【BL短編】お前は俺でできている

 

 

外壁は深い青色に、窓枠は白色に塗られている。

 

チャンミンは玉砂利をざくざくいわせて、アプローチを歩く。

 

前庭は鉢植えひとつなく殺風景。

 

(木や花を植えたらいい感じになるよね。

鉢植えを持っていったら...差し出がましいかな)

 

この店に行き詰めになって数カ月も経つのに、ドアノブを握る手が震える。

 

「こんにちは」

 

木製ドアを開けると、天井も壁も床も真っ白で眩しい。

 

「坊主、今日も来たのか?」

 

カウンターの奥で笑顔で迎えたのは、20代後半長身の男性、ユノ店長だ。

 

「『坊主』って言うの、止めて下さいよ。

僕の名前は『チャンミン』です」

 

チャンミンはぷぅと頬を膨らませ、カウンター席についた。

 

「ごめんごめん」

 

ユノ店長の顔をまとも見られないチャンミンは、メニュー表を表裏とひっくり返していた。

 

そんなもの見なくても、この店のメニューなんてすべて把握しているのに、迷っているフリをする。

 

「今日は何にする?」

 

「うーんと、カフェモカ」

 

チャンミンのオーダーに、「面倒なものをオーダーするなぁ」と、ユノは顔をしかめた。

 

「店長のスキルアップの為ですよ」

 

「ふん。

年下の客にアドバイスをもらうとは」

 

「だってさ...コーヒーひとつ淹れられなくて、よくカフェを始めようと思いましたよね」

 

「ここはカフェじゃない。
喫茶店だ」
「何が違うんですか?」
「音の響きからくる、雰囲気だ。
メニューも洒落たものは出さない」
「『出さない』じゃなくて、『出せない』でしょう?」
くすくす笑うチャンミンに、ユノ店長は「その通りだね」と笑った。
カフェモカはつい先日、仲間入りしたメニューで、チャンミンからのオーダーによるものだった。
チャンミンはユノ店長の手が好きだった。
カップの取っ手に引っかけた人差し指の爪が好きだった。
コーヒー粉の缶の蓋を開ける時、手首に浮かぶ筋、カウンターを布巾で拭く時の手の甲も好きだった。
だから、1工程でも多いメニューをあえて注文するのだった。
チャンミンはカウンターに頬杖をつき、生クリームを泡立てるユノ店長の手を眺めていた。
(僕って、手フェチなのかなぁ)
飲み物が出来上がり、カウンター越しに手渡される瞬間。
チャンミンとユノ店長の手と手がぶつかる...もちろん、わざと。
そして、ドキドキ胸をときめかす。
チャンミンは体調不良やアルバイトの日を除いて、ほぼ毎日ユノの店に通い詰めていた。
(僕の気持ちは100%、バレバレだろうなぁ)
好意を露骨に表さないようセーブして、距離を詰めたり、遠のいてみたり...恋の駆け引きをチャンミンに求めることはできない。
チャンミンは恋の経験値がほぼ無いと言って等しい19歳の大学生。
過去を尋ねてものらりくらりとはぐらかすユノ店長は、チャンミンにとって高く見上げないといけない存在だった。
チャンミンがユノ店長の店を出入りするようになったきっかけはこうだった。
通学路の途中の更地に、ある日突然、プレハブ小屋が現れた。
工事現場からの払い下げのものらしく、ひどく古びていた。
(何ができるんだろう?)
真夏の太陽の下、外壁にペンキを塗る男性...ユノ店長に心惹かれてしまい、チャンミンはオープンする日まで、通りすがりに定点観測を続けていた。
個人経営の小さな店をのぞくとは、人見知りの激しいチャンミンには考えにくい行動だった。
でも、一方的に見つめていた立場からワンステップ進んで、自身の存在を知って欲しいと思うようになったのだ。
若さ故、チャンミンは欲求に正直だった。
ユノ店長はドアから顔を覗かせたチャンミンを笑顔で迎え、フランクな口調でチャンミンの緊張を解いたのだ。
「お兄さんはやせっぽちだなぁ。
サンドイッチでも食うか?
試作品だけど?」
チャンミンの身体は骨ばっていて、トレーナーの下で身体は泳ぎ、スリムパンツに包まれた脚は小鹿の様に細かった。
「いいんですか!」
ぱあっと顔を輝かせたチャンミンに、ユノ店長は目を細めた。
まぶしかったのだ。
チャンミンは店内を物珍しそうに見回していたため、気づいていなかったけど。
「お兄さんは学生?」
当時は、べニア板を貼っただけの殺風景な店内だったのが、一か月後には「女の人にウケる内装にしよう」と、彼ら二人でペンキ塗りをした。

「ねえ、店長。

僕の身体は、この店のメニューで出来てますね」

 

そう言って、チャンミンはツナサンドイッチを頬張った。

 

チャンミンのリクエストで生まれたメニューだった。

 

「そうだな」

 

「まるで...。

一緒に住んでいるみたいですね」

 

「...え?」

 

ユノ店長の一挙手一投足、あくびのひとつも見逃さず見つめてきたチャンミンだった。

 

けれどもこの直後、チャンミンはくしゃみ2連発とタイミングが悪かった。

 

ユノ店長の頬がさっと赤らんだ瞬間を見逃してしまった。

 

「風邪か?」

 

