(8)会社員-恋の媚薬-

 

~チャンミン~

 

ユンホさんから「飲みにいかないか?」と誘われた僕は、天にも昇る思いだった。

 

他の人だったら100%断っていた(ま、誰も僕なんか誘わないだろうけど)。

 

でも、ユンホさんだったら話は別だ。

 

ウメコさんのお店は狭くて、ちょっとよろめいたら、ユンホさんの身体に触れられるくらいの接近できてドキドキだった。

 

卵とケチャップを買いに出ていったユンホさんを、僕はひとりスツールに腰掛けて待っている。

 

ウメコさんと2人きりになってしまって、僕も一緒についていけばよかったなぁ、って小さく後悔。

 

ウメコさんは厚化粧でも髭剃り青さを隠せてないし、ネックレスもイヤリングも指輪も過剰過ぎている。

 

「ザ・女装」「ザ・オカマ」そのまんまな人で、最初は怯えてしまった。

 

ユンホさんとは学生時代からの友達だというから、僕の知らないユンホさんをいっぱい教えてもらおう、と気持ちを切り替えた。

 

「ユノはね、ああ見えてかなりの奥手なのよ」

 

ウメコさんのぽっちゃりした手から、ビール瓶とグラスが手渡された。

 

「そうなんですか!?」

 

思いがけず大きな声になってしまった。

 

ユンホさんみたいなカッコいい人には...偏見かもしれないけど...とっかえひっかえ女の人が周囲にいるのかと思ってた。

 

何人もの女性社員がひそひそと、ユンホさんのことを噂しているところを何度も聞いた。

 

大っぴらにオフィス内で「あそこがカッコいい」「こんなことを言われた」、あーだったこーだった、って。

 

彼女たちにしてみたら僕なんか、男としてカウントする価値のない、面白げのない社員のひとりなんだろうね。

 

見た目もよくて、営業成績もよくて、女性に人気のあるユンホさんが、他の男性社員たちから妬まれても仕方がない。

 

だから僕は、目を光らせている。

 

ユンホさんの失敗を望む人が現れようものなら、僕が徹底的に阻止しないと、ってね。

 

それから、ユンホさんは書類仕事が苦手な人だから、僕がフォローしてあげなくちゃいけない。

 

たまに完ぺきに仕上げてくる時もあって、残念がる自分がいた。

 

こんなことがあった。

 

ユンホさんがサンプル品をオフィスに置き忘れて行ったことがあった。

 

即、連絡を入れたら「俺のとこまで届けてくれないか?」って頼まれて、指定された駅まで僕は走った。

 

オフィスにいるはずの時間に、外にいることが珍しくて新鮮だった。

 

ユンホさんはすぐに分かった。

 

スマホに視線を落として、駅構内の本屋の前で僕を待つユンホさん。

 

片脚に体重をかけている腰のラインが、なんだか色っぽかった。

 

細身のスーツがスタイルのよさを際立たせていて、とにかくカッコよかった。

 

憧れに近いほのかな恋心が、この瞬間に確信に変わった。

 

ユンホさんが...好きだ。

 

でも。

 

ユンホさんは男の人だ。

 

僕も男だ。

 

男が男を好きになるのは、レアなケースってことは重々承知してる。

 

僕は常識的であるべきことを重要視する人間だ。

 

ところが、ユンホさんに関しては多数派とか一般的とか、そんなことは一気に吹き飛んでしまった。

 

世の中の恋愛事情は、僕には関係ない。

 

僕は僕。

 

僕は僕がしたいように、恋愛をする。

 

ユンホさんが「男の僕を受け入れてくれるかどうか」の問題は脇に置いておいて、今はユンホさんと2人きりになれたことを楽しもう。

 

ユンホさんのプライベート・タイムに僕を加えてもらえて、ワクワクしているんだ。

 

ユンホさん、早くお使いから戻ってきてくださいね。

 

「ぐふふふ...」

 

しまった!

 

つい気が緩んで、気持ち悪いひとり笑いをしてしまった。(『キモいんだけど』と陰口を言われても仕方ないか)

 

誤魔化すようにビールを2杯、立て続けに飲んだ。

 

「チャンミンくぅん」

 

「は、はいっ!」

 

ウメコさんに呼ばれて、僕の背筋がシャキーンと伸びた。

 

ウメコさんは人差し指をクイクイと曲げて、僕に近くに寄るよう合図している。

 

「なんでしょうか?」

 

カウンター越しへ身を乗り出すと、ウメコさんが僕の耳元で囁いた。

 

「チャンミン君は...ユノのこと...好きでしょ?」

 

「ええぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

初対面の人にズバリ指摘されてしまった。

 

おかしいな、どうしてバレたんだろう。

 

髪を撫でつけたり、ネクタイを緩めたり、そわそわしてしまう。

 

「ユノのこと...好きでしょ?」

 

もう一度、尋ねられた。

 

「...はい」

 

僕はあっさり認めた。

 

ウメコさんの派手な見た目は多分、鋭い観察眼をカモフラージュするためのものなんだ。

 

ウメコさんに隠し事は出来ないと悟った。

 

「好きなんだぁ...」

 

「はい。

その通りです」

 

ウメコさんはそっち系の人だろうから、僕が男のユンホさんを好きだと知られても平気な点は救われた。

 

「ふぅぅん、そんなんだぁ...」

 

意味ありげに笑うウメコさんが不気味で、僕はごくり、と唾を飲み込んだ。

 

 

ドキドキ。

 

(つづく)

 

 

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(7)会社員-恋の媚薬-

 

(連れションか?)

 

俺の手を引いたまま、トイレへ入ろうとするチャンミン。

 

「チャンミン!

2人とも席を離れたら、物騒だろう?」

 

席に置きっぱなしのバッグが気になり、俺はドア前に立ちはだかった。

 

「お前が先に行け。

俺は待っているから」

 

席に引き返そうとしたら、二の腕がガシっとつかまれ、勢い余った俺は、後ろに立つチャンミンの固い胸に抱きとめられた。

 

「なんだよ?」

 

振り返ると肩傍に、さっきまでのとろけた表情とはうってかわって、チャンミンの真顔が迫っていた。

 

真顔といっても、オフィスでの生真面目な固いものとは違う。

 

この表情は...。

 

チャンミンの意図をなんとなく察して、「それはマズイ...ここではマズイだろ」

 

心中でたらりと冷や汗をかいていたら、

 

「ユンホさん!

