~ユン~
事故に遭ってショック状態が続くのかと予想していたところ、意外にケロッとしている民に感心した。
この子はなかなか肝のすわった子だぞ、と。
獲物を前にしていざ行動に移すまでに、これほど時間をかけることになるとは。
俺らしくもない。
慎重になっていたんだな。
民を見舞った病室でのことだ。
民を怯えさせたり、とりこにさせた挙句に容赦なく切り捨てた後、彼を嘆き悲しませたくない、と身構えたのだ。
とは言え、俺の中の欲情はそろそろ抑えがきかなくなってきたようだ。
急な仕事が割り込んできたせいで後回しにしていた、民をモデルにした作品に一刻も早くとりかかりたい。
タイトなパンツに包まれた民の尻に、どうしても視線を注いでしまうのだ。
午後には、通販カタログの次の号の打ち合わせのスケジュールが入っている。
よし、打ち合わせ場所はここにしよう。
チャンミン君と民を2人並べてみよう。
ついでにスケッチをとらせてもらおうか。
「ユンさん?」
考えにふけっていたせいで、作業する手が止まっていた俺は、民に呼ばれて顔を上げた。
俺の手元の下で、土台を支えていた民の顔がすぐ間近にある。
俺の腕が、民のうなじに吸い寄せられるように動いた。
そして、民の唇を俺のもので覆う。
「ユ...!?」
民の身体がびくりと震えて、硬直する。
もう片方の手で民の手首をつかむと、俺の方に引き寄せた。
一度唇を離し、角度を変えてさっきより柔く押し当てた。
民の身体から力が抜けた。
口づけながら、大きな目を縁どる長いまつ毛が、羽のようにまばたきするのに見惚れた。
引き結ばれた唇の感触から、「キスに慣れていない」ことが伝わってくる。
息継ぎされないよう、俺の頬で民の鼻を覆う。
「んっ...」
つかんだ民の手首から抵抗を感じる。
「んんっ...」
苦しくなった民が、俺のキスから逃れようと小刻みに首を振っている。
だが、俺はうなじに置いた手に力をこめて、それを許さないのだ。
「んっ...」
空気を求めて開いた唇の隙間から、舌を侵入させた。
「んんー!」
喉奥に引っ込んだ民の舌を引き出そうと、彼の口内をかき混ぜた...。
「!」
どん、と胸を突かれて後ろによろめいた。
さすが男の力だ。
俺の束縛から逃れた民が大きくあえいで、涙ぐんだ目で俺を睨んでいる。
「...ユンさんっ...」
俺は無言で、眉間にしわを寄せた民から目を反らさない。
息が整いつつあると、俺の様子に不安になったのか、民の表情が俺を窺うものに変わってきた。
「民くんは今、恋人はいる?」
「え...?」
俺の問いに答えるまでに、数秒あった。
おや、と思った。
「...います」
「俺とキスしても...構わないよね。
黙っていればいいことだ」
「...よくないです」
民はふるふると首を横に振った。
「ユン!」
アトリエから居住エリアを繋ぐドアが開き、俺を呼ぶ声が。
舌打ちをした俺は、早足でドアが開ききる前に押さえた。
アトリエには絶対に顔を出さないよう、常々念を押していたのに。
「一旦、休憩にしようか。
15分くらい待っててくれる?」
民にそう言い置いて、ドアの向こうに俺は消えた。
「ユン...。
ねぇ」
俺となかなか別れたがらない女。
甘い顔を見せていたらこの有様だ。
俺にしなだれかかる彼女の手を引いて、アトリエを後にした。
先ほどのキスを思い出し、民の顔は熱くなる。
その時に身動きできなかった自分、抵抗しきれなかった自分をはしたなく思うのだった。
(どうしよう。
ユンさんとキスをしてしまった...!
私にはチャンミンさんがいるのに...いるのに...。
浮気だ!
私ったら、浮気をしちゃった!
どうしよう!)
民はポケットの中から携帯電話を取り出した。
(ユンさんへの気持ちは...憧れだ。
その気持ちは今もある。
ユンさんへ恋愛感情はあるかどうか問われれば...ない。
だって、昨夜確信したのだから。
恋愛感情というのは、チャンミンさんに対して抱くものなのだ。
ユンさんは...。
田舎を出てくる背中を押してくれた人、私を雇ってくれた人。
いろんなきっかけを作ってくれた人。
感謝しているし、才能豊かで尊敬している。
凄いなぁと見上げるだけの人。
憧れの人だからこういうことをされると、困ってしまう)
動揺した気持ちを落ち着かせようと、昼時に届いたばかりのメール...チャンミンからの...を表示させ、その文面を何度も読み返す。
『今夜、一緒にご飯を食べに行こう。
待ち合わせはどこにする?』
じん、と胸が熱くなったが、先ほどの行為を思い出して、ずんと気持ちは盛り下がった。
(チャンミンさんとさえ、あんなキスはしたことがないのに...!
まだ2回しかしていないのに...!
ユンさん、酷いよ。
私の反応を見ようと面白がっているみたいだ)
「...でも」
(ユンさんは黙っていれば分からない、って言ってた。
...そうしよう。
チャンミンさんに報告する必要は...ないよね。
私は嘘つきでずるい)
(つづく)
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