(2)Six in the morning

 

 

~チャンミン~

 

 

コツコツとノック音の後、ドアの隙間からするりとユノが忍び込んできた。

 

ドアに向けた背中から、待ちくたびれた僕の不機嫌さが伝わればいい。

 

「遅かったね?」

 

咎める口調になってしまっても構わない。

 

僕の背中をすっぽりと覆うように抱きしめたユノ。

 

ユノから外の匂いがする。

 

「ごめん」

 

近頃のユノは待ち合わせの時間に遅れるようになった。

 

「僕に会いたくないの?」の言葉が、喉までせり上がっている。

 

僕はぐっと我慢をして、それが喉から飛び出さないように、かなりの努力が必要だった。

 

ユノの答えがなんとなく予想がついたし、それを聞いてしまった時点で僕らの逢瀬は途絶えてしまうだろうから。

 

僕らの逢瀬が終わりになるんだ、そうに決まってる。

 

悪いように考え過ぎだって分かってる。

 

不安が膨らむごとに、日に日に僕は甘えん坊の子供になるんだ。

 

背中ごと抱きしめられて、ユノが愛おしくて胸が苦しい。

 

天邪鬼な僕だから、「そう易々と機嫌を直してたまるか」と、首に巻き付いたユノの腕を、ふりほどいた。

 

「今日は遅かったね、仕事が忙しいの?」

 

固い口調になってしまっても、構わない。

 

ユノに関することなら、僕はいくらでも子供になってやる。

 

「んー」

 

ユノの歯切れのわるい返事に、僕の胸はどす黒い疑心に満ちて、喉からその頭が飛び出してしまった。

 

「...それとも、彼女にまとわりつかれていた?」

 

「おい!」

 

びくっと肩が跳ね、ユノは「悪い」と謝って、僕の肩を抱いた。

 

ここでは彼女たちの話は禁句なのだ。

 

「俺たちの話をしよう」

 

ユノは胡坐をかき、僕にも座るようマットレスを叩いた。

 

嫌な予感がした。

 

僕は話をするよりも、ユノと身体を重ねたかった。

 

不安で押しつぶされそうな苦痛を、滅茶苦茶に抱かれて押し流してしまいたい。

 

「あと4時間しかないんだよ?」

 

「...わかってる」

 

「話って、何を話すの?

後からじゃ駄目なの?」

 

「今でも後でも、話したいことは変わらないよ」

 

ああ、やっぱり...。

 

僕は服を全部脱いで、ユノの胸を押して仰向けにした。

 

僕の身体はいつだってユノを受け入れられる。

 

ユノが僕の身体をそう変えたんだ。

 

ユノのボトムスをずらして、露わになったものに僕は身を沈めた。

 

快楽への誘いに陥落し、低く唸るユノに満足した。

 

僕らは相性がいい。

 

僕が与える快感をこれでもかと味わえば、離れがたくなるはずだ。

 

そして、考えを変えてくれるはず。

 

怖い話は先延ばしだ。

 

今はただ、血がにじむまでかき回されて、意識をとばしたい。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

俺の胸にしがみついているチャンミンの後頭部を撫ぜて、俺は言った。

 

「チャンミン」

 

「......」

 

「こんなの不自然だって...分かってるだろう?」

 

それまで胸を湿らせていた、チャンミンの熱い息が止まった。

 

「......」

 

「分からなくなってきたんだ。

チャンミンと密かに会う時間が待ち遠し過ぎて、

それ以外の時間が薄くなってきて...嘘みたいになってきた」

 

「...僕も同じだよ」

 

「だろ?

俺だって、ずっとチャンミンと会っていたい」

 

「僕も同じだよ」

 

俺とチャンミンが日常を抜け出せる、朝までの数時間。

 

俺たちの逢瀬の時間だ。

 

いつから始まったんだっけ?

 

「待ちぼうけをくらわされた時もあったな。

今か今かと、一晩中待っていた」

 

「あの時は...!」

 

チャンミンはがばっと、俺の胸から顔を起こした。

 

「旅行に行ってたんだっけ?