抵抗しないでください」

 

チャンミンは小声でぴしゃりと言う。

 

おいおいおいおい!

 

制止むなしく、あれよあれよとトイレの中に押し込まれてしまった。

 

後ろ手で鍵をかける音に、俺は行き止まりに追い詰められたネズミの気持ちになった。

 

「ユンホさん...」

 

「チャンミン、落ち着け。

な?」

 

まあまあと、なだめる。

 

「僕はこれでも、とても緊張しているんです」

 

「とても緊張している者の行動じゃないぞ?」と、心中でつぶやいた。

 

ここは2人入ればぎゅうぎゅうの、男女兼用の狭い個室。

 

互いの身体は、ほぼ密着している。

 

俺は便器をまたいでいる姿勢で、不安定極まりない。

 

再び身体が熱くなってきているのか、チャンミンの額には汗が浮かんでいる。

 

きりっと直線的な眉の下の、二重瞼の眼がギラギラと光っている。

 

眼がこえぇ。

 

まあまあという風に、上下していた俺の両手が止まってしまう。

 

「わっ!」

 

俺の両肩がガシっと捕らえられた。

 

事務作業に向いている、神経質そうな細い指には似つかわない力で。

 

「ユンホさん!

今からキスをします!」

 

「えっ?えっ?えっ?」

 

俺の返事も待たずに、斜めに傾けたチャンミンの顔がすっと近づいてきた。

 

真一文字に引き結んだ唇だった。

 

よろめいた俺の腰が当って、真後ろのタンクがゴトリと音をたてた。

 

「......」

 

チャンミンの唇は静止したままで、ただ俺の唇にぎゅっと押しつけただけのものだった。

 

「......」

 

ウメコの店にいる時から、太い二の腕や透けた身体のライン、汗と体臭といった、下腹部を刺激するような男くささを発散し続けていたチャンミン。

 

こんなチャンミンの唇に触れたら、下半身の欲望のまま唾液まみれのキスになりそうだと、密かに予想していたのだが...。

 

そんなんじゃない。

 

エロさのない、まるでファーストキスみたいなそれ。

 

俺の両腕は、チャンミンの背を抱くこともせず、宙に浮いたままだった。

 

ピュアだ。

 

このキスは、なんてピュアなんだ。

 

舌の出し入れ無し、重ねなおすことも無し、食むことも無し。

 

ただ押し当てるだけのキス。

 

ビックリ仰天の俺だったから、当然目は見開いていて、視線を落としてチャンミンの様子を窺う。

 

そこには、閉じたまぶたと扇形に広がるまつ毛、首元から漂う甘いのに男らしい体臭。

 

じんと感動していたら、パチッとチャンミンのまぶたが開いて、慌てた俺は目を閉じた。

 

「......」

 

ふっと唇が解放され目を開けると、チャンミンは泣きたいのか笑いたいのか、どちらともつかない顔をしていた。

 

「...えっと...?」

 

どぎまぎと言葉が見つからずにいると...。

 

「ユンホさん!

僕とお付き合いしてください!」

 

「え?」

 

「僕と交際してください!」

 

トイレで口にする台詞じゃないだろう?

 

順番が前後していないか?

 

キスが先で、愛の告白が後か?

 

大人の恋愛においては、俺も経験済だが、肉体同士の接触が先になることの方が多々ある。

 

だけど、目の前の男に限っては、その辺りの順序を守りそうだったから、ついさっきのキスは想定外だった。

 

「お願いします!」

 

深々と頭を下げられた。

 

「そのつもりでいるんだけど...?」

 

「ホントですか!?」

 

頭を下げた状態での上目遣い。

 

やっぱり、可愛い。

 

「さっき自分で、『カップル成立ですね』って言ってただろ?

俺はお前が好き、お前も俺が好きってことは、そういうことだろ?」

 

「...そうです」

 

さっきまでの勢いはどこへやら、今度は眉尻を下げ、半泣きの顔でぽそりとした声。

 

「席に戻りましょう」

 

「え!?」

 

続きの言葉があるものだと思っていただけに、くるりと回れ右をしたチャンミンに拍子抜けしてしまった。

 

「いや...俺は...用を足してから」

 

「そうですか。

...ごゆっくり」

 

チャンミンは去ってゆき、ドアが閉まる。

 

「はあぁぁぁ」

 

俺は便器に腰掛け、がっくりと頭を垂らして、深く唸り混じりのため息をついた。

 

疲れた...マジで疲れた。

 

チャンミンは媚薬で大胆になっているが、性格まで変えてしまうことは出来ないだろう。

 

だから、素のチャンミンはあんな風なんだ、きっと。

 

チャンミンが分からん。

 

次の行動が読めない。

 

どこまでが素の姿で、どこからが媚薬で増幅されたものなのか。

 

さっぱり分からない。

 

俺は、なかなかどうして、ユニーク過ぎる男を好きになってしまったようだ。

 

俺のことが好きだと耳元で吹き込んだチャンミン。

 

いくら媚薬の力が強力だったとしても、全く好意のない者相手にキスまで出来ないだろう。

 

むすりとした態度の下で、ほんの少しは俺に好意を抱いていたんだよな?

 

憧れていた、と言っていたし...。

 

そう思っていいのか?

 

「そっか!」

 

声に出し、頭を上げた。

 

明日の朝になれば、全てが分かるじゃないか!

