(7)あなたのものになりたい

 

 

~ユノ~

 

 

気持ちよく晴れていた。

 

日差しは強いが、湿度が低いため過ごしやすい。

 

ブランコや滑り台など数基の遊具があり、母親を伴った小さな子供たちが遊んでいる。

 

子供の1人が転び、チャンミンは「あっ!」と声をあげ、母親がその子を抱き上げると、チャンミンは「よかった」とこわばらせた肩の力を抜くのだ。

 

優しい目をしている、と思ったのは正しかった。

 

この公園は河川に沿ってあるため、歩を進めるごとに視界が開ける。

 

川幅の広い流れのゆったりとした川だ。

 

数十メートル先の対岸では、ジョギングやサイクリングを楽しむ者たちが行き交っている。

 

吹き渡る風が川面にさざ波を作り、キラキラと無数の光をきらめかせている。

 

川を見下ろせる堤防に腰を下ろした。

 

両足をぶらぶらさせているチャンミンの眼も、同様にキラキラと輝いている。

 

チャンミンの首を飾る青いチョーカーが、醜い傷跡を覆い隠していた。

 

よかった、と思った。

 

スニーカーを脱いでしまったチャンミンのくるぶしが、傷一つなく健やかそうだった。

 

振り向くと高層のビル群がそびえたっている。

 

ここは人口数百万人のこの街の憩いの場で、緑と水が豊かなエリア。

 

「何が食べたい?」

 

食べ物を売るスタンドが並ぶ中、遠慮したり迷ってばかりいるチャンミンに代わって、いくつか選んでやった。

 

ありとあらゆるものが並んでいて、チャンミンは選べなかったんだろう。

 

サンドイッチとフライドポテトを平らげたチャンミンは、デザートのフルーツにとりかかっていた。

 

イチゴを売るスタンドがあり、チャンミンの物欲しげな表情を読んで、1パック買ったのだ。

 

俺の隣に腰掛けたチャンミンは、小粒のイチゴが山と積まれたトレーを膝にのせて、1粒1粒口に放り込む。

 

俺はアイスコーヒーを飲んでいた。

 

「ひゃっ!」

 

チャンミンの悲鳴に驚いたが、なんてことない、地面についた手に蟻が這い上ってきただけのことだ。

 

払いのけることもできず、腕を振り回している姿に大笑いした。

 

「あははははは」

 

チャンミンは、その蟻が無事地面に着地するまで、だらりと腕を垂らしてじっとしていた。

 

連れてきてよかった、としみじみ思った。

 

未だ一人で外出させるのは難しいだろうから、毎日散歩に連れ出してやろう。

 

誰かとこうして、陽光うららかな景色を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすのは、いつ以来だろう?

 

...初めてかもしれないことに気付いて、いかに乾いた生活を送ってきた自分に驚くのだ。

 

俺を追いかけてきたチャンミンに感謝していた。

 

 

 

 

美味そうにイチゴに齧りつくチャンミン。

 

「俺にも頂戴」と冗談まじりにおねだりしてみたら、チャンミンは何をそんな嬉しいのか、顔を輝かせた。

 

最後の1粒となった時、今度は「僕にも食べさせてください」だなんて子供っぽいおねだりをするんだ。

 

真っ赤に熟れたイチゴを、チャンミンの大きな口の中に押し入れた時、その指を素早く咥えられた。

 

指を引っ込めることが出来なかった。

 

チャンミンは俺の人差し指を頬張り、美味そうに味わっている。

 

アレだと錯覚してしまうように舐められた。

 

温かいぬめりに包まれ、柔らかな太い舌が絡まり、指の股をちろちろとくすぐられた時には、発してしまいそうな呻きを堪えなければならなかった。

 

俺の手首を支える細い指。

 

上下に揺れる頭から、シャンプーと汗が混じった香りが漂った。

 

歯をあてたり、ゆるく吸ったり...巧み過ぎる技に、俺は感じるどころか、逆に欲が冷えていった。

 

数多くの客たちのものを、今みたいに奉仕してきたのだろう。

 

今のは、俺の指相手に『奉仕』しているのではないことは分かっていたけれど、なぜだか悲しくなってしまったのだ。

 

チャンミンは俺を欲しがっていることが痛いほど伝わってきた。

 

俺も欲しいよ。

 

こんなことはしなくていいんだ。

 

チャンミンが欲しがっているものを与えたい...そんなんじゃない。

 

俺の方こそ、チャンミンが欲しいんだ。

 

抱いてしまうことは間違っているのでは、と罪悪感を抱いていた。

 

でも、躊躇するあまり、結果的にストレートに好意を表わしてくるチャンミンを焦らし、今のような行為に至らせてしまった。

 

俺たちの後ろを自転車が2台通り過ぎた。

 

遊歩道の向こうから歌声が聞こえる。

 

乳母車を押した母親らしき女性と、3、4歳の子供がこちらへ近づいてきている。

 

「...チャンミン?」

 

チャンミンの肩を揺らしても、俺の指から口を離そうとしない。

 

力を込めて押しのけたら、チャンミンを傷つけてしまうと思った。

 

