「ただいま、です」
声をかけながら、玄関から突き当りにあるリビングへ進むと、民は異様な雰囲気に気付いた。
帰宅した民に、そろって注目するチャンミンとリアの表情が固い。
ソファに横座りしたリアの正面に、チャンミンは立っている。
深刻な会話の途中だったようだ。
リビングの入り口に立ち尽くす民に、チャンミンはちらと見ただけですぐにリアの方を向いてしまった。
(バッド・タイミングのようですね...)
民がこの場を去るのを待っている二人の様子に、民は肩から下ろしかけたリュックサックを前に抱え、小走りでリビングを抜けた。
6畳間のドアを閉めた民は、畳んだ布団を抱きしめるように突っ伏した。
(喧嘩...ですか?
別れる別れないが、まだ解決していないのかな。
部外者の私が居たら、話がしづらいよね)
チャンミンとバラエティ番組を見ながらグラスを傾けるつもりだった、ワクワクとした気持ちも萎んでしまった。
(ここではやっぱり私は邪魔ものだ)
民のお腹が、ぐぅっと音をたてる。
「...お腹空いた...」
このまま寝てしまおうと布団を敷きかけたが、時刻はまだ20時。
(お風呂にも入りたいし...。
そうだ!)
民はむくっと顔を上げ、手繰り寄せたリュックサックから財布を出して、中身を確認する。
それから、貴重品入れにしていた靴箱の中から、通帳を取り出して残高も確認する。
「よし」と頷くと、下着とシャツを詰めたリュックサックを背負った。
「僕に責任があるのなら...。
頼むから何とか言ってくれよ!」
(!!!)
ドアを開けた途端、チャンミンの荒立てた声が耳に飛び込んできて、民の肩がびくっと震えた。
「チャンミンの言い方だと、まるで私が浮気してたみたいじゃないの?」
民は背中を丸め、足音をたてないよう、先ほどのように小走りでリビングを抜ける。
チャンミンもリアも、民に気付かない。
民は靴を履きかけたが、チャンミンに借りた靴だったことに気付いて、自身のスニーカーに履き替える。
「別れたくて仕方がないあなたには、とーっても困る話でしょうからね」
「困るとか、困らないとかの話じゃないよ。
僕たちはだいぶ前から...」
「だいぶ前から、って?
自分じゃないって、言いたいんでしょ?」
「......」
「そう言い切れる?」
「一人でなんとかする、だなんて...。
一人で産むつもりなのか?」
(え?)
靴ひもを結びかけた民の手が止まった。
(産む?)
「今の時点では、そうなのかは分からない。
病院で検査してもらわないと、はっきりしないんだし...」
「僕も一緒に行くよ。
明日は?
明日、一緒に行こう」
「一人で行けるわよ。
ふふっ。
チャンミンが一番気になるのは、自分の子かどうかでしょ?」
(自分の子!?)
指が震えて靴紐が結べない。
早くここから離れたくて焦った民は、無理やりスニーカーに足をねじこむと、かかとをつっかけたまま部屋を出る。
民は玄関ドアをそっと閉め、エレベーターに乗るのを止めて一気に階段を駆け下りた。
(産む?
病院?
子供!?)
民の足は行き先も決めないまま、繁華街へ向けて駆けていた。
(やだ...。
胸が苦しい...)
喉の奥が焼けそうに痛くなって、民は足をゆるめた。
(子供って...チャンミンさんと...リアさんの?)
玉のように浮かんだ汗を手の甲で拭う。
(リアさんがチャンミンさんと別れたがらなかったのは、お腹に赤ちゃんがいたからなんだ)
ずらりと歩道沿いに並ぶショーウィンドが、煌々と灯りを放っている。
秋物が並んでいるが、どれひとつとして民の視界に入っていなかった。
(つづく)
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