 

今夜のことで多少なりとも(いや、かなり)、俺たちは接近できた。

 

媚薬の効果が消えても、俺とやりとりの記憶は残っているはずだ。

 

自身が発した言葉も、俺の言葉も覚えているはずだ。

 

それに...。

 

唇に触れる。

 

高校生同士みたいなキス、珈琲の香りがした。

 

「よし!」

 

明日の朝になれば、はっきりする。

 

チャンミンの待つ席へ、俺は戻った。

 

 

「あれ...?」

 

席は空っぽだった。

 

チャンミンの革のバッグも、コートも、マフラーもない。

 

紙ナプキンに、ちんまりと小さい几帳面な文字。

 

『お先に失礼します。

頭を冷やします。

ごめんなさい』

 

 

「なんだこりゃ」

 

ご丁寧に、紙幣が1枚挟んであった。

 

「マジかよ...」

 

チャンミンは、俺を残して店を出ていってしまったのだ。

 

わけがわからない男だ。

 

 


 

 

「チャンミン!」

 

店を飛び出したところで、チャンミンがどこへ行ったのか見当がつかない。

 

好きだ好きだと想いをつのらせていたのに、俺はチャンミンのことをほとんど知らない。

 

独り暮らしなのか、最寄り駅はどこなのか。

 

今さら気付いたことだが、なんてこったい、チャンミンの携帯電話番号も知らないのだ。

 

雑踏の中、ぴょんと突き出てるだろうチャンミンの頭を探した。

 

見つかるはずがない、か...。

 

チャンミンを旧友の店に連れていって、ゲテモノを共に飲んで、色っぽい顔して「好きです」と告白タイム。

 

シャツを脱ぎだすは、トイレに連れ込まれてキスされるは、「交際してください!」発言だは...なんてめまぐるしい一夜だったか...。

 

今夜、最大の収穫はこれだ。

 

チャンミンは絶対に素直な性格だ、と確信したことだ。

 

俺には効き目がイマイチ(というか、全然)だった媚薬が、チャンミンには恐ろしい程効いて、その素直さが可愛かった。

 

チャンミンがホモなのかバイなのか、それともヘテロなのかは分からない。

 

もしヘテロだったら、一晩限りとはいえ惚れ薬で男の俺にメロメロになってしまってお気の毒だ。

 

ところがここで、チャンミンの素直さを考慮にいれてみる。

 

あそこまで媚薬が効いてしまったのは、「意に反したものではない」のでは、と思い至るのだ。

 

つくづく自分にとって都合のよい分析結果だ。

 

程度の差はあれど、「チャンミンはユンホさんに好意を抱いていた」

 

そうに決まってる!

 

「よし!」と俺は小さくガッツポーズする。

 

俺の場合、過去の恋人は全員、女性だった。

 

けれども、深層ではバイの傾向があるんじゃないかと...特にチャンミンと出会ってからそう思うようになった。

 

綺麗なものは綺麗だ。

 

綺麗なだけじゃあ、目で愛でて満足で済むところ、チャンミンの場合はキャラクターがユニーク過ぎる。

 

綺麗な見た目に、一緒にいて飽きないキャラクター。

 

最高じゃないか。

 

さて、これからどうしよう。

 

チャンミンの熱っぽい視線にさらされて、「好きだ」と囁いてしまった。

 

それに加えて、「ずっと前から気になっていたんだよ」と告ってしまった。

 

大赤面ものの告白も、どうせ明日には媚薬は体外に排出されてしまう、と知っていたからできたことだ。

 

明日の朝、出勤してきた俺にチャンミンは(始業1時間前に出勤してきているのだ。新入社員かよ)、不愛想な「おはようございます」を、ぼそりとつぶやくのだろうな。

 

地下鉄駅までの道のりの間、以上のことをつらつらと考えていた。

 

「さむっ!」

 

ぴゅぅっと強いビル風に、コートの衿があおられた。

 

ポケットに手を突っ込むと、ペーパーナプキンに指先が触れた。

 

「『頭を冷やします』...か」

 

頭なんか冷やさなくていいぞ。

 

汗をだらだらかいて、色っぽく目尻を赤く染めて、俺を押し倒さんばかりに情熱的なチャンミンのままでいてくれ(だって、面白いから)。

 

バッグに突っ込んでいたマフラーを首に巻く。

 

「あ...」

 

それは俺のものじゃなく。チャンミンのものだった。

 

色味が紺色でチェック柄までは同じだったが、素材が違った。

 

カシミア製のそれはしっとりと柔らかい。

 

地味ダサ男なのに、持っているものは上質なんだよなぁ。

 

しっかりきっちりしたチャンミンがうっかり間違えていくはずがない。

 

これが小技だとしたら、チャンミンの奴...相当な小悪魔だ。

 

(つづく)

 

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(6)会社員-恋の媚薬-

 

(ウメコ...すごいよ。

今まで馬鹿にしてて悪かった。

やった...!

『恋の媚薬』は大成功だよ)

 

「ユンホさん?」

 

「はっ!」

 

現実に引き戻された俺は、頭をぶるぶると左右に振り、ゴツンとぶつかったものに気付いてもっと驚いた。

 

チャンミンがキスでもせんばかりに、顔を寄せていたんだ。

 

近い近い近い!

 

「嬉しくないのですか?」

 

「まさか!」

 

俺は額に浮かんだ汗を手の甲で拭うと、ニカっと笑ってみせる。

 

すると、チャンミンの不安そうな表情が一瞬でかき消えて、にっこり笑顔になった。

 

か、可愛い...。

 

「よかった。

これで僕たちは気持ちを確かめ合いましたね。

カップル成立です。

せっかくのコーヒーが冷めてしまいますよ。

ユンホさん?

どうしました?

具合が悪いのですか?」

 

「ぼーっとしてただけだ」

 

「ふふふ」

 

笑い声が可愛いんだけど...!

 

「お砂糖は何杯入れますか?」

 

脳みそのエネルギーが切れかけていた俺は、甘々な飲み物を欲していたのに、「いらないよ、ブラックで」とカッコつけてしまう。

 

俺は無意味にカップの中身をティスプーンでぐるぐるとかき回し、黒い液体が渦まく様子が、俺の心みたいだ、とぼんやり思った。

 

「了解です」

 

チャンミンはミルクピッチャーの中身を、自分のカップに全部入れてしまう。

 

それから、砂糖をたっぷり5杯も入れて、ティースプーンで丁寧にかき混ぜている。

 

スプーンを持つ手の小指が立っている。

 

「はい、どうぞ」

 

チャンミンは自分のカップを俺の前に置き、俺のカップを自分の方に引き寄せた。

 

「ユンホさんはこっちの方がお好みでしょう?