それとも、夜通しのパーティだったっけ?」

 

「ユノの方だって...。

2週間も来なかった時があったじゃないか?」

 

「入院してたんだから仕方がないだろう?

知ってたくせに、見舞いにもこない」

 

「...ごめん」

 

「済んだ話は、まあいいや。

...俺は、現状に満足していない。

こそこそと会う関係は...不健康過ぎる」

 

「...このままじゃ駄目だってこと...僕もそう思ってるよ。

でもさ、この方が丸く収まるって、ユノは分かってるでしょ?

この方が誰も傷つけずに済むでしょう?」

 

「俺たち以外のね。

じゃあ、俺たちはどうだ?

会うごとに、心に傷はつかないか?」

 

「ああ、幸せだ」と逢瀬の甘い余韻に浸っていられたのも、最初のうちだった。

 

そのうち、物足りなくなってきた。

 

過去に下した自身の判断が揺らいできた。

 

「そうだね...ユノと会えて幸せだけど、少しずつ何かが損なわれている気がする」

 

「だろう?

不自然なんだよ。

チャンミンと会うごとに、苦しいんだ」

 

「え...?」

 

「だから...」

 

1年近く考え続けてきたこと、いつ決断を下すか迷ってきたことを、口にする時がきた。

 

「終わりにしよう。

俺たちの関係は、普通じゃない」

 

「そんな...」

 

青ざめたチャンミンに、俺は彼の両頬をにゅうっとつまんで左右に引っ張った。

 

「ばーか。

勘違いするな。

俺が何を言いたいか...分かるだろう?」

 

たちまちチャンミンの顔が、ぱぁっと花開くように明るくほどけた。

 

「僕が心を決めた時...ユノを奪いに行ったとしたら...。

僕の方は構わないんだ。

僕が心配なのは、ユノの方だよ。

困るでしょう?」

 

チャンミンは俺の二の腕を揺すり、両眉をめいっぱい下げ、目尻を赤く染めて一心に俺を見上げている。

 

激しくもつれあったせいで、チャンミンの髪はくしゃくしゃになっている。

 

チャンミンの頭のてっぺんに鼻を埋めた。

 

「困らないよ」

 

「ホントに?」

 

「ああ。

俺がチャンミンを奪いにいったら...どうだ?」

 

そう言った直後、チャンミンは俺の首に遮二無二にしがみついてきた。

 

勢い余って俺は仰向けに突き倒され、その上にチャンミンの身体が重なる。

 

「お願い...奪いに来て」

 

「了解」

 

掛け時計に視線をやる俺に気付き、「まだ、5時だよ」とチャンミンは言った。

 

「1時間あれば...」

 

チャンミンの頭が目の前から消え、直後に身体の芯に電流が走る。

 

しゃぶるチャンミンの髪を、ぐしゃぐしゃと撫ぜる。

 

俺はこの男が好きだ、愛してる。

 

この男に噛みつかれた肩が痛い。

 

 

(つづく)

 

 

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(1)Six in the morning

 

 

~チャンミン~

 

 

薄いピンク色の湯船に身をしずめ、後頭部を縁にもたせかけた。

 

クリーム色の天井の隅の、青黒いカビの跡をじぃっと見上げていた。

 

「はあぁ...」

 

41℃のお湯の中、くたりとしていたものがむくむくと首をもたげてきた。

 

記憶だけでこうだもの。

 

お湯にゆらぐ白い肌、ありもしない首に胸にと散っている赤い痕が、僕の目に映るのだ。

 

腰の後ろが、身に覚えがないのにじんじんと痛むのだ。

 

格子のはまった曇りガラスを透かした朝日のせいで、僕の身体は、生々しく淫らだ。

 

趣味の悪い色に満ちた風呂場だから、余計に。

 

僕を呼ぶ彼女の声。

 

「ああ」と「おう」の間の、「わかったよ」と「うるさいな」の間のどっちつかずの返事をして、僕はざぶりと湯船を出た。

 

 


 

 

「ねぇ、ユノ。

昨日は何してた?」

 

「仕事」

 

ユノの背中にのしかかり、首に腕をまきつけて、僕は甘ったれた声で問う。

 

ユノの返答はいつも同じ。

 

ユノの身も心も、仕事で忙殺されているのだ。

 

それから...彼女のことも、ユノの身も心を支配しているのだ。

 

それが悔しくて、妬いた僕はユノの首筋に歯をあてる。

 

「痛いなぁ。

痕がつくだろう」

 

ユノの後ろ手が僕のうなじをとらえて、ぐいと引き寄せる。

 

そして、ユノの肩から身をのりだすようにして、彼の唇を受け止める。

 

「痕が付いても平気でしょ?

