~君の胸、僕の胸~
〜チャンミン〜
「......」
「その『彼』って、どんな人なの?」
ソファの座面に伏せて顔を隠した民ちゃんの傍らに僕は膝をつき、彼女を覗き込む。
「早くないか?」
「そんなんじゃないです!」
「民ちゃんの『彼』は、どんな人?」
「...いい人ですよ。
...それと、お付き合いしてません。
片想いです」
「そっか...」
民ちゃんが僕の部屋に暮らすようになって、まだ2週間かそこらだ。
夜は大抵、僕と一緒に過ごしているし、昼間は仕事のはずだ。
僕の知らない間に、隙間時間をぬって民ちゃんの恋は前進していたってわけか。
相談して欲しかったのに。
と言いつつも、応援できる心境じゃないんだけどね。
「ちゃんとした人か?
しつこくてゴメンな、気になっちゃって。
おかしな奴だったりしたら駄目だと思って、さ」
民ちゃんがむくりと顔を上げた。
きりりとした眉の下の、黒いまつ毛に縁どられた上瞼。
しっかりとした鼻筋と、高い額、薄い唇。
確かに僕の顔のパーツと瓜二つだ。
僕の目というフィルターを外したら、民ちゃんは僕そのものだ。
白い髪に白い肌。
瞳には涙を浮かべて、鼻先を赤くしている。
僕の目というフィルターを通した民ちゃんは、僕とは似ても似つかない。
民ちゃんが、僕からどんどん離れていく。
「実のお兄ちゃんのように、心配してくださるのは、ありがたいです」
鼻をすすった民ちゃんは立ち上がり、床に膝をついた僕は彼女を見上げる。
「でも、私はチャンミンさんの『妹』じゃありません」
「民ちゃん...」
「チャンミンさんは、私の...」
と、民ちゃんは言いかけると、そこで言葉を切った。
民ちゃんの次の言葉を、僕は固唾を飲んで待った。
「チャンミンさんは...」
僕の目をまっすぐに見ていた民ちゃんのピントがぼやけてきた。
民ちゃんにとって、僕の存在は?
「なんでしょうね。
不思議です。
一言で言い表せません」
民ちゃんは、ふっと肩の力を抜くと、首をかしげて困った表情を見せる。
ふふふと笑った民ちゃんが、突然後ろから僕の首にかじりついてきた。
「わっ!」
「大事な人ですよ、チャンミンさんは」
僕の耳元で、民ちゃんはそう言った。
むぎゅうっと僕の首に、筋肉の薄い細い腕を巻き付けて、「大事な人です」と繰り返した。
僕の心も、むぎゅうっと苦しくなった。
民ちゃんに気付かれないようにそっと、回された腕に唇をつけた。
「?」
民ちゃんは僕の首の後ろをくんくんと嗅ぎだした。
「チャンミンさん、おじさんの匂いがしますね」
「ええっ!?」
慌てて民ちゃんの腕を振りほどこうとしたけれど、彼女は力持ちだ。
「嘘です」
「こら!」
「男の人の匂いがしますー」
うなじに民ちゃんの唇がかすって、背筋にも腰にも甘くて心地よい痺れが走る。
「隠し事をしてるつもりはなかったんです。
90%の確率で、私の片想いで終わると予想しています。
『期待していいのかな』って思う時もありますよ。
でもそれは、大人の男の人が小娘を手の平で転がす...ような感じだから。
それを真に受けている私は、何ておバカさんなんだろうって」
僕の横顔に、民ちゃんの横顔がくっついている。
少しだけ首を傾けるだけで、民ちゃんの頬に唇が届くのに。
・
T。
お前の妹だから、うかつなことはできないと、初日の夜にそう思った。
その考えを撤回するよ。
「うまくいきっこない恋愛の話を、チャンミンさんにするのが恥ずかしかった。
チャンミンさんのことだから、いいアドバイスを下さると思います。
せっかくアドバイスを下さっても、私はどれ一つ実行できる自信がありません」
「うまくいかないかどうかなんて、わからないだろ?」
僕は首にまわされた民ちゃんの腕に指をかけた。
皮膚が薄くて、女の子の腕だと思った。
「私の好きな人は、どんな人かと言いますとね。
とにかくカッコいいんです。
頭がいい人です。
成功している人です。
