~ユノ~
チャンミンは俺から顔を背けてしまった。
「チャンミンちゃん...」
「からかわないで下さい」
「からかってなんか...」
「『恋人じゃない人相手に、キスはできますか?』って質問したんです。
ユノさんと僕は、恋人じゃないですよね?
『ユノさんは恋人じゃない僕相手にキスできますか?』って、質問しただけなんです」
つい忘れてしまう。
彼は俺の恋人じゃない。
チャンミンは男だ。
俺の想いを彼に伝えるのは時期尚早だと控えていた。
彼には好きな人がいる。
「......」
「『キスして下さい』とお願いしたんじゃないんですよ」
俺は勘違いをしていたのか。
あの時、「キスできますか?」の問いに、「できる」と即答していた。
彼が本当に聞きたかったことに答える代わりに、衝動的に行動で示してしまった。
「どうして男の人は、気軽にキスをするんですか?」
でもね、チャンミン。
君は俺のキスを受け入れていただろう?
じっとしていただろう?
勘違いしてしまうだろう?
「キスなんかされたら、何か特別な想いが込められているんじゃないかって、勘違いしてしまいます。
ユノさんは深く考えずに、軽い気持ちでしたのかもしれませんが...」
「チャンミンちゃん。
そんなんじゃないんだ」
俺は女性あしらいに長けている男ではない。
浮気だとか、特定の女性をつくらずに複数の女性の間を器用に渡り歩くことは出来ないし、したくない。
これまで何人かの女性との恋愛経験はあるけど、俺は『堅物』な質だ。
「ごめんなさい。
ユノさんを責めているわけじゃありません。
僕の質問の仕方が悪かっただけです」
そう言って、身体ごと俺に背を向けてしまった。
恋愛に関して、彼は“あそび”がほとんどない堅物で未熟者だ。
窓枠に頭をもたせかけた彼のうなじを、俺はぼんやりと見つめるばかりだった。
あの夜のホテルでの時のように、冗談で済ませられない雰囲気になってしまった。
このままだと、彼が俺から離れて行ってしまう。
「チャンミンちゃん」
俺はもう一度手を伸ばし、リュックサックの上に置かれた彼の手をとった。
一瞬強張ったが、すぐにやわらかく力が抜けた。
彼は抵抗できない子なんだった。
不意打ちに距離を縮めてこられた時、じっとして受け入れてしまうんだろうな。
初めて会った日のうちから、俺は彼女の髪に触れていた。
こちらからの接触に抵抗しなかった。
俺は一目見た時から彼に惹かれていて、そのために吸い寄せられるように触れてしまっていたんだ(しばらくの期間、彼のことを『彼女』だと思い込んでいた)
一方の彼は、無防備に心も身体も晒している子だから、不意打ちの接触に対してどう反応したらよいか分からずに、じっと無抵抗でいただけなんだ。
相手が俺だったからこそ懐いてくれて、俺に触れられてもくすぐったそうにしてくれていたんだと思い込んでいた。
彼は危なっかしい。
放っておけない。
「...ごめん」
さっきまで汗ばんでいた彼の手の平が、今はさらりと乾いていて、俺の手の中におさまったままだ。
気安く手を握られていたら駄目だよ。
「俺は誰彼構わず手を繋いだり、キスしたりしないよ」
「ホントですか?」
暗がりの中で、彼の三白眼が俺を軽く睨んでいた。
口角が上がっているから、本気で睨んでいるわけじゃない。
よかった。
「僕、怒っていませんからね」
彼は、背けていた身体を俺の方に向けて座りなおした。
「ユノさんったら、勘違いするんですもの。
びっくりしましたぁ」
首をこすりながら、彼は笑った。
俺は本気だったんだよ。
君が相手だったら、いくらでもできる。
彼は繋いだ手を引き寄せると、「ちゅっ」と音をたてて俺の手の甲に口づけた。
今度は俺の方が、びくっとした。
「仕返しに僕もキスしてみました」
と言って、彼はふふふっと笑った。
俺の手の甲に、ほんの1秒だけ押し当てられた唇の柔らかさにぞくりとして、下腹がうずいた。
「ユノさん」
「ん?」
「ユノさんのキス、全然嫌じゃなかったです」
「え...?」
そんな言葉をきかされたら、勘違いしてしまうよ。
「僕は単純だから...勘違いしてしまうかもしれませんよ?」
「チャンミンちゃん?」
「お客さん」
「!」
「着きましたよ」
タクシー運転手の言葉に、俺たちの会話が宙に浮いてしまった。
いつの間にかタクシーは病院裏に横づけされ、ハザードランプの点滅が夜間出入り口のドアをパカパカと照らしている。
「降ります!」
ドアが開き、俺の手を離した彼はリュックサックを抱えてタクシーから降りてしまった。
俺の手の中が再び空になる。
「送ってくださってありがとうございます」
財布を出そうとする彼をおしとどめた。
俺も車を降りようとしたが止められた。
「ユノさんはお仕事があるでしょう?
お家に帰って寝てください...2、3時間しか寝られませんね。
ごめんなさい」
「じゃあ、変わったことがあったら連絡するんだよ」
ぺこりとおじぎをする彼の頭をひと撫ぜしてタクシーに乗り込み、もと来た道を戻るように指示をした。
いつもいつも、肝心なところで邪魔が入る。
俺こそ、君に聞きたいことが沢山ある。
さっきの言葉は、都合よく捉えてしまっていいのかい?
(つづく)