【45】NO?

 

 

~タクシー~

 

~チャンミン~

 

僕に突然手を握られて、民ちゃんは一瞬ビクッとしたけど、手を引っ込めるでもなくそのままでいてくれる。

 

民ちゃんの細い指が、僕の手の甲をさわさわとくすぐっている。

 

ぞわっとした心地よい痺れが、手から背筋へと走り、僕の下半身に火が灯る気配を感じて、焦る。

 

民ちゃんはそんなつもりはないだろうけど、手の甲への愛撫だけで感じるなんて。

 

「私のファーストキスは...」

 

「うんうん?」

 

「まだ...です」

 

「ええっ!?」

 

「嘘です」

 

「なあんだ」

 

セーラー服を着た民ちゃんが、学生服の男子とキスするイメージが浮かんだ。

 

男子の方はつま先立ちなんだ。

 

ファーストキスか...30過ぎた僕にとって遠くて、懐かしい過去だ。

 

そんなことよりも、ひっかかっていることがある。

 

今夜のデートの相手が『例の彼』じゃなく、職場の上司だと知って心底ほっとしたが。

 

「上司って...スケベ親父じゃないだろうな?」

 

「まっさか!

親父って年じゃありません」

 

「いくつ位?」

 

「40歳です」

 

「独身?」

 

「独身...と聞いてます」

 

心配になってきた。

 

民ちゃんがワンピースを着なくちゃいけないようなところ...値段のはるレストランか?...に連れて行くなんて、下心ありまくりじゃないか。

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫ですよ。

そんな人じゃありません」

 

民ちゃんはきっぱりと言い切った。

 

「チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「男の人は...例えばですよ?

付き合っている彼女がいたとして。

もしくは好きな人がいたとして。

それでも、他の人とキスってできるものなんですか?」

 

バルコニーで僕が答えられなかった質問を、民ちゃんは再び投げかけてきた。

 

待てよ...。

 

民ちゃんに心を奪われているのに、リアと深いキスをすることができた。

 

だから、民ちゃんの質問に対する答えは「イエス」だ。

 

そう答えていいのだろうか?

 

リアともつれ合ってところを民ちゃんに目撃された時を、早戻ししてみる。

 

民ちゃんが帰宅した時は...僕とリアは...キスはしていなかった。

 

ということは、「リアと別れたがっていた僕が、リアとキスできるのはなぜだ?」と問いただしてるわけじゃなさそうだ。

 

民ちゃんは、どうしてこんな質問をするのだろう。

 

分かりやすい子だから、民ちゃんの中で何かがあったに違いない。

 

「どうしてそんなこと聞くの?」

 

すると、民ちゃんが泣き出しそうな、切なさそうな、僕が初めて見る表情を見せた。

 

僕の喉がごくりと鳴った。

 

「私にキス...できますか」

 

「!」

 

「チャンミンさんだったら、私にキスできますか?」

 

民ちゃん発言に僕はフリーズした。

 

僕の周囲から音が消えた。

 

「民ちゃん...急に、どうした?」

 

「どうもこうもしてません!」

 

民ちゃんが、消え入るような小声で言った。

 

チャンミンさんは、私が相手でも、キスできますか?」

 

 


 

 

~タクシー・ドライバー~

 

 

深夜2時30分。

 

呼び出されたマンションの前で乗り込んだのは、若い男二人。

 

似ているから、双子か?

 

片方の頭は、雪みたいに真っ白だ。

 

行き先が片道1時間弱はあるところで、距離が稼げて「今夜はついている」と気持ちが上向いた。

 

ちらちらとバックミラー越しに後ろの様子を窺った。

 

俳優みたいにきれいな二人だったから、ついつい見てしまう。

 

ぼそぼそと会話を交わしている。

 

信号待ち時、さりげなく後ろを振り返ったら、手を繋いでいて「おっ!」と驚いた。

 

やれやれだ。

 

世の中、いろんな人がいるもんだ。

 

「!!」

 

頭の白い方の顔が、黒い方の頭で隠れた。

 

キスしてるじゃあないか。

 

バックミラーから視線を前方に戻したら、赤信号に気付いて慌ててブレーキを踏んだ。

 

ぐっと前のめりになり、シートベルトが肩に食い込んだ。

 

危ない危ない。

 

「お客さん、すんません」

 

後ろの2人に謝りながら、振り返った。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

民ちゃん発言、「キスできますか?」に僕はフリーズしてしまった。

 

僕の中では、民ちゃんの質問に「できる」と即答していた。

 

民ちゃんが知りたいのは「好きな人がいながら、他の人とキスができるのか?」だ。

 

この質問の答えは「YES」でもあり「NO」だ。

 

リアとのことを棚に上げられるのは、いくつかの恋愛模様を経験した結果、すれてしまった大人の僕だからだ。

 

でも、民ちゃんはそうじゃない。

 

民ちゃんが欲しい答えは、「NO」なのだろう。

 

民ちゃんは青い。

 

民ちゃんの理想は、「好きな人とだけしかキスしない人」だ、きっと。

 

「民ちゃんとキスしたいのか?」

 

この質問の答えは「YES」だ。

 

でも、民ちゃんは僕の気持ちを知らない。

 

どうすればいい?

 

こんなことをわずか5秒の間に考えていた。

 

走行する車がまばらの深夜過ぎの道路。

 

規則的に並ぶ街灯が、規則的なリズムで民ちゃんの真剣な表情を照らしていく。

 

じぃっと僕を見つめている。

 

民ちゃん、何があったの?

 

どうして僕にそんなことを尋ねるの?

 

切なそうな目が色っぽく僕の目に映っているよ。

 

そんな目で見られたら、『お兄ちゃんのお友達』でいられなくなるよ?

 

言われなければ男の子と間違われてしまう凛々しい顔。

 

唇の形が、僕とおんなじだ。

 

僕と瓜二つの顔。

 

その顔に、僕の顔を近づける。

 

止められない。

 

目の前の民ちゃんが、鏡に映る自分に見えて、まるで鏡とキスをしようとしているみたいに錯覚した。

 

暗い車内で、民ちゃんの顔のディテールが曖昧になっていたから、余計にそう見えた。

 

民ちゃんと繋いだ片手はそのままに、もう片方の手を民ちゃんの頬に添えた。

 

彼女の頬がぶるっと震えたのを手の平で感じたら、目の前の鏡板は消滅してしまった。

 

僕と同じ顔をしているけど、君は僕じゃない。

 

君は女の子で、世間ずれした僕は君とは似ても似つかない。

 

斜めに傾けた顔を、15㎝の距離でぴたりと止めた。

 

民ちゃんは繋いだ手の力を抜いて、身動ぎせず呼吸も止めているようだ。

 

僕は民ちゃんとキスがしたい。

 

これが僕の答えだ。

 

 

(つづく)

 

彼女とのHeaven's Day