ユノ店長が放ったティッシュペーパーの箱をキャッチした。

 

「そうかも...しれません。

友だちんちに泊まった時、雑魚寝だったので」

 

「へぇ...チャンミンにも友だちがいるんだ?」

 

自身の何気ない発言が、ユノを嫉妬させるとは、チャンミンは思いいたらない。

 

「酷いですね。

僕だっていますよ」

 

「うちの店に来るよう、その友達に頼んでよ。

まだまだ客が少なくてね。

新しい客は大歓迎だよ」

 

「う~んと...」

 

チャンミンは一瞬、迷う。

 

(はっきり言っちゃってもいいのかなぁ)

 

「イヤです。

ここは紹介したくないですね」

 

「そう...だろうな。

狭いし、気のきいたものも出せないし」

 

と、揶揄したユノ店長に、チャンミンは慌てた。

 

「違います違います!

店長の店は人気が出てもらったら困るだけです」

 

「...それじゃあ、うちが潰れてしまうだろう?」

 

「僕がここに入り浸ってあげますよ。

朝も昼も夜も、ここでご飯を食べます。

その為に僕はバイトをしているんだから」

 

ユノ店長は、チャンミンの言葉に胸を打たれていた。

 

「ここは僕専用の店です」

 

「既にそんな感じだぞ?」

 

「でも...繁盛してくれないと、店長の生活が成り立たないから...。

そうだ!

僕を雇ってくださいよ。

店長と一緒にカウンターに立ちます」

 

(お客が店長を好きにならないよう、僕が見張っています...なんて、言えないなぁ)

 

「それから、バイト代は要りません。

代わりにご飯を食べさせてくださいね」

 

 

(おしまい)

 

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【BL短編】サラリーマン

 

~ユノ~

 

眼を覚ますと、俺は俺と目が合わせていた。

 

最初の十数秒は、それが自分自身だと認識できなくて放心していた。

 

手を持ち上げて頬を触ってみると、真上の男も同じ行動をする。

 

目覚めて1分後、感覚と意識と思考の3つがようやく縒り合された。

 

(...鏡...か?)

 

「!!」

 

勢いよく起き上がった。

 

直後、耳元で銅鑼が打ち鳴らされたかのように、頭がぐあぁんと痛んだ。

 

「...っく」

 

頭を押さえてうずくまった時、むき出しの手足に気が付いた。

 

「!!」

 

俺は全裸だった。

 

(なぜ!?)

 

周囲を見回した。

 

(その前に...ここは...どこだ!?)

 

俺はベッドにいる...天使が踊る柄の壁紙、正面に巨大テレビ、複雑な造りの椅子...天井と壁の境目をぐるりと取り囲んだネオン管の灯りのおかげで、室内のアイテムをカウントできたのだ。

 

そして、天井...ベッド上...は、鏡ばりになっている。

 

(ここは...いわゆる...?)

 

俺は今、その手のホテルの一室にいるらしい...でも、なぜ!?

 

俺は記憶を辿る。

 

(この頭の痛さは二日酔いだ...昨日は...忘年会で...そうか、そりゃあ二日酔いになるよな。

終電を逃して、タクシー使うより、近くのホテルで泊まることに...ん?

なぜ、ラブホテルに!?

...ラブホテルということは...!)

 

俺は今になって、デカいベッドの反対端に誰かが寝ていることに気づいたのだ。

 

短髪頭、シーツからガッチリした肩...広い背中...裸の背中...裸?

 

(お、お...男!?)

 

さ~っと、血の気が引く音が聞えたかもしれない。

 

ばばっと股間を確認する。

 

そろそろと萎れた俺自身に触れて確認してみる。

 

ぬるり、とした感触。

 

「!!!!」

 

(...使用済みだ)

 

向こうを向いて眠る人物ににじりより、覗き込む。

 

(チャ、チャ、チャンミン君!?)

 

驚きのあまり飛び退いてしまった。

 

チャンミン君。

 

赴任先の支店スタッフ。

 

年齢と立場は俺の方が少し上。

 

業務上の会話しかかわしたことがなく、忘年会の席で初めて、プライベートの話をぽつりぽつりとしたような...。

 

(チャンミン君と俺は今、ラブホテルにいる...!)

 

もうひとつ確認してみたいことがあった俺は、再度にじり寄る。

 

シーツをそぉっとめくってみる。

 

(は、裸の尻...!?)

 

以上のことから導き出される答えはただ一つ。

 

俺は男と...チャンミン君とヤッたかもしれない!

 

「う~ん」

 

俺は頭痛以外の理由で頭を抱えてしまった。

 

目をつむって唸っているうち、おぼろげながら思い出してきた。

 

俺はチャンミン君と...『した』

 

あの時の感触、覚えているぞ。

 

...すげぇ気持ちよかった...かも、しれない!

 

 

遡って数時間前。

 

忘年会の三次会は、参加者わずか3名。

 

そのうちの1人の年長者は酔いつぶれてテーブルに伏せっており、残りの若い2人は、上司を残して帰るに帰れない状況だった。

 

上司の妻が運転する車が到着した時、2人は顔を見合わせて心の底からの安堵のため息をついたのだ。

 

若い2人はユノとチャンミンと言い、ユノは先月赴任してきたばかりの30歳で、チャンミンは2歳年下の28歳だった。

 

ユノには気になることがあった。

 

アルコールが入っていたせいなのか、チャンミンの自分を見る目が『普通じゃない』と感じていた。

 

(こいつ...もしかして...?)

