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(最終話)僕を食べてください★

 

 

普通の恋人同士みたいなことをしたいと望んだ僕が間違っていた。

 

キキがあまりにも人間みたいな姿形をしているから、キキが時折見せる優しさに僕は多くのことをうっかり期待してしまう。

 

花火を見に行こうと誘ったとき、キキは渋い顔をした。

 

この日は、処理場まで空のポリタンクを返しに出かけ、その帰り道で林の中で交わった。

 

僕が弱ったキキを犯してしまった場所で。

 

幹に両手をついて屈んだキキの背後から、僕は腰を叩きつけていた。

 

頭上からセミの鳴き声がわんわんと響き渡っていた。

 

熱くなった身体を冷やすため谷川に身を浸しながらも、僕らは交わった。

 

気怠い身体でマットレスに横になっていた時、僕はキキを花火大会に誘ったのだ。

 

「人混みは好きじゃない」

 

キキは首を横に振った。

 

「でも、夜だし、

きれいに見られる絶景ポイントがあるんだ。

誰も知らない場所だし、

暗いし...」

 

必死な僕の様子に根負けしたキキは、僕の頭を撫ぜると「分かったよ」と頷いた。

 

X5に乗り込もうとするキキを制して、「歩いて行こう」と。

 

キキと2人並んで歩いてみたかった。

 

普通の恋人同士のように手を繋いで。

 

「仕方がないなぁ。

私の足腰は丈夫だけど、チャンミンの方こそ大丈夫なの?

ま、いいわ。

その時は私がおぶってやるから」

 

隣を身軽な足取りで歩くキキに見惚れる。

 

神様がこしらえたかのような美しい人形...喋って、歩いて...。

 

月明かりに照らされたキキの青白い頬にキスをする。

 

くすぐったそうにキキは笑い、僕の手を強く引き寄せて、よろめいた僕の唇を塞ぐ。

 

懐中電灯は後ろポケットに突っ込んでいた。

 

キキがいるから夜道も怖くない。

 

僕の手の中にキキの小さな手はすっぽりとおさまっている。

 

心の底から僕は...幸せだった。

 

ぱっと山が白く光った。

 

木々の枝葉がくっきり分かるくらい照らす。

 

遅れてどーんという轟音が響く。

 

「あがった!」

 

山と山の隙間から白い光の粒が、ぱらぱらと音をたててこぼれ落ちる。

 

「へぇ...いい場所だね」

 

ガードレールにもたれたキキのワンピースが、ぼうっと白く浮かぶ。

 

毎年、僕はこの場所で両親と花火を見ていた。

 

当時の僕は、花火よりも出店のりんご飴や水風船に心惹かれていたから、花火が終わるのを今か今かと待っていた。

 

視界が開けたここは花火の全景を見ることが出来る。

 

花開く爆発音が、山々に反響する。

 

「帰りに買ってあげるからね」

 

虫よけスプレーをたっぷりと吹きかけられた脚を、アスファルトの上に投げ出していた僕に母は声をかけた。

 

「やった!」

 

無邪気だった僕は、飛び起きて車に乗り込んだ。

 

花火見物の後、祭り広場まで向かう道中で僕らの車は事故に遭ったのだ。

 

通り過ぎる車のライトが、僕らを舐めるように照らし出していく。

 

「奇妙に思わないかしら。

夜半に山道を歩く者がいるなんて?」

 

「今夜は花火大会だから、似たような人たちがぞろぞろ歩いてるよ。

だから、気にしなくていい」

 

「ふうん」

 

さっと僕らをかすめるように、1台の車が走り去った。

 

「危ないなぁ」

 

「ここの峠道は走り屋たちの聖地なんだよ」

 

ブレーキ音をきしませながらカーブを曲がる度、山のあっちこっちとライトが光で木々を照らしている。

 

「縦に並んで歩こうか」

 

「そうね」

 

閃光が僕の視界を奪った。

 

「チャンミン!」

 

どんと背中を突き飛ばされた。

 

ブレーキ音と鈍い音。

 

ガードレールに腹を打ち付けた僕は、首がもげるほど素早く振り向いた。

 

道の中ほどに、白い塊が転がっていた。

 