ふふふ」

 

じわっと感動してしまって、ありがとうが言えずに、「気が利くな」とだけ。

 

すっかりぬるくなってしまったコーヒーをすする。

 

ちらりと隣を視線だけで確認する。

 

ニッコリ笑ったチャンミンと、バチっと目が合ってしまう。

 

無言が辛くて、頭フル回転で話題を探していたら、チャンミンの方が口火をきった。

 

「ユンホさんは、『今夜』、僕のことを好きになったのですか?」

 

いきなり核心をついてきた。

 

「いや、違う。

『今夜』から、じゃないんだ」

 

誤魔化すところじゃない。

 

「ホントですか...」

 

揃えた指先で口元を隠したチャンミンの目が、丸くなっている。

 

「ホントだよ。

この際、正直に言うけどさ」

 

俺はグラスの水を一口飲んで、姿勢を正した。

 

「チャンミン。

お前のことが、ずっと前から...転属になった時からかな。

その時から、気になっていたんだ」

 

ひゅっと音がして、ぐらっとチャンミンが反対側に身体が傾く。

 

「おい!」

 

壁に頭をぶつける間際に、チャンミンの腕をつかんで引き起こす。

 

チャンミンったら、うつろな眼をして、ぽかんと口を開けている。

 

そう、恍惚の表情だ。

 

チャンミンがイッた時って、こんな感じなのかな...って、おい!

 

「夢みたいです...」

 

とろとろの顔をしてチャンミンは、俺の方にしだれかかってきた。

 

さっきから視線を感じていたが、観葉植物の枝の隙間からちらちらと目が合う客がいて、ぐらぐらなチャンミンの身体を垂直に正してやった。

 

「チャンミン。

ここは店の中だ。

変な目で見る奴がいるから、もうちょっと控えめにしてろ。

な?」

 

「その通りですね。

すみません」

 

そう言ってチャンミンは、グラスの水をごくごくとあおった。

 

チャンミンの小さな喉仏がくっくと上下して、白い衿から伸びる長い首が妙に艶めかしく見えた。

 

「...ふぅ」

 

飲み干したグラスをテーブルに戻す仕草からも、育ちの良さが伝わってくる。

 

「今夜は夢のようです。

今死んでも惜しくありません」

 

「おいおいチャンミン、大袈裟だなぁ」

 

「そうですとも。

僕だって、ずっとユンホさんに憧れていましたから」

 

「そ、そうか?」

 

「ええ。

新しい仕事を次々ととってくるし、面倒な得意先との交渉も巧みです。

ま、事務能力はゼロに近いですけどね」

 

「うるさいなぁ」

 

「安心してください。

細かい処理は僕に任せてください。

なんせ、ユンホさんの文字は僕だけが読めます。

すごいんですよ、僕はね、ユンホさんの文字を模写できるくらいです」

 

「嘘!?」

 

「ホントです。

ユンホさんが消去してしまったデータも、僕なら復元できます。

それに...」

 

「それに?」

 

気付けば俺は、チャンミンの言葉を何一つ聞き逃すまいと、身を乗り出していた。

 

「ユンホさん覚えてますか?

一度こんなことがあったでしょう?

上客の契約書が行方不明になった事件が」

 

「あ」

 

フォルダーに挟んだそれを、確かにキャビネットにしまっておいたのに、一日の営業を終えて帰社してみたら消えていた、ということがあった。

 

あの時は大騒ぎだった。

 

翌日シュレッダー行きの書類箱に...それも他部署のものに...紛れていたことが分かって、俺は土下座を免れた。

 

全く身に覚えがなくて、そんな見当違いなところに移動してることが不気味で、犯人捜しをしても罪なだけか、と即忘れることにしたんだった。

 

「あれ、僕が見つけました」

 

「ええぇっ!」

 

「はい。

頭を働かせてみました」

 

コツコツとこめかみを叩いてみせる。

 

「ありがとな」

 

「ふふふ。

そういうわけで、ユンホさんは僕がいないと駄目なんですよ」

 

「うわ~。

はっきり言うんだな」

 

「ホントはユンホさんにお弁当を作ってあげたいくらいです。

さぞかし、栄養バランスが滅茶苦茶な食事をしていそうです。

でも、ユンホさんは外回りですから無理ですよね」

 

「そうなんだよね」

 

チャンミンは丸一日オフィス勤務だ。

 

女子社員が他に2人いるオフィスで、黙々とキーボードを打ったり、電話に出たりしている。

 

営業よりも確かに、数字を扱うものに向いていそうだ。

 

昼休憩はきっと、食堂へ行かずデスクで弁当を広げているのだろう。

 

その姿を想像するだけで、笑みがこぼれる。

 

「ユンホさん」

 

突然、チャンミンはすくっと直立し、俺の手首をつかんだ。

 

「ついてきてください」

 

「え、えっ!?」

 

「いいから!」

 

訳が分からず俺は、ずんずんと先を歩くチャンミンに引っ張られる格好だった。

 

チャンミンに連れられた場所はトイレで、俺は2度目のフリーズしてしまった。

 

 


 

 

 

(つづく)

 

 

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(5)会社員-恋の媚薬-

 

地下1階のウメコの店から、地上への階段を1段飛ばしで駆け上がった。

 

チャンミンの後ろ姿。

 

どんな囁きも聞き逃さないといった風に、両耳がぴんと立っている。

 

実は、チャンミンを見ていて、「何かに似ている、はて、何に似ているんだろう」と記憶を探っていた。

 

そうか!

 

草食動物だ。

 

馬とか牛じゃなくて、鹿の、それも赤ん坊の鹿だ、バンビだ!

 

まん丸の後頭部と、ピンと立った耳。

 

か、可愛い...。

 

午後9時の繁華街は未だ人通りが多く、赤い顔して2軒目へはしごする一団や、カップル、大人たちの時間。

 

チャンミンは、上半身をかがめてマッサージ店の看板を、興味深そうにしかめっ面で読み込んでいる。

 

「チャンミン!」

 

俺を振り向いた時の笑顔がすごかった。

 

「ユンホさん!」

 

弾ける笑顔とは、こういう表情を言うのだろう。

 

高い頬骨をしたチャンミンの両頬が持ち上がって、大き目の口から小さ目の前歯が覗いている。

 

心から嬉しそうなチャンミンに、俺は胸が詰まった。

 

ちらりと罪悪感がかすめたから。

 

俺に向かって開かれたチャンミンの心。

 

チャンミンは素直で朴訥な男で、惚れ薬みたいなのを飲まされたせいで、男の俺に恋するはめになってしまった。

 

ウメコ作のものは毎回出鱈目なものなのに、今回に限ってその効果を信じ切ってしまったのには、理由がある。

 

雑な仕事ぶりな俺に呆れ、間違いばかりの俺にムッとし、挨拶の返しはぼそっと不機嫌そうで。

 

チャンミンにとって明るく積極的な俺は、さぞ苦手なタイプだろうから。

 

そんなチャンミンが、ふにゃふにゃな顔で俺を見ているんだ。

 

ウメコよ、怖いくらいに効いてるよ。

 

チャンミン、知ってるか?

