(12)NO?-2章-

 

 

~民~

 

キスされる!

 

金縛りにあってしまった私は、顔を背けることも出来ず、ユンさんの顔が近づいてくるのを待つしかなかった。

 

ぎゅっと目をつむり、ユンさんの唇を着地するのを覚悟した。

 

ユンさんの両腕と胸に閉じ込められた。

 

ユンさんの体温で温められたスパイシーな香りは、私の全身を麻痺させる。

 

呼吸も忘れていた。

 

私の頭の中はパニックの嵐だ。

 

ユンさんに片想いをしていたことは事実だ。

 

チャンミンさんへの恋心に気付かなかった頃だったら、夢みたいと舞い上がっていただろうシチュエーションだ。

 

でもそれは過去のこと。

 

今はそうじゃないことを知らせなくては。

 

これはれっきとしたセクハラ行為なのに、そう思えない自分、そう思いたくない自分がいた。

 

ユンさんはただ、私の反応を楽しんでいるだけなんだよね。

 

アーティストだし、ハンサム過ぎるほどハンサムだし、きっともの凄くモテる人...つまり、プレイボーイみたいな?

 

だってほら、チャンミンさんだって、私の気持ちを確かめる前に首とかおでことかに、キスてきたし、抱きついてきた時もあったんだし。

 

ホンモノのキスだって、告白する前にしたんだし!

 

そうだ!

 

大人の男の人は、こういう生き物なのだ!

 

そして...ユンさんは私の恩人なのだ。

 

憧れの人であることは、今も変わりがないのだ。

 

そのせいなのか、不思議なことにユンさんのキスに嫌悪感を抱いていない。

 

ビックリして石になってしまうのは、身体だけじゃなく心も同様だから、ときめかない。

 

ドキドキしなかったのなら、ユンさんのキスはセーフなのか?

 

そうであっても、彼氏以外のキスを許す私は、ふしだらな浮気者だ!

 

(あ...れ?)

 

いつまで経っても、キスは落とされない。

 

そうっと目を開けると、鼻の先が触れんばかりに接近したユンさんの顔があった。

 

目が笑ってる。

 

「考え事は終わった?」

 

「へ...?」

 

ユンさんは傾けていた上半身を起こすと、エレベータの反対側の壁にもたれた。

 

空気が動いて、ユンさんのいい香りがふわりと遠のいた。

 

エレベータは既にアトリエの階に到着していて、扉が開いたままになっている。

 

「民くんに恋人がいると知って、妬けてしまってね。

意地悪をしてしまった」

 

「はあ...」

 

あっけにとられた風の私に、「怒ってる?」と尋ねた。

 

首を左右に振ったのは、実際、腹を立てていなかったからだ。

 

「職業柄のせいだね。

これまで百人以上のモデルに、手取り足取りポーズを指示した。

何千時間も...何万時間かな?...ヌードの彼らを前にしてきたせいもあるね。

だから、スキンシップに抵抗がないんだ」

 

「...私には抵抗があります」

 

「そうだろうね。

悪かったね。

深い意味はないから、安心していい」

 

そう言ってユンさんは、私の頭をポンポンと叩いた。

 

「降りようか?」

 

ユンさんは閉まりかけたドアを押さえ、私を先に降ろした。

 

エレベータ前に立ちどまった私を追い越して、アトリエへと先立つユンさんの...広い肩幅と背中を覆う艶やかな黒髪を、観察していた。

 

チャンミンさん以上に長身で、逆三角形のがっちりとした後ろ姿。

 

違うなぁ。

 

チャンミンさんの場合、私と姿形が似ていることもあって、身体つきから『男らしさ』を感じることは、あまりないのだ。

 

自分の体形が、女性らしさが欠如したものなせいもある。

 

贅沢なことに、私の身近に2人の男性がいる。

 

タイプの違う2人の男性。

 

一人は憧れの人、もう一人は好きな人。

 

一人は恩人、もう一人は恋人。

 

「そうだ!」

 

ユンさんは振り返った。

 

「俺からのアドバイス。

恋愛を長続きさせるにはね...」

 

「?」

 

「嘘も方便だ。

全てを正直に伝えることが、必ずしも誠実な姿勢だと言い切れない。

相手のことを思うのなら、真実を歪めることも必要だよ」

 

ユンさんは、この前のことを言っているのだろう。

 

「でもね。

隠し事はいけないよ。

嘘と内緒は違う。

後ろめたい内緒ごとは、早いうちに打ち明けておいた方がいい。

時間が経てば経つほど、相手に与える傷は広がる一方だ」

 

ユンさんの言葉がよく理解できない。

 

嘘と内緒...。

 

私は男の人のことがよく分からない。

 

誰かとお付き合いすること自体が初めてだ。

 

頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

翌々号の打ち合わせも兼ねていたため、ライターのエムさんとの打ち合わせは2時間にも及んだ。

 

エムさんからの告白を受けた後、リアとの恋愛にかまけていたおかげで、仕事上の付き合いは以前と変わらずに済んだ。

 

交際を断られたからといって、エムさんの態度もこれまで通りだったため、僕の中の彼女の好感度は高まった。

 

次回の打ち合わせ日程を決めると、エムさんは帰っていった。

 

 

自分で言うのもなんだけど、恋愛において僕はなかなかの優等生だと思う。

 

他の女性によろめくことがほとんどない点が、カノジョに対して誠実だったと自負している。

 

エムさんに告白された僕は、嬉しいよりも困惑していた。

 

エムさんは可憐な美人で、その時の僕がフリーな立場だったら、迷っていただろう。

 

でも、当時の僕にはカノジョがいたし、よそ見する余地はゼロだった。

 

カノジョを前に、僕が見たいものしか視界に入れないところ、見たくないものはとことん視界に入れないところ。

 

...「カノジョにはこうあって欲しい」と願いが強すぎるあまり、例えばリアのように、浮気をされていたことに気付かない愚鈍なところが僕にはある。

 

でも...民ちゃんに対しては、「こうあって欲しい」と望むものは何もない。

 

民ちゃんは民ちゃんでいて欲しい。

 

この点が、これまでの恋愛と違うところなんだなぁ...なんて、しみじみ考えながら民ちゃんを待っていた。

 

(来た!)

 

巨大時計の円柱柱にもたれた僕をいち早く見つけて、民ちゃんはずんずんと早歩きで近づいてくる。

 

口元がふにゃけてしまうのを、ぐっと堪えた。

 

一方、民ちゃんはきりっと引き締めた表情で、僕に狙いを定めてずんずんと歩いてくる。

 

黒のブルゾンに白いシャツ、黒のパンツに、白いトートバッグ。

 

そうだ、民ちゃんに洋服を貸してあげないと。

 

「お待たせ、です」

 

敬礼でもしかねない真剣な言い方が面白い。

 

「10分遅刻をしてしまいました。

ごめんなさい」

 

僕の機嫌を探る上目遣いが可愛らしい。

 

「大丈夫。

僕もついさっき、来たところだから」

 

30分待っていたことは内緒だ。

 

「今日は...何食べようか?」

 

小洒落たところじゃなく、メニューが多くて低価格帯の大衆居酒屋にしようと予定していたのだ。

 

「チャンミンさんちで食べましょう!」

 

「へ?」

 

「デパ地下でいろいろ買って、チャンミンさんちで食べましょう!

...嫌ですか?」

 

「嫌じゃない。

そのアイデア、いいね」

 

駅に隣接したデパートへと、民ちゃんに手を引かれていったのだった。

 

そうかぁ...お家デートかぁ。

 

 

(つづく)

 

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