「大変だったね」
ユンはベッドに腰掛ける民の前でしゃがむと、見上げて優しい笑顔を見せた。
身支度をした民の姿に、
「あれ...?
退院?」
と尋ねた。
「はい。
頭を切った程度で済みました」
(やっぱりドキドキする。
私は、ユンさんのことが好きだったんだ...)
民の心を容易に揺さぶる人物が、予想もしていなかったタイミングで登場した。
自分の落ち度から病院へ担ぎ込まれてしまった自分が、恥ずかしくてたまらなかった。
「お兄さんから連絡をもらってね。
すぐにでも顔を見に行きたかったんだが...
夜遅くはご迷惑だろうから、今日になってしまって悪かったね」
「そんなこと...ないです。
間抜けですみません...」
ユンは首まで真っ赤にした民の頬を、指の背で撫ぜた。
身震いした民に、ユンは内心「ちょろいな」と思った。
(俺の言うこと成すこと全てに、敏感に反応する。
この子相手には、駆け引きなんて必要ない。
だから、この子を落とすことなんて簡単なことだ。
素肌にキモノだけを羽織って俺の前に出た民の、かき合わせた衿を握ったこぶしを目にした時、自分のことがまるで、震える小鹿を前にしたどう猛なオオカミのようだった。
一気に手折ってしまいたくなるが、一瞬ためらってしまうのは、本気を出したら、この子を滅茶苦茶に傷つけてしまうことが必至だからだ。
それは可哀想だと思うことが、今までの俺では考えられないこと。
泣かせるのではなく、楽しそうにしている表情を見たい。
嵐のように奪って、むさぼって、最後に泣き顔といった、お決まりの展開にはしたくない。
こんな心境は初めてだ)
ちらちらとユンの表情を窺う民に、いたわりの笑顔を見せながら、ユンはそのようなことを考えていた。
(ユンさんは...やっぱり素敵な人だ...)
ユンを見下ろす格好になって、民はさりげなくユンの髪の生え際や、広い肩幅や、仕立てのよいシャツ...。
(あれ...?)
ユンからいつもの香水の香りがしないことに気付いた。
(そっか...ここは病院だから...ユンさんはさすがだな)
「無断で休んですみませんでした。
明日には仕事できますから」
民の手を軽く叩いて、ユンは立ち上がった。
「謝らなくていい。
今週は休みなさい。
昨日は民くんが顔を出さなくて、心配だった」
(モデルを引き受けたことを今になって後悔して、辞めたくなったのではと予想していたんだけどな)
「すみません...」
「謝るな、と言っただろ?」
「はい、すみません...あ、また謝っちゃいました」
「君の『お兄さん』...チャンミンさんも随分心配していたよ」
「え!?」
「俺のところに電話があってね」
「そうでしたか...」
(チャンミンさんがお兄ちゃんだなんて、言った覚えはないんだけどな。
間違えてもおかしくはないんだけど...)
「これから、どうやって帰るの?」
「お迎えに来てもらっています」
「ご家族に?」
ユンに問われて一瞬、民は迷う。
「チャンミンさんが(家族じゃないんだけどな)...」
~チャンミン~
会計窓口が混雑していたせいで時間がかかってしまい、民ちゃんの病室に早歩きで向かう。
カーテンの向こうから男の声がして、誰だろうと思った。
「民ちゃ...」
民ちゃんの隣にユンがいた。
一気に不愉快になったが、先日のように大人げない振る舞いは控えようと、ムッとした表情になりそうなのをグッと堪えた。
(つづく)
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