【22】NO?

 

 

~民~

 

 

仕事場へ行くには、正面エントランスのエレベーターを利用する。

 

面接の日に使った黒い扉のエレベーターは、ビルの上階に住むユンさん専用のもの。

 

だってユンさんは、10階建てのこのオフィスビルのオーナーだって。

 

このビルの他にもいくつか不動産を所有しているんだって。

 

凄いなぁ。

 

「一番おいしいのは、田舎の商業施設に駐車場用地を貸すことだ。

税金も安い、面積は広大で、余程のことがない限り貸し続けることができる」

 

ユンさんはそう言ってニヤっとして、その『悪そうな』笑いにしびれてしまった私はおバカさんだ。

 

ユンさんと私が接点を持てたのが、以下の通り。

 

現地の仲介業者さんとの打ち合わせに、私の住んでいた田舎町にユンさんは訪れていた。

 

私はショッピングセンターの電化製品店で、フルタイマーとして働いていた。

 

仕事用のノートPCの調子が悪いからと、急遽買い替えを迫られたユンさんの接客を担当したのが私だった。

 

ユンさんが求めるスペックを聞き取って、適切なものを選び、データ移行と必要とされるソフトのセットアップまで行った。

 

私の仕事ぶりに満足してくれたユンさんは、会計カウンター越しに名刺を渡してくれた。

 

常識的に考えてみても、ホイホイと見ず知らずの、会ったばかりの大人の男性の車に乗るなんて、世間知らずもいいところだ。

 

この顛末を聞いた友人に、

「ホテルに連れ込まれたらどうするつもりだったの?」

「犯罪に巻き込まれたりしたらどうするの?」と叱られた。

 

友人たちの言う通り。

 

でも、私は自分の容姿がどんなだか承知してる。

 

ユンさんは私の性別を敢えて尋ねなかったから、恐らく(いや、絶対に)私のことを男の子だと見なしていたと思う。

 

こんな私をどうにかしたい男の人なんているはずないもの。

 

だから、ユンさんの車に乗っても大丈夫。

 

ユンさんの車の助手席に座ったおかげで、私は今の仕事にありつけたのだから。

 

 

 

 

6階の奥まったところにあるオフィスが私の仕事場になる。

 

ユンさんのスタイリッシュな自宅とは雰囲気が違って、木製の家具とポップなカラーの張地、沢山の観葉植物(私が知っているポトスとかゴムの木とかじゃないものばかり)が温かみを醸し出していた。

 

オフィスの中央に、螺旋階段がある。

 

黒い鉄製の手すりが、ナチュラルポップな雰囲気をキリっと引き締めている。

 

木製パーテーションに仕切られた1角に、ガラス天板の大きなテーブルがあって、椅子が透明で、ここだけが未来的だった。

 

出勤してきたらオフィス内を整える。

 

例えば、打ち合わせテーブルを拭き、掃除機をかけて、観葉植物に水を与える。

 

1階エントランスの花瓶の水を取り替え、自動ドアのガラスをピカピカに磨き、ユンさん宛に届いたメールをチェックし、打ち合わせ等に訪れる方たちへ、お茶を出す。

 

ビルやマンションを所有することで発生する細かい雑事を受け持つのも私の仕事だ。

 

「管理会社に任せていたら駄目だ。

オーナー自らが心配りをしてやる面も持たないと、店子が逃げてしまうからね」

 

と、ユンさんは言っていた。

 

デスクに置いた携帯電話が鳴った。

 

ユンさんは大抵、外出しているか上の階にいるから、用事がある時は電話をかけて私を呼ぶ。

 

ユンさんに呼ばれて螺旋階段で7階へ上がると、ユンさんは「忙しいところ悪いね」って口元だけで笑いながら振り向くの。

 

ユンさんのまっすぐな背筋や、広い背中を見ると思わず抱きつきたくなってしまう。

 

そんな気持ちをグッと隠して、私はユンさんの指示を待つ。

 

ユンさんはいつも白いシャツとチノパンを身に着けている。

 

よくよく見ると、少しずつデザインや素材が違っているから、相当のお洒落さんだな、って感心している。

 

「配合を教えるから、覚えるんだ」

 

と、私の肩を抱いて奥の作業テーブルへ案内した。

 

ユンさんのスキンシップに毎回、ドキッとする。

 

心臓の音がユンさんに聞こえないか心配になるくらい。

 

ユンさんがかがむと艶やかな長い髪が、さらさらと肩からこぼれ落ちて、いい香りが広がる。

 

至近距離の精悍な横顔が眩しくて、心臓が口から飛び出しそう。

 

ユンさんは、身を固くする私に気付いて、「申し訳ない」と手を離す。

 

ユンさんのことが好きな私は、もっと触れて欲しいのに、って残念に思うんだ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「仕事はどう?」

 

夕食後、僕はソファに、民ちゃんはソファにもたれて、のんべんだらりと過ごしていた。

 

2人ともお風呂上がりで、首にタオルをひっかけていた。

 

「頑張ってます」

 

ソーダ―味のアイスキャンディーを舐めながら民ちゃんは答えた。

 

ホンモノの兄妹のように、交際5年のカップルのように、僕らはリラックスしていた。

 

「仕事内容は?」

 

『アシスタント』という響きが怪しかった。

 

「雑用係です。

観葉植物に水をあげたり、電話をとったり。

ひとつひとつは大したことありませんが、やることは沢山あります」

 

「そっか」

 

僕は正面のTVが流すバラエティ番組をよそに、携帯電話を操作していた。

 

『明日、外で食事をしないか?』と、リアにメールを送信していた。

 

「民ちゃん!

垂れてるよ」

 

溶けたアイスが民ちゃんの指に垂れていた。

 

「あー!」

 

慌てて民ちゃんは、指に滴ったシロップをぺろりと舐めとり、角がとれた水色のアイスキャンディーを口に含んだ。

 

「ちゅるっ」と頬張る民ちゃんの口元に、僕の視線は釘付けになって、「ごくり」と喉が鳴った。

 

(こらー!こらー!

何を想像してるんだ!)

 

「あわわわ...」

 

民ちゃんは、軸が抜けてしまったアイスを大きな口で丸ごと受け止めた。

 

きーんとこめかみが痛いのだろう、ぎゅーっと目をつむり、鼻にしわを寄せている民ちゃんが可笑しくて。

 

この時の僕の眼差しは、とても優しかったと思う。

 

民ちゃんは僕に背中を見せていたから、僕がどれだけゆるんだ顔をしていたのか...彼女は知らない。

 

 

 

(つづく)

 

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