僕にもいっぱい付けたでしょ?」

 

僕らは2人、何も身を付けておらず、シーツもしわくちゃで湿っている。

 

窓のないこの部屋のど真ん中に、巨大なベッドが鎮座している。

 

その狭さに息苦しさを覚えてもおかしくないのに、僕らが放つむっとした匂いで密閉された感じが気に入っている。

 

身体同士の繋がりだけじゃなく、空気もまるごと僕らがひとつになったみたいで。

 

ユノの襟足に光る汗の雫を、僕は舐めとった。

 

ああ、僕はユノが好きだ。

 

その想いが溢れそうで、溺れそうで、怖くなった僕はユノの肩に噛みついた。

 

「そんなに俺は美味いか?」

 

「うん...美味しい。

もっと食べたい」

 

「つっ...!」

 

「ごめん...」

 

ぷつりと染み出た赤を、僕はぺろぺろ舐めた。

 

「美味いか?」

 

「美味しい」

 

ユノが好き、好き。

 

「そろそろ...時間だな」

 

ベッドの真正面に、掛け時計がある。

 

短針が6に、長針が12に近づく。

 

「...そうだね」

 

満ち足りた気持ちが、しゅるしゅると萎んでしまう。

 

僕らの貴重な逢瀬の時間が、間もなく終わる。

 

手離したのは僕の方だから、ユノを責めたらいけないのだ。

 

ユノを取り戻しにいこうかな...。

 

こんな逢瀬は終わりにしないと。

 

日々の目標が、ユノとの逢瀬になってきた。

 

ユノとの逢瀬が、僕の日常をジワジワと占めてきた。

 

僕の現実は、不自然で意に反している。

 

早く抜け出さないと。

 

沢山の人を傷つけたとしても。

 

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

「チャンミン...寝るな。

時間が勿体ないよ」

 

チャンミンの丸めた背を揺すると、「うう...ん」と唸り彼はゆらりと身を起こした。

 

横抱きにして攻めたら、余程よかったのか顎をがくがくさせていた。

 

この狭苦しい部屋に閉じ込められて、俺たちは繋がってみたり、言葉を交わしたり、また繋がったり...を繰り返している。

 

始終、いやらしいことをしている訳じゃなくて、4割くらいかな。

 

チャンミンとはいろんなことを話す。

 

その日あったこと、感じたこと、とある事柄についての見解など。

 

俺もチャンミンも、彼女たちについての話題を巧妙に避けている。

 

思い出話が一番、罪がない。

 

まだお互いが若く、現実から目を背けていられて、甘ったれていられた時のこと。

 

全てが底抜けに明るく、隣にいる1分1秒にげらげらと腹をかかえて笑えてくるくらい。

 

目をキラキラと輝かせたチャンミンの、髪の毛1本すら愛おしくて。

 

「楽しかったなぁ...」

 

しみじみとした俺の言い方に、チャンミンは「ジジくさいなぁ」と笑う。

 

向かい合わせに寝っ転がった俺たちは、くすくす笑いが止まらない。

 

「目尻にしわができてるぞ」

 

チャンミンの目尻をつん、と指で突く。

 

「それなりに苦労したし、いい大人だからね。

...いいなぁ、ユノは」

 

「いいなぁ、って?

羨ましいことなんてあるのか?