手足が奇妙な格好に折れ曲がっている。

 

光に弱いキキの目は眩んでしまっていたんだ。

 

だから、敏捷に動けなかった。

 

のろまな僕が近くにいたから。

 

どうして歩いて行こうなんて言ったんだろう。

 

花火大会に誘った僕が悪かったんだ。

 

「キキ!」

 

凶器となったその車は、タイヤをきしませて走り去ってしまう。

 

追いかけようとか、ナンバーを記憶しようとか、そんな余裕はゼロだった。

 

僕の腕の中でぐったりとしたキキを、揺さぶった。

 

「キキ!」

 

懐中電灯で、キキの身体をあらためた。

 

長い髪がぐっしょりと濡れている。

 

「ああ...キキ...!」

 

ごぼっと嫌な音がして、キキの口から血が噴き出した。

 

「ああ...キキ...なんてこと...」

 

キキの血の色は、僕と同じ色。

 

病院には連れていけない。

 

僕はキキをおぶって、廃工場までの500メートルの距離を歩く。

 

ぞっとするほどキキは軽かった。

 

マットレスの上にキキを下ろした僕は、キキの損傷を確かめる。

 

凹んだ側頭部から、血があふれ出ている。

 

「キキ!」

 

キキの頬を叩く。

 

「ああ...」

 

かすれた声と共に、うっすらと目を開けた。

 

人間だったら即死だっただろう。

 

よかった...キキが人間じゃなくて、本当に良かった。

 

でも...。

 

キキの瞳の色が、淡い水色になっていた。

 

生き物が棲めないほど透明に澄んだ池のように。

 

ここまで明るい瞳の色は、初めて見た。

 

どう猛な気性の時は黒く、悦びと好奇心に満ちると青に近づく。

 

白に近づくと...キキはどうなってしまうんだ?

 

出血がひどい。

 

「キキ!」

 

僕は手首の内側を、キキの唇に押しつけた。

 

「キキ!

噛みつくんだ!」

 

力がみなぎるという、人間の生き血だ。

 

「やめろ、チャンミン!」

 

キキはイヤイヤをするように、小刻みに首を振った。

 

「やめろ...」

 

キキの唇に力いっぱい手首を押しつけたが、彼女は顔をそむけ、唇を引き結んでしまった。

 

「噛め!」

 

キキは口を開けない。

 

僕は勢いよく立ち上がると、事務室のスチール製デスクの引き出しを、かきまわした。

 

キキを助けないと!

 

3つ目の引き出しで目的のものを見つけると、キキの側に戻った。

 

カッターナイフで、容赦なく手首を切りつけた。

 

カッと焼けつくような激痛が走った。

 

肘をつたった血がぼたぼたっとマットレスに染みを作る。

 

僕はどうなっても構わなかった。

 

キキを死なせるもんか。

 

砂を噛むような毎日だった僕の世界に、突如現れた女神。

 

最初は、肉体だけの繋がりだった。

 

彼女がもたらす快楽に溺れ、それを愛だと勘違いしていた。

 

でも今は、違う。

 

キキの首の下に腕を通し、身体を起こす。

 

温かいものが僕の腕を濡らしていく。

 

僕の力では到底かなわないほど力強かったキキの腕は、だらんと垂れたまま。

 

「キキ!」

 

僕に揺すられるがままのキキ。

 

キキの呼吸は弱弱しく、うっすらと開いたまぶたの下の瞳はうつろだった。

 

顎をつかんで無理やり唇を開かせ、その隙間に手首から滴るものを含ませる。

 

「飲め!」

 

僕の声が、廃工場に響き渡る。

 

キキの口内に指を突っ込み、彼女の舌に僕の血をなすりつける。

 

キキの喉は動かない。

 

飲むことを拒否している。

 

赤い血は、キキの顎と首を汚すばかりだった。

 

「キキ!

お前は強いんだろ?

力も凄いじゃないか!

