~チャンミン~
粘土の捏ね方の指導を受けている間、粘土を捏ねるYUNさんの手を食い入るように見ていた。
YUNさんの大きな手の中で、石膏粘土の真っ白な塊が形を変える。
YUNさん手の甲に浮かんだ血管だとか、節が太くて力強そうな指だとか、短く整えられた爪だとかに目を奪われていると。
「チャンミンくん?」
(YUNさんは僕のことを『チャンミンくん』と呼ぶ)
「届いたばかりの粘土は固すぎるから、水を少し加えて練ることで、手の平の体温でほど良い柔らかさになる」
YUNさんは、ポリ容器からどろりとしたものを、捏ねかけの粘土にひと垂らし加えた。
「これは水を加えてゆるくした粘土ペーストだ。
液状にまでゆるくしたものも、完全に硬化させたものも使うよ。
作品の部位によって、使い分けているんだ。
君には『頃合いのいい』粘土をあらかじめ作っておいてもらいたい」
ステンレス製のラックにずらりと並んだポリ容器を指した。
「へぇ...使い分けるんですね」
「君の仕事になる」
「はい」
YUNさんは脇にどき、いよいよ僕が粘土を捏ねる番になった。
べニア板を貼っただけの作業台にかがんで、両手でぎゅっと押し、ひっくり返してまた押しを繰り返した。
彼の高い身長に合わせて作られた台だったから、高さはちょうどよい。
(ひっ)
耳の後ろに生温かい息がかかった。
YUNさんが僕の真後ろに、触れそうで触れない距離に接近している。
近いです。
近すぎます!
これっていわゆる、セクハラ...?
シチュエーション的にそう感じてもいいはずなのに、YUNさんの場合は全くそう思わないの。
もしYUNさんが、私の好みじゃない中年オヤジで、異性としての好意を持てない人だったら、張り倒してた。
でも、僕はYUNさんのことが好きだから、全然そんな風に思ったことない。
「そんな優しいやり方じゃなくて...」
背後からYUNさんの日焼けした腕が伸びて、僕の手の上にYUNさんの手が重なるから、私は卒倒しそうになった。
「もっと力いっぱい」
(まるで映画のワンシーンみたい!)
「分かった?」といった感じで横目で見られて、そのくっきりとした二重瞼の下の黒い瞳に吸い込まれそう。
「あとは、一人でやってみて。
それにしても...君の腕は細いね」
彼は粘土で白く汚れた手を、濡れタオルで拭きながら言った。
「...そうですか?」
「栄養足りてる?」
「毎日、お腹いっぱい食べてます。
横にじゃなく、縦に栄養が取られてるんだと思います...」
男の身体。
脂肪になりにくいのだ。
ここでふと疑問に思うのは、YUNさんは僕のことを女の子だととらえているのだろうか?
どっちなんだろう...と心の中で首を傾げいたところ、
「それじゃあ、横にも栄養がいきわたるように、美味しいものを食べさせないとね。
来週あたりに夕飯を食べに行こうか?」
「え...?」
彼からの突然のお誘いに、粘土を捏ねる手が止まった。
「はい...お願いします」
上司にあたる人と、勤務時間外に1対1で食事をするなんて...YUNさんが初めて。
YUNさんは誰に対してもいつもこんな感じなんですか?
前にいたアシスタントの子にも、こんな感じで接してたんですか?
スキンシップとか誘ったりしたら、僕、いっぱい勘違いしてしまいますよ。
下のオフィスから、来客を知らせるチャイムが鳴った。
「行かなくちゃ!」
YUNさんはちらりと壁の時計を確認すると、慌てて応対しようとする僕を押しとどめた。
「俺が行ってくる。
手が汚れているだろ?
君はこの続きをやっていなさい」
私の肩をポンと叩くと、YUNさんは螺旋階段を下りて行った。
「ふう」
YUNさんに“ポン”とされると、僕のハートもポンと跳ねて、腰から力が抜けてしまいそうになる。
ユノさんに頭を“ポン”とされる時、僕の気持ちはどんな風だったっけ...?
~YUN~
俺の言動一つで、振り回される相手を目にするのは愉快だ。
自分の外貌が周囲に与える影響を承知しているから、恵まれた条件を利用させてもらっている。
飛んで火にいる夏の虫。
光に誘われて集まる不快な虫たちの中には、稀に美しい蝶が迷い込んでくる。
羽を休めて眠りについている時刻になのにも関わらず。
・
俺は美しいものが好きだ。
俺の手のひらにひらりと止まったそれを、眺めて愛でた後その羽をむしる。
羽を失い毛虫と成り下がったそれも、しばし眺めた後、手の平を傾げて地面にポトリと落とす。
残酷だろう?
真白な造形を指先から創造するには、破壊行為が必要なんだ。
「YUNさん...」
液状粘土の入ったポリバケツを下げたチャンミンに呼ばれた。
「あの...出来ました」
必死に作業していたのだろう、長めの前髪が汗で額に張り付いていた。
細かくちぎった粘土に水を少しずつ加えて揉みこんで、どろどろの状態にするよう指示をしておいたのだ。
粘土10㎏分。
前のアシスタントだったら1日かかったものを、この子は半日でやり遂げたか。
細い腕を肘まで白く汚していて、汗をぬぐった時に付いたのか額に乾いた粘土がこびりついている。
「こんな感じで...よろしいですか?」
丸いカーブの上瞼の下のみずみずしい瞳が、俺の言葉を待っている。
褒めてもらいたがってる顔をしている。
「付いているよ」
チャンミンの額の汚れを親指で拭ってやる間、ギュッと目をつむったりして、可愛い顔をするんじゃないよ。
滅茶苦茶にいじめたくなるじゃないか。
まさか本気にするとはな。
面白半分で「来ないか?」と誘ったのを真に受けて、ここまで訪ねてきた。
飲み込みも早く、真面目で賢そうな子だと、接客してもらった時に見抜いていたが、そんなことよりも、民の見た目や佇まいが好みだったというのが、チャンミンを誘った最大の動機だ。
悪いが俺は、残酷な男だ。
疑うことを知らない純真な眼を見ていると、君の羽をむしりたくなるんだよ。
チャンミンの尻に手を伸ばしかけたが、「まだ早い」と思いとどまった。
(つづく)