心ではその気がないことは、小さすぎる下着の前が物語っている。
「お兄さんは、マグロのタチですか?」
いい加減、彼の態度に苛ついた。
勢いよく半身を起こし、後ろにひっくり返った彼を、今度は俺が組み敷く側に回る。
真ん丸に見開いた眼を片手で塞ぎ、彼の顎をつかんで無理やり口を割った。
その隙間に舌をねじこみ、吸った。
「前がいいか?
後ろがいいか?」
彼の耳元で囁いた。
「...っ」
俺は彼の両足首をつかんで高々と持ち上げ、前戯なしで深く埋めた。
彼が言うように、そこは十分にほぐれていた。
・
彼を寝台に残し、俺は手早くシャワーを浴びた。
この部屋に通されて未だ1時間も経過していないが、長居は無用だ。
後味が悪かった。
俺は気づいていた。
首輪の下の皮膚が色素沈着を起こしていることに。
どういう事情があって、この店の『商品』になることとなったのか、俺には想像がつかない。
ろくでもないことを起こしてしまったのか、お涙頂戴な過去があるのか...それとも、自ら望んだのか。
高いだけある。
彼は上玉だった。
「ここは...長いのか?」
「僕を買い取ってくれたら、教えてあげますよ。
...でも、僕は高いですよ?」
「そのようだね」
「レンタルだなんて言わずに、僕を買い取ってくださいよ。
一括が無理なら、分割も可能なはずです」
レンタルとは一時を楽しむだけのもので、それは自分のものにはならないのだ。
だからと言って、何かを所有するのは、イコールそれに支配されるのを意味して、心がシンドイ。
所有することを手放した先に、自由がある。
所有されることから解放された先も、然り。
「僕をここから出して下さいよ?」
靴を履こうと屈む俺の肩に顎を乗せ、彼は甘えた声を出す。
「お兄さんの為に、奉仕しますから。
好きなようにしていいんですよ?
お兄さんの家に連れて帰って下さいよ?」
ジャケットに腕を通した俺は、「そういう訳にはいかないよ」と苦笑し、彼の頭を撫ぜた。
そして、彼の耳元であることを囁いた。
「嘘でしょう?」と、彼は驚きで目を見開いていた。
寝台の下に、脱ぎ捨てた小さな下着が丸まっている。
彼の首で、青いランプが3秒間隔で点滅していた。
お兄さんは、僕の頭を一撫ぜした後、部屋を出ていってしまった。
僕は寝台に膝を抱えて座り、お兄さんに買い取られた日々を想像してみた。
決して叶わない未来だけど、素敵な妄想がこれからの僕の支えになるのだ。
裸のお尻に触れるビニール素材が、僕の割れ目から漏れ落ちたものでぬるぬるする。
綺麗な人だったな。
性急だったけど、乱暴ではなかった。
...優しかったな。
また来てくれるかな?
僕をまた選んでくれるかな?
どうしよう...涙が出そうだ。
こみあげないよう、まぶたを膝頭に押しつけてみたけど...無理みたいだ。
「おい!」
ノックもせず入ってきたのは、店主だった。
どうせ次の客に備えて部屋を掃除しろとか、陳列棚にスタンバイしろとか、命令するんだろうと無視をしていた。
ところが、店主は僕の首輪に手を伸ばすんだ。
とっさに後ろにとび退ってしまい、店主に首輪をつかまれ彼の方に引き戻されてしまう。
「動くな。じっとしていろ」と、店主は僕の首回りで手を動かしていたが...。
「...え?」
ふっ、と首が軽くなった。
店主の手には、黒革のベルトがぶら下がっている。
「さっきの客がお前を買った。
お前は自由だ。
とっとと出ていけ」
「え!?」
店主は洋服を投げてよこし、僕はあたふたとそれを身につけた。
お兄さんが、僕を買い取ったってこと!?
裸に慣れている僕は、久しぶりに袖を通すコットン製のTシャツとデニムパンツが肌にごわごわと変な感じだ。
スニーカーの紐を結ぶのももどかしく、個室を飛び出した。
お兄さんは、僕が出てくるのを待っているに違いない...そう予想していたのに。
店内には、雑誌(裸の女ばかり載っている)をめくる店主がいるだけだった。
「あ...れ?
あの人は?」
「さあ...。
今さっき、帰ったよ」
「帰った...!?」
「あの客はお前を連れて帰るつもりはないみたいだな。
支払いだけ済ませて、出ていったよ」
店主の手首には、ゴージャスな腕時計が巻かれていた。
「...そんな!」
僕は店を飛び出した。
真夜中過ぎの、繁華街の裏道。
「よかった...」
人通りまばらの通りの向こう、あの背中はきっと。
僕の頭を撫ぜた後、お兄さんは僕の耳元で囁いたんだ。
『俺もかつては、
お前と同じ“犬”だった』って。
遠ざかる背中を追って、僕は全速力で走る。
運動不足の心臓は、わずか数十メートルで悲鳴をあげる。
構わず僕は走り続ける。
お兄さんを追いかける。
自由になった首がすうすうする。
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