(最終話)僕らが一緒にいる理由

 

「泣いてしまって...すみません」

 

アオ君はおしぼりで目元を押さえて、「すみません」と頭を下げた。

 

「謝らなくていいよ。

アオ君の気持ちを知られてよかったよ」

 

大人2人が高校生男子を泣かせているようにしか見えない図に、店員さんはグラスの水を追加しに行っていいかどうか迷っている風だった。

 

「あ~あ、スッキリしました」

 

ひとしきり泣いていたアオ君の涙がようやく止まった。

 

僕らがこのカフェに入って2時間ほどが経過していた。

 

「気が楽になったら腹が減りました」

 

「俺も甘いものが欲しいな」

 

そう言い出した夫とアオ君のために、ピザとケーキを追加注文した。

 

夫がトイレに立った時、僕はアオ君を手招きして小声で尋ねた。

 

「どうして僕だけの時はタメ口なわけ?

 

ユノがいる時はちゃんと敬語を使えているよね?」と、ずっと気になっていたことを追求してみた。

 

「敬語にして欲しいのなら直すけど?」

 

「今さら、いいよ」

 

「よその家は知らないけど、俺んちでは敬語は使っていない。

その流れで、チャンミンに対してタメ口を使っちゃってたんだよなぁ。

ただそれだけ」

 

アオ君は届いたケーキを前に、「やっぱチョコの方がよかったかなぁ」とつぶやいている。

 

「ユノの時は敬語じゃないか」

 

「真っ先に俺の事情を分かってもらわないといけなかった人だからだよ。

初対面で『ちぃ~っす』って、タメ口で近づけないでしょ?」

 

「...確かに」

 

「ユノさんの話を聞く限り、チャンミンってホント、可愛い奴なんだ。

会ったことがないのに、年下感が強いっていうの?

...それで俺、しみじみ思ったんだ」

 

「何の話?」と、手洗いから戻ってきた夫が席についた。

 

「ユノさん、おかえり。

ちょうどお二人への接し方についての話をしていたんですよ」

 

アオ君の言葉遣いはころりと敬語に戻っていた。

 

「ユノさんもチャンミンさんは僕の両親と同一だから、一緒にいて混乱するかもしれない、って思ってたんです。

でも、そんなことはなかった。

ああ、そうかぁ、この世界にいる限り、ユノさんとチャンミンさんは『兄さん』みたいな存在なんだぁ、って」

 

アオ君にそう言われてしまってちょっと寂しかったけれど、僕の方も同じような感情を抱いていたからおあいこだった。

 

なぜなら、僕にとってアオ君は、弟、もしくは従兄弟くらいの距離感でいた。

 

(夫の血縁者程度に思っていたところ、アオ君から僕の気配を見つけてしまったから、僕はわけが分からなくなったのだが)

 

確かに僕はアオ君の身の回りのことに干渉したがった。

 

恐らく夫は、僕がアオ君に感情移入してしまい、遺伝学的に『息子』だと知った途端、アオ君を手放したくなることを恐れたのだと思う。

 

だから、真実を伝える機会をうかがっていたのだ。

 

夕飯はコース料理だというのに、僕ら3人は大きなピザとケーキをもぐもぐと消費していった。

 

ふと顔を上げた時、向かいのテーブルを片付けていた店員さんと目があい、笑顔で会釈された。

 

さっきまで泣いていたアオ君が笑顔に戻ったことに、店員さんはホッとしてくれたのだろうな。

 

「両親の写真を見せてよ」

 

「いいですよ」

 

アオ君が見せてくれたスマートフォンに、2人の男性が映し出されていた。

 

当然だけど、今の僕たちを約30年分老けさせた姿をしている。

 

彼らと僕らが決定的に違うのは、血を分けた子供の有無だけではなく、親の目をしているか否かだ。

 

夫から「チャンミンはママの顔してるぞ」とからかわれ、ムキになった僕は「ユノこそ『若い頃さんざん悪さをして、遊んできました』風オヤジの顔してる」と言い返した。

 

「あ!」

 

ユノ側の父親の耳で、例のピアスが光っていた。

 

「大事にしているのを知っていたから、困らせようと思ってくすねてきたんですよねぇ、これ」

 

アオ君は自身の耳に装着したピアスを指さした。

 

「ったく、やることが子供だね」と、夫は呆れたようにため息をついた。

 

「アオ君と一緒に映っている写真はないの?」

 

するとアオ君は顔を曇らせた。

 

「ありません。

両親と一緒に写真なんて、絶対に嫌だったから。

でも、帰ったら撮ろうと思ってます。

それから...」

 

アオ君はアクセサリーケースに手を伸ばし、自身の方へと引き寄せた。

 

「これは貰ってゆきます」

 

「え?」

 

僕と夫が目を丸くしていると、アオ君はこう言った。

 

「チャンミンさんが両耳分買っていたので、貰って帰ろう、って狙っていたんです」

 

「ちゃっかりしてるね」

 

「このピアスはあっちの僕の世界と、こっちのお二人の世界とを繋いでくれるんですよ。

凄くないですか?」

 

得意げに話すアオ君を前に、僕と夫は顔を見合わせ苦笑した。

 

 

アオ君はその後2週間ここにとどまり、楽しく過ごしたのち、「じゃあね」と帰っていった。

 

駅前のロータリーで別れた。

 

2つの世界を繋ぐ扉など存在せず、あちらの世界へと意識を集中させると、肉体と共に移行できるのだそうだ。

 

分かったような分からないような...