 

3回のうち1回は、わざと間違えていたんだ。(そうじゃなければ、いくらなんでも間違いが多すぎだろう?気づけよ)

 

「どこに行きましょうか?

僕はまだまだ、いくらでも飲めますよ」

 

力こぶを作って見せるチャンミン。

 

アルコールのせいか、それとも媚薬のせいか、頬はピンク色でツヤツヤしていている。

 

暗過ぎるウメコの店では、影が作る凹凸でしか確認できなかったのが、飲み屋街の灯りでチャンミンをはっきりと見られるようになった。

 

真ん丸に見開いた目も可愛いが、にこにこと三日月に細めた目も子供みたいだ。

 

気恥ずかしさから早歩きになってしまうが、チャンミンは俺以上に長身で、俺のペースに余裕でついて来られる。

 

「チャンミンに任せるよ。

飲み放題の店でもいいし、落ち着いたバーみたいなところでもいいし...。

そうだ!

女の子がいる店でもいいぞ?」

 

チャンミンをからかいたくなったんだ。

 

「ユンホさんは本気で言ってるんですか?」

 

俺の隣からチャンミンが消えてしまい、振り返るとその場で立ち止まったチャンミンが、三白眼で俺を睨んでいる。

 

「女の子がいるお店がいいんですか?

僕は絶対に行きたくないです!」

 

「ごめん、チャンミン。

怒るなって、ジョークだよ」

 

真面目で頭が固そうなチャンミンにはジョークが通じない、とチャンミン録にメモる。

 

チャンミンの腰に腕を回し、その背を押した。

 

ぴたりと身体を接触させた俺たち二人。

 

この場なら、酔った仲間を介抱している風に見えるだろう。

 

チャンミンは、自身の腰に回された俺の腕を、ちらちらと見下ろしている。

 

「嫌か?」と尋ねたら、「いいえ」との返答。

 

嬉しかった。

 

「ユンホさん。

さっきの話の続きをきかせてください」

 

「さっきの話って?

なんだっけ?」

 

スマートを装っていた俺だが、コート越しの固い身体にどぎまぎしていた。

 

俺と同じ腰の位置、くびれのない身体。

 

ついついとぼけてしまって、ぴたりと足を止めたチャンミンに、「しまった!」と。

 

「真面目な話だったでしょ?

もう忘れちゃったんですか?

ユンホさんにしてみたら、愛の告白くらい大したことないかもしれませんが、僕にとっては重大ごとなんですよ?」

 

「ごめんな、チャンミン。

立ち話もなんだし、次の店に入ろう!

おいおい、拗ねた顔するなって。

真面目な話の続きをしよう。

お!

ここにしよう!」

 

俺のチョイスにチャンミンは一瞬、きょとんとしていた。

 

今夜の俺にはもう、アルコールは必要ない。

 

温かい珈琲でも飲みながら、じっくりと、しっとりと言葉を交わそうと思ったんだ。

 

「お酒は?」

 

「それほど酒に強くないんだ」

 

「意外ですね...」

 

「だろうな。

よく言われる。

勝手に決めて悪かった。

酒が飲みたければ、店を変えるけど?」

 

「いいえ。

ユンホさんと一緒にいられるのなら、どこにだってついて行きます」

 

「!」

 

今度は俺の方が立ち止まってしまった。

 

ストレートに発言されると...照れる。

 

チャンミンの方は照れている様子はない。

 

「何か変なこといいましたか?」

 

その言い方がやっぱりいつものチャンミンで、調子が狂う。

 

「変じゃない。

全然、変じゃないよ」

 

めちゃくちゃ嬉しいよ、と心の中で付け加えた。

 

俺はチャンミンの腰にからめた腕に力を込めて、もっと近くに引き寄せた。

 

ふらふらと媚薬に酔ったチャンミンの前なら大胆になれる。

 

「あ...」

 

驚きで漏らしたチャンミンの声が高くかすれていて、喘ぎのように聞こえてしまった俺はどうかしてる。

 

それまで、遠慮がちにまわされていたチャンミンの手が、俺のコートをぎゅっと握りしめた。

 

頬同士がくっつきそうなチャンミンからは、上等そうなコートのウールの匂いしかしない。

 

きっちり巻かれたマフラーに閉じ込められて、ウメコの店で嗅いだ甘い体臭は香ってこない。

 

 


 

 

ウメコの店ほどではないが店の中は薄暗く、タバコの煙が席のあちこちから立ち上っている。

 

店選びに失敗したかな、と、チャンミンを窺ったらにっこりと笑顔で返された。

 

観葉植物で具合よく目隠しされた席に俺たちはつく。

 

注文を取りに来た店員は不機嫌そうだ。

 

それもそうだろう、深酒したサラリーマン2人連れだと思われても仕方ない。

 

互いに体重を預け、通路の途中の段差につまずいてしまったチャンミンを抱きかかえるように現れた俺たち。

 

俺は素面だし、酒に強いらしいチャンミンもケロリとしている。

 

ただ、チャンミンは恋の媚薬に酔っているし、俺は惚れた男とここまで密着できてくらくらしているんだ。

 

チャンミンは俺の隣に、ぴたりと身体を寄せて座っている。

 

なぜ?

 

なぜ、正面の席につかないんだ...。

 

テーブル席で並んで座るサラリーマン2人組は、酔っ払いじゃなくても奇妙に映るだろう。

 

店員が眉をひそめたのも納得だ。

 

チャンミンは甲斐甲斐しく、2人分のコートを丁寧に畳んで足元のバスケットに仕舞い、おしぼりを袋から出して俺に手渡したのち、コホンと咳ばらいをした。

 

「さて。

ユンホさんのお話を聞かせてもらいます。

僕がどう見えるのか、を」

 

「そ、そうだな」

 

俺とチャンミンの顔は、30センチの距離。

 

気持ちを落ち着かせようと、ごくりと唾を飲んだら、同じタイミングでチャンミンの喉仏もこくりと上下した。

 

チャンミンはぽっと赤らめた頬と、キラキラと輝かせた目で、俺のことが好き、と語っている。

 

俺たちは相思相愛になる媚薬を飲んだ。

 

