~君は女の子~
~チャンミン~
洗面所からタオルを持ってきて、民ちゃんの頭を包み込んだ。
濡れた前髪を耳にかけてやると、キリっとした眉の下のまぶたが優しいカーブを描いて閉じていた。
扇形に広がった民ちゃんのまつ毛がわずかに震えて、僕の指が思わず止まる。
純粋に、綺麗だと思った。
僕の寝顔もこんな感じなんだろうか。
眠りについた自分の顔なんて、写真でも撮らない限り見ることは出来ない。
緊張の解けた民ちゃんの寝顔は、あどけなくて、想像以上に可愛かった。
この寝顔は民ちゃんのものだ。
民ちゃんのことを、第三者の視点で観察しながら「似てる」と面白がっていたけれど、今はもう、民ちゃんは鏡に映した僕じゃない。
リビングですってんころりんした民ちゃんの、真ん丸の目ときたら...。
くすくすと、思い出し笑いがこぼれてしまった。
民ちゃん、君は最高だ。
僕は床に腰を下ろし、飽きもせず民ちゃんの寝顔を見続けた。
民ちゃんの頬に、僕の頬が自然と吸い寄せられた。
3センチの距離で、僕の心は大きく揺れたのだ。
甘い香りがする。
眠っている隙を狙って...なんて...駄目だよね。
頬にするだけなら...許されるよね。
迷いに迷って、そっとかすめるだけのキスを落としたのだった。
「はあ...」
何やってんだ、自分?
しかし、困ったな。
布団を敷いてあげたいけれど...。
三つ折りにした布団に民ちゃんの上半身がもたれかかっている。
民ちゃんをどかしたいけど...。
身長が高いせいで太ももがむき出しになっていて、ぞんざいに巻いただけのバスタオルが頼りない。
困った!
困ったぞ!
女性の裸なんて初めて見るわけじゃないのに...。
今夜の僕は、民ちゃんの裸をこれ以上見るわけにはいかない!
再び僕の下半身に血流が集まってきた。
マズイって!
気持ちよさそうに眠っているのを、起こしたくないんだけどなぁ。
「民ちゃん、起きて」
肩を揺する。
「う...ん」
「民ちゃん!」
もっと肩を揺する。
「う...ん」
民ちゃんの頭がぬーっと持ち上がった。
目をつむったままボーっとしている隙に布団を敷いた。
「ぐー」
「あ!
こら!
寝るな!」
首をもたげて座ったまま、眠ってしまった民ちゃん。
「もー、世話が焼けるんだから!」
床にタオルケットを敷いて、その上に民ちゃんを横たえた。
バスタオルがずれて民ちゃんのお胸が、目に飛び込んできたけど、これは事故だ、仕方がない。
さすがに服を着せてやるわけにはいかない。
ぼわーんと、民ちゃんにパンツを履かせ、ブラのホックをはめてやるイメージが浮かんだけど、首を振って消去した。
(こらー!)
タオルケットでぐるぐるにす巻きにした民ちゃんを、敷布団の上まで引きずった。
(身長が身長だけに...それ相応に重い...)
ぐるぐるにす巻きにされた民ちゃんを見下ろして、僕は深い深いため息をついた。
気持ちよさそうに寝ちゃってさ、全く。
民ちゃんの裸に反応したりしたら駄目じゃないか!
今夜の僕は...抜く必要があるな。
以上が、プチハプニングの顛末だ。
・
Tから電話があった。
『民の奴、仕事決まったんだってな』
相変わらず声が大きい。
「ああ。
民ちゃん、喜んでるよ」
『町に出てくるって聞いた時は、大反対したんだ。
あいつは頑固だから、言い出したらきかないからな。
仕事が決まって一安心だ』
「しっかりした子だと思うよ。
(抜けてるところも多いけど)」
『チャンミン、ありがとうな。
お前のおかげで助かった』
「大したことはしていないよ」
『とっとと住むとこ探させるからな。
...だがなぁ、民は騙されやすいところがあるからなぁ。
面倒ついでに、アパート探しを手伝ってやってくれないか?』
僕の部屋に住んでもらってもいいから、と。
そう言えなくなってしまった事情が悔しい。
『1階は駄目だぞ。
見た目はあんなだが、一応女だからな。
営業マンにのせられてほいほい決めてきそうだから、チャンミンがジャッジしてやってくれたら助かる』
「僕が見張っておくよ」
互いの近況を報告しあった後、Tとの通話を終えた。
仕事と住まいを決めたら民ちゃんは出て行く。
MAXで1か月。
そういう約束で、民ちゃんを迎い入れた。
あっという間に仕事を決めてきた民ちゃんの次の行動は、アパート探しか。
民ちゃんに出て行ってもらったら、僕は困る。
あんなに面白い子と暮らせたら、毎日笑っていられそうだ。
抜けてる民ちゃんのことだから、あれこれ僕が世話をしてやることになりそうだけれど、それも楽しいだろう。
・
別れ話のタイミングを計りながら、このことを常に頭の片隅に置いて、ベッドの反対側で眠るリアを横目に出勤した。
業務に追われている間は忘れているが、ふとした時に「そうい言えば」と思い出した。
別れを決心してからわずか数日間で、僕は消耗していた。
ぐずぐずしている自分が不甲斐なかった。
べた惚れだった自分だっただけに、NOを突き付けるには気合が必要だった。
これを解決しなければ、前へ進めない。
一方、民ちゃんの存在は、摩耗した僕の心を癒してくれる。
民ちゃんの初出勤の日も、僕は彼女に洋服を貸してあげた。
その日は、淡い水色のストライプシャツ。
スタンドカラーが民ちゃんのほっそりした首を引き立てて、うん、僕が着るよりずっと似合っていた。
民ちゃんのワードローブは乏しくて、Tシャツが数枚と黒のブラウスが1着あるだけ。
「お洋服を買う余裕がなくて...」と恥ずかしそうにうつむく民ちゃんの頭を、
「ちょっとずつ揃えればいいよ。僕が貸してあげるから」ってポンポンした。
民ちゃんに自分の洋服を着せることを、密かに楽しんでいた。
民ちゃんに洋服を買ってあげたいけれど、兄妹でもない、友人でもない、恋人でもない相手に買い与えるなんてやり過ぎだろうから。
民ちゃんは、僕の親友の妹。
僕らの関係は、それだけのものなのか?
それじゃあ、友達...?
民ちゃんが『友達』?
なんか違う。
同じ姿形をした、僕の分身?
そうだけど、それだけじゃないところが、僕が不思議な感覚を抱いてしまう理由だと思う。
民ちゃんは『兄の友人』、としか見なしていないだろうけどね。
僕のシャツを着て、民ちゃんは張り切って出勤していった。
(つづく)
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