 

「この手」の視線を浴びるのは実は初めてではなかったのだ。

 

(あの絡みつく視線。

さりげなく...でも、それと分かるように、頻繁に触れてくる)

 

なぜ彼らの好奇をくすぐってしまうのか、ユノ自身は全く気付いていないようだった。

 

ひと言で言い切ると、ユノという男はいい男だった。

 

女性うけする「ハンサム」というより「美男子」...男の美の本質を求める者たちにうけそうな空気を漂わせていた。

 

完璧なルックスの持ち主なのに、どこか隙だらけ...そんな点も、彼らの欲をくすぐったのであった。

 

ユノはノンケ...彼女いない歴3年。

 

(まさかな...。

俺自身が欲求不満だからって、チャンミン君が俺を狙ってるなんて...思い込みがイタすぎるな)

 

チャンミンにしてみても、ユノと同レベルの、ユノとはタイプは違うが『いい男』だった。

 

ユノと違うのは、チャンミンの恋愛対象は男だ...つまり、ゲイ。

 

ユノは割り勘分を支払おうとするチャンミンを制し、「じゃあな」と手を上げその場を立ち去ろうとした。

 

「あれ、どこに行くんですか?」

 

駅とは反対方向へ歩き出すユノを、チャンミンは追いかけた。

 

チャンミンはユノと離れがたかったのだ。

 

チャンミンはユノの存在が気になっていて、3次会まで粘ったのもユノと一緒にいたかったからだ。

 

一目惚れだった。

 

支店に赴任してきたユノと関わり合いを持ちたくて、今夜の忘年会は待ちに待った機会だったのだ。

 

(ユンホさんと仲良くなりたい)

 

チャンミンという男、温厚な大型犬のような眼をしているのに、気性は猪突猛進タイプだった。

 

距離を少しずつ縮めていく王道の方法など、生温くじれったかった。

 

(アルコールを言い訳に使わせてもらいます)

 

酒の強いチャンミン。

 

赤い顔をしている見た目ほど、酔っぱらっていない。

 

「酔い覚ましに歩いて帰るよ。

チャンミン君は?

ギリギリ終電に間に合うぞ?」

 

腕時計を見ようと、上げたユノの腕はチャンミンにがしっと掴まれた。

 

「!?」

 

突然のことで目をむくユノに構わず、チャンミンはユノにしなだれかかった。

 

「ユンホさん。

ホテルに行きませんか?」

 

(ああ、やっぱり)

 

ユノは観念した。

 

なぜならユノは、酒が強いフリがもう限界だった。

 

キャパを越えた酒量に、実際のところ意識は朦朧、足元もおぼつかなかったのだ。

 

「ユンホさん、フラフラじゃないですか。

ホテルで休みましょう」

 

チャンミンは幸せ気分でいっぱいだった。

 

(いきなり襲っちゃいますけど、許してくださいね)

 

 

部屋に入るなりチャンミンは、ベッドに寝かしたユノにまたがった。

 

ユノのジャケットを脱がせ、スラックスのベルトを外し、ファスナーを下ろした。

 

(ユンホさん。

僕が...)

 

スラックスも下着も下ろし、その中身を目にしてチャンミンの喉が「ごくり」と鳴った。

 

自身も下の物を全て脱いだ。

 

(僕がいいところに連れていってあげます)

 

チャンミンはユノの上にまたがると、用意を済ませたそこにユノをあてがい、じりじりと腰を落としていった。

 

 


 

 

Y

「え?

これで終わり?」

 

C

「うん。

ハッピーエンドでしょう?」

 

Y

「どこが?

『これからどうなるんだろう?』のところで終ってるじゃん」

 

C

「ユノを落とそうと、本気の火がついたチャンミンにロックオンされたんだ。

絶対にユノは落ちるって。

そういう予感がするように仕上げたつもりだけど?」

 

Y

「短編でおさめるには、テーマが大きいんじゃないのかな?

できればもう少し、確実にハッピーエンドになるって確信できるところまで読みたい」

 

C

「短編だと人物描写でページを割いてしまうんだよね」

 

Y

「短編は何本くらい掲載していくんだ?」

 

C

「今のところ、1年契約だから、最低24本。

文字数がだいたい決まってるんだ」

 

Y

「キャラ設定を固定したらどうだ?

主人公の二人は、どの話でも名前とルックスを同じにするんだ。

読者も人物像を掴む手間も省けるし、いい男だってことは事前に分かってるから安心して読める」

 

C

「そっかぁ。

いろんな映画やドラマに出演する俳優みたいなイメージだね?」

 

Y

「そうさ。

ストーリーや彼らの会話を集中して書くことができて、作者のチャンミンも楽しいんじゃないかな?」

 

C

「うん。

主人公たちにとって都合よく物事が展開するストーリーにしたいんだ」

 

Y

「主人公がどうして俺とチャンミンなんだ?

読んでて照れるよ」

 

C

「リアルでしょ?

