(28)NO?-第2章-

次の言葉を探しているのか、口に出すのを迷っているのか、民の口は何かを言いかけて開いたままだ。

視線はチャンミンを通りこしたところにある。

チャンミンは「...似てるよなぁ...唇の形がおんなじだ」と民の口元に注目していた。

 

「...チャンミンさん」

 

民は視線をチャンミンに戻すと、コホンと咳ばらいをひとつした。

「チャンミンさんは分かりやすくて正直な人です」

 

チャンミンはここで、振り返ってみるのだ。

民の言う通り、彼女を前にしていると、チャンミンは素直でいられるのだった。

 

「...民ちゃん?」

 

(民ちゃんのことだから、面白い例え話や僕をからかう言葉が飛び出してくると予想していたけど...どうやら真面目な話なようだ)

 

「褒めてくれる時は本心で言って下さっていますよね?」

「もちろん!」

断言するチャンミンに、「よかったです」と民はにっこり笑った。

 

「チャンミンさんは私よりうんと大人です。

正直に伝えても大丈夫な時は正直でいてくれます。

変なことは変だって、はっきり教えてくれるでしょう?

さらに言えば、私を気遣って本当のことを伝えるのを遠慮するとか、出来る人だと思います。

正直の使い分けができる人です」

 

チャンミンはピンときた。

昨日の自分の発言に、民がひどく気にかけていることを。

「昨日、チャンミンさんは言いましたよね?

正直でいることは必ずしも誠実ではない、という意味のことを」

 

(...やっぱり)

 

民にユンのことが好きだったと打ち明けられ、チャンミンは嫉妬のあまり大人げないほど苛立ちを見せた。

そして、「打ち明けられる者の気持ちを考えろ」と民を責めたのだ。

「あれは...僕が言い過ぎただけだから」

 

民は、内緒にしているのが辛くなったからと言って、チャンミンに...それも大好きな彼氏に正直に打ち明けてしまった自分を反省していた。

 

(“私たちふたりは、ユンさんのモデルを揃って務めるようになりました。

チャンミンさんとは何でもないフリを続けるのも不自然だし、私はお芝居が苦手です。

代わりにチャンミンさんの口から、私たちの関係を知らせて下さいませんか?”

...とかなんとか、言えばよかったんだ)

 

「私、『彼女』らしいことが出来ません...どんな風に振舞えばいいのか分からないんです。

チャンミンさんのおうちに住んでいた時みたいなノリに、なってしまって...」

 

チャンミンはふっと息を吐くと、民の頭に手をのせた。

 

「昨夜はごめん。

僕に気を遣ったりしないで、思ったことは何でも話していいんだからな?」

 

(そう言ってくれるけど、ユンさんのキスとかリアさんのこととかは絶対に内緒だ!)

 

(民ちゃんが気にしぃだとは知らなかった。

大胆で神経が太い(ちょっとだけ無神経)子だと思っていた。

案外、繊細なんだな(民ちゃん、ごめん)

 

民ちゃんに吐き捨てた言葉は、そっくり自分に言いたい。

彼女への発言は気を付けないと。

彼女相手なら何を言ってもいい、と甘えていたのは僕の方だったかもしれないな)

 

 

見た目は悪いけれど、味付けは完璧なスクランブルエッグを食べ終えると、チャンミンは立ち上がった。

 

「じゃあ、帰るね」

いよいよ呑気にしていられない時間になったのだ。

「はい。

いってらっしゃいです」

チャンミンは靴を履き終えると、玄関先まで見送りに立った民と向かい合った。

 

「......」

「......」

(こ、これは...!)

 

この後の展開を読んだ民はカチコチに硬直してしまい、そんな彼女の様子にチャンミンの瞳が熱っぽく光る。

チャンミンは民の後ろ髪に指をもぐりこませた。

チャンミンの顔が傾いだのを認めると、民はぎゅっと両目を閉じる。

身長180㎝超えの民だから、チャンミンは身をかがめる必要はない。

ないけれど、民のうなじと腰を引き寄せて、キスのリードをとっているのはチャンミンの方だった。

今のキスは、これまでよりもわずかに、民の唇に押し付ける圧が強かった。

 

「...っ...」

 

民の唇が緩んだ隙をつき、チャンミンは舌先を彼女の中へと忍び込ませた。

そして、民の舌をくすぐって拒否されないのを確かめたのち、より深く口づけた。

 

「!!!」

 

(こ、こ、こ、こ、これは...ディープキスってやつですか!?)

 

民にはチャンミンの背に腕を回す余裕はない。

指はかぎ型に曲げられて、宙で一時停止している。

閉じていた眼はまん丸に見開かれてしまっている。

引っ込んだままの民の舌をかき出そうと、彼女の口内を探りかけた。

 

(キャーーーー!)

 

「...まだ、早いよな」と思い直して、民の舌をくすぐるだけで我慢したのだった。

 

 

「チャンミンさん!」

 

呼び止められ、歩き出した足を止めて振り返った。

キスの余韻で民の顔は湯気が出そうに真っ赤なままだ。

 

「ユンさんのこと...お願いします!」

「うん。明後日...じゃなくて明日、打ち合わせで会うんだ。

その時に絶対に」

「よかった...」

 

民はサンダルをつっかけて廊下へと出てくると、チャンミンの方へと近づいた。

そして、チャンミンの耳たぶをぐいっと引っ張った。

 

「いでっ!」

「...チャンミンさん」

耳元で囁かれ、チャンミンの首筋に鳥肌がたつ。

「ご希望の紐パン、穿きますからね」

「!!」

「楽しみにしていてください。

1週間後ですよ~!

今日も一日、お互い頑張りましょう~!」

 

(民ちゃんったら...はあぁ...。

雰囲気次第にしようと言ったばかりなのに...。

『恋人ごっこ』をした時、僕がでっちあげた話の影響をもろに受けたままだ。

...僕は全然、構わないけれど)

 

階段を駆け下りたチャンミンは、「こんな感じ...くすぐったいな。朝帰りか...」とにやけ顔で、民のアパートを見上げたのだった。

 

(民ちゃんのことだ、前もってアレを用意してきてたりして...あり得ない話じゃないな。

いや...ああいうものは男の僕が準備すべきだ)

 

クスクス笑っていると、通りすがりのOL風がチャンミンを気味悪がって、反対側の歩道へと移ってしまった。

 

(...民ちゃん...初めてなんだよなぁ...)

 

家を出るべき時間まで20分ほどしかないこと気づき、チャンミンはアパートまでの数百メートルをダッシュした。

 

 

気持ちを確かめ合い、沢山キスをしてひとつの布団で眠り(何もなかったが)、これで二人の小さな衝突は無事解決した。

けれども、小さな問題点がそれなりに残っている。

第3者から見ればささいな事柄でも、初々しい二人にとって関係性を揺るがす事件になってしまう時期でもあった。

 

(つづく)