 

「行きより帰りの方が簡単です。

待っている人がいますから」

 

衣食住の大半を僕らの家に頼っていたおかげで、荷物は少なくて済み、小さなバッグひとつにすべてまとまった。

 

「もう会えないの?」

 

「チャンミンさん、泣いてるんですか!?」

 

「...っ、くっくっ...。

寂しいよ。

ずずずずー」

 

僕はアオ君から手渡されたティッシュペーパーで鼻をかんだ。

 

「夫夫の危機の時、登場してあげますよ」

 

「ホントに?」

 

「赤ちゃんの姿になって、お二人を困らせてやりますよ」

 

「赤ちゃん!?」

 

「どこか別のパラレルワールドに生きる赤ちゃんの僕、っていう意味です」

 

「どんなアオ君でもいいから、遊びに来てね」と、かなり本気で僕は頼んでいた。

 

「できれば、今のアオ君がいい」

 

「考えておきます」

 

離れがたくていつまでも留まる僕らに、「きりが無いから、お二人は行っちゃってください」とアオ君は、しっしと手を振った。

 

立ち去る僕らにアオ君は手を振り、振り向いても振り向いても、まだ手を振っていた。

 

最後に振り向いた時、アオ君は消えていた。

 

 

アオ君を見送った後の帰り道は、久しぶりの夫夫水入らずのデートとなった。

 

コーヒー豆のちょっといいやつと、コーヒーのお供にと小さなケーキも買った。

 

人通りが途切れた時、ぽつりと夫がつぶやいた。

 

「寂しいな」

 

「うん」

 

「あっという間だった」

 

「うん」

 

アオ君がやって来た頃の自分を思い返していた。

 

この暮らしは正しいか正しくないかを、自分に問いかける日々だった。

 

こんな暮らしでいいのか、夫には不満はないけれどなぜかため息が出てしまっていた。

 

僕は全てを持っているのに、既に手にしたあれこれに飽きてしまっただけのことだ。

 

2人きりの暮らしは、余程のことが無い限り淡々と続くだろう。

 

僕らが男同士だから、と言うのは関係ない。

 

結婚しているか否かも関係ない。

 

愛する人を前にして、5年後10年後、30年後50年後を想像した時、隣にいるのは彼だけなのか。

 

「もし...」

 

「もしも」に続く次の言葉は何?

 

子供がいればよかったのに、と言いたかったのか?

 

それは違う。

 

僕と夫は今、この世界に生きている。

 

もし僕ら夫夫がアオ君たちの世界にいたのなら、もしもアオ君という子供をもうけることができなかったら?

 

可能性があるからこそ、得られた時の嬉しさはひとしおだし、同時にそれが叶えられないと分かった時の絶望は想像したくない。

 

でもこの世界にいる限り、それらは杞憂に終わる。

 

 

別れの前夜、アオ君と最後の夕飯を我が家で摂っていた時の会話だ。

 

「当初の予定では、サクサクっと用事を済ませたらサッと帰ってしまうつもりだったんです。

でも、居心地がよくて長居してしまいました。

ユノさんが、正体を明かすのは待って欲しい、と言ってくれたおかげですよ。

『息子』だと知られたら、そういうつもりで扱われてしまうでしょう?」

 

「タイムスリップの怖さは、選択肢次第で未来が変わってしまうことだね。

生まれるべき命が無くなったり、新たな出会い...。

朝ご飯に何を食べたかどうかでも、未来は変わる」

 

と、しみじみ語る夫に、「そう思うとタイムスリップって怖いね」と僕は答えた。

 

「でも、ユノさんたちがどんな選択しようとも、どこかのパラレルワールドでは僕は誕生します。

僕の存在は確実なのです。

万が一、お二人が離れ離れになってしまったとしても、お二人の遺伝子を受け継いだ僕は現在進行形で生きています。

それがどれだけお二人の心の支えになるかは、想像するしかありませんけど、悪いものじゃないと思います。

どうです?

僕はお二人の過去にも、現在にも、未来にもいるのです。

お二人は同一ですから、別の並行世界であっても、互いに惹かれ合い共に年を重ねる人生を歩むのではないでしょうか?

お二人がどんな人生を送るのか、僕はこの世界の住人ではないので見届けることはできませんけど。

でも、もうひとつの世界では少なくとも58歳までは共に暮らしていることは事実です。

ひとつの参考にしておいてください」

 

アオ君の両耳にピアスが光っている。

 

どちらが僕らのピアスなのか区別がつかなかった。

 

 

(おしまい)

 

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(31)僕らが一緒にいる理由

 

夫への贈り物は彼の目に留まらないようお弁当のバッグではなく、リュックサックに入れてきていた。

 

アオ君は、隣の席に置いていた僕のリュクサックを、テーブルの下越しにとって寄こした。

 

話が見えない夫は「渡すって何のこと?」と訊ねた。

 

そして、夫に背を向けてリュックサックをゴソゴソ漁っている僕の手元を、覗き込もうとした。

 

「待って待って」

 

僕は取り出したそれをテーブルに置き、すっと夫の前へと滑らせた。

 

「?」

 

「これ...ユノへのプレゼント」

 

黒水晶の色に合わせて、ラッピング用紙もリボンも黒を選択した。

 

「俺に...?