これまでもこれからも経験していないシチュエーションで、ユノと恋愛がしたいんだ。

今さら僕らは高校生になれないでしょ?」

 

Y

「いい事考えるね。

これの〆切はいつ?」

Y

「3日後。

来月から掲載されるんだ」

 

Y

「今夜はもう少し書くのか?」

 

C

「疲れたからもう寝るよ

ユノは?」

 

Y

「あと1時間くらいテレビ見てから寝るよ。

...ん?」

 

C

「......」

 

Y

「...オッケ。

ベッドにいこうか?」

 

C

「ありがと」

 

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【BL短編】427号室の熱い夜

 

 

店のトイレットで繋がったばかりなのに、全然足りなかった。

 

ここまでの10分がもどかしいほど長く、人目をはばからずの濃厚なキスに、通行人をぎょっとさせてしまう。

 

互いの腰に回した腕をきつく引き寄せているせいで、足取りはまるで酔っ払いのようにふらふら。

 

二人揃ってスキニーなボトムスのため、欲の昂ぶりは明らか過ぎるほど明らかだ。

 

ユノは肩に羽織ったコートで、チャンミンはオーバーサイズのニットの裾を引っ張り下げて隠した。

 

 

 

 

チャンミンをドアに押しつけると、ユノは彼の右脚をすくいあげ、自身の腰に巻きつけさせた。

 

「はあはあはあ...」

 

ユノは薄い生地越しにくっきりと浮かんだそこを、チャンミンのそこにこすりつけた。

 

互いの敏感な箇所だけに、そこを隔てる布の存在がとてももどかしい。

 

「...んん...ふぅふぅ...ん」

 

チャンミンはユノの頬を両手で包み込み引き寄せて、彼の口腔内で舌を踊らせた。

 

顔の傾きを何度も変えて、唇を重ねなおす。

 

ちゅうちゅうと舌と鳴らす湿った音。

 

「...んっ、んっ...」

 

チャンミンの右手はユノの前を握り、その形かたどるように上下にしごいた。

 

繋がるという目的を、店のトイレットで一度は果たしたわけだが、足りるはずがない。

 

狭く汚い場所で、次の客に急かされながら、肝心な箇所だけ出しただけの、性急なものだったから。

 

せっかくのびのびと、ありとあらゆる体位で繋がれる場所に移動してきたのだ。

 

15年ぶりなのだ。

 

前戯に時間をかけてじっくりと、味わい楽しむつもりでいたのに、そんな余裕はないようだ。

 

一刻も早く。

 

揃って細身のボトムスのため、唇を合わせたままスマートに脱がせ合う...というわけにいかない。

 

ブーツのファスナーを下ろそうと片足立ったところでバランスを崩し、尻もちをついてしまったチャンミン。

 

ユノも汗ばんだ肌に張りついてしまったボトムスを下ろすのに、一苦労の様子。

 

早く、早く。

 

気が急いているのもあって、スムーズに脚が抜けずにいるユノのため、チャンミンはボトムスの両裾をつかんで、皮をはぐように引っ張った。

 

「はあはあはあ」

 

よりによって二人とも、自身のシンボルを隠せないスキニーでタイトなボトムスを身についていたのだ。

 

15年ぶりの再会だ。

 

自身を最高に見せる恰好で現れたいといった、彼らなりの可愛い見栄。

 

トイレットで繋がった時に、「あれ?」とユノもチャンミンも、驚いていたこと。

 

「チャンミン...ノーパンかよ...」

「ユノ...パンツ履いていないんだ...」

 

締め付けから解放されたものは斜め上を向き、先端に浮かんだ雫が光っている。

 

「はあはあはあ」

 

二人の興奮は沸点に達した。

 

 

 

 

再び唇を合わせ、ユノは片足にボトムスを引きずったままのチャンミンをベッドへと誘導する。

 

チャンミンは互いのものをまとめて握って、しごいた。

 

「...んっ、ふぅ...ふう...ふぅ...」

 

手の中で熱く脈打つユノのものが、自身のものとぴたりと重なり合っている。

 

片手では握りきれない2本に、チャンミンの鼓動は早鐘のように打つ。

 

早く、早く。

 

全身の血流がそこ一点にむけて集中し、ユノの視界には目前のチャンミンが映るのみ。

 

「はあはあはあはあ」

 

早く、早く!

 

ユノはチャンミンを仰向けに倒す。

 

チャンミンは脚をばたつかせ、片脚にまとわりついていたボトムスを脱ぎ去った。

 

手探りでつかみとったものは、ゴムのパッケージと紙マッチ。

 

紙マッチは枕元に放り投げ、パッケージは口に咥えて開封し、ユノのそそり立ったものに素早く装着してやった。

 

427号室。

 

ドアを開けてから2人は言葉を発していない。

 

聞こえるのは荒々しい呼吸音と水音だけ。

 

早く、早く!