僕の10倍の寿命なんだろ?」

 

そこまで言って、僕の胸がぞくりとした。

 

永遠に生きるとは言っていなかった。

 

だから、キキもいつかは死ぬということ。

 

「嫌だ!」

 

僕はキキの頭をかき抱き、ぐっしょりと血で濡れた髪を撫ぜた。

 

「僕を置いていくな!」

 

キキの唇がかすかに震え、僕はその声を聴きとろうと耳を寄せる。

 

「チャンミン...」

 

「うん、うん」

 

「チャンミン...」

 

「うん」

 

「私の夢は叶ったよ」

 

「夢?」

 

「愛する恋人の血を今、吸っている」

 

「キキ!」

 

吸ってなんかいないくせに。

 

これっぽっちも、飲み込んでいないくせに。

 

「ありがとう」

 

キキの美しい水色の瞳は、まぶたで隠されてしまった。

 

「嫌だ、嫌だよ」

 

手首をもう一度、キキの唇に押し付けた。

 

「吸って」

 

絞り出すように、肘から手首に向かって腕をごしごしとこすった。

 

 

「吸って」

 

彼女に懇願していた。

 

「もっと...もっと吸って」

 

うわ言のように繰り返した。

 

 

「お願いだ...吸って...!」

 

彼女のためなら命を失ってもよかったんだ。

 

 

「お願いだから、吸うんだ!」

 

僕の目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 

 

「あなたを食べるのは止めにしたの」

 

 

キキは目をつむったまま、ゆるゆると首を振るばかりだった。

 

 

「僕を食べて!」

 

 

僕は叫ぶ。

 

 

「お願いだ...僕を...。

 

僕を...。

 

食べてください...」

 

 

僕の哀願を聞いたキキは、うっすらと笑った。

 

「その気持ちだけ、頂戴するよ」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

僕は34 歳になっていた。

 

あの夏から10年が経った。

 

ばあちゃんの3周忌の法要に帰省していた。

 

色褪せたブルーのX5を繰って、砂利道を進む。

 

日差しが強い。

 

僕はサングラスを外し、スーツの上着を脱いで助手席に放った。

 

涼しい車内から外に出ると、むっとした草いきれに包まれる。

 

僕に刻印を残したあの人。

 

前庭は背丈のある草で覆い隠され、ツタの絡まる廃工場。

 

そっと手首をなぞる。

 

廃工場のさびついたシャッターは閉まっている。

 

僕の革靴が、雑草をかきわける。

 

裏手に回ると、谷川が流れる涼し気なせせらぎが聞こえる。

 

鮮やかな赤いワンピースが風にひらひらとはためいている。

 

10年前と変わらない、若く美しい女性がほほ笑んだ。

 

僕もつられてほほ笑む。

 

サングラスの下の小さな鼻。

 

口角をキュッと上げて笑っている。

 

「チャンミン」

 

「キキ」

 

よかった、今日もキキはいた。

 

 

 

あの日のことを思い出す。

 

僕は捕食者になったつもりで手首から噴き出す血をすすり、口いっぱいに含むとキキに口づけた。

 

キキの食いしばる顎は力は弱く、こじあけて流し込んだ。

 

何度も。

 

すすっては、キキの中へ注ぎこむ。

 

何度も。

 

キキの喉を、ザクロの果汁が滑り落ちていく様を想像しながら。

 

キキの喉が、こくりと動いた。

 

 

 

 

僕は滑らかな手首を、もう一度撫ぜた。

 

僕は未だに、狂っているんだ。

 

赤いワンピースの腰を僕は抱き寄せる。

 

僕は死ぬまでキキと一緒だ。

 

君の為なら、僕はいつでも食べられるから。

 

 

(おしまい)

 

 

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(21)僕を食べてください★

 

 

 

週末の度、僕は帰郷してはキキと抱き合った。

 

遠慮のなくなったキキは僕の前で堂々と「食事」をするし、その傍の僕は自分の弁当を広げるだけの図太さを身につけた。

 

山中で動かなくなってしまったキキを助けた方法とは実に野蛮な行為で、もう一度やれと言われたら足がすくんでしまうだろう。

 

「キキ...それはその...美味しいの?」

 

ファストフード店のカップに移し替えたそれを、ストローで吸うキキにおずおずと尋ねた。

 

初めて襲われた日も、こんな風にキキは「食事」をしていた。

 

あの時は、ストローを通るものの正体は知らなかった。

 

「まあまあ。

もっと美味しいものを知っているけれど、それは我慢して代わりにこれを飲んでいるだけ」

 

僕は唾を飲み込んでから、おずおずと尋ねた。

 

「キキは...僕のを吸いたいと思ったことはないの?