今夜の俺たちは、両想い。

 

チャンミンは、そう本気で信じ込んでいるんだ。

 

だから、俺の口からどんな言葉が飛び出てくるかを、チャンミンには分かっているのだ。

 

分かってて俺に答えさせるとは...。

 

チャンミン...お前という奴は。

 

チャンミンは俺の腕にからめた手を、足りないとばかりに指にもからめる。

 

チャンミンの肌で温められた、なんともいえない体臭が俺の鼻をくすぐる。

 

頭の芯まで痺れてしまう、股間の緊張が高まるのを抑えられない甘い香り。

 

ここまでくると俺たちはもう、酔っ払いなんかじゃなくて男同士の恋人だ。

 

昼間はひた隠しにしていた本性を、夜になると解放し、繁華街の人混みに紛れて肩を寄せ合う秘密の関係。

 

嬉しいシチュエーションだけど、今のチャンミンは嘘の姿であるからして、素直に喜べない。

 

と言いつつも、やっぱり嬉しくて、相反する想いで俺の心は大混乱だ。

 

(ええい、もうどうにでもなれ)

 

「俺...チャンミンのことが...」

 

言いながら、チャンミンのふさふさとしたまつ毛がゆっくりと、まばたきに合わせて伏せたり開いたりする様から目が離せずにいた。

 

「すき...」

「ユンホさん、ストップ」

「!」

 

開きかけた口が、チャンミンの片手にすっぽりと覆われた。

 

運ばれてきた飲み物などが、テーブルの上に出揃うのを見守る。

 

その間、チャンミンの手は俺の口を塞いだままだ。

 

店員のドン引きしているだろう顔を見るのが怖くて 俺は顔を背けたまま。

 

いちゃいちゃの真っ最中の、青年サラリーマン2人組。

 

だってさ、もう片方のチャンミンの手は俺の指にからんだままなんだぞ。

 

チャンミン、すごいよ。

 

俺もわりとスキンシップに抵抗がない質だし、恋人相手と深い関係になるのに躊躇して、引き延ばしたりなんかしない。

 

好き→デート→告白→交際→デート→ベッドイン...の展開は早い方だが...早い方だが...。

 

チャンミンのキャラと今とのギャップが大きくて、彼の言動にいちいち驚嘆していて...はぁ、疲れる。

 

「はい、ユノさん。

邪魔ものは去りました。

どうぞ、続きをお話しください」

 

手の平を見せて俺を促す。

 

「あ、ああ」

 

「俺は...」

 

『惚れている』...いや、『好きだ』の方がいいかな...のひと言にここまで緊張するとはな。

 

顔を斜め左に傾けると、濃い眉毛の下の丸いカーブを描いた眼が食い入るように俺を見ていて。

 

脇の下が汗でびちょびちょだ、匂っていなければいいのだが。

 

こちらが焦げてしまいそうな直球の視線から逃げずに、俺も目力をこめて返球する。

 

 

「お前が、好きだ」

 

チャンミンの唇の端が、ぴくりと痙攣した。

 

言ってしまった...やっとで、はっきり告白してしまった。

 

「......」

 

「好きだ」

 

「......」

 

ん?

 

聞こえなかったのか?

 

チャンミンはガチな表情のままフリーズしている。

 

「チャンミン?

好きだ、って言ってるんだけど?」

 

「......」

 

「チャンミン」

 

「......」

 

不安感が立ち込める。

 

これまでのチャンミンの態度が、もしかしたら全部演技だったどうしようの念が浮かんできた。

 

まさか本当に、愛の告白をしてくるとは予想していなくて、

「やだぁ、ユンホさんったら本気の告白してくるなんて!どうしたらいいのかしら、フォローできないわ!」とかなんとか...。(チャンミンの台詞がカマっぽくなってしまった)

 

違うな。

 

チャンミンの焦点はどこにも結ばれておらず、空のどこかにいってしまっている。

 

「チャンミン?」

 

繋がれた手を揺すってみたら、「ああ!!」と微動だにしなかったのが解けた。

 

「すみません...」

 

前髪を左右に撫でつけるチャンミンの両耳が赤い。

 

「びっくりしてしまって...」

 

「嫌か?」

 

不安な俺は、そうっと上目遣い。(チャンミンの癖がうつってしまったのかな)

 

「いいえ。

感激に浸っていました。

すみません...よその世界にいっちゃってましたね。

ご心配をおかけしました」

 

「そっか...」

 

チャンミンのリアクションについていけない時がある、とチャンミン録にメモをした。

 

「はあ」

 

ため息をついたら、耳ざとくバンビの耳はキャッチして、

 

「なんですか。

ため息ですか」

と、眉根にしわをよせた。

 

「なんだか、疲れちゃってさ」

 

告白への回答を貰えていなかった俺は焦れていて、さりげなくチャンミンを責めてみた。

 

「あとで栄養ドリンクを買って帰りましょう。

今日はクレーム対応が大変でしたからね。

お疲れ様です」

 

「あのなー、そういう意味じゃないんだって」

 

「分かってます」

 

「は?」

 

「ちょっととぼけてみただけです」

 

「たのむよー」

 

テーブルに伏せたいが、チャンミンに片腕をホールドされていてそれも出来ない。

 

ぶわりと熱い息が耳に吹き込まれた。

 

そして、囁かれる。

 

「...好きです」

 

今度は俺の方が、フリーズしてしまった。

 

 

 

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(4)会社員-恋の媚薬-

 

『輝いて見える』

 

褒め言葉ってことは分かる。

 

恋の媚薬を飲んだチャンミンの目には、後光が射して見えるのかもしれない。

 

ピンク色の世界、光の粒がきらめいて、甘い香り、動きは全てスローモーションのように目に焼き付く。

 

事実、チャンミンの目はキラキラと輝き、両頬が持ち上がって小さな前歯が覗いている。

 

始終、むすりとしたオフィスのチャンミンとは、かけ離れている。

 

俺には作用しなかった『恋の媚薬』が、チャンミンには効いたという訳か...。

 

「ユンホさんが、シャツをまくった腕だとか...」

 

「は?」

 

チャンミン発言に驚く間もなく、シャツを肘までまくった俺の腕に、チャンミンの指が触れた。

 

その個所からぞわりと鳥肌がたった。

 

「男らしいです」

 

チャンミンの口から、『男に触られたりしたら、気持ち悪いですよね』の言葉が出てこなかったことが、意外だったし、同時にホッとした。

 

「ユンホさんの腕は...逞しいですね」

 

チャンミンの指が触れる度、くすっぐたいのに身体の芯がぞくりとした。

 

甘く疼くような...。

 

「素敵です...」

 

片手で俺の手首を持ち、もう片方で筋肉のひとつひとつを確かめるように、つつっと指で辿る。

 

そう言えば、チャンミンとの物理的な接触は、おでこゴッチン事件くらいだった。

 

今のチャンミンは、男の肌を撫ぜまわすことに抵抗がないらしい。

 

積極的なチャンミン。

 

媚薬のせいか?