だから耳元で、「人に見られるよ。それも、ちっちゃな子供に」と囁いてやると、チャンミンは勢いよく頭を上げた。

 

長くうつむいていたせいで赤い顔をしたチャンミンは、果汁と唾液に濡れた口元を手の甲で拭った。

 

「河原に下りようか?」とそこに下りられる階段を指して言うと、ふやけた人差し指を拭う間もなく、チャンミンに手を握られた。

 

「おうちに帰りたいです」

 

チャンミンは俺の手を引いて、ビル群に向かって歩き出した。

 

裸足のままで。

 

 

 

 

ルーフバルコニーに出られる窓の前で、ごろりと寝転がったチャンミン。

 

一瞬で血の気がひいた。

 

「チャンミン!」

 

駆け寄ってチャンミンの肩を揺する。

 

すると、「ああ?」と目覚め、目をこすって「お兄さん、何ですか?」とねぼけ顔で俺を見上げた。

 

眠くなってそのままそこで、寝入ってしまったようだ。

 

窓際のここは、日光で温められ、眠りを誘う。

 

散歩で疲れてしまったんだな。

 

狭いショーケースに押し込まれ、身体を動かすことと言えば、客のため自ら腰を振ることくらいだ。

 

チャンミンが急病にでもなったのかと、恐怖で心臓がぎゅっと縮まった。

 

チャンミンが居て当然の生活に、俺は染まりつつあった。

 

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「おうちに帰りたいです」

 

するっと出てきたこの言葉に、自分が口にした言葉なのに、じ~んと感動してしまった。

 

僕のおうちはお兄さんのおうち。

 

僕とお兄さんは、同じおうちに帰る。

 

すごいなぁ。

 

お湯の中に、ぶくぶくと顔半分まで沈んだ。

 

頭のてっぺんまで潜ってから、ざぶっとお湯から飛び出る。

 

何度も繰り返して遊んだ。

 

手足をゆらゆら動かして、温かく清潔なお湯の肌当たりを楽しんだ。

 

お兄さんちのお風呂は大きくて、このバスタブも脚を伸ばせるくらいなんだ。

 

お兄さんと一緒にお風呂に入りたいなぁ。

 

そうすれば、裸のお兄さんにくっ付けるのになぁ。

 

お兄さんのことを思っていたら、前も後ろも変な感じになってくる。

 

前に触れてみたら、半分くらい大きくなっていた。

 

後ろにも触れて、つるんと指を飲み込むのを確認し、その柔らかさに満足した。

 

いじりすぎると止められなくなるし、お湯を汚してしまうから、この辺でストップだ。

 

自分で自分を慰める必要がなかった『犬』時代。

 

お兄さんちに来てからは、お兄さんを恋しく思う気持ちがつのるあまり、いじらないといられなくなった。

 

僕はバスタブから立ち上がり、扉から腕を伸ばして取ったバスタオルで濡れた身体を拭く。

 

洗面所に取り付けられた大きな鏡に、僕の全身が映っている。

 

店を出てからの僕は、太ったようだった。

 

あばら骨と腰骨のあたりのとがった感じが減ったし、お腹のあたりも丸みを帯びている。

 

僕はつまんだりさすったりして、全身を点検した。

 

僕のあれにも触れてみた。

 

どうしてお兄さんは僕を抱いてくれないのだろう。

 

もっとはっきり、お兄さんに迫ればいいのかなぁ。

 

「...よし」

 

僕は下着だけを身につけて、洗面所の照明を落とした。

 

 

 

 

『犬』でいることは、楽しいものじゃなかったけど、辛くて仕方がないわけでもなかった。

 

憂鬱なだけ。

 

ヤルことを済ませると、客たちは帰って行く。

 

彼らには帰る場所がある。

 

客を見送る時、羨ましいと思う。

 

不幸だから、羨ましいと思うのだろうか。

 

TVを観ていると、世の中幸せそうないろんな人たちがいて、彼らと比べると、やっぱり僕は不幸な人間なのかなぁと思うようになった。

 

でも。

 

自分が不幸だなんて思っていなかった。

 

僕はずっとずーっと『犬』だったから、『犬』の世界しか知らない。

 

普通の世界がどんなだか知らないから、比較のしようがなかった。

 

「お兄さんの家に連れて帰ってくださいよ」とお兄さんにねだった僕。

 

多分...どんな客にも同じことをおねだりしているんだと、お兄さんは思っている。

 

違うのになぁ。

 

これまでの客に、そんな台詞を言ったことはないのになぁ。

 

お兄さんは特別なのだ。

 

お兄さんは僕をお家に連れ帰ってくれた。

 

僕を連れ帰ってくれた理由は、僕があまりにも不幸そうで、可哀想に思ったから?

 

そうじゃないといいな。

 

可哀想と思われていることこそが、不幸だと思った。

 

 

 

 

帰るおうちができた今、『犬』だった頃を思い返してみる。

 

...僕は不幸だったのかもしれない。

 

なぜって、今がとても幸せだから。

 

 

(つづく)

 

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