何のお祝い?」

 

「う、うん」

 

僕は照れくさくて夫の顔を見られず、アイスコーヒーに視線を落としたまま頷いた。

 

夫への贈り物は、前にも言ったけれどこれが初めてではない。

 

ささやかなものから背伸びして奮発したものまで、贈り合ってきた。

 

僕ら二人だけの暮らしは単調になりがちで、2年前と3年前との区別がつかなくなるからだ。

 

でも、今回の贈り物は胸がくすぐったくて、頬がかっかと熱い。

 

...多分、アオ君が見ている前だからだと思う。

 

僕はもじもじと、おしぼりをくるくると丸めた。

 

「原稿料が思った以上に貰えたから。

日頃の感謝の気持ちをこめて...みた」

 

「感謝?

わざわざいいのに...」

 

僕は夫の二の腕を揺さぶった。

 

「いいから、早く開けて!」

 

夫は僕に急かされてリボンを解き、ラッピング用紙の中から現れた箱を見て「アクセサリー?」と訊いた。

 

「うん」

 

箱の蓋を開けると、アオ君と一緒に選んだ1点もののピアスが現れた。

 

「かっこいいじゃん。

ありがとう」

 

夫はピアスの一方を指でつまみ、眼の高さに掲げた。

 

「でしょ?」

 

それは、太めのカフス型で、耳たぶの裏側辺りに漆黒の石がはめ込まれている。

 

「凝ってるね。

これは何ていう宝石?」

 

「水晶だって」

 

「イニシャルもあるじゃん」

 

「うん。

『Y&C』

ベタだけどいいよね?

ほら、付けてみて!」

 

「今?

最近ピアスしていないからなぁ...恥ずかしいなぁ」

 

僕とアオ君にせがまれた夫は苦笑しつつ、慣れた手つきで贈られたばかりのアクセサリーを身につけた。

 

「ちょい悪な感じがいいね」

 

僕は身を引いて夫を眺め、いつになってもカッコいい彼に誇らしい気持ちになった。

 

「どうアオ君、似合ってるよね?」と、夫の耳たぶからアオ君へと視線を向けた。

 

アオ君は顔を斜めに傾け、自身の耳たぶ...安全ピン型のピアス...を指さした。

 

「?」

 

「何を見せたいんだろう?」と僕と夫が見つめる前で、アオ君は装着していたピアスを外した。

 

アオ君のピアスホールは案外大きかった。

 

ポケットから取り出したものは指輪のように見えたが、耳に装着し始めたためそれがピアスだと分かった。

 

シンプルデザインのピアスが、アオ君の耳を飾っている。

 

それは初対面の時からしばらくの間、アオ君が愛用していたものだ。

 

「それが...どうしたの?」

 

「チャンミンさんの目は節穴ですか?」

 

アオ君は装着したばかりのピアスをすぐに外すと、手の平に乗せ、対面する僕と夫の目の前に差し出した。

 

何の変哲もない、シルバー色のカフス型のピアスだ。

 

「ここのところを見てください」

 

アオ君はピアスをつまむと、ひっくり返した。

 

裏面に黒色の透明な石がはめ込まれている。

 

「......」

 

僕と夫は息をのんだ。

 

『Y&C』の文字が彫られている。

 

夫にプレゼントしたものと同じデザインだったのだ。

 

とっさに夫は自身の耳に手をやった。

 

それから僕と夫の視線は、揃ってテーブルの上のギフトボックスへ向けられた。

 

夫の耳に1個、ギフトボックスに1個...アオ君の手の平に1個。

 

ピアスが...3個!?

 

「僕が付けてのは両親のものです。

カッコよかったから、貰っちゃいました。

だから、こっちの店で目にした時は驚きましたよ。

一緒じゃん、って」

 

「すごい偶然だね」

 

「どの世界であっても、チャンミンさん本体は同じなんですから、センスが似通っていて当然ですよ。

ただし、ちょっと違うのは僕の父は片方しか買わなかったみたいです」

 

そう言ってアオ君は苦笑した。

 

「そのピアスが、アオ君がこっちにやって来ることになった理由に関係するの?」

 

「結果的にそうなりました。

もう少し説明させてください」

 

 

アイスコーヒーのグラスを下げてもらい、ホットコーヒーを注文した。

 

「僕がこっちの世界に来たのは、『僕が生まれる前』の両親に興味があったからです。

並行世界はいくつもあるので、既に二人が死んでしまっているパラレルワールドや、誕生すらしていないパラレルワールドにやってきてしまう場合があります。

僕はラッキーなことに、『30歳のユノとチャンミンが暮らしているこの世界』を引き当てました」

 

「パラレルワールドは2つだけじゃないんだねぇ」

 

「らしいです。

いくつあるかは不明ですけど」と言って、アオ君はミルクも砂糖もたっぷりといれたコーヒーをすすった。

 

「前にもお話しましたが、僕の世界では同性間の妊娠出産は可能です。

もともと出産できる機能が備わっているわけではなくて、医療的処置の末です」

 

「そうなんだ...」

 

アオ君の世界では、てっきりオメガバース的なタイプの男性がいるのかと思っていたから、驚いた。

 

「少数派ですから、偏見の目で見られますね。

『そこまでして子供が欲しの?』って。

遺伝子的に未知の部分も多いので、両親は心配性になってしまうし、どうしても過保護になってしまうんでしょうね」

 

アオ君はため息をつくと、頬杖をついて窓の向こうを向いてしまった。

 

初春の日光がアオ君の肌をより白く、さらさらの前髪の黒を際立たせていた。

 

僕らはしばらく沈黙した。

 

そもそもこちらの世界にいる限り、僕と夫の間に...二人の遺伝子を受け継いだ...子を成すことはできない。

 

そうであっても...僕と夫との間にできた子供と暮らすパラレルワールドを妄想することはある。

 

「どうして子供を欲しいと考えるようになったのだろう?