 

チャンミンはユノの腰に両足を絡めて引き寄せる。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

俺の上で、細い腰をなまめかしくくねらす彼。

 

丸眼でふっくらとした涙袋、切なげに下げた両眉。

 

幼い目元に反して、四角い顎は男らしい。

 

腕を伸ばして、胸の先端を摘まんで捻った。

 

「あああんっ!」

 

俺の根元がぎゅっと締め付けられた。

 

電流が走ったかのように、チャンミンの半身がのけぞった。

 

そうそう、チャンミンはここが好きなんだよ。

 

汗で滑る手を、シーツで拭った。

 

腰をつかみ直し、引き落とす。

 

同時に自身の腰を突き上げる。

 

ばちんと互いの肌と骨がぶつかる音。

 

俺のものを、チャンミンの腸壁がうねりながら中へと引きずり込む。

 

万力のように握力が増す入口は、俺のものを食いちぎろうとしているかのようだ。

 

喉を見せて天を仰いだチャンミンは、自身の手首を噛んでいる。

 

俺たちは今、下半身に支配されている。

 

15年ぶりなんだ、仕方がない。

 

貫いても貫いても、まだまだ足りない。

 

甘くスロウに抱くのは、2回目で。

 

まずは荒々しく抱いてしまうのを許して欲しい。

 

 

 


 

 

~チャンミン~

 

僕の両足首を高々とつかみ、スナップをきかせた腰の動き。

 

僕の中は鋭く突かれる。

 

柔和なラインを描く頬、小さな鼻と顎。

 

僕に吸われ甘噛みされたせいで、下唇が赤くぽってりと腫れている。

 

熟れすぎたフルーツみたい。

 

高貴で上品な顔立ちなのに、首から下は隆々と逞しい。

 

ああ、愛しい。

 

黒目がちの眼だけがらんらんと、肉食獣のようだ。

 

繋がり合うそこを手で確かめた。

 

ああ、ユノのものが僕の中に埋められている。

 

こんなに太いものが挿っているなんて...。

 

すっぽすっぽと空気が漏れる音、にちゃにちゃとねばつく音。

 

お店のトイレットで一度注ぎ込まれたもののおかげで、滑りはとてもよい。

 

ユノの鼻息、低い呻き声。

 

僕の女の子みたいな高い喘ぎ声。

 

僕ときたら、さっきから「大きい」「ユノ」「好き」の3つの単語しか発していない。

 

両膝が肩につくまで折りたたまれた。

 

深く挿入したまま、ユノは腰を小刻みに振る。

 

そうそう、そこなんだ。

 

僕の弱いところばかりが断続的に刺激された。

 

「ひゃあ、あ、ああああ、あ、あ...っ」

 

とうとう僕は、言葉を忘れてしまったよ。

 

ユノの濃くて、熱くてものが、僕の奥の奥に放たれた。

 

分かる、分かるよ。

 

くっくっと痙攣するユノの腰に合わせて、どくんどくんと注ぎ込まれるのが。

 

「はあはあはあはあ」

 

僕の上に倒れ込んできたユノを、抱きしめた。

 

僕らは酸素を求めて全身を大きく上下させている。

 

暑い。

 

とても暑い。

 

力が入らない。

 

でも...もっと、もっと。

 

まだまだ足りない。

 

ゴムの空袋を握りしめていたことを、気付いた。

 

ははは、それどころじゃなかったんだよね。

 

ユノは長くしなやかな腕を伸ばして、紙マッチ...僕がさっき放り投げたものを摘まみあげた。

 

ユノを待つ間、僕が燃やしてしまったから、全ての軸がちぎり取られてしまっている。

 

パッケージの裏に、走り書きした部屋番号。

 

 

『NO.427で

-C』

 

 

「もしかして、部屋を取ってたの?」と、ユノは呆れたように言った。

 

「...うん」

 

「俺に会えるとも限らないのに?」

 

「予感がしたんだ。

絶対に会えるって」

 

僕の言葉にユノは、照れくさそうに目を細めた。

 

「...もう1回しようか?」

 

望むところだ。

 

僕は大きく頷いて、ユノの首にタックルした。

 

ユノといっぱいいっぱい、抱き合いたい。

 

 

(おしまい)

 

 

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【BL短編】SWMT

 

 

~ユノ~

 

 

スプリングの軋み音に、俺は一時停止する。

 

俺の喉元にだらりと垂れた腕の下から、そぅっと抜け出す。

 

床に両足を落とし、振り返ってまぶたを閉じたままのお前を見つめる。

 

精悍になっても幼さを残す寝顔と、記憶にある当時のものを重ね合わせ、俺の胸は甘やかな気持ちになるのだ。

 

やっとで手に入れた寝顔だ、と。

 

視線を室内へ転ずると、ドアからベッドまでの道筋通りに、靴、ボトムスやニット、下着が散らばっている。

 

脱ぎ捨てたそれらは、いかに俺たちが性急にコトを求めていたのかを如実に表している。

 

一刻も早く抱き合いたかったのだ。

 

久しぶり過ぎて暴発しないよう、欲のコントロールはギリギリだった。

 

 

 

 

分厚い鉄製の扉を開けると、喧噪とムッとした空気に包み込まれた。

 

幾人かの見知った顔に手を上げ、人混みを縫って正面のカウンターまで俺はたどり着いた。

 

カウンターの向こうで、マスターが意味ありげに頷いてみせた。

 

重低音ばかり強調したBGM、時折沸くけたたましい笑い、酒やたばこ、揚げ物の匂いがこもった空気、指先を冷たく濡らすグラス。

 

俺の視線は一直線に、頭ひとつ分高い彼に注がれ、俺の足は一直線にそこに向かっていた。

 

躰の凹凸が丸分かりの、極端に細身の光沢のあるパンツを履いていた。

 

真昼間の街で見かけたらキザなファッションも、薄暗く妖しい空気に満ちたこの店ではサマになったし、何より彼によく似合っていた。

 

カラフルなライトが作る、眉下と鼻筋、下唇の濃い影。

 

余分な脂肪が削げて、頬のラインがシャープになっていた。

 