 

それとも、素か?

 

「ユンホさんは、筋トレか何かしているんですか?」

 

「何もしてないけど」

 

俺はどう反応してやるのが正解なのか分からず、チャンミンにされるがままだ。

 

「そうですか...。

すべすべの肌ですね」

 

「あ、ありがと...」

 

助けを求めるように、カウンターのウメコに視線を送るが、ウメコはタバコをくゆらせながらの読書に集中している様子。

 

(俺はどうしたらいいんだ...)

 

きっちりと角を揃えて置かれた書類、身だしなみから、潔癖症なのでは?と推測していたけど、そうでもないのかなぁ。

 

「ん?」

 

視線を落とした先で、チャンミンは内股気味に揃えた両膝をこすり合わせていた。

 

痒いのか?

 

何かを我慢してるのか?

 

とっさにチャンミンの股間に目をやる俺は、何を確認しようとしてたんだ、全く?

 

「わっ!」

 

飛び上がった俺は、チャンミンから腕を振りほどいてしまった。

 

チャンミンったら、俺の腕を鼻先にまで寄せたかと思ったら、くんくんと匂いを嗅ぎだしたんだ。

 

びっくりするだろう?

 

「!」

 

眉尻が下がっている。

 

口角が盛大に下がって、あごをしわくちゃにさせて、それはそれは悲しそうな表情なんだ。

 

「悪い...」

 

「そんなつもりじゃないんだ」ともごもご言い訳しながら、俺は腕をチャンミンに差し出した。

 

触っていいぞ、のつもりで。

 

ところが、チャンミンは俺の腕に手を伸ばすのではなく、すくと立ちあがった。

 

「どうした?」

 

「ウメコさん、お手洗いはどこですか?」

 

「こっちよ」

 

ウメコは、カウンターをまわりこんだ裏のドアを親指で指す。

 

「お借りします」

 

真っ赤な顔をしているくせに、足取りはしっかりとしている。

 

酒に強いとみた。

 

心のチャンミン録に、すかさずメモる。

 

「天井が低いから気を付けて...」とウメコが注意し終える前に、「あうっ!」と悲鳴が。

 

俺とウメコの方を振り向いて、「てへへ」と舌を出して照れ笑い。

 

か...可愛い。

 

「ユノったら...。

あの子のことが、好きなのねぇ...」

 

「ちがっ!」

 

「バレバレなんだから、いい加減認めなさい」

 

「...まあな」

 

是非とも見てみたかったチャンミンのプライベートの姿。

 

ところが、ウメコのおかしな媚薬のせいで訳がわからなくなってしまったじゃないか。

 

チャンミンは男だ。

 

俺も男だ。

 

チャンミンという男に惹かれる気持ちに、何ら抵抗がない。

 

綺麗なものは綺麗だ。

 

面白い奴が大好きだ。

 

それと、オフィシャルな場では隠しているだろう素顔を、暴いていきたい。

 

俺にそう思わしめた人物がチャンミンなんだ。

 

「ユノが惚れても仕方がないわよ。

イイ男だものねぇ...」

 

つけまつ毛をつけたまぶたを半目にさせて、ウメコはうっとりとしていた。

 

「手出しするなよ」

 

「仕方がないわねぇ...

あら!

チャンミンくぅん、おかえりぃ」

 

と、化粧室から出てきたチャンミンを出迎えた。

 

 


 

~チャンミン~

 

 

用を足した僕は、ふうっと深く息を吐く。

 

(ビールを3本も飲んだから、ずっと我慢をしていたんだ。

もじもじしていたところを、ユンホさんに見られていなければいいんだけど...)

 

天井近くで換気扇がバタバタと五月蠅く、きつい芳香剤の匂い、レースのペーパーホルダーカバー。

 

壁にかけられた鏡に自分を映してみた。

 

前髪がぐちゃぐちゃになっていて、手ぐしで撫でつけた。

 

ユンホさんの前では、きちんとした姿を見せていたい。

 

胸がドキドキするし、顔も首もかっかと熱いし、汗も止まらない。

 

「!」

 

僕ったら、いつの間にワイシャツを脱いでしまったんだろう。

 

そっか...暑かったから...。

 

だからといって、人前で下着だけになるなんて...。

 

ベルトを締めたスラックス姿に、下着代わりのてろっとTシャツはちぐはぐだ。

 

「恥ずかし...」

 

ウメコさん作の、「相思相愛になる薬」の効き目は抜群みたいだ。

 

ユンホさんがまぶしい。

 

ユンホさんの匂いも、手の甲の血管も、ニカっと笑った口元も、全部がまぶしい。

 

ユンホさんの声も、手の平をくすぐる腕の毛も全部、僕の胸をときめかせる。

 

視覚も聴覚も、触覚も嗅覚も、全部が研ぎ澄まされたみたいだ。

 

あとは、味覚...?

 

ユンホさんの味って、どんなだろう。

 

きっと、美味しいだろうなぁ...。

 

今夜みたいに間近で、肩を並べて座ったことなんてなかったから、ユンホさんに気付かれないように観察していた。

 

スラックスの生地が、ユンホさんの腿の筋肉でぱんと張っていて、お腹の底がきゅうっとした。

 

ユンホさんに触りたくて仕方がなくて、太ももに触れてみたかったけど我慢して、腕を触らせてもらった。

 

ユンホさんはぎょっとした顔をしていたけど、それは単に驚いていただけだ。

 

だって、オフィスでの僕は大人しい社員だから。

 

『恋の媚薬』の力で、今の僕はふわふわと気持ちが前向きで、鳥籠から放たれた小鳥のように開放的なのだ。

 

心臓がドックンドックンと、ろっ骨の内側を叩く。

 

このドキドキは、緊張によるものじゃないって、僕は知っている。

 

緊張じゃなくて、『興奮』なのだ。

 

水で濡らした手で、ぴしゃぴしゃと両頬を叩いた。

 

もう一度鏡で前髪をチェックした後、僕は化粧室を出た。

 

 


 

「お待たせしました」

 

ウメコの店内は極狭なため、後ろを通るチャンミンの胸と俺の背中が接触することになる。

 

その際に、俺の首筋にチャンミンの息がかかり、ついでにふわっと体臭が香った。

 

匂いがさっきの時より、幾分強めで、甘ったるいものに変化していた。

 

なんていうんだろう、これは...女性のものとは明らかに違うが、『甘い』と形容するしかない香り。

視界がくらりと揺れるほど。

 

「チャンミンは、香水かコロンか何か付けてるの?

