(47)あなたのものになりたい

 

 

~チャンミン~

 

パソコン画面とにらめっこしていたら、あっという間に1時間が経っていた。

 

誕生日パーティの料理メニューは何にしようか、調べていたのだ。

 

僕らの食生活を振り返ると、当日は料理を取り寄せることになりそうだった。

 

それじゃあちょっとつまらないから、僕が作ってみようと思い立ったわけだ。

 

お兄さんの家に来たばかりの頃、僕はまさしく犬そのもので、ナイフとフォークも上手く使えなかった。

 

そんな僕がレシピを読めるようになり、炒めるだけ煮るだけの簡単な調理なら出来るようになった。

 

電子レンジを爆発させることもない。

 

パーティのメニューは失敗はしたくないから、背伸びし過ぎないメニューにしよう。

 

僕に作らせたら...魔女が煮込んだみたいな不気味などろどろスープに真っ黒こげの塊、べちょべちょぶよぶよの麺...大いにあり得る。

 

ケーキも手作りするのが理想だけど、ここは無理せず、スポンジだけを買ってきて、ホイップクリームとイチゴでデコレーションするのはどうかな?

 

うん、大丈夫だ。

 

「ジャガイモとニンニク...クレソンって何だろう?

イチゴと鶏肉。

牛乳は家にあるから...」

 

必要な材料をメモ書きしていった。

 

煮込む時間を考慮して、買い出しは前日にしよう。

 

誰かのために特別な食事を用意する、僕の初体験。

 

上手くできるといいな、お兄さんが喜んでくれるといいな。

 

きっと喜んでくれると分かる僕って、自惚れてるかなぁ?

 

 


 

 

~ユノ~

 

用が済んだのは夕刻だった。

 

予定より遅くなってしまい、留守番中のチャンミンを按じて気が急いた。

 

日没につれて辺りは闇に沈んでゆくのに抵抗して、建物の照明、看板灯、車のヘッドライト、街灯が空に向けて灯りを放つ。

 

細かな雨が降り始め、歩行者たちの吐く息は白い。

 

ひとりぼっちの頃は、春夏秋冬朝昼晩、景色や気候の変化には無頓着だったなぁ、とタクシーの車窓を眺めながら、しみじみと思うのだった。

 

 

チャイムを鳴らしてから玄関ドアを開けた。

 

「ただ...」

 

リビングの方からチャンミンが猛ダッシュで駆けてきた。

 

「お兄さん!

お兄さん!」

 

俺に飛びついてきた。

 

その勢いの強さと言ったら...玄関ドアに後頭部をぶつけてしまうほどだった。

 

留守番をさせられたペットが、待ちわびていた飼い主の帰宅に、大きな尻尾をバサバサと振っている様を思い浮かべる。

 

「おかえりなさい!」

 

「ただいま」

 

「遅いです!」

 

チャンミンは顔面を俺の胸にぐりぐりと押しつけた。

 

「ごめんな」

 

「遅いです!」

 

「ごめん、ごめんな」

 

「ずっと待ってました!」

 

「ごめん」

 

俺はチャンミンの頭をがしがしと撫ぜて、何度も謝った。

 

チャンミンに留守番をさせた機会は、これまで数えるほどしかないため、寂しさと不安感が辛かっただろうと想像できる。

 

「夕飯は?」

 

「お兄さんの帰りを待ってました。

ご飯は食べてません。

お腹ペコペコです」

 

「チャンミンにお土産があるよ。

美味しいって評判らしいよ」

 

さっきの勢いで、床に落としてしまったビニール袋を指さした。

 

「やった...!」

 

すぐに機嫌を直す、チャンミンの単純さを可愛らしく思うのと同時に、怖くなる。

 

俺がそう仕向けていたくせに、チャンミンは俺べったりだ。

 

もし俺がいなくなったら、チャンミンはどうなってしまうのだろう。

 

...いや、悲観的な「もしも」について考えるのはよそう。

 

 

「寒いだろう?」

 

「寒いからこそいいんです」

 

冬感を楽しみたいチャンミンのリクエストに応え、俺たちはバルコニーへと出た。

 

「これをかぶって下さい」と俺に毛布を手渡すと、チャンミンは家の中に引っ込んだ。

 