見惚れてしまって「大きくなったな」だなんて、とぼけた俺の第一声に、彼はムッとしたようだった。

 

「子供じゃないんですから」

 

そうそう、そのふくれっ面だよ...。

 

そこでやっと「久しぶり」の言葉が出てきて、俺は彼の肩を抱いた。

 

彼は腕の下で一瞬、身体を固くしたけれどすぐにほぐれて、俺の肩に頭をもたせかけた。

 

15年を経て、止まっていた時が動き出した。

 

 

 

 

ガラスの灰皿に、マッチの燃えカスが山を作っていた。

 

俺が来るのを待っていたんだな。

 

手持ち無沙汰な彼が、神経質そうな指でマッチを擦る様を想像する。

 

恋の何たるかも知らなかったあの頃とは、俺たちはもう、違う。

 

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

会社を辞め、僕は15年振りに地元の地を踏んだ。

 

「帰らないといけない」という説明のつかない切羽詰まった強迫観念に、突き動かされたんだ。

 

はるか数百キロ先から伸びた見えない糸に、僕のハートは引っ張られた。

 

いわゆるその類の店であり、その手の者はそこにたむろすしかないのは、ここが地方都市であるからだ。

 

端的に言うと、その店しかないのだ。

 

夜には未だ早い夕刻前どきにもかかわらず、出会いを求める男たちがここに集う。

 

当時の記憶のまま変わらないここは、(店内を見渡せないくらい)常に男たちをぎっしりと満載させているのと、暗すぎる照明のせいで15年分の劣化は目立たない。

 

僕はと言えば、「もしかして...」と期待していた。

 

「もしかして」なんて不確かなものじゃなくて、「今日だ」と確信めいたものを察知していたんだ。

 

カウンター脇のガラスボウルから紙マッチを1つ取り、手の中でもてあそんだ。

 

パッケージを開けたり閉じたり。

 

僕はカウンターにもたれて、マッチを擦った。

 

ぽっと灯る炎を、指先が焦げるぎりぎりまで眺め、灰皿に落とし、次の1本を擦る。

 

手持ち無沙汰というか、緊張で落ち着かずにそんな遊びを繰り返していた。

 

扉の向こうに現れた白い顔に、僕の視線は吸い寄せられる。

 

彼だった。

 

暗色のニットと身体のラインを全てひろうような細身のパンツを履いていた。

 

彼の視線と僕のそれはねっとりと絡み、予感通りに彼は僕の隣に立った。

 

ピンと張り詰めた緊張の空気も、彼の「久しぶり」の言葉にすぐにほどけた。

 

彼の鎖骨の窪みにこてん、と頭を預けて、首筋から香る彼の体臭にうっとりする。

 

腰骨を辿るように撫ぜられて、僕の下腹がぞくりとしびれた。

 

勝手知ったる僕の身体...そんな感じだった。

 

僕の芯にぼっと炎が灯った。

 

気付けば彼の腕を引いていた。

 

 

 


 

 

 

~ユノ~

 

 

20歳の俺と18歳のお前だった。

 

俺も彼も若すぎて、幼稚な駆け引きをした挙句の感情のぶつけ合い。

 

仲直りの仕方も不器用で、暴力的に抱き合うしか能がなかった。

 

離れ方もスパッと断ち割るように、唐突だった。

 

お前はこの地を離れ、俺はこの地にとどまり続けた。

 

いくつかの恋愛と失恋を経た今、再会を果たした俺たち。

 

小休止には長すぎる15年。

 

機は熟した...そんな感じ。

 

...多分、俺たちに必要な時間。

 

去年じゃ早すぎて、来年じゃ遅すぎた。

 

視線が絡み合った時に、一時停止ボタンは解除された。

 

我慢できずに、個室のドアに押しつけていた。

 

 

 

 

「んっ...ふっ...」

 

正面から抱き合って、俺たちはそこを押しつけ擦りつけ合った。

 

薄い生地からは、彼のものがくっきりと上を向いている。

 

「やらしい服を着やがって...誰を誘うつもりだったんだ?」

 

彼の耳たぶを食みながら囁くと、

 

「分かってるくせに」とつぶやいて、俺の脚の付け根のものを、へそに向かって手の平で包んですくいあげた。

 

俺も負けじと、彼の後ろに指を伸ばす。

 

青い戸板...張り紙がべたべたと貼られた...が、ガタガタと振動する。

 

使用済みのものが転がっているような店だ。

 

多少派手な音を立てても、声をあげても気にすることはない。

 

ガタガタとドアが揺れ、熱く荒い二人分の吐息と呻き。

 

「いつまでやってるんだ!」

 

ドアを外から叩かれ、俺たちは渋々身体を離したのだった。

 

乱れた髪をなでつけながら、俺たちは店を飛び出した。

 

もちろん、互いの腰に腕を回して。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕の寝顔をユノは眺めている。

 

まぶたを開けるタイミングを逃してしまって、寝たふりを続けていた。

 

枕元に紙マッチが転がっている。

 

アレをポケットから出した時に、こぼれ落ちた。

 

パッケージにプリントされた『SWMT』

 

クラブ『SWMT』

 

僕らが出逢い、恋がスタートしたのもそこだった。

 

僕が燃やしてしまったから、全ての軸がちぎり取られてしまっている。

 