それとも、整髪剤?制汗剤?」

 

香りの正体を確かめたくて、チャンミンの胸元に顔を寄せると、

 

「わわわわ。

ユンホさん!

恥ずかしいですから!」

 

と、両手をクロスさせて、俺の動きをブロックしてしまった。

 

その手つきが...女性が胸を隠すときのような仕草で、シャツに透けた乳首を隠そうとしているように俺の目に映ってしまう。

 

「臭いですか?

そっか!

汗をいっぱいかいたから...」

 

シャツの衿ぐりをひっぱって、くんくんと胸元の匂いを嗅ぎだした。

 

「臭くないって」と、俺はチャンミンの腕に手をかけ引き下ろした。

 

俺に腕をつかまれた瞬間、チャンミンの身体がぴくりと跳ねた。

 

「ホントですか?」

 

そう言えば、俺の方からチャンミンに触れるのは、これが初めてかもしれない。

 

手の平の下の固く引き締まった腕、真ん丸に見開いた目と、ふっくらした涙袋。

 

額にはりついた濡れた前髪(顔を洗ったのかな)、Oの字に開いた口。

 

お世辞にもお洒落とは程遠い機能性重視のTシャツ姿のこの男が、たまらなく色っぽく、可愛らしいんだ。

 

これまで抱いていた微笑ましくも淡い恋心を、一気に上書きするほどの濃さをもって、今夜のチャンミンは俺を魅了する。

 

シワ一つないスーツと他人行儀な敬語、7:3に固めた髪のチャンミンが、汗を流し、肌の匂いと熱い体温...。

 

それから、光量の乏しい中でもきらりと光る瞳で、生っぽく俺に迫っている。

 

俺には分かっている。

 

これは媚薬のせいじゃない。

 

なぜなら、こんなものに頼らなくたって、とっくの前にチャンミンに惹かれていた。

 

既にチャンミンのことが好きな俺に、媚薬が効く隙なんてないのだ。

 

今はただ、媚薬に酔ったチャンミンが艶めかしくて、俺の恋心が加速してしまっていた。

 

「チャンミンは俺に質問しないのか?」

 

「ユンホさんに?」

 

訳が分からないといった表情をしても、無駄だよ。

 

本当は、聞きたくて仕方がないくせに。

 

「俺の目にはチャンミンがどう映っているか、って。

訊かないのか?」

 

俺も大胆になってみるよ。

 

チャンミンは自身の膝を見、飲み残したビールを飲み干し、おしぼりで口元を拭った。

 

真上に吊るされたランプの明かりが、チャンミンの頬に長いまつ毛の影を作った。

 

鳥肌が立つほどの美しさだった。

 

ああ、俺はやっぱりこの男が好きだ、って。

 

「じゃあ、訊きますね。

...ユンホさん...は、どうですか

僕のこと、どう見えますか?」

 

「チャンミンも、輝いて見える」

 

『輝いている』だなんて、クサい台詞、大袈裟な言葉、過去の恋人たちにも囁いたことはない。

 

でも、目の前の生真面目なチャンミンならきっと、茶化さず受け止めてくれると思う。

 

「ユンホさん...」

 

いつもの上目遣いじゃない、真っ直ぐ俺を見ている。

 

「俺の方も時間差で効いてきたみたいだ、はははっ」

 

本当は違うけれど、照れ隠しで茶化してみた。

 

「ユンホさん、そう言っていただけるのは嬉しいですが。

抽象的過ぎます。

もっと具体的に言っていただかないと?」

 

ずいっとチャンミンが顔を寄せてきた。

 

意に反してずいっと身を引いてしまった俺を、チャンミンは眼力を込めて睨みつけてきた。

 

目が...こえぇぇ。

 

「僕が...嫌ですか?」

 

「嫌じゃ、ない...けど...」

 

「じゃあ」と言って、チャンミンは俺の両肩をつかんでぐいっと、自身の方へ引き戻した。

 

「逃げないで下さい」

 

ウメコが意味ありげな視線で、俺に合図を送っている。

 

(間違った意味でキャッチしていなければいいのだが)俺は軽く頷いてみせる。

 

押して押して押しまくれ、の意味だ、きっと。

 

「次の店に行こう!」

 

「え!え!?」

 

チャンミンにワイシャツを放ってやり、俺もスーツのジャケットに腕を通した。

 

「ここじゃなんだから、さ?」

 

こういう会話は2人きりにならないと。

 

 


 

チャンミンを先に行かせた俺が、ウメコと交わした会話は以下の通り。

 

「この薬の効き目はどれくらいだ?」

 

「そうねぇ...12時間くらいかしら」

 

「それくらい?」

 

ということは、明日の朝になると媚薬の効果は消えてしまって、いつもの堅物チャンミンに戻ってしまうのか...。

 

「...気持ちが消えてしまうのか...?」

 

「さあ...」

 

「お前が作ったんだろ!?」

 

「だって、あなたたちが第一号なんだもん。

どうなるかなんて、あたしに分かるわけないじゃないの」

 

「ったく、邪魔しやがって!」

 

こんな妙きちりんなものに頼らず、実力で勝負したかったところだ。

 

だが、得られたチャンスはとことん利用するのがユンホという男。

 

焦点を絞って短期集中、限られた残り9時間が勝負だと知って、ぼーっとしていられない。

 

「邪魔するわけないでしょう?

協力してやったのよ。

結果を教えてね。

今後の参考にするから」

 

ひらひらと振るウメコの手に見送られ、俺はチャンミンの待つ寒空へと出た。

 

 

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