...こんな単語の羅列の説明じゃわかりませんよね」
民ちゃんの体重が僕の背にのしかかる。
「その人の名前は、ユ...」
ガタガタっと玄関の方で音がした。
民ちゃんはハッとしたように、僕の首に巻き付けていた腕を離した。
リアが帰宅した。
「リア...」
「リアさん...」
泣き腫らした顔で髪は乱れ、加えてベロベロに酔っぱらっているようだった。
足元がおぼつかなく、身体が左右に揺れている。
力を抜いた民の腕から抜け出すと、チャンミンはリアの方へ近づいた。
「飲み過ぎじゃないのか?」
その場でへたり込みそうなリアの脇を支えた。
アルコールの匂いをぷんぷんとさせ、完ぺきに施してあったはずのメイクが、汗や皮脂で崩れ、汗ばんだ首筋におくれ毛がへばりついている。
酔いつぶれるまで飲んだらしいリアは、珍しい。
駆け寄った民は、リアが玄関に放り出したバッグを拾い、土足のまま上がってきたリアからサンダルを脱がせる。
剥がれかけのペディキュアに気付いて、「リアさん、荒れている...」と民は思った。
身体の力はとっくに抜けてへなへなしているリアに、チャンミンは「しょうがないなぁ」とつぶやいて、膝の裏に腕を差し込んで抱き上げる。
「放してっ!
チャンミンのバカ!
放っておいてよ!」
足をバタバタとさせて、チャンミンの頭やら肩を叩くリアに構わず、チャンミンはリアを寝室に運んだ。
(わぁ...お姫様抱っこだ...)
その後ろを、民はミネラルウォーターのペットボトルと、おしぼりを持ってついていく。
チャンミンはリアをベッドに横たえた。
「リア...こんなになるまで...。
気持ちは悪くないか?
とりあえず、水分を摂った方がいい」
チャンミンはリアの頭を起こすと、民から手渡されたペットボトルを開封して、リアの口元にあてた。
3分の1ほど飲んだ後、リアの肩が嗚咽に合わせて震えた。
「リア...」
リアの喉から、高い悲鳴のような呻きが漏れ、胸が大きく波打つ。
つむったまぶたの端から、涙が次々と流れ落ちる。
「リア...どうした?
何か嫌なことがあったのか...?
ああ...!」
(僕からの別れ話が、原因だろう。
リアは別れたくない、と言っていた。
それなのに、僕はリアに「もう好きじゃない」と、酷いことを言った)
「そうよ...。
チャンミンのせいよ」
「ごめん」
チャンミンは、リアの頬にはりついた長い髪を指でよけてやり、民から手渡されたおしぼりで、涙とメイクでどろどろになった顔を拭いてやった。
「チャンミンのせいよ...」
リアの腕が伸びて、チャンミンの頭を抱え込むように引き寄せた。
「リア...」
しばらく身を固くしていたチャンミンだったが、リアの肩に頭を預けてされるがままになった。
(リアさん...)
部外者だと察した民は、後ろに下がって二人を遠巻きに見ているしか出来ない。
リアの頭をぽんぽんと優しく叩くチャンミンの脇に、機転を働かせて浴室から持ってきた洗面器とタオルを置くと、民は寝室を出て行った。
(同棲までした二人なんだから、簡単に別れられないよね。
リアさんは、別れたくないんだ。
チャンミンさんは、どうするんだろう)
「リアとは一緒にいられない」と民の肩で泣いていたチャンミンを、民は思い出す。
(この場では、私ができることは何もない。
でも...)
リアの頭を撫ぜるチャンミンの手の映像が、民の頭にはっきりと記憶された。
チャンミンの手の部分だけクローズアップしたものが。
(チャンミンさんにとって、女の人の頭を撫ぜるのはどうってことないコトなのかな。
癖みたいなものなのかな。
チャンミンさんがリアさんを撫ぜるのは、謝罪の気持ちから?
「やっぱり好きだよ」の気持ちから?
私だけにしてくれてることだって、己惚れていた。
胸がちくちくする。
私はチャンミンさんにとって...何なんだろう?)
(つづく)
[maxbutton id=”27″ ]