パッケージの裏に、走り書きした部屋番号。

 

 

『NO.427で

-C』

 

 

「もしかして、部屋を取ってたの?」と、1回目の行為の後、ユノは呆れたように言った。

 

「...うん」

 

「俺に会えるとも限らないのに?」

 

「予感がしたんだ。

絶対に会えるって」

 

「博打だな」

 

「タイミングがズレたら、マスタに預けるつもりだった。

...マスタも年をとらないね、全然変わらなくて面白かった」

 

「彼も数えきれない恋をカウンターの奥から見てきたんだろうなぁ。

...もちろん、俺たちのことも」

 

「ふふふ、そうだね。

今日なんて、意味深にニヤついていたから、絶対にユノは来るって確信したんだ」

 

「さすがだね」

 

「...15年前の今日、僕らは知り合ったよね」

 

「...今日!」

 

「ふふふ。

とぼけなくたって、ユノだって今日という日に、何か特別な匂いを感じていたんでしょ?」

 

「...もう1回、しようか?」

 

「ユノったら、凄い上手い。

上手くなった...っあ...」

 

「チャンミンはここが、弱いだろ?

...ここ?」

 

「...っん...よく覚えてたね」

 

「あったりまえ。

俺の初めては、お前だったし」

 

「ふふふ、僕だってユノが初めてだったよ」

 

「...んん...ぴったりくる。

ジャストサイズ...でもないか。

キツイ」

 

「それはね、ユノのが大き過ぎるの」

 

言葉を交わしながらの、肉体の繋げ合い。

 

「お前と対等に付き合うには、これくらい年を食わないと無理だった、ってことだなぁ」

 

「早すぎた出逢い、ってこと?

...あっ...ん」

 

「それとも違う。

15年前に出逢っていなければ...んんっ...今はないんだ。

だから、ベストタイミングだったんだ。

...ここは?」

 

「あっ...そこっ、そこっ、いい!」

 

「ここは?」

 

「ああんっ...。

それにしても、ユノ...いい身体だね」

 

「年取った身体で、がっかりした?」

 

「そんなこと全然思ってないくせに...ひっ」

 

ユノの裸を見て、僕はもの凄くドキドキした。

 

まるで初めての時みたいに緊張した。

 

熱っぽく、欲の炎が揺らめく眼にくらくらした。

 

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

「お腹空いた...」

 

飛んでしまった意識が戻ったのだろう、背中を丸めて横になっていたチャンミンがぼそりと言った。

 

声が掠れている理由はつまり...そういうこと。

 

「今、何時だ...あー、夕飯の時間だ。

何か食いにいくか?」

 

俺たちは店を出てからの3時間、ぶっ通しでコトにふけっていたわけだ。

 

体力と精力がみなぎっていたあの頃のようにはいかず、全身がギクシャクと変な感じ。

 

「やっぱり、いいや。

ユノとずっとくっ付いていたいから」

 

チャンミンは俺の腹に両腕を巻きつけて、脇腹に鼻をこすりつけた。

 

こんな仕草も前と変わらない。

 

「腹が減ったんだろう?」

 

「朝までぎゅうっとしていたい。

いっぱいいっぱいしたい」

 

「慌てなくても、ずっと側にいるよ」

 

「......」

 

なんてことない風に口にした言葉だったけれど、俺としては勇気を振り絞ったものだったのになぁ。

 

返答のないことに不安になって、チャンミンの肩を突く。

 

「聞こえた?」

 

「...聞こえた」

 

「で?」

 

「Stay with me tonight」

 

「......」

 

今度は俺の方が無言になってしまう。

 

「無視するんだ?」

 

「キザなんだよ...。

何だよ、Stay with me tonightだなんて...」

 

「...うるさいうるさい」

 

分かってる、照れくさくてそんな表現を使ったってことは。

 

余計にこっぱずかしくなるってことに気付かないんだよなぁ。

 

そうだった、チャンミンはこういうヤツだった。

 

「tonightだなんて遠慮せずに、foreverって言えばいいのに」

 

「もう言ってあげないよ?」

 

頭を起こしたチャンミンは、俺の背にもたれかかってきた。

 

俺の鎖骨に乗ったチャンミンの手首にキスをし、ほどけた指を口に含んだ。

 

這わせた湿ったものに、チャンミンは甘い吐息をこぼす。

 

次に、唇を覆いかぶせる。

 

たまらずベッドに押し倒して、チャンミンの顔を両手で囲った。

 

涙袋を赤く染め、半開きの唇は俺の唾液で濡れている。

 

何回繋がれば、15年の時を取り戻せるかな。

 

俺の考えを読みとったチャンミンは、「慌てないで」と喘ぎの合間で途切れ途切れに囁いた。

 

「慌てなくても、これからずーっと一緒にいれば済むことです」

 

「Stay with me forever」

 

「ふふふ、ユノはキザですね」

 

「もうガキじゃない。

キザな台詞くらい言わせてくれ」

 

チャンミンの腰の下に、枕をあてがった。

 

「俺たちは相性がいい...すごくいい」

 

「...うん」

 

「いつ向こうに帰るんだ?」

 

「帰らないよ...っ...こっちに戻って来たんだ。

ずっと...ここにっ...あっ...」

 

「ここに?」

 

「そこばっかいじらないでっ...ここってのは、ここのこと!」

 

チャンミンはマットレスを叩いた。

 

