(35)NO? -第2章-

 

~民~

 

「リアさん...を?」

 

ユンさんのお願い事にリアさんの名前が出てきて、どうして私が彼女を車で送っていくことになるのかわけが分からない。

いくら上司の命令だったとしても、確執のある(チャンミンさんと)リアさんと一緒に行動するのは気がすすまなかった。

 

「ああ、あいつを外に連れ出して欲しいんだ」

即答できずにいる私の頭を、ユンさんはくしゃりと撫ぜた。

 

(...あ、距離が近い)

 

「すまないね。

本来は俺の役目だね。

近頃のあいつは引きこもりがちでね、たまに外に連れ出していっているんだ」

 

「...引きこもり...?」と問う視線を投げかけると、ユンさんは「精神的に不安定なんだ」と答えた。

「そう...ですか」

 

ユンさんは、リアさんとは別れた、と話していた。

リアさんは元恋人のユンさんの部屋に住み続け、ヒステリックにユンさんにつかみかかっていた。

リアさんは別れたくない、ユンさんは別れたつもりでいる。

二人のゴタゴタに巻き込まれそうな予感と、手の平に乗せられた、ずしりと重いキーがプレッシャーだった。

 

「連れ出すってどこがいいでしょう?」

「民くんが行きたいところでいいよ。

リアは買い物が好きだから、デパートに連れてゆけばあいつはご機嫌だ。

支払いはこれを使って」

と、手渡された真っ黒なカードに緊張した。

 

「車...ぶつけてしまうかもしれませんよ?」

気がすすまない私の腰に、ユンさんは手を添えた。

 

(やっぱり...近い)

 

「そんなこと...直せばいいことだ。

さあ、客が来てしまう。

すぐに出かけた方がいい」

 

そして、チャンミンさんの顔を見る前に、私はアトリエを追い出された格好になった。

かつての私は、自分の意のままに操るユンさんの強引さから大人の余裕と男らしさを感じていた。

今はどうかなぁ...ちょっと違うと感じるようになったかもしれない。

例のお願いごとについて、連絡を入れないと。

私は地下駐車場の車止めに腰を下ろし、チャンミンさんへ送るメールを作成し始めた。

ユンさんへの交際宣言は、よくよく考えると大人げない行動だ。

私が毅然としていればいい話なのだ。

男性と接する経験が少ない私は、スキンシップの度合いが不適切なものかの判断が難しかっただけ。

ユンさんの鋭い眼光に射られると、私は身動きできなくなることもある。

だからって、頬を撫ぜられたり、腰を抱かれたり...ドキドキときめいていた自分の馬鹿馬鹿。

ユンさんが好きだったから、嬉しかったんだもん。

今の私は違う。

大本命の人がいるのに、他の男に身体を触れさせるなんて!!

 

...心もそうだ。

 

私の心はユンさんで染まっていた時期があった。

チャンミンさんが腹をたてても当然だ。

ごめんなさい、チャンミンさん。

キ、キ、キ...キスされたことは、絶対に内緒にしますからね。

 

 

『交際宣言の件は、中止でお願いします。

その理由は今夜話します』

 

送信。

 

『勝手に決めてしまってごめんなさい。

今夜、会えますか?』

 

送信。

 

『チャンミンさんの部屋にします?

私の部屋でもいいですよ。

夕飯はどうします?』

と打った文章は削除した。

 

打ち合わせ前に読んでもらうメールに、夜のお誘いの内容は相応しくないと気付いたのだ。

携帯電話をポケットにしまい、スロープの先を見守った。

あと5分もしないうちにチャンミンさんが来る。

ドキドキする。

 

「......」

 

ここで私は思い出した。

 

(リアさん!!)

 

チャンミンさんとリアさんを、ばったり鉢合わせるわけにはいかない!

エレベータの方を振り返った。

階数表示ランプは7階のまま止まっている。

どうかリアさん、着替えとお化粧にもっともっと時間をかけてください。

 

「...あ!」

 

チャンミンさんの会社名の入った白のワゴン車が、スロープを下ってきた。

ヒヤヒヤドキドキ。

車は来客用のスペースに滑り込んだ。

 

(おー!

運転してるチャンミンさんは初めてかも。

ドキドキ)

 

なぜだか私はユンさんの車の陰に隠れて、車を下りるチャンミンさんを覗き見た。

恥ずかしさのあまり。

後部座席からバッグと書類ケースを取った。

 

「...はぁ...」

 

(スーツ姿のチャンミンさん、カッコいいなぁ)

 

私の中でいたずら心が湧いてきた。

突然飛び出して、脅かしてやろう。

 

「チャ...」

 

1歩飛び出して、後ろへ飛び退った。

 

(女の人だ!!)

 

チャンミンさんに続いて、若い女性が助手席から下りてきたのだ。

私が絶句したのは、その人が可愛らしく綺麗な人だったから。

 

(同じ会社の人かな)

 

淡い色味のコートに膝の見えるスカート、ゆるく巻いたセミロングの髪。

リアさん登場の心配どころじゃなくなった。

ヒヤヒヤドキドキしていた心が一転、モヤモヤ暗雲垂れこめた。

小首をかしげてチャンミンさんを見上げる彼女の仕草に、とてもとても嫌な感じがしたのだ。

 

(つづく)