チャンミンの方こそ、充実してるんじゃないのか?」

 

「...どうだろう...。

何が幸せなのか、分からなくなってきたんだ」

 

「暗い顔するなって」

 

「もっとずっと、ユノといたい」

 

「いればいいじゃないか。

こうやって、会ってるじゃないか」

 

「それじゃ、足らないんだ」

 

近頃の俺たちは、こんな会話ばかり交わしている。

 

もっと一緒に居たいのなら、居ればいいじゃないか。

 

その方法を二人とも知っている。

 

簡単なことなのに、なかなか難しいことなのだ。

 

俺たちを閉じ込める小部屋の壁を...コンクリートと鉄筋で頑丈に造られた壁を、ハンマーで叩き壊すことはできるかな。

 

時間がかかるだろうなぁ。

 

穴が開いて、外光が射す頃には、肩を痛めているだろうなぁ。

 

それよりもっと怖いのは、なかなか開かない穴に焦れてきて、互いに苛立って罵りあうようになること。

 

やはり、こうやって、日常の空気から遮断されたこの部屋で、思い出話と強烈な快感に浸っているのが、罪がないのだ。

 

日常を忘れて、平和で甘い時間を過ごしたい。

 

...そう言い聞かせてきたんだけど。

 

秒針がたてるコチコチ音が、耳障りになってきた。

 

間もなくAM6:00。

 

「うー」と唸ったチャンミンは、シーツの中にもぐりこんでしまった。

 

「時間だぞ」

 

「やだなぁ。

帰りたくない」

 

シーツから目だけを覗かせたチャンミン。

 

「帰りたくないのは俺も同じだよ」

 

こういう子供っぽい仕草は、昔と変わらないな。

 

くしゃりと髪を撫ぜてやった俺は、「先に帰るぞ」と、チャンミンに背を向けた。

 

「ユノ」

 

呼ばれて振り返った。

 

「一緒にいたい...ずっと」

 

「そうだな」

 

それ以上の言葉が、出てこなかった。

 

 


 

 

地上26階から見下ろす風景。

 

朝日が昇りたての街は、空との境が曖昧でぼうっと霞んでいる。

 

電子レンジで温めた昨日の珈琲。

 

香りも味も薄っぺらい、色が付いているだけのお湯をすする。

 

彼女が目を覚ましてくる前に、こうやって一人、窓外を眺めるのが日課だった。

 

俺の目には実は、何も映っていない。

 

窓ガラスに額をつけて、物思いにふけっているフリをしているのだ。

 

頭の中は、あいつのことでいっぱいだ。

 

ついさっきまで、確かに俺の腕の中にいたのに、今はいない。

 

「一緒にいたい...ずっと」の言葉に即答できるはずなのに、言い控えてしまった。

 

ちゃんと家に帰れたかな。

 

あいつに噛まれたはずの肩を、シャツの上からさすっても、痛くも痒くもなくて寂しい。

 

あいつとの逢瀬を待ち望む気持ちが、俺の日常にじわじわと侵食してきた。

 

先に手放したのは、俺の方だ。

 

こんな意に反したこと、そろそろ終わりにしないとな。

 

終わらせるのが、俺の役目だ。

 

 

 

(つづく)

 

 

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保護中: Six in the morning

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(最終話)結婚前夜

 

「違うよ、ユノ」

 

「?」

 

「思い出させてごめん、の意味じゃないんだ。

そうじゃなくて...」

 

ユノの小さな鼻先に、ちゅっと音をたてて口づける。

 

「ヤキモチだよ。

ユノが他の女の人と抱き合ったり、キスしたりしてたことを想像したんだ。

そうしたら...」

 

こぶしでとん、と裸の胸を叩いてみせた。

 

「胸が苦しくって...。

ユノと関係した全女性に、僕は嫉妬する」

 

「チャンミン...」

 

ユノの曇った顔がみるみるうちに、ぴかぴかに光ったものに変化していった。

 

「嬉しいことを言ってくれるんだなぁ」

 

ユノは僕の頭を抱え込んで、玩具みたいに左右上下に振る。

 

「ユノ!」

 

「ヤキモチ妬いてるのか!?」

 

ユノの声が1トーン高い。

 