バルコニーに戻ってきたチャンミンはトレーを持っており、そこにはマグカップが2つ乗っていた。

 

そして、折りたたんでいた寝椅子を広げて、俺を先に座らせた。

 

「こういうの、してみたかったんです」

 

チャンミンは俺の両腿の間におさまった。

 

「そういうことね」

 

何がしたがっているのか分かり、背中にかけた毛布でチャンミンを包み込んだ。

 

「お酒入りのココアですよ~」

 

カップに口をつけると、アルコール感ある香味が鼻腔をくすぐり、ひと口すすると、ぴりりとした刺激が舌に感じた。

 

遅れて腹のあたりが熱くなる。

 

「ブランデー?」

 

「はい」

 

「テレビ?」

 

「インターネットです」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

得意げなチャンミンが可愛らしくて仕方ない。

 

高層のここは、風が強い。

 

チャンミンが大事にしている木々が、枝をしならせざわざわと揺れている。

 

鼻先は凍り付きそうなのに、チャンミンと俺の体温が溶け合った毛布の内はこんなにも温かい。

 

俺たちの視線は自然と、手すりの向こうの眼下へと吸い寄せられる。

 

無数の光の粒が点々と、すみずみまで広がっている。

 

何百万もの人と物事は、複雑に絡みあり、繋がっている。

 

俺とチャンミンの出逢いも、偶然で片付けられない。

 

それ以外のうっとおしい奴らとの繋がりも、当然といえる。

 

繁華街の裏の裏。

 

秘密クラブを出入りする客、そこで働く者、所有する者は、地縁のようなもので結びついている。

 

小さな世界でぐるぐるとまわっていて、そこから飛び出すのは容易ではない。

 

『犬』だった過去を思い出させようと、いつまでも追いかけてくる。

 

手に入れた平穏のこれからを脅かそうとしてくる。

 

今、俺がしなければならないのは、『犬』の輪から抜け出ることだ。

 

 

「チャンミンはなぜ、買い主に捨てられたんだ?」

 

チャンミンを深く抱き直し、彼の肩に顎をのせた。

 

チャンミンを『犬』として初めて抱いた日、『返品されちゃったんですよね、僕はお買い得ですよ』と、自身を嘲るように話していて、ずっと気になっていたのだ。

 

「買い主がムカついたから、僕、ハンガーストライキしてやったんです。

ムカついて、ずーっとご飯を食べませんでした。

だって、買い主の前で、もうひとりの『犬』とヤれと命令されたんですよ?」

 

「...それは...きついな」

 

『犬』が抱いたり抱かれるのは客限定だ。

 

『犬』同士のセックスはいわゆる、『交尾』とみなす為、タブーに近かった。

 

「無理やり食べさせようとするから、ガブって噛みついてやったんです。

あいつ...『いってぇ~』って言って、僕を蹴っ飛ばしたから、もう一回噛みついたんです」

 

と言って、チャンミンはくすくす笑った。

 

「そりゃ酷い目にあったなぁ」

 

「酷いって、どっちが?」

 

「買い主の方」

 

「もぉ!

お兄さん!

酷いです!」

 

「あはははは、冗談だよ。

チャンミンに手をあげる奴は、絶対に許さない。

その場に俺がいたら、代りにやり返してやったのになぁ」

 

「お兄さんは喧嘩に強そうです」

 

「そう見える?」

 

「死闘を潜り抜けてきた感じがします」

 

「あははは。

喧嘩は弱いよ。

...その後、ちゃんとメシ食ったか?」

 

「はい。

『いらねぇよ』と店に送り返された後に」

 

「そっか...」

 

会話が途切れた俺たちは、目を合わせた。

 

揃って立ち上がり、バルコニーから直接寝室へと行く。

 

「する?」

 

「うん」

 

自ら全裸になる日もあれば、俺に脱がされたがる日もある。

 

「待って...」

 

唇を離すと、チャンミンは下だけ脱いだ姿でクローゼットへと走った。

 

チャンミンが手にした物を見て、俺の欲に火がついた。

 

今夜は滅茶苦茶に抱いてやろうと思った。

 

 

(つづく)

 

 

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