(36)NO? -第2章-

 

~チャンミン~

 

アポイントメント15分前に、ビル地下の駐車場に車を停車させた。

後部座席から荷物を取った僕は、エムさんが降りるのを待った。

 

「...チャンミンさんっ」

 

僕を呼ぶエムさんの声に助手席を覗き込むと、彼女はシートベルトを外すのに手こずっているようだった。

 

「ごめんなさいっ...固くって」

「おかしいな...引っかかってるのかな?」

「はめる時、固かったから...」

「手を離して下さい」とお願いしても、エムさんは留め具を握りしめたまま離さない。

「僕に任せて」

 

エムさんの手首をつかんで除け、ベルトを緩めたのち、ボタンを強く押した。

 

「外れた...!」

留め具はあっさり外れた。

「あら...。

私のやり方がおかしかったようですね」

エムさんは頬を赤らめて照れ笑いしていた。

 

彼女に近づいた時、ふわりと甘くて華やかな香りがして、「悪くない」と思いかけた。

でも...民ちゃんとエムさんを比べるつもりはないけれど、やっぱり僕は香水を一切つけない民ちゃんが好きだ。

せいぜい柔軟剤の香りがする程度で、ミルクみたいな甘い体臭。

特に耳の下。

すん、と香りの記憶を呼び起こす僕...変態っぽいな。

おっと。

今は勤務中だった。

大好きな彼女を想って緩んでしまった頬を、引き締めた。

 

 

エントランスへ向かわずとも、ユンのオフィス直通のエレベータが駐車場奥にある。

このビルは、住居兼オフィス兼、アトリエとしてユンが所有している。

リアとの交際期間中、彼女の方が収入が多くても、気にならなかった僕だった。

ところが、ユンに片想いしていた過去を民ちゃんからカミングアウトされて以降、男のプライドみたいなものが顔を出し始めた。

対抗意識を燃やしても、ユンの財力や才能のけた違いさに、勝負にならない。

それでも、ユンと自分とを比較してしまうのだ。

僕は一介のサラリーマン。

この格差に自信を失ってしまう。

 

「はあぁ...」

 

ユンを牽制するための交際宣言を受けて、彼は鼻で笑うだろう。

「なぜ、私に知らせる必要があると思われたのです?」と。

 

やる気がしぼみかけた僕は、喝をいれるために頬をパシパシ叩いた。

民ちゃんの顔を見るのが怖くて、メソメソと料理に勤しんでいたカッコ悪い男に戻りたくない。

 

「チャンミン...さん?」

 

挙動のおかしい僕を、エムさんは訝しげに見上げていた。

「眠気を払っているんですよ」と誤魔化した。

 

びっかびかの高級外車の脇を通り過ぎた。

ユンの車だ。

 

(僕の年収3年分でも買えやしない...はあぁ)

 

「キャッ」

 

エムさんの悲鳴に、先を歩いていた僕は振り向いた。

 

「!!!!」

(民ちゃん!)

 

僕とそっくりの顔で、目を真ん丸にしている。

ユンの車の真後ろにしゃがみ込んでいたのは、民ちゃんだった。

僕の訪れを待ちきれずに出迎えに来たのかな、と己惚れの思いがすぐに浮かんだ。

民ちゃんはしゃがんだ姿勢のまま僕を見、僕の右隣を見た。

エムさんも目を丸くして民ちゃんを見、隣に立つ僕を見上げた。

 

「...ご兄弟?」

 

ワンテンポ遅れて、僕と民ちゃんが双子以上に似ていることを思い出した。

初対面同士の民ちゃんとエムさんから、紹介を求められていた。

 

「チャンミンさん...双子のご兄弟が?」

僕の答えを待たずに、「いーえ!」と民ちゃんは尖った声で否定した。

 

「他人です。

とても似ているでしょうが、赤の他人です!」

 

民ちゃんは立ち上がると、パンツのお尻を払った。

今日の民ちゃんは白いトレーナーと黒のパンツ姿で、彼女らしいシンプルな装いがよく似合っていた。

第3者がいる場で、不意打ちに顔を合わせた恋人ほど照れくさいものはない。

民ちゃんを正視できず、隣のエムさんの反応に注意を払っていた。

 

「双子じゃないです!」

 

民ちゃんは機嫌が悪いらしく、ギロ、と僕を睨むのだ。

 

(何を怒っているんだろう?)

 

「まあ...とても似ていらっしゃる」

エムさんはつぶやいて、僕と民ちゃんを交互に見た。

 

「...で?」

 

小首を傾げたエムさんは、恐らく僕と民ちゃんとの関係を紹介して欲しいのだろう。

 

「え~っと、こちらはエムさん。

カタログの仕事を依頼しているんだ。

フリーのライターさんだ」

「初めまして」

 

エムさんは小首を傾げて、民ちゃんに向けてほほ笑んだ。

(彼女の癖らしい。打ち合わせなどで1対1で会っていた時には気づかなかった)

 

(あ...れ?)

 

民ちゃんの眉間と顎の下にシワが寄っている。

 

(怒っている...なぜ?)

 

「で、こちらは...」

 

「初めまして!

民と言います!」

僕の言葉は民ちゃんに遮られた。

 

「よろしく...しません!」

 

(民ちゃん!!!!)

 

「じゃ!

私は忙しいんで!」

 

僕とエムさんを残して、民ちゃんはずんずんとエレベータの方へと行ってしまった。

放っておけなかった。

 

「エムさん、ごめん。

ちょっと待っててくれるかな?」

そう言い置いて、僕は民ちゃんを追いかけた。

 

(民ちゃん、どうしちゃったんだよ!)

 

(つづく)