愛の証が欲しかったんだろうか?

2人だけの生活じゃ物足りなくなったんだろうか?

2人の欲望が先行した結果、生まれた僕の苦労を考えなかったんだろうか?

...こんな風にしか考えられない自分が、いい加減嫌になってきたんです」

 

アオ君の眼に透明の膜がふくらみ始めた。

 

「なんだかんだ言って、僕は両親のことが大好きなんです」

 

目尻に溜まったものがこぼれそうになる直前、アオ君は指の背でそれを払った。

 

僕の前で泣くのは恥ずかしいんだな、と思った。

 

「僕のところは子供を望めばもうけることができる世界。

こちらでは同性同士の出産が可能な世界なのかどうかは、前もってリサーチはできませんでした。

後になって、『ユノさんとチャンミンさんが子供作ることができない世界』だと、ユノさんに教えてもらいました」

 

「...それを聞いてどう思った?」

 

「正直に言っていいですか?」と、上目遣いになったアオ君の声は小さかった。

 

「いいよ」

 

「子供が未だいない頃の両親はどんな風だったんだろうと、興味があったんです。

子供を作ろうかどうか迷っている頃の両親を見てみたかった。

妊娠中の父...チャンミンの方です...を見てみたかった。

大きなお腹の中の...僕の誕生をワクワクして待つ2人の顔を見てみたかった。

でも、タイムスリップして、若かりし頃の両親を眺めるようなものなのだと考えていた僕が浅はかでした。

パラレルワールドとはどういうものか、ちゃんと理解していなかったんですね。

あっちとこっちでは登場人物は同じでも、社会の常識や時間軸が違うんですから」

 

「......」

 

「お二人の暮らしはのんびりとしていて、幸せそうで一緒にいて楽しかった。

でも... 寂しい、と思いました。

すみません!

こんなこと言って」

 

アオ君は頭を下げた。

 

「子供がいないお二人の暮らしが寂しい、と思ったんじゃないんです。

子供の存在が無いことが当たり前の、この世界が寂しいと思ったんです。

ユノさんとチャンミンさんの暮らしには、子供が欲しいと望む気配がゼロでした。

こちらの世界では無理な話ですから、それは当たり前です。

そのことを寂しいと思ったんです」

 

僕らの手元を見ていたアオ君が、ビシッとこちらを見た。

 

「ユノさんとチャンミンさんは僕と血が繋がってます。

でも、僕の両親ではありません。

僕がここに現れなければ、お二人は永遠に僕という子供の存在を知らずにいたのです。

僕という子供の存在を知って欲しい、認めて欲しいと思いました。

これまで『ユノとチャンミンの子供』であることを否定していたのにですよ?

だから、あちらの世界で、両親の子供でいられてよかった、と思いました」

 

夫は手を伸ばし、ぼろぼろ涙を流すアオ君の頭を撫ぜた。

 

(つづく)

 

 

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(30)僕らが一緒にいる理由

 

遊園地で遊ぶどころじゃなくなった僕らは、持参した弁当を急いでお腹におさめ、近場のカフェへと場所を移した。

 

背の高い仕切りで3方を囲まれた席のおかげで、会話の内容に気を遣う必要はなかった。

 

僕と夫の正面にアオ君が席につき、3人ともアイスコーヒーを注文した。

 

『この世界にいる限り』って僕が言ったことを思い出してみて。

もし僕が未来からやってきたとするならば、僕は一体、何年先の世界からやって来たのだと思います?」

 

「え~っと...」

 

僕はあらためてアオ君を観察してみた。

 

アオ君が身につけているものに、僕がイメージする未来的なアイテムは見当たらない。

 

未来から持ち込んだものはアパートメントに隠し、ハイテクなものに頼っていたからお米を炊くこともできなかったと、無理やりこじつけられるけれども。

 

「ヒントをあげる。

僕の両親はいくつだったでしょう?」

 

「...あ!」

 

アオ君は遅くにできた子で、現在は50代後半だと話していた。

 

「思い出しました?

僕の両親は60歳間近...え~っといくつだっけ...57、8...58歳です。

僕が未来人だとしたら、これから10年後にチャンミンさんは僕を妊娠しないといけないでしょう?

『この世界』で果たして10年後に、男であるチャンミンさんは子供を身ごもることはできると思いますか?」

 

「...できないね」

 

「何十年も先なら可能かもしれないけど、その頃はお二人は死んじゃってるよ」

 

「確かに」

 

ぐるぐるする頭で、隣の夫の表情をうかがうと、答えを知っている彼の方こそ僕の反応が気になっている風だった。

 

口角をぴくぴくさせて、僕が騙される瞬間を狙っている風ではなかった。

 

「未来や宇宙、異世界からやって来たのではないとすると...」

 

アオ君は身を乗り出して、僕の口から正しい回答が飛び出すのを待っていた。

 

「もしかして...」

 

小説家の僕が一度使ったことがあるストーリー設定だ。

 

「パラレル...?」

 

「正解」

 

アオ君はにっこり笑った。

 

パラレルワールドとは、この現実とは別に存在する、『もう1つの現実』のことだ。

 

『もしも』を可能にする世界。

 

アオ君は僕と夫のグラスからストローを取ると、左右の手に1本ずつ垂直に立てた。

 

「こっちが僕の世界。

お二人が今生きる世界がこっちです」

 

平行に並んだ2本のストローを前に、僕と夫は顔を見合わせた。

 

「?」

 

「僕の世界とお二人がいるこの世界との関係性はこういうことです。

2つの世界はそれぞれ独立した時間軸をもって、並行関係を保って存在しています。

パラレルですから、僕はどこか不思議の世界からやってきたわけじゃありません。

二次創作でよく用いられている考え方です。

小説家のチャンミンさんなら詳しいでしょう?」

 

「う、うん」

 

小説のプロット作りに参加した夫も、「あれのことね」とつぶやいた。

 

未来から来たのではない、という説明にようやく納得がいった。

 

「自由に行き来できるものなの?

