(53)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

残業でくたびれた身体を引きずるようにして帰宅した。

今日はカタログに載せる健康レシピを監修する料理家の元へ出向いていた。

俺もエプロンをつけて、調理を手伝ったのだ。

片手に下げた紙袋の中に、沢山のカップケーキが詰まっている。

生地が大豆粉とお豆腐で出来ているからヘルシー、なんだそうだ。

彼に食べさせようと、全部もらってきた。

彼の大きな口の中に、すいすいと消えていくんだろうな。

「ユノさん、美味しいですー」って。

思わず、ふふふっと笑いがこぼれた。

リビングが明るかったからチャンミンがいるんだろうと、元気よく「ただいま」と言った。

 

「ユノ...?」

 

キャミソールに短パン姿のリアが、ソファで膝を抱えていた。

ローテーブルの上にスナック菓子と菓子パンの袋が散らかっていた。

彼女は1.5リットルのコーラのペットボトルをラッパ飲みすると、フライドチキンにかぶりついた。

 

「珍しく遅いのね」

 

スタイルを死守するために食へのルールが多かった彼女らしくない。

「食べ過ぎじゃないのか?」なんて、口が裂けても言えない。

どんな内容であれ彼女に向けるふさわしい言葉が、今は見つからない。

昨夜に引き続き、彼女が今夜も部屋にいること自体も、今までと違っていた。

分かっているのは、著しく機嫌が悪いということだ。

キッチンに紙袋を置いて、「チャンミンちゃんは?」と彼女に尋ねた。

 

「さあ。

帰ってきてないと思う」

 

チャンミンの部屋を何度かノックしたのちドアを開けたが、三つ折りにした布団が見えるだけで無人だった。

まだ帰ってきてないのか?

今夜はカットモデルのバイトではないはずだ。

23時。

チャンミンはまだ帰ってこない。

 

 

スマートフォンのディスプレイを何度も確かめていた。

落ち着かなくて、立ったり座ったり、冷蔵庫の扉を開けたり閉めたり、飲みたくもない珈琲を淹れたり。

これまで3回電話をかけたが、マナーモードにしてあるのかチャンミンは電話に出ない。

今朝、出勤前の玄関先で、「今夜は帰りが遅くなります」と彼は言っていた。

昨日に引き続き、彼の態度がどこなくそっけなかったような気がした。

だから余計に俺は心配だった。

 

「未成年じゃあるまいし。

夜遊びしているだけだって」

チャンミンのことを男だと思い込んでいるリアが、投げやりに言う(その通りなんだが)

 

夜遊び、の言葉に俺の心がヒヤリとした。

今夜はカットモデルのバイトはないはずだ。

友達と遊びに行っているのだろうか?

それとも...『例の彼』と...?

 

「ユノ!」

 

騒々しい音を立てていたTVを消すと、リアは怖い目をして俺を見た。

 

「私たちのこと...まだ気持ちは変わらないの?」

「...変わっていない」

 

俺はゆっくりと首を振った。

 

「私は...別れたくない」

「リア...」

「ユノに捨てられたら、私はどうすればいいのよ?

この部屋を出て行かなくちゃならなくなるのよ。

モデルの仕事なんて...この半年間はほとんど無かったのよ。

知らなかったでしょう?」

「え...!」

 

驚いた。

 

「忙しい忙しいって...帰りも遅かったよな?」

「呑気な人ね。

モデルの仕事がなくなったら、どこで稼いでると思う?

コンビニやファストフードの店員をやってるって?

私にできるわけないでしょう?

夜の仕事に決まっているじゃない!」

「......」

 

モデルのことも夜の仕事のことも、初耳だった俺は絶句した。

 

「初めて聞く話でしょう?

驚いたでしょう?

毎晩帰りが遅い理由を聞かなかったユノが悪いのよ」

「夜の仕事っていうと...ホステスとか、キャバ嬢のことか?」

「そうでもしないと、生活費はどうするのよ?」

「どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ?

相談にのってやれたし、違う部屋に引っ越すことだってできたんだぞ?」

「モデルの仕事が少なくなったなんて言えるわけないじゃないの。

ユノは『モデルのリア』が好きなんでしょ?

理想を壊したくなかったのよ」

「リア...」

 

彼女は話したいことしか話さない。

俺が質問したとしても、詮索していると捉えて機嫌を悪くする。

仕事の後、遊びにでも行っているのだろうと思い込んでいた。

好き勝手に暮らしている彼女に嫌気がさしていた自分が恥ずかしくなってきた。

彼女には彼女なりの事情があったのだ。

不満があったのならそれを言葉で伝えたり、帰りの遅い理由を問いたださなかった俺が悪かった。

彼女の言う通り、俺は『モデルのリア』に惚れた。

でもそれは好きになったきっかけに過ぎず、俺が求めていたのは「好きな人と共に過ごす時間」と互いを想い合う感情だ。

楽しく笑い合うだけじゃなく、衝突し合ったり、胸を痛めることもあったりして、共に経験する時間が欲しかった。

俺をほったらかしにしているくせに、スマートフォンを盗み見る彼女が嫌だった。

 

「じゃあ、泊りで何日もいなかった時は?

その時は、撮影だったのか?」

 

彼女の表情が一瞬強張った。

 

「今さら、あれこれ聞くのはやめてよ。

私のことなんか興味なかったくせに!」

 

「そんなこと...」

...「なくはない」と思った。

 

彼女の不在に不貞腐れているうち、不在が当たり前になってきて、稀に彼女が部屋にいる日があると、くつろげず緊張している自分がいた。

 

「ユノは...私を...捨てるの?」

「そんな言い方はよせよ」

 

彼女の口は歪み、大きな目に涙が膨らんでいる。

また泣かせてしまった。

 

「私のことが嫌いになったの?」

「嫌いになったわけじゃない」

「じゃあどうして、別れたいのよ?」

「君と恋人関係を続けるのに疲れたんだ」

 

俺の目にも涙が浮かんできた。

交際期間たった1年で俺は根を上げた。

 

「早く帰るから。

料理もするし、デートもする。

ユノの好きなことを一緒にするから。

ユノのファッションに口出ししないし...そうだ!

旅行しようよ。

今まで行ったことなかったでしょう?

私、変わるから!」

 

俺の腕をぎゅっとつかんだリアが、俺を見上げている。

彼女の必死な姿は初めて見る。

 

「もう遅いよ」

俺はゆっくりと首を横に振った。

「気持ちがなくなったんだ」

「大嘘つき!

私のことを好きだの、最高だの言ってたくせに!」

「ごめん」

 

当時の気持ちは本物だったと断言できる。

 

「分かった!

他に好きな女がいるんでしょ!」

「!?」

 

瞬時にチャンミンの顔が浮かんだ。

パチンと音がして、頬がカッと熱くなった。

俺の表情のわずかな変化を見て取った彼女が平手打ちをしたのだ。

 

(つづく)