【71】NO?

 

~胸が苦しい~

 

 

 

角を曲がって繁華街を突き進む。

 

動揺していた。

 

(どうして苦しいの?

何にショックを受けているの?)

 

じわっと浮かんだ涙を、握りしめたこぶしで拭った。

 

(チャンミンさんの嘘つき)

 

民の脇を通り過ぎる酔っ払いたちが皆、幸せそうに見えて民は羨ましかった。

 

誰かに慰めてもらいたかった。

 

ここでの民の知り合いといえば、美容師のKとA、そしてユンだけだった。

 

民はうつむき加減で、レンガ敷きの地面に視線を落としたまま早歩きでずんずんと進む。

 

すでに1時間以上、民は歩き続けている。

 

(こんなことになって、チャンミンさんの引っ越しはご破算だ。

私のお部屋に呼んで、ご飯をふるまったり、花火をしたりも出来ないんだ)

 

チャンミンが赤ちゃんを抱く図が、民の頭に浮かぶ。

 

(おめでたいことなのに、私は全然喜べない。

私ってば、チャンミンさんと何をしたかったんだろう?)

 

「あ...」

 

顔をあげて最初に目に飛び込んできた看板に、民はチャンミンの部屋を飛び出した本来の目的を思い出す。

 

(ホテルにお泊りするんだった!)

 

気分がよくてワインを買った奮発ついでに、初・ビジネスホテルお泊りを思い付いた民だった。

 

「うーん...」

 

腕を組んでエントランス脇の料金表を見、財布の中身を思い浮かべる。

 

(...電話?)

 

背中から感じるブーブーとかすかな振動。

 

民はリュックサックを下ろして外ポケットから携帯電話を取り出そうとした。

 

 

 

「ひぃっ!」

 

ものすごい力でリュックサックが引っ張られ、肩ひもを持っていた民が一気に引きずられる。

 

握りしめた手の先には、原動機付バイク。

 

2人乗りをした後ろの若い男が、民のリュックサックをつかんでいる。

 

(この状況って...まさしく!)

 

手を離した方がいいことは分かっている。

 

「やっ!」

 

辺りはうす暗く、通行人もいない。

 

パニック過ぎて悲鳴も上げられない。

 

民を振り切ろうと、2人組はバイクを反転させた。

 

勢いよく後ろから引っ張られて、民の手からリュックサックがもぎとらる。

 

「ひっ!」

 

斜めに傾いだ民の身体は、支えを失って後方へと落下していき、

 

ごつんと鈍い音。

 

一瞬で民の目の前が真っ暗になった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「...とにかく、病院で診てもらおう」

 

僕はリアの両肩に手を置いて、彼女の顔を覗き込んだ。

 

リアはぱっちりと大きな目で、僕を睨みつけていた。

 

「...どうするつもり?」

 

「えっ...?」

 

リアは僕がどう責任をとるか?、を尋ねているんだ。

 

僕はリアと別れたくて仕方がなかった。

 

彼女に対する恋愛感情は、もうない。

 

ところが、リアは妊娠しているという。

 

リアとその子を養っていく責任が生じた。

 

別れられない。

 

民ちゃんとのこれからを夢見ていたのは、つかの間のことだったんだ。

 

 

 

 

待て。

 

落ち着け。

 

冷静になるんだ。

 

思い出せ。

 

酔った勢いでうんぬんと、「僕の子」かもしれない可能性有りだと、ヒヤリとしてしまったけど、酔って帰宅したことなんてなかったじゃないか。

 

身に覚えが、ない!

 

僕はリアから離れて、ダイニングの椅子に腰かけ、髪をかきむしった。

 

そんな僕の動きを、無言のリアの目が追っている。

 

...ということは、やっぱり...。

 

すっと体温が下がったのが、分かる。

 

「もう結果は出ているのよ」

 

そう言ってリアは、傍らに置いた小箱をちらりと見た。

 

「...違う」

 

僕はごくりと唾をのみ込んだ。

 

リアの目をまっすぐに射るように、僕は見つめる。

 

「相手は...誰だ?」

 

「っ!」

 

「いつからだ?」

 

これまで聞いたことがないくらい、自分の声が低くて、かすれていた。

 

リアはパッと僕から顔を背けてしまう。

 

「...なんとか言えったら!」

 

リアの肩を揺すった。

 

目の前の女性が、これまで以上に色褪せて見えた。

 

僕が一手に家事を引き受けリアの帰りを待っていた間、彼女は他の男と会っていた。

 

帰りが遅いのは夜の仕事のせいばかりじゃなかったんだ。

 

何日も帰宅しなかったのもきっと、その男と一緒にいたんだ。

 

ショックだった。

 

気づかないでいた自分が馬鹿みたいで、情けなかった。

 

リアへの愛情がなくなってしまったとはいえ、裏切られていた事実がぐさりと僕の胸に刺さる。

 

焼けつくように痛かった。

 

 

(つづく)

 

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