僕のちょっとしたヤキモチが、ここまでユノを喜ばせるなんて。

しつこく頭をシェイクされて、たまりかねた僕は、「抜いちゃうよ!」と叫んだ。

繋がったままの言葉のやり取り。

話題は何であれ、律動運動を再開すれば気まずい雰囲気くらい、すぐに吹き飛ばせる。

互いの気持ちを確認した後だったら、もっともっと、その動きは激しいものになる。

 

「それは困る」

 

ユノは僕の頭を挟んでいた手を離すと、その手をジグザグに落としていった。

到達したのは、僕の弱いところ。

ユノの手と口によって、さんざん開発されたところ。

5年の空白期間を経た現在も、身体は覚えているものだ。

ユノの4本の指が、僕の両乳首をきゅっと摘まんだ。

 

「あぅっ」

「どう?」

 

「...足りない」

「これくらいか?」

 

「ああぁっ...いいっ...もっと」

 

今度はきつくひねられて、両先端からちりちりと快感の電流が下腹に向かって流れる。

 

「っうん...それ、くらい...ああっ...いい」

 

どうしよう...滅茶苦茶気持ちがいい。

くっくと下から小刻みに揺らされて、僕は天を仰いで喉を反らした。

僕の両腕は後方にだらりと落とされ、腰の動きに合わせてユノの膝をさわさわとくすぐっている。

 

「いい...すごく...いいよっ...」

 

ユノは再び背中を柔らかいマットレスに横たえた。

 

「チャンミン。

お前の慰めはその程度か?

もっと腰を動かせよ」

 

ユノは頭の後ろで腕を組み、にやりと唇をゆがめた。

気品を感じさせる、小さな唇...ふっくらとした女性的な唇。

その唇で乱暴で淫猥な言葉を紡がれると、それだけで感じてしまって僕の尻の締まりがぐっと良くなるのだ。

ユノはそんな僕をよく知っている。

知ってて煽るのだ。

この柔らかく、広い贅沢な寝台は、聞き苦しい金属音をたてたりしない。

僕らの営みをどっしりと受け止めてくれる。

そう。

これは、営みだ。

5年間の空白期間を埋めるための営みだ。

 

 

ドアを開け、角を曲がってすぐに視界に飛び込んできたのが、天蓋付きの真っ白な寝台。

疲れ切っていたユノは、バッグを放り出し、靴を履いたままダイブした。

子供じみた行動に僕はクスクス笑いながら、ユノの真似をした。

目が詰まったさらさらの、糊のきいた厚手のシーツ。

「慰めてあげる」と、枕に顔を埋めたユノの耳元で囁いた僕。

気持ちよくさせてあげる。

心を今すぐ癒やしてやることは無理でも、肉体が感じた...頭の芯が痺れるほどの...快楽が、少しでも精神に影響してくれたらいいな、と思う。

この部屋なら。

未だ褒められたものじゃない僕らの関係が、真っ白で清いものだと錯覚できそうだった。

 

 

またがった僕が腰をくねらすのを、ユノは観察する目で見上げている。

僕は後ろ手にマットレスについて、反らした上半身を支える。

 

「いい眺めだ」

 

ユノの左手は僕のペニスを捕らえ、半勃ちだったそれをたちまち大きく固く育ててしまった。

 

「...駄目ぇ...!」

 

中からも外からも、両方から与えられる快感に、おかしくなりそうだった。

 

「チャンミン。

お前だけ気持ちよくなってどうする」

 

とがめの言葉に、ユノの手の中で僕のペニスが固さを増す。

ユノを慰めるはずの僕が、リードすべき僕が性に溺れていてどうする?

ユノの手首を押しやって、指の間から僕のペニスを抜き取った。

僕の顎は開きっぱなしになっていて、だらだらと唾液が首をつたっている。

もう駄目だ...おかしくなりそうだ。

 

「ガクガクじゃないか」

 

ユノが呆れたように笑った。

 

「ごめ...ごめ...っん...」

 

グラインドさせていたはずの腰が、ユノの上に全体重を預け、踏ん張ることすらできなくなっていた。

 

「痩せすぎなんだよ」

 