恍惚の呻きの合間に、言葉を交わす。

 

積もる話はあるし、抱き合いたいし、俺たちは大忙しなのだ。

 

記憶にある少年くさかったものとは違う、逞しい30男に仕上がったこの躰を、俺は味わうのだった。

 

永遠に。

 

 

(おしまい)

 

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【BL短編】シングルベッド

 

 

「え...?」

 

手の平に乗せられたものに、俺が絶句しているとモモはひっそりと笑った。

 

「あなたが預かっていてください。

ボクが逃げられないように」

 

「そんなこと思うわけないだろう?」

 

「預かっていて欲しいのです。

あなたの側を離れられないように」

 

モモのパスポートを手に、俺は悲しくなってしまった。

 

 

 

 

モモは背後に立たれることを嫌う。

 

こんなことがあった。

 

キッチンで食器を洗うモモを驚かせようと、忍び足で近づいた時のことだ。

 

肩を叩く前に振り向いたモモに、殴られそうになった。

 

後ろに立つのが俺だと知って、振り上げた手を寸でのところで止めたのだ。

 

「...すみません」

 

長い前髪がはらりとモモの片目を覆って、彼の表情は隠されてしまった。

 

平穏に生きてきた俺には到底、想像できないような過去が、モモにはある。

 

俺は詮索しない。

 

話したくなった時に話すだろう。

 

「...そっか、辛かったな」と、ぽつりつぶやくのがせいぜいだろうけど。

 

 

 

 

伸びきった髪を見かねて、近所の床屋に連れていった。

 

隠されていた両耳があらわになって、ぴんと立ったその耳があまりに健やかそうで、暗い眼差しとのギャップに俺の胸は痛くなる。

 

就寝前の洗面所で歯を磨く俺と、入浴するためシャツを脱ぐモモがいる。

 

浅黒いその肌は絹のように滑らかだった。

 

細身の身体は、鞭のようにしなやかだった。

 

左肩の付け根に、ひきつれた傷跡があった。

 

何かで穿たれたような、これまで見たことのない傷痕。

 

モモは俺の視線に気づいた。

 

「あのー、これは...」

 

モモの言語力は日常会話がギリギリだ。

 

「あのー、えっと...」

 

言葉が見つからないのか、モモは人差し指と親指だけを立てたジェスチャーをする。

 

「それって...?」

 

こくんと頷く。

 

「あのー...」

 

「話さなくていいから...」

 

俺はそう言って、モモの髪をくしゃりと撫ぜた。

 

 

 

 

コンビニの角を曲がって1分、坂を上った先に俺たちが暮らすアパートがある。

 

モモの好物の入った買い物袋を下げて、帰路を急ぐ。

 

登り坂の間、俺の胸はドクンドクンと打つ。

 

モモがいなくなっていたらどうしよう。

 

リュックひとつで俺の家に転がり込んだ日のように、リュックひとつ背負って出ていってしまっていたらどうしよう。

 

建物2階の一番端の部屋、灯る明かりに俺は安堵の吐息をつく。

 

よかった。

 

モモはいなくなっていない。

 

「ボクのパスポートを預かっていてください」

 

モモのあの台詞は、俺の不安を読みとったからなんだ。

 

警戒心の高いモモが、なぜ俺に懐いてくれたのかは分からない。

 

いつかモモに尋ねてみようと思っている。

 

 

 

 

俺たちには肉体的な関係は未だ、ない。

 

モモの全身に指を滑らしたい欲求を抑えていた。

 

手負いの獣のようなモモに、無闇に手を出したらいけないと思っていた。

 

シングルベッドで俺たちは、折り重なるようにして横たわっていた。

 

「ベッドを買い替えないとな」

 

そうつぶやいたら、モモは半身を起こして俺を見下ろした。

 

薄闇の中でモモの眼が光っていた。

 

まるで野生の動物の眼のように鋭い。

 

「狭い...ですよね。

床で、寝ます」

 

スプリングをきしませ、モモはベッドを抜け出た。

 

「床で、いいです」

 

「駄目だ」

 

モモの二の腕を掴んだ。

 

「慣れてます。

ここは...やわらかくて...天国みたいです」

 

「慣れてる」なんて言うなよ。

 

ますますモモが、捨て猫のように見えてくるじゃないか。

 

モモは常に、何かを恐れている。

 

普通に暮らしていれば、身の安全が脅かされることなど滅多にないこの世の中。

 

恐ろしい過去から逃げているのか?

 

実在する危険から身を潜めているのか?

 

モモの腕を引き、ベッドに横たわらせた。

 

そして、背中から抱きしめた。

 

俺の腕の下で、モモの筋肉が引き締まった。

 

そのすぐ後にモモの肌が緩んで、俺はホッとする。

 

首筋に鼻を埋めると、モモの香ばしい肌の香りがする。

 

肩の付け根の傷跡を指でなぞった。

 

すると俺の手が引き寄せられて、指先に温かくて柔らかいものが触れた。

 

指先へのキスを受けた俺は、モモの耳たぶにキスをした。

 

くすくす笑うモモの肩が小刻みに震えている。

 

いつかモモの眼から、哀しみの靄が消えることを俺は祈っている。

 

せめて俺といる時だけでも、心からの笑顔を見せられる平穏が訪れることを、俺は願っている。

 

 

 

(おしまい)

 

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