でも...噛みつかれたら僕も...キキみたいになるの?」

 

「あはははは!」

 

キキのはじけるような笑顔が、工場に響き渡った。

 

お腹を抱えて笑っている。

 

「酷いな...そんなに笑わなくたって」

 

ムッとした口調の僕に対して、目尻に浮かんだ涙を拭うとキキは、

 

「何回私に噛みつかれたと思っているの?

その通りだったら、チャンミンはとっくに『変身』してるよ」

 

「確かに...」

 

「チャンミンは、本の読みすぎ、テレビの見過ぎ。

人の血を吸い、日光と十字架とニンニクに弱いって?

噛まれた人間は、吸血鬼になっちゃうって?

そんなんじゃないよ、あたしは」

 

「じゃあ、何だよ?」

 

「動物の血を食糧としている、寿命の長い、人間の姿をしたバケモノ。

野生動物みたいなものだから、夜行性なんだ」

 

キキは顔を寄せると僕の唇を塞ぐ。

 

血の味がするキス。

 

その血は僕のでもキキのでもなく、イノシシの血なんだから怖気がたつ。

 

ちょっとしたことでは驚かなくなった僕は、この程度では怯まない。

 

あの朝、Sおじさんは檻の中の猪を僕に手伝わせて、処理場内まで運搬した。

 

そして、その喉をナイフを一突きし、勢いよく吹きだす血液を巨大なたらいで受けた。

 

ここからが凄かった。

 

キキに大きな漏斗を咥えさせると、なみなみとたらいを満たしたものをひしゃくですくって、漏斗に注ぐ。

 

キキの口から外れないように漏斗を支えるのが僕の役目だった。

 

最初のうちはただ、キキの口を溢れさせるだけだったのが、ごぼっと一度むせた後はごくりごくりと喉を鳴らして飲み込むキキの様子に、僕は安堵したし、ぞぅっとした。

 

ここで踏ん張らないと、生まれて初めてつかんだ恋を失ってしまう。

 

立ち去るのも、留まるのも全て僕の意志任せだ。

 

「生き血が一番いいんだ」と、Sおじさんは言っていた。

 

SおじさんとSおじさんの伯父さん、キキがどういう繋がり方をしたのかは、僕は知らない。

 

「ギブアンドテイクの関係」だとSおじさんは言っていた。

 

過去に何らかの形でキキに助けられたことがあったんだろうけど、僕には関係のないことだ。

 

獣を「処理」する際に出る捨てられるだけの大量の血液を、Sおじさんはポリタンクに詰め、それを指定の場所に置く。

 

キキはそれを定期的に回収していく。

 

「魅入られてしまったら、もうお仕舞いだ」のSおじさんの言葉通り、僕は「なかったこと」にして立ち去ることは出来なかった。

 

「あの日、僕を襲ったのは、僕の血を...吸おうとしたから?」

 

僕はキキを横抱きにして、柔らかくて冷たい耳朶を舌先でくすぐった。

 

「半分は正解、半分は外れ」

 

「と、言うと?」

 

「あの時は、空腹だったんだ。

若くて美味しそうなチャンミンを見つけて、後を追っていた」

 

キキの足音も気配も、一切なかったことを思い出した。

 

「僕を殺そうと?」

 

アハハハと、またキキが笑った。

 

「失血死するまで吸うのは、大変だよ。

4リットルも飲めるわけないでしょう?

