~チャンミン~
「ここを押して...よし!」
パソコンに向かった僕はいつも、独り言をこぼしてしまう。
お兄さんに教えてもらった順番通りに、注意深くボタンを押してゆく。
画面はあまりにカラフルで、花壇に咲く花々の色とりどりさとは違っていて、長く見ていると目がチカチカしてくる。
注文を終えてホッとした後、僕は写真を頼りにボタンを押してゆく。
マウスを包んだ右手はもう震えていない...よかった、慣れてきた。
「あ!」
お兄さんが好きなピンク色のお酒を見つけた。
「何でも注文していい、って言ってたよね」
僕はお兄さんを喜ばせたくて、甘くてイチゴの風味が美味しいそのお酒も注文することにした。
お兄さんに教えてもらった通りに、キーボードで個数を入力し、『買い物かごへ入れる』の緑ボタンを押して、次に右上の買い物かごのイラストボタンを押した。
~ユノ~
チャンミンは性にどん欲だった。
無数の客を相手にしてきて嫌気がさしてもおかしくないのに。
「飽きないのか?」と尋ねたら、
「お兄さんは別です。
あの頃は、心を消していましたから」と答えた。
チャンミンの中で『犬』時代は過去のものとなりつつある気配を、彼の言葉から感じとられるようになってきた。
「お兄さんとのえっちは、すごく気持ちがいい」
俺の太ももの間に身を伏せると、ぐりぐりと頬を埋めてくる。
「くすぐったいよ!」
チャンミンの口内で、俺のものは復活を遂げる。
頬張ったまま、「お兄さんが大好きなんです、大好きです」と繰り返した。
チャンミンの唾液が、根元まで垂れ落ちた。
「お兄さんのここもすべすべですね」
チャンミンは細い指をそこで滑らせた。
チャンミンだけじゃなく、『犬』出身の俺も処理してあった。
その頃には我慢の限界で、チャンミンの腰をつかんでひっくり返した。
懐っこい大型犬の眼をしていたチャンミンの眼に、妖しい光が灯る。
俺の下敷きになったチャンミンは身をくねらせ、長い首をのけぞらせて俺を誘っている。
チャンミンの喉元に色素沈着の帯が巻きついている。
その帯を避けて、噛みつくように鎖骨をきつく吸った。
「おい!
足を緩めろ...これじゃあ...動かせない」
俺の腰に力いっぱい巻き付いた膝を叩いた。
駄目だ...俺の言葉は、チャンミンの耳を素通りしている。
チャンミンはここではないどこか...快楽の世界に意識が飛んでしまっているだろうから。
と、チャンミンに手首を捕らえられ、首へと誘導された。
求めに応じた俺は、チャンミンの首を絞める。
絶頂の直前、チャンミンは自身の手首を噛んでいた。
俺たちの行為はこのように激しく、苦痛の手前を行ったり来たりしている。
一度スタートを切れば、何時間でも交わり合えるのだ。
・
「...これは」
届いたものに俺は絶句した。
「え...!?
僕...10個のつもりで頼んだのですが...」
「そっか」
届いたのは10ダースのイチゴのリキュールだったのだ。
「ごめんなさい」
申し訳ない気持ちでいっぱいで、しょんぼりしているチャンミンの頭を胸に引き寄せた。
「間違えても仕方がないよ」
俺は全く腹を立てていなかった。
チャンミンは俺を喜ばせようとしただけだ。
「ごめんなさい」
「二人で頑張って飲もうか?
おつまみも買ってきたから、飲み会スタートだ」
この時に「もしかして...?」の疑いが湧いてきた。
・
どうしても外出をしなければならない日だった。
チャンミンの好物のひとつ、ソーセージの盛り合わせをテイクアウトしてきた。
玄関ドアを開けた途端、きな臭さに何かが起こったと直ぐに分かった。
匂いの出処はキッチンのようだった。
寒気が走った。
「チャンミン!」
真っ先に頭に浮かんだのは、真っ黒に焼け焦げたフライパンの像だった。
靴を脱ぐのももどかしく土足のまま駆けたのは、チャンミンが火傷したのでは、と心配したからだ。
「チャンミン!」
キッチンカウンターの隅で、膝を抱えたチャンミンがいた。
泣きはらした顔で、鼻も頬も真っ黒になっていた。
チャンミンなりに収拾をつけようと焦っていた痕跡...床は水浸しでボウルが転がり、何枚ものタオルが丸まって落ちていた。
砕けたグラスの脇に、ヤカンがあったから、熱湯を注いだのだろう。
カウンターから落ちた箱からココアがこぼれていた。
留守中に飼い犬が悪戯の限りを尽くし、帰宅した飼い主を絶句させた...まさしく今の状況はそうだった。
「怪我はないか?」
俺はチャンミンの側にひざまずき、彼の腕や手を確かめた。
無傷だったことに、「よかった...」と安堵の吐息を漏らした。
「ごめんなさい...」
「いいさ」
惨事の元は電子レンジだった。
衝撃で開いたのか、慌てたチャンミンが開けたのか...。
原形をとどめないほど真っ黒に焼け焦げ、ぺしゃんこに溶けたものがある。
煤だらけの庫内は、水浸しだった。
火花が散り、煙が上がったことに慌てたチャンミンが、水をかけたのだろう。
スプリンクラーが作動しなくて、大惨事にならずに済んだ。
チャンミンの夕飯に冷凍ラザニアを食べるようにと、声をかけて外出したのだ。
オーブンで焼くタイプのラザニアを、電子レンジにかけてしまったようだ。
「トレーはアルミ製だから、電子レンジは危険だ。
ここに書いてあるだろう?」
呼び寄せたチャンミンに、説明書きを指し示した。
「......」
「電子レンジ厳禁、って」
「......」
「...そうか。
ちゃんと説明しておかなかった俺が悪いね」
この電子レンジは廃棄処分だが、チャンミンが無事でよかった。
「壊しちゃってごめんなさい」
「また買えばいい。
チャンミンは悪くない。
説明不足の俺が悪い」
チャンミンの鼻も頬も煤だらけだった。
「真っ黒だぞ?
風呂に入るか?」
「はい!」
インターネットに気乗りしない曇った表情を見せた訳が、ここで判明した。
120本の酒を注文してしまった訳も、同様だ。
...チャンミンは文字が読めない。
2か月間、俺に知られないよう、曖昧な笑顔で誤魔化し、巧妙に隠してきたのだ。
自分を恥じていたのだろう。
可哀想だとは思わなかった。
これから覚えればいいことだからだ。
(つづく)
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