ユノは半身を起こすと、そのまま僕を仰向けに組み敷いた。

ユノの手は、僕のうなじを支えてくれる。

柔らかいマットレスの上なのだから、後ろ向きに倒れても痛くはないのにね。

真上に迫った切れ長の黒目がちの眼は、いつもは涼しげなのに今は、らんらんと輝いている。

柔らかな前髪がうつむいたせいで額を覆い、ユノの見た目を幼くさせていた。

残念なことに、今の僕にはユノを視線で愛でる余裕はない。

 

「それとも...快すぎるのか?」

 

そう囁くと、僕の耳たぶを食み、舌先で溝をちろちろと滑らせた。

 

「うん...うん...うん...」

 

かくかくと馬鹿みたいに頷いて、ユノの首にしがみつく。

とても...恥ずかしい恰好をしている。

僕の両膝はユノの肩に背負われて、何もかもが丸出しになっている。

 

「んあっ..!」

 

抜ける一歩手前まで腰をひき、一気に突き刺される。

冗談じゃなく、内臓がどうにかなってしまいそう。

突かれるごとに悲鳴じみた声があがり、それがユノを煽ることを僕は知っている。

 

「痛いか?」

「いいっ...いい...きもちぃっ...」

 

僕は首を横に振る。

のけぞる喉に、浮き出た青筋に、皮膚のやわらかな箇所を狙ってユノが吸い付く。

痛みすら快感だった。

僕らのセックスは奪い奪われるような、半ば暴力的なもの。

そうであっても、互いが垣間見せる優しさに感激し、その度に相手をより好きになる。

ユノのスライドの間隔が短くなり、叩きつける力が増してきた。

絶頂が近い。

この時にはもう、前がどんな具合になっているのか分からなくなってしまい、ただただ、腹底を叩く強烈な快感のとりこになっていた。

 

 


 

 

僕らはかれこれ2日間、この部屋を出ていない。

寝台で愛し合い、浴室で愛し合い、ソファで愛し合い、床を転がりまわって愛し合った。

ふかふかのカーペット敷きのここは、組み敷かれても背中が痛くない。

僕の肛門は悲鳴をあげていて、それならばと前ばかり攻められ、1滴残らず搾り取られた。

全身の骨という骨がギシギシと軋み、ぎくしゃくとした歩き方に、背後からユノの弾ける笑い声が降ってきた。

僕がついた小さな嘘も、すぐにバレてしまった。

 

「5年前ってのはサバ読みだな。

チャンミンは、無害そうな顔してて、精力だけは強いからなぁ。

で、ホントはいつが最後だ?」って。

 

ユノの眼に捕らえたら嘘がつけない。

白状する代わりに、僕はルームサービスのワゴンからそれをとって口に放り込む。

よく冷えたフルーツ。

甘く冷たい果汁をこぼさないようそのままに、ユノの可愛いくしぼんだペニスを頬張った。

ユノの喉から低い呻き声が漏れる。

 

「いいよ...それ...すげぇ、いい」

 

ユノは僕の髪を指ですく。

優しい手つきに、頭皮から首筋へと甘い痺れが走る。

僕は丹念に舐め上げる。

ユノの指がうなじへと差し込まれ仰向くと、僕の唇がすっぽりと覆われた。

赤い果汁を交換し合うキス。

僕らの身体はべたべたで、苺の甘い香りに包まれた。

 

「なあ、チャンミン。

俺たちが丸一日一緒に過ごすのは、初めてだよな」

 

「ホントだね」

 

全くもって...その通りだった。

 

 

確かに僕たちは、2、3時間の慌ただしい逢瀬が常だった。

誰にも言えな秘密の繋がり、それぞれの恋人を裏切る後ろめたさ。

罪悪感を抱きながらの逢瀬は、まっとうな生活のいいスパイスになってくれた。

性的な興奮を高めてもくれた。

しかし…いつからかうっすらと気付いていた。

この関係には、目的地がない、と。

幸せにはなれない類の関係だと。

 

 

「…最高だ」

 

ぽつりとつぶやいたユノの言葉に、僕も同感だ。

 

「なあ、チャンミン」

 

「ん?」

 

あらたまった風の言い方に、身構えた。

5年前の夜の、別れを告げられた時のことを思い出してしまったから。

 

「一緒に、住まないか?」

 