ドアがあるとか?」

 

「あれをドアと言えるのかどうか...。

でも、内緒です」

 

「え~、ずるい」

 

アオ君の前だということを忘れて、口を尖らせてしまった僕。

 

「あっちとこっちの当人同士が顔を合わせていいものかどうかわからないから、止めておいた方がいいと思います。

未来と過去の自分は会ってはいけない、って言いません?

...でも、パラレルの場合はどうなんだろう...。

もしチャンミンさんが、あちらに遊びに行った時、こっちの世界にはチャンミンさんが不在になってしまう。

...う~ん」

 

アオ君は腕を組み考え込んでいたが、「分かりません」と残念そうに言った。

 

「分かった。

おかしなことになったら怖いから止めておく」

 

向こうの僕らがどんな暮らしを送っているのか興味津々だったけれど。

 

 

「あっちの世界では、僕とユノはアオ君のお父さんかぁ。

...ユノはどう思った?」

 

「俺は、アオ君は俺たちの子供だと確信しているよ」

 

アオ君との日々を思い出してみても、「この子はこの世のものではない」と疑わせるような不自然な言動はなかった。

 

ごく当たり前に、僕ら夫夫の隣でご飯を食べたり、TVを観たり、我が家に泊っていった。

 

両親に対して抱いている複雑な思いも教えてもらった。

 

 

僕はアオ君と夫の顔を交互に見比べた。

 

『そういう目』で観察すると、やっぱり2人はよく似ていた。

 

従兄弟どころか、もっともっと近しい関係だった。

 

僕と夫、アオ君3人並んで写真を撮れば、血を分けた同士の証拠がたくさん見つかるだろう。

 

でも、アオ君が『どこから』来たのかは、たった今説明を受けたけれど、夢物語を聞かされたかのような、キツネにつままれたような感じ。

 

けれども、アオ君の存在を否定することは出来ない。

 

これは紛れもない現実だ。

 

夫がアオ君を認めている...これが決定的理由。

 

親子関係を証明するため遺伝子検査を...なんて無粋なことは不要だ。

 

この子は僕と夫の遺伝子を受け継いでいる。

 

僕らの子供と言ってもいい存在だ。

 

 

「ひとつつじつまが合わないことがあるんだけど?」と、これまで黙っていた夫が口を開いた。

 

「俺とチャンミンは30歳。

アオ君の両親が58歳。

この年の差は?」

 

「僕も不思議に思った。

約30年分の『年月』のずれは何なの?」

 

「不思議でもなんでもありません。

僕の世界とお二人の世界は同時進行に時を刻んでいますが、時系列までは一致していません」

 

「どういうこと?」

 

アオ君はさっきの2本のストローを、テーブルの上に平行に並べた。

 

2本のストローの先端は揃っている。

 

「お二人が想像するパラレルとは、こんな感じなんだと思います。

実際はパラレルと時も場所もバラバラなのです

こんな風に」

 

アオ君は2本のストローを前後にずらした。

 

「あ...!」

 

「こっちの世界のユノさんが赤ちゃんなのに、あっちの世界のユノさんはおじいさんであっても、おかしくありません。

どの世界でも、『ユノさん』が実存している...このことが重要です」

 

「...そういうことか」と夫は唸り、氷が溶けて薄まったコーヒーをがぶりと飲み込んだ。

 

「アオ君は両親が嫌になって、こっちにやって来たんだよね?

男同士で子供を作るなんてレアケースなことをした結果、アオ君の友人関係がうまくいかなくなってしまった。

何でも許してくれる激アマなのは、苦労を強いられているアオ君に負い目があるからだって...そう言ってたよね?」

 

「どうしてこちらの世界に来ようと思ったの?

溺愛する親が重いから逃げてきたことも理由のひとつかもしれないけどさ。

本当のところは何?」

 

「俺も知りたい。

教えて?」

 

「分かりました」

 

「いてっ!」

 

テーブルの下を覗くと、僕の足を蹴ったのはアオ君の足だった。

 

「痛いよ?」

 

蹴られる理由が分からず、アオ君を睨みつけると、彼は僕の傍らのバッグを顎で指していた。

 

「何?」

 

「ユノさんに例のものを渡さないの?」

 

「今?」

 

洋食レストランにディナーの予約を入れていた。

 

夕食のデザートが出された頃に、夫へ贈り物を渡そうと計画していたのだ。

 

「そう。

僕としては今渡してくれると助かります。

説明しやすくなるんです」

 

「...分かったよ」

 

僕は渋々頷いた。

 

(つづく)



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(29)僕らが一緒にいる理由

 

~夫の夫~

 

夫は軽い気持ちで発したジョークも真に受けてしまう男だ。

 

いけないと思いつつも、彼の百面相を見たくてからかい過ぎてしまう。

 

俺はアオ君の話...アオ君は俺と夫との間に生まれた子...を信じることにした。

 

「妄想の世界に付き合ってやるか」という偉そうな態度で 全くないわけではなかったが。

 

男と男の間に子供が誕生することは、難しい。

 