ちょっとだけ、舐めてみたかっただけ」

 

戯れ程度に舌や唇、耳たぶに噛みついていたのは、僕の血の味を楽しむためだったのだ。

 

「チャンミンが小さな坊やだった時。

あの頃、処理場の案は既にあったの。

Sさんの仲介でね。

当初は、この工場を活かして建設する予定だったのよ。

でも、あなたのご両親の事故があって、周囲が騒がしくなったから延期することにした。

下見に来ていた時...血の香りに誘われて行ってみたところ...あなたに会った、というわけよ。

血まみれのあなたが美味しそうだった。

でも、止めた」

 

「止めたのは...なぜ?」

 

「子供過ぎたから」

 

キキの太ももの間に手を伸ばして、中指を挿入してゆっくりとかき回した。

 

キキは喉の奥からくぐもった低い声を漏らした。

 

「ねぇ、思ったんだけど...。

僕の側にずっといたら、キキは飢えずに済むよ」

 

「それが出来たらいいのにねぇ...。

でも無理なのよ」

 

哀しそうに苦しそうに、キキは笑った。

 

群青色の大きな瞳に、僕の顔が映っている。

 

僕らは交わりながら、体位を変える合間に会話をする。

 

もしくは、激しく互いを貪るようなセックスの後に裸のまま。

 

「人間の血の味に慣れると、大変なんですって。

もっともっと欲しくなるんですって。

力がみなぎって感覚が研ぎ澄まされて...人間でいうと、麻薬をやったみたいになれるんだって。

これは、同じ種族の者に聞いた話」

 

キキはするすると僕の股間まで頭を下げて、勃ち上がりかけた僕のペニスの亀頭にちゅっとキスをした。

 

唇を離すと、つーっと僕の先走りが糸を引き、キキはそれを舌で舐めとった。

 

「チャンミンの味がする」と耳元で囁いたりするから、僕は赤面するしかない。

 

「飢えて苦しむのは目に見えてるから、人間の血にだけは手出ししないようにしてた。

私はせいぜい、恋人のものを一滴舐めるだけ。

何度も噛みついてしまってごめんなさいね」

 

僕を射精に導いたキキは、口を拭いながら枕の高さまで戻ってきた。

 

「本当は、飲んでみたいんでしょう?」

 

「そうね...。

でも、私は生きている人間から直接吸った経験はないからなぁ。

その魅力がどれくらいのものなのかは、私は知らない。

憧れるけどね」

 

「僕を...もっと美味しくしてから、食べるってどういう意味なんだ?」

 

「愛する恋人っていうのを、食べてみたかったんだ」

 

「恋人?」

 

「食べるって言い方はおかしいな...。

恋人の生き血を飲んでみたかったんだ。

老いさらばえて死を迎えるのを待つことに、ウンザリしていた」

 

心など摩耗してしまったとキキは言うけれど、本当は恋人を亡くし続けて悲しくて仕方がないんだ。

 

キキの言う「ウンザリ」とは、そういう意味に僕は捉えていた。

 

「一度だけでいい。

自分の手で恋人の命を奪ってみたかった。

若く、美しい姿でいるうちに」

 

キキの指が僕の顎を捕らえた。

 

顎の骨が砕けそうな力加減ではなく、ふわりとしたタッチで。

 

キキの中に残る優しい気持ちのあらわれなんだ、きっと。

 

内出血で青黒い痣が浮かびかけた両手首をさすりながら、僕はそう思った。

 

「チャンミンを惚れさせ、服従させ、怯えた視線を浴びながら、

じわじわと少しずつ血を抜いてやろうと思った。

残忍でしょ?」

 

キキが言うと、全然残忍じゃなかった。

 

僕はごくりと喉を鳴らす。

 

恐怖じゃない。

 

キキの小さな頭が僕の肩にもたせかけられ、その軽さがキキの命の重さなんだと想像して哀しくなる。

 

命を節約しながら生きているキキは、僕らから見ると生きているとは言えないくらい薄い命なんだ。

 

「でも、途中で気が変わった。

あたしは、チャンミンに惚れた。

生かしておきたい」

 

僕もキキに惚れている。

 

命がけで。

 

 


 

 

近くまで『調達』しに来るというキキと、僕は街中で待ち合わせることもあった。

 

キキの廃工場には電話がないから、キキから誘いの電話がかかってくるのを僕は下宿先で待つ日々だった。

 

僕は毎日でも交わりたかった。

 

がむしゃらだった僕のセックスも、コントロールする術を身につけてきていた。

 

「チャンミンもうまくなったわね」とキキに褒められると、僕は赤面してしまい、そんな僕の様子をキキは笑った。

 

キキのX5のラゲッジスペースには大きなクーラーボックスとスーツケースが積み込まれていた。

 