これっぽちも予想していなかった言葉に、僕の思考が止まった。

一緒に、住まないか。

僕の脳みそに言葉がしみわたるのを、ユノは待っていた。

無言で空を睨んだままの僕を、優しいまなざしで待ってくれる。

僕の様子に不安そうな素振りを、一切見せなかった。

自信があるのだ。

ユノは。

僕が頷くことを。

ユノのこういうところに、惹かれたんだった。

よかった。

この男を選んで、本当によかった。

 

「俺たちみたいな関係にはゴールインはない、って話したよな。

ゴールインに限りなく近いところ...同じ家に住むんだ。

どう思う?」

 

100回頷いても足りないくらいの大賛成だった。

 

「元気、でたか?」

「え…?」

 

「浮かない顔をしてただろ?

俺のことを心配し過ぎなんだよ」

 

そうかもしれない。

 

「よかった。

元気になったみたいで。

お前のことが心配だったんだ」

 

僕がユノに癒されててどうするんだよ。

「ユノを癒す」という使命感に燃えていた僕。

肩ひじ張った緊張感を、ユノの瞳は敏感にキャッチしていたのだろう。

ユノの前では、僕は心も体も丸裸にされてしまうのだ。

僕はこの男が好きだ。

この男に捕まえられて、僕は幸せだと思った。

 

 

(『ホテル』おしまい)

(6)結婚前夜

 

「最後に女を抱いたのは、いつだ?」

 

僕の耳に触れんばかりに唇を寄せて、低い声で囁かれる。

 

熱い吐息が耳を湿らせ、ぞくりと下腹がせり上がる。

 

「チャンミン?」

 

僕はついとユノから目を反らし、伏せていた半身を起こした。

 

ユノの眼はいけない。

 

まともに捉えられたら、心の中が丸裸になってしまうから。

 

 


 

 

5年間の離別ののち、僕らは再燃した。

 

その炎は、5年前より大きく膨れ上がっている。

 

ユノは荒れていた。

 

無理もない。

 

結婚挙式数時間前に、婚約破棄を彼女に申し出たのだ。

 

破棄の理由が、再会した元セフレ男とよりを戻したから、以上。

 

当然、真実を伝えることは出来ない。

 

嘘も方便。

 

元セフレ男とは僕のことで、もちろん現在はセフレなんかじゃない。

 

れっきとした恋人同士だ。

 

僕とユノがどれくらい愛し合っているかよりも問題なのは、僕との関係を優先させるために、ユノが数多くのものを捨てざるを得なくなったこと。

 

それも、数時間という短時間のうちに自らの手で、多くの人たちの期待と信頼をぶち壊したのだ。

 

中途半端な優しさを見せたらかえって罪になるからと、婚約者の女性には言葉を尽くして、きっぱりと結婚する意志がないことを彼女に宣告したんだ。

 

側で聞いていたわけじゃないけど、きっとユノならそうだったんじゃないかな、と思ったまで。

 

僕はボロボロになって帰ってきたユノを出迎えた。

 

結婚前夜の1週間後のことだ。

 

ユノはとても優しい男だから、自分の身勝手さを優先させた結果、苦しむことになった彼女たちを想像して、心を痛めている。

 

つまり、自身の喪失感としでかしてしまったことの深刻さに、打ちひしがれている訳じゃないのだ。

 

嘆き悲しんでいる彼女の心情を思って、ユノも嘆き悲しんでいるんだ。

 

いつか立ち直った彼女が幸福をつかむことを、祈っているのだと思う。

 

「誰かの不幸と引き換えに得た僕らの縁。彼女の分まで僕らは幸せにならないと」なんて、無神経なことは口にしたくないし、そんなこと思ってもいない。

 

犯した罪は償えない。

 

冷たい言い方かもしれないけど、事実は事実として認めて、楽に呼吸ができる日々をじりじりと待つしかない。

 

ユノを引き留めた時、僕は心に決めたことがある。

 

僕はユノを癒やすんだ。

 

「辛いね」

 

枕を抱きしめて突っ伏したユノの後ろ髪を、指ですいた。

 