もし、実験段階では技術的に可能だとしても、庶民の俺たちには縁のない話だ。

(もっと現実的な可能性として代理母の線があるが、アオ君曰く、俺と夫の遺伝子を受け継いでいるそうだから、これも当てはまらない)

 

いかにバカげた話なのか、夢物語アオ君の頭がおかしい 真相をつきとめようと動くこともできた。

 

アオ君は、自分自身が信じていること、正しいことを口にしているだけだ。

 

他人からは妄想話にしか聞こえないストーリーも、当人にしてみたら、その世界は真実なのだ。

 

重要なのは、『アオ君は嘘をついていない』こと。

 

これに尽きる。

 

 

ブランコに揺られながら話をきくには、夜の公園は寒すぎた。

 

アオ君の腹が空腹の音をたてたので、どこかレストランでも入ろうか?と誘ったが、彼は首を振った。

 

「住むところは確保してあるのです」

 

「そうなの!?」

 

俺と夫の住まいを把握したうえで、ここにやってきたというのだろうか?

 

会うことが出来て満足...それでおしまいのつもりではなさそうだ。

 

「僕の部屋で話をさせてください」

 

「わかった」と快諾した俺は、22時を過ぎているのを腕時計の針で知り、「遅くなる」と夫へメッセージを送った。

(このところ残業続きだったから、遅い帰宅に心配はしていないと思われる。今頃手酌で酒を飲んでいい気分になっていそうだ)

 

俺たちはコンビニエンスストアで食料を調達することにした。

 

そこで俺は、店の窓ガラスに映り込んだ俺たちの姿に息をのみ、結果アオ君の話の信ぴょう性は増したのだった。

 

「場所を確認させてください」と、アオ君はポケットからスマートフォンを取り出した。

 

画面には地図が表示されている。

 

スマートフォンを操作するアオ君の様子だと、彼はこちらに越してきて間もないらしい。

 

アオ君の住まいはアパートメント2階の1室で、驚くことにこの部屋に入るのは今が初めてだという。

 

これでアオ君が薄着だったことの説明がついた。

 

俺が最初に抱いた、ぬくぬくとした環境からポンと、この世に放り込まれたようなイメージそのままだったのだ。

 

アオ君の足取りは迷いがない。

 

メルヘンチックな外観は住宅街に浮いていていたが、未知の少年の住まいとして相応しかった。

 

住民たちは寝静まっているのか、どの部屋も真っ暗で、加えて外灯の明かりは乏しく、外階段のステップに置かれた小人の置物を蹴飛ばしそうになった。

 

家具に無いガランとした部屋は寒々としていて、小さな電気ストーブにかじりつき、調達した食料を口に運びながら、俺はアオ君の話を聞いた。

 

理解が追い付かず、途中で質問を挟みながらの話だったため、1時間以上かかってしまった。

 

そして、俺はアオ君を夫夫の日常に迎え入れることに決めた。

 

「ユノさん、ありがとうございます。

あの...ユノさんって呼んでもいいですよね?」

 

「ああ。

『お父さん』、じゃ変だからな」

 

「ふっ。

『ユノさん』と呼ぶのは変な感じがします」

 

「あ、今の!

チャンミンに似てる」

 

夫の笑い方にそっくりだったのだ。

 

「そりゃそうですよ。

僕の目からだとユノさんとどこが似ているかは、自分からは分かりませんが、第3者の目からは見つけることはできるでしょうね」

 

「そういうもんだよな」

 

俺がアオ君の面立ちから、夫の面影を発見できたのもそうだ。

 

「チャンミンさんの写真を見せてください」と。

 

俺はスマートフォンを操作し、膨大なストックの中からいい感じに撮れているものをチョイスしてアオ君に見せてやった(馬鹿写真や惚気写真など、人には絶対に見られたくないものがあるから)

 

「わぁ...。

そのまんまですね」

 

「本人だから、当たり前だろう?」

 

「そうですけど...へぇ。

チャンミンさん、平和そうな顔をしてますね」

 

「ははは。

気難しいところも多いけど」

 

「他に写真はないのですか?」

 

アオ君は画面を横にスワイプするものだから、俺は大慌てだ。

 

「それは駄目だ!」

 

「ほおお~。

裸エプロンですか...。

えっろ」

 

アオ君は「えっろ、えっろ」を繰り返すものだから、俺の全身は火を噴きそうに熱くなった。

 

何かの賭けに負けた俺が、罰ゲームとして裸エプロンになった時の写真だ。

 

「ま、まぁ...これはだな。

いろいろあって、ちょっとふざけてみただけだ」

 

「仲がよろしいことで」と、細めたアオ君の目が夫とそっくりだった。

 

アオ君の目は、すっきりとした切れ長のラインを描いているが、笑うと涙袋が盛り上がるところが、夫と似ていた。

 

「アオ君のご両親の写真も見せてよ」意外にもアオ君は首を振った。

 

「後からのお楽しみです。

チャンミンさんと一緒の時に見せてあげます」

 

「分かった。

なぁ。

そういえば、気付いたことがあるんだが...。

それ」

と、俺はアオ君の傍らに置かれたスマートフォンを指した。

 

「俺たちが使っているものと、それほど変わらないね。

こっちに来てから調達したの?」

 

もっと違ったデザインや性能のものを想像していたから、不思議に思っていたのだ。

 

「いいえ。

元から使ってるものです。

僕の話をよ~く理解してください。

僕は宇宙船が飛び交うような世界から来たのではないのですよ?」

 

「...そうだったね、うん」

 

アオ君の話は複雑過ぎて、理解しようとすると頭がこんがらがってしまうのだ。

 

