待ち合わせ時間10分前には駅に到着し、チャンミンは商用車の中でエムを待っていた。
この後の事を思い、チャンミンの頭はフル回転だった。
婉曲に、簡潔にして確実に伝わる言葉のセレクト、話の出だしから締めくくりまでの順序だてまで、会話のシミュレーションをしていたのだ。
ひと言でまとめるとこうだ。
「民の恋人は僕だ、彼女にちょっかいを出すな」
常識的に考えて、そう親しくもない者に...特に仕事上の関係者にプライベートをさらす行為は社会人としてどうなのか、とチャンミンは思っていた。
ところが、ユンが関わっているとなると話は別だった。
(普通に考えても、『あなたの従業員と僕は交際しています』と報告する不自然さと言ったら...。
『いくら私が民くんの雇い主だからと言って、民くんの私生活に足を踏みこむことはできません。
民くんの自由です。
わざわざ教えていただかなくても結構でしたのに。
え、私が民くんを?
ハハハハハ。
なぜ、そう思われたのです?』
ここで僕は何と答えれば、墓穴を掘らずに済むか...)
ユンがチャンミンを見る時の常である、わずかに笑みを含んだ余裕ある表情を思い出して、チャンミンの緊張を高めた。
(僕は普通のサラリーマン。
ユンは才能豊かなアーティストで、成功者だ。
年齢も上。
自信満々の態度と、男女問わず恋愛経験も多そうだ。
はあぁ...男としての器のサイズは、圧倒的にユンが上なんだ。
僕なんて比較するに値しないな...ははは)
思案にくれるチャンミンだったが、決して怖気付いてなどいなかった。
自分の分身とも言える、大切な彼女...民の為なのだ。
民にちょっかいを出すユンの姿を想像するだけで、はらわたが煮えくり返りそうになる。
(落ち着け、チャンミン。
感情任せで迫ったらいけない。うまい筋運びで挑まないと鼻であしらわれて済んでしまう。
そう言えば今日、エムさんがいるんだった。
正直言って...邪魔だ。
でも、承諾してしまった僕が悪い。
彼女だけ先に帰ってもらおう、そうしよう)
10分遅れで到着したエムに、チャンミンは考え事に没頭するあまり、気付けずにいた。
この日のエムは、淡いピンク色のショートコートに、同じく淡い色合いのニットとスカートを合わせた、女性らしい装いだった。
大きく手を振っても一向に気づかないチャンミンに、エムは運転席側に回り、窓をノックした。
その音に飛び上がるチャンミンは、エムの姿を認めると照れ笑いした。
その笑顔に、エムの胸は高鳴った。
チャンミンの「ひょっとしてエムさんは...」の予感通り、エムは彼に恋をしていた。
やりとりの大半は電話やメールで済んでしまうため、エムがチャンミンと顔を合わせる機会は本来、少なくて済む。
それでは都合が悪いエムは、チャンミンと関わる機会を増やす為、対面での打ち合わせを大切にしたい主義を宣言していた。
それに従い、チャンミンはエムとのアポイント...ひょっとしたらアーティストよりも多く...に多くの時間を割いていた。
(予定が合わず、後輩Sを代役に立てると、彼では話にならないと、結局はチャンミンとの再打ち合わせが必要になった)
ユンがこだわりが多くて気難しいアーティストだったおかげで、インタビューの同行をお願いしたり、事前事後打ち合わせ、校正等、わざわざ口実を作らずとも、チャンミンに会えたのだ。
今年度版の原稿も残り2号分となり、縁が切れる前に行動に移さなければと思っていたところ、来年度版の契約も決まったことで、エムは機嫌がよかった。
今日の件についても、ユンのオフィスまで足を運ぶ必要はなかった。
「ごめんなさい...遅くなってしまって」
しきりに謝るエムに、チャンミンは「大丈夫ですよ。ユンさんとの約束までまだ時間がありますから」と答えた。
「じゃあ、行きましょうか?」
エムがシートベルトをしたのを確認すると、チャンミンは駅ロータリーの送迎車レーンから車を出した。
(打ち合わせの後、カフェにでも誘おう)
エムはチャンミンに気づかれないよう、ハンドルを握る彼の精悍な横顔を見上げた。
フロントガラスを透かして降り注ぐ晩秋の陽光に、目を細めたチャンミンの長いまつ毛に見惚れた。
思い切ってショート丈のスカートを穿いてきてよかった、とエムは思った。
エムは薄いストッキングに包まれた太ももが見えるよう、スカートの裾をわずかに上へとずらした。
(以前は断られてしまったけれど...今度こそ。
クリスマスまでには...!)
エムの想いなど露知らず、チャンミンはユンとの打ち合わせ内容と、その後の対決、帰社してからのやるべきリストをおさらいしていた。
(つづく)