~朝帰り~
スーパーマーケットで買い物をした後、チャンミンと民はマンションの部屋に帰宅した。
チャンミンのためらう様子に気付き、民は代わりに玄関ドアを開けてやった。
「ただいまー」
ここでは、チャンミンと民は兄妹(兄弟)だと見なされているので、朝帰りでも全然構わないのだ。
「お留守のようですね」
リビングにも浴室にも、寝室も無人で、リアは外出しているようだった。
泣き疲れて目を腫らしたリアからの恨み節を覚悟していたチャンミンは、拍子抜けした。
(リアが傷ついてボロボロになっている姿を想像してたなんて、うぬぼれも甚だしいな)
2人は休日で、ひとつ同じ部屋で、互いの存在を意識の端に置きながら、おのおのが思い思いのことをして過ごした。
「コーヒー淹れようか?」
読書に疲れて声をかけると、「はいはーい」と民の明るい返事が返ってきて、いそいそと、嬉しそうに冷蔵庫からシュークリームを取り出すのだ。
チャンミンは、こんな感じっていいなぁ、とあらためて思った。
夕食後、カットモデルのバイトに民はでかけて行ってしまい、独り残されたチャンミンは今後のことについて頭を巡らした。
(この部屋を出て行かなければ!
できるだけ早く。
部屋探しを始めよう。
明日にでも)
ぐるりと部屋を見渡す。
巨大なソファ、大画面のTVとTVボード、窓際のプロ仕様のウォーキングマシン、それでもなお広々としたリビング。
チャンミンの1か月分の給料が消える家賃。
(1LDKか2Kあたりの、身の丈にあった部屋にしよう。
一人暮らしに戻るのか...)
チャンミンの食器を洗う手が止まった。
(民ちゃんも部屋探しだ。
Tから頼まれたように、僕がしっかりと見守ってやらないとな。
一人で行かせたら危ない。
面白そうだからって、奇天烈物件に決めてきそうだ。
安いからって、風呂なしトイレ共同のアパートに決めてきそうだ)
チャンミンは食器をすすぐ手を止めた。
(まてよ。
前もちらっと浮かんだアイデア。
いっそのこと、民ちゃんと一緒に暮らすというのは?
民ちゃんの給料なんか当てにしなくたって、立地条件をゆるめれば、うん、いけそうだ)
チャンミンはダイニングテーブルを拭く手を止めた。
(おい!
僕はよくても、民ちゃんの意見を聞いていないじゃないか。
あー、そうだった。
民ちゃんには好きな人がいるんだった。
その彼とめでたく付き合うようになった時、僕と一緒に暮らしているわけにいかなくなるよな。
民ちゃんが彼氏を部屋に連れてきたりしたら、僕はどんな顔をして出迎えればいいんだ?
加えて、彼氏が民ちゃんの部屋に泊まったりなんかしたら...。
...ものすごく、嫌だ)
チャンミンは乾燥機から衣類を取り出す手を止めた。
(いずれにせよ、何件か不動産屋を回ってみよう。
民ちゃんにぴったりの部屋もついでに探してやる。
職場に近い場所がいいだろう。
民ちゃんの勤め場所は、どこなんだろう。
『アシストする』って、一体全体どんな仕事なんだ?)
顔の高さに、レースの縁取りが繊細なパープルの下着がぶら下がっている。
乾燥機をかけられないデリケートな素材のリアの下着は、洗面所の頭上に渡された物干しポールで陰干ししている。
「僕は何やってんだか...」
リアのブラジャーやショーツを取り込みながら、チャンミンの心は虚しい気持ちですうすうした。
チャンミンは気持ちを切り替えるかのように、大きく深呼吸をした。
(新しい生活をこれから始めるんだ。
よし、頑張ろう)
ホテルでちら見えした民の、飾り気のないシンプルなショーツを思い出した。
(民ちゃんには、付いていないんだよなぁ。
やっぱり、女の子なんだよなぁ)
「ただいまー」
ダイニングテーブルに突っ伏してうとうとしていたチャンミンは、ハッとして顔を上げ、民の姿を見て目を見張る。
「民ちゃん...」
民の髪が金髪になっていた。
「今日はブリーチ1回目です。
真っ白になるまで、ブリーチするんです。
髪の色が変わると、印象変わりますねぇ。
チャンミンさん、どうですか?」
顔を右へ左へと回して、チャンミンに披露する。
チャンミンより幾分色白の肌に、クリーム色の髪色が儚げな雰囲気を醸し出している。
(民ちゃん...。
男でも女でもない、中性的で...。
妖精みたいだ)
民に見惚れながら、チャンミンは胸苦しさを覚えた。
Tシャツの衿からすんなり伸びた長い首に、キスした時の感触を思い出した。
「チャンミンさん!
口開いてますよ。
虫が入っちゃいますよ。
私の田舎ではね、口開けてるとホントに虫が飛び込んでくるんですよ。
ちっちゃい虫なんか、飲み込んでしまったことあるんですから。
それから...」
(民ちゃんが綺麗になっていって、民ちゃんの存在が僕から遠のいていくような気がする)
民があれこれ話す内容が、チャンミンの耳に入ってこない。
夜になっても、その翌日もリアは帰宅しなかった。
~ユン~
「午後から撮影があるんだ」
アトリエ奥の保管庫へ民を案内した。
重量と嵩がある作品は、他所に借りた倉庫に保管してある。
「小さく見えても重いから」
カートを押して先を歩く民の尻を見ながら、俺は湿度管理された部屋の棚の一つを指し示した。
俺の作品はすべて石膏粘土製だ。
中に芯材を入れて軽量化を図っているが、それでも石のように重い。
民と二人で目当ての作品を持ち上げ、慎重にカートに乗せた。
サプリメント会社のカタログとやらに使う作品を選別していたのだ。
撮影は本日、午後からここアトリエで行われる予定だ。
「ユンさんは、この作品を創る時、どんなことを考えていました?」
女性の肩から臀部へ繋がるの曲線美を前面に出したものだった。
筋肉を覆う女の脂肪が作る背中の凹凸を、リアルに表現した。
前面と土台は、荒削りした草花で縁取りした。
「ホンモノみたい...」と民が感心する通り、作品上の肉体の持ち主は現存する。
アトリエの作業台に裸の女を腰掛けさせ、彼女の背中と尻をつぶさに観察しながら形づくったのだから、リアルで当然だ。
2年前の作品だったかな。
作品が完成するまでの2、3か月の間、関係を持った子だった。
民の髪が金髪になっていて、一目見た時「おや」と意外に思った。
金髪にするなんて、民の固そうな性格には似つかわなかったが、儚げな少年らしくなって、俺は満足だった。
「ここにある作品を見ておくといい。
撮影、展示依頼や、売却する際に、在り処を知っておく必要があるからね。
作品名と制作年月は、ラベルでぶら下がっている」
「はい」
はきはきと返事をする民を、真っ直ぐ見つめる。
ふるっと民の瞳が揺れたから、俺の視線にさらされた民の心も揺れたんだろう。
視線で民を身ぐるみ剥がす。
片手を伸ばして、民の喉をつかんだ。
「ひっ」
手を軽く当てただけだ。
手の平の下で民の喉がごくりとうごいて、かすかな震えも感じられる。
細い首だった。
(つづく)
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