「理解できなくても構いません。

僕だって理解できていないんです。

とにかく、僕はユノさんたちに会いたかった。

シンプルに考えて下さい」

 

「分かった」

 

難しいことを考えるのは止めにしよう。

 

アオ君と過ごすうち、そしてそこに夫も加わったら、おいおいとからくりが分かってくるだろう。

 

 

早く夫に会いたがるアオ君を、俺は止めた。

 

細やかなあれこれを大切に生きている夫は感受性が高く、とじこもり気味の日々を送っている為、アオ君の登場は刺激が強すぎる。

 

感情移入しやすい夫には直ぐには会わせられない、と思ったからだ。

 

必ず夫はアオ君にのめり込む。

 

年下の友人以上の愛情を、アオ君に抱くに違いない。

 

どのタイミングでアオ君の存在を知らせてやればいいか、しばらく考えていた。

 

夫の驚く顔を想像してみると、ワクワクするのと同時に胸が切なく痛んだ。

 

 

衣食住のサービスが手厚い寮生活が長かったこともあり、アオ君の生活能力は低かった。

 

必然的に俺が世話することになった。

 

その過程で夫から浮気を疑われるとは!

 

尾行されるとは!

 

仕方がないか。

 

たびたび外出する俺は不信過ぎるし、嘘も適当過ぎた。

 

夫を甘く見たらいけない。

 

俺が隙だらけなだけか?

 

まぁ、どちらでもいいや。

 

いくら鋭い夫とはいえ、俺の逢瀬の相手がまさか息子だとは、想像もしなかっただろう。

 

アオ君のアパートに乗り込んできた時の夫の顔ときたら!

 

鬼の形相だった。

 

のちに笑い話のひとつになるだろう。

 

 

アオ君はどこから来たのか?

 

なぜアオ君はここにやってきたのか?

 

場所については、分かったような分からないような理解度だ。

 

そして、理由については『両親から離れたかった、ひとりで考えたかった』としか聞かされていない。

 

俺だけじゃなく、夫も知らなければならない。

 

「ユノさんはチャンミンさんのことを分かってるんですね」

 

「俺の毎日は、あいつを観察することなんだ。

知らないでいる期間が長いほどいいんだ。

それに、君がこっちにやってきた詳しい理由は夫と一緒に聞きたいんだ」

 

「分かりました。

チャンミンさんにバラすベストなタイミングをみておきますよ」

 

なぜ俺が、夫がアオ君にのめり込むことを恐れたのか?

 

アオ君が俺たちの前に姿を現した真相を知った時、それはアオ君との別れの時でもある。

 

夫は俺以上に寂しがるだろう。

 

その別れはバッドエンドではなく、真の意味でハッピーなことだけれど、夫の涙を想像するとやはり、胸が痛む。

 

(つづく)

 

 

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(28)僕らが一緒にいる理由

 

~夫の夫~

 

アオ君のカミングアウトを受け、目を丸くし、口をあんぐりと開けフリーズしてしまった夫。

無理もない、と思った。

俺だって最初は全く信じなかった。

 

 

初冬の帰宅途中、アオ君は突如、俺の前に現れた。

後輩が犯したミスについて上司から雷を落とされ、その後始末に奔走した日だったため、疲労度MAXだった日だ。

残業は2時間程度で済み、夜9時過ぎの駅前広場はまだまだ賑やかだった。

自宅まで片道20分の道のりを、疲労した身体を引きずって歩くのかと思うと、心底うんざりした。

夫の手料理が恋しかった。

帰宅した時の光景を先回りして想像してみては、帰路の活力剤にした。

ラップをかけた料理がダイニングテーブルに、サラダが冷蔵庫に、スープはガスコンロの鍋にある(これは機嫌がいい時バージョン。悪い時はおかずゼロ、もしくは悪魔のスープ、地獄のコロッケなど)

浴室が冷えないよう、湯船の蓋は開け放ってある。

夫自身はとっくに風呂も食事も終え、コタツでごろ寝してTVを観ていると予想(締め切り間際にならない限り、夫は夜間の執筆はしない)

ゲームをしているかもしれないし、眠いからと早寝しているかもしれない。

コタツの天板に、封の開いた菓子の袋か皮をむいたリンゴの皿がある(「腹が出てきた」と騒いでるくせに、寝しなのおやつは我慢できないようだ)

夫に甘えたい。

帰宅するなりコタツに直行し、彼を背後から抱きしめたい。

「コートにしわが付く!」と肘鉄していても、俺にうなじを吸われているうちに、その気になってきて...想像しているだけで顔がにやけてしまう。

駅前広場のそちこちにたむろす酔っ払いをすり抜け、住宅街へ向かう道へ足を向けたその時。

ぽん、と肩を叩かれた。

振り向くと、丹精な顔立ちの少年が立っていた。

声をかけられた理由は何だろう?