僕はそばにいて見守るしかない。

 

中途半端な慰め言葉を、ユノは求めていない。

 

苦しい苦しいと悶えるそばに居てあげるだけだ。

 

もちろん。

 

苦しむユノのそばに居るのは辛い。

 

ユノが可哀想で。

 

でも、苦しい理由はそれだけじゃなくて、焼け付くような嫉妬心の存在だ。

 

結婚を決意したほどの女性だもの。

 

ユノの心と身体をいっときでも捉えた彼女に、僕は猛烈に嫉妬している。

 

よかった...ユノが誰かのものになってしまう前に取りもどせて。

 

僕という人間はなんて自分本位なんだろうと呆れる。

 

僕とユノ、揃って幸せになりたい。

 

そのためには、自己中になるのが近道なんだ。

 

 

 

 

あーとか、うーとか、ユノは埋めた枕の中で唸っている。

 

ユノと僕はホテルの一室に居た。

 

古くて汚くて、不特定多数の体液が沁みついているようなところじゃない。

 

何倍もランクアップさせたところだ。

 

ユノは彼女と共に暮らすはずだった新居を出たし、僕の家は狭いワンルーム。

 

僕らは思う存分、激しく抱き合いたかった。

 

もの侘しい部屋じゃユノの意気がそがれてしまうことを恐れて、ちょっとだけ奮発してみた。

 

「慰めてあげる」

 

僕のひと言からスタートした。

 

今のユノには慰め言葉は響かないし、求めていない。

 

となれば、慰めるとは...言わずもがな。

 

 


 

 

「教えろよ」

 

下から伸ばされた手で僕の両頬が挟まれ、力いっぱい引き落とされた。

 

「最後はいつだった?」

 

「言いたく...ないっ...んんーっ!」

 

それは強力な吸引力のキスだった。

 

既に何度も吸われ過ぎた僕の唇は、赤く腫れあがっていた。

 

「熟れた実みたいで、エロいな」と、唇の片端だけゆがめた妖艶な笑みを浮かべる。

 

「言え」

 

「いや...だ」

 

「言わないと...」

 

「んんっ...!!!」

 

胃袋に達するんじゃないかと、怖くなるくらい攻められて降参する。

 

「わかった...言うっ...言うよ!」

 

あご下まで垂れた唾液を、手の甲でぬぐった。

 

「ごねっ...5年前だ...よっ」

 

それは嘘だ。

 

正しくは3年程前が最後だったはずだ、記憶が正しいのなら。

 

5年前妻と別れてからの1、2年間、後腐れのない関係を繰り返していた。

 

僕は浅ましくも、女性も抱いたし、今みたいに抱かれることもできる。

 

もちろん、抱かれるのはユノ限定だ。

 

ユノの動きがぴたりと止まり、「嘘だろ?」と、勢いよく身を起こした。

 

反動で後ろにひっくり返りそうになったのを、ユノの片腕に支えられた。

 

「ほんと...だって」

 

正直に何でも打ち明ければいいものじゃない事くらい、僕も大人だ、分かってる。

 

「妬けるね。

...妬けるよ」

 

ユノの指が僕の唇をすっと撫ぜた。

 

「え...?」

 

鬱血した唇がひりひりする。

 

セックス無しの期間の長さに、ユノは驚いたのかと思った。

 

「でもっ...その時は、結婚してたし。

もう、どんなだったか...忘れたよ。

それに、ユノだって...。

ちょっと前まで他の女の人と...」

 

「まあな。

婚約までした人だったからな...」

 

そこで言葉を切ると、ユノは僕から目を反らした。

 

「しまった」と、自分の発言を後悔した。

 

ユノの瞳の中で揺らめいていた肉欲の炎が鎮火してしまったのを認めてしまって、僕の胸がずくんと痛んだ。

 

「ユノ...」

 

背けていた顔を戻したユノは、僕の強張った表情に気付いてほほ笑んだ。

 

「気を遣わなくていいよ。

チャンミンは普通にしてくれていいから。

普通が助かる」

 

ユノはそう言ってくれたけど、僕の胸がきしんだ理由はそうじゃないんだ。

 

 

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