道を尋ねる、もしくは落とし物を拾ってくれた。

歓迎できないのは、勧誘行動。

彼は俺を呼び止めたものの用件を言うわけでもなく、俺の顔をまじまじと見ているだけだったから、この3候補は違うと思った。

次に、家出を疑った。

 

「ひと晩、泊めてくれませんか?」と。

 

それにしては、表情に悲壮感がない。

長年探し求めていた者と奇跡の出会いを果たしたかのように、ぱぁっと顔を輝かせているのだ。

この寒空の下、彼は上着も羽織らず、手ぶらであるところに違和感があった。

身なりは清潔そうで、肌つやがいいから栄養状態は良さそうだから、家出少年とは考えにくい。

まるで、ついさっき暖房の効いた車内からぽいっと降ろされたような感じがした。

彼に声をかけられてからの数秒間で、これだけの候補を次々と挙げていったのである(夫の小説のアイデア出しに付き合っているうちに鍛えられた技である)

 

「え~っと、俺に何か?」

 

身長は170㎝後半ほどで、俺の視線のやや下に彼の目元がある。

フレッシュな瑞々しい眼が、俺を真っ直ぐ見つめている。

 

「...ユノさん...ですよね?」

 

「!!!」

 

突然名前を呼ばれて、心臓が大きな音を立てた。

ゾッとした俺は、認めたらいけない気がして「違います」と否定した。

 

「いいえ。

ユノさんですよね?」

 

真っ先にストーカーを疑った。

ところが、彼は俺の疑念を直ぐに読み、「大丈夫です」と俺を安心させようとした。

 

「僕はストーカーじゃありません。

邪魔になりますから、場所を変えましょう」

 

彼は俺の腕を取ると、先に立って歩き出した。

 

「え、どこに!」

 

俺の自宅がある方向へ向かっている。

 

「待って!」

 

大きなストライドでずんずん歩く。

トレーナーの丸首から、すんなりと長い首が延びている。

長い脚はひょろりと細い。

 

「ねぇ、君!

俺の名前...?

どうして?」

 

「驚きますよね?

気持ち悪いですよね?」

 

「ああ」

 

俺が連れていかれたのは、公園だった。

 

(乱暴されそうになっても、体格は俺の方が上だ。いざとなれば、通勤バッグで殴ればいい)

 

彼はブランコに乗ると、地面を軽く蹴った。

隣のブランコを勧められたが断った。

 

「僕の名前はアオ、といいます。

初めまして」

 

「...アオ君、ね。

初めまして」

 

俺の頭はクエスチョンマークがひしめき合っていた。

気味の悪い少年だけど、話だけは聞いてやろうと思った。

多分、彼からは好意しか感じ取れず、俺をどうこうするつもりはなさそうだったのと、彼の正体に興味があったのだ。

 

「僕はユノさんの子供です」

 

「は?」

 

「僕はユノさんの子供なんです」

 

とっさにイタズラに違いないと思った。

 

「信じてください」

 

「信じるも何も...俺には子供はいないよ。

いるはずがない」

 

『自分はゲイで、パートナーは男、女性と交際したことはない、だから子供は作れない』と、パーソナルな事情を話すのは気が進まなかった。

彼は、「僕はユノさんの子供です」と繰り返した。

まず最初に、「大人をからかうとはけしからん」と腹がたった。

適当にチョイスした誰かを騙すといった、友人同士の掛けゲームのターゲットに俺が選ばれたのだと思ったのだ。

小綺麗でいい子そうな少年だからと、ほいほい付いていった自分が情けない。

早く帰宅したいのに、時間を無駄にしてしまった、と。

でも、考えるにつれ、その可能性は潰れた。

俺の名前を知っているからだ。

軽いいたずら程度に、名前まで調べるだろうか?

とは言え、拾ったパスケースで名前を知ったり、知り合いの知り合いの可能性はあるから、いたずら説を完全には否定できないけれど。

 

「信じられないと思いますが、信じていただかないといけません」

 

「......」

 

「ユノさんのパートナーは、『チャンミン』さんですよね?」

 

「!!!」

 

「どうして知っているかって?

答えは単純。

僕のもう一人の父親が、チャンミンさんだからです」

 

「......」

 

「つまり僕は、ユノさんとチャンミンさんの間に生まれた子供ってことです」

 

「......」

 

「こいつは一体何を言ってるんだ?」と、彼の頭を疑ってしまった。

 

「僕はいたって正常です。

あ。

正常だと言う奴こそ、異常って言いますよね」

 

彼はクスクス笑った。

 

「でも」

 

彼はブランコの揺れを止めると、目線の矢で俺の胸を射った。

 

「僕はユノさんとチャンミンさんの遺伝子を受け継いでいます。

からかっていません。

事実を言っているだけです」

 

やっぱりこの子はおかしい。

つまり、彼の目に映っている世界、彼が信じている現実は俺とは異なるのだ。

例えば、自分は未来から派遣されてきた調査員、又は医療研究施設から脱走してきた被験者だとか。

当然俺は信じていなかったが、彼に合わせて、「へぇ」と同意したフリをしていた。

あまりに真摯な様子に、むやみに否定したらいけないと思ったのだ。

ところが、その日のうちに俺の気持ちは覆された。

彼の言う言葉はあながち嘘ではないのでは?と、思うようになった。

その後、腹が減ったと言う彼の求めに応え、夜のコンビニエンスストアを訪れた時だ。

並んで立つ俺たちの姿が窓ガラスに映り込んだその時だ。

背筋がぞくっとした。

夫に似ている、と思った。

彼が主張する話は、真実に近いのかもしれない、と。

現実世界には、説明のつかない不思議が転がっている。

心身が疲弊し、カスカスになっていた俺の心に、『アオ君』という夢があっという間に沁み込んだ。

夢を信じたい、と。

真実かどうかの答えは、夫にアオ君を会わせればはっきりする。

答えは夫が出してくれる、と。

否定できる要素は見当たらない。

彼の頭がおかしかったとしても、全力で信じようと思ったのだ。

やはり、騙されたのだとしても、腹を立てないだろう。

夫夫関係における次のステップを探していた。

束の間だけでも、夢を見たいと思った。

 

(つづく)