X5はホテルの地下駐車場のスロープをゆっくりと下りていく。

 

この日のキキは、ノースリーブのサマーニットとタイトスカートというシックないでだちで、係員にキーを預けたキキは僕にもたれるようにして腰を抱かれる。

 

エレベータの中で、股間をつかまれた。

 

デニムパンツの上からでもくっきりと僕のものが浮かび上がるくらい、高ぶっていた。

 

部屋に入るなり、互いの唾液でどろどろになるような深いキスを交わす。

 

「あっ...あ...あっ...」

 

マットレスについた僕の両腕の間に、スカートを太ももまでまくれ上がったキキの白い太ももに、僕は欲情で沸騰しそうになる。

 

キキの両膝を割ろうとすると、「触るな」と鋭い声が飛んできた。

 

上からぶら下がる僕のペニスを喉をのけぞりながら咥え、破裂音を発せながらしゃぶった。

 

ペニスの先をしごきながら、僕の睾丸を口いっぱいにふくんだり、柔く吸ったりする。

 

イキそうになると、ぴしゃりと僕の尻は叩かれる。

 

僕の両ももの間から抜け出たキキは、傍らに膝まづいて僕の両尻の間に顔を埋めた。

 

「やっ...何する...!」

 

身をひるがえそうとしたら、腰を凄まじい力で押さえ込まれる。

 

「汚い...からっ」

 

僕の肛門をキキの舌先がちろちろと遊んで、これまで経験したことのない快感がぞくぞくと貫いた。

 

「ひぃっ...うっ...」

 

なんだ、これ。

 

「いい子だから、じっとしていて...」

 

気付けば僕は、うつぶせになって尻を高く突き出した姿勢でいた。

 

快感を逃そうとシーツを握りしめる。

 

ホテルのシーツはパリッと糊がきいていた。

 

「ここに挿れてやろうか?」

 

「え?」

 

僕の尻にたっぷりとローションを垂らした。

 

「やっ...そこは」

 

「チャンミン...こんなに濡らして...いやらしい子」

 

キキの指摘通り、僕の先端からは先走りがぽたぽたと滴り落ちていた。

 

「それはっ...あっ...あぁぁ...!」

 

キキの細い指がつぷっと僕の中に侵入してゆき、切な過ぎる痺れに僕は肩からベッドに倒れこんだ。

 

腰が砕けるような恍惚の世界を知ってしまったら、僕はキキにひれ伏すしかないじゃないか。

 

僕らの蜜の池は水深100メートルまで深くなり、黄金色の水面は遠すぎてもう見えない。

 

浮上したくない。

 

水面から顔を出したら、モノクロの世界が広がっているだけなのだから。

 

幸せなのに不幸せな思いが僕を混乱させる。

 

 

 

(つづく)

 

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(20)僕を食べてください★

 

 

 

視点を合わせないうつろな眼に、車窓を猛スピードで流れ去る景色が映っている。

 

傍らに置いた紙袋の中には、米やら漬物が入っている。

 

「まったく、どこをほっつき歩いていたんだい」と、ぷりぷりしながらばあちゃんが持たせてくれたものだ。

 

耳朶に指先を伸ばして、小さなかさぶたに触れた。

 

次いで手首をさする。

 

そして、昨晩から先ほどまでのことを反芻する。

 

 


 

 

3度目の射精の後、息も絶え絶えな僕に対してキキはケロリとしていて、

 

「体力のない子ね。

チャンミンは若いんでしょう?」

 

とくすくす笑いながら、僕の髪をすいていた。

 

よく冷えたミネラルウォーターを手渡してくれるキキに、彼女の心を感じ取る。

 

気遣う心がある風を装っているのかもしれない。

 

僕に対して、愛情に近いものを抱き始めていたのだとしたら、僕は嬉しい。

 

繋がっていない時のキキは、礼儀正しく愛想笑いを浮かべたりするから、キキの本性を誰も気付かない

 

僕が「泊まっていく」と何度も言い張ったが、キキは「帰りなさい」と頑として譲らなかった。

 

俯くと僕の胸に下腹に、無数の色香匂いたつ紅い花が散っている。

 

外は薄暗く、マットレス脇に置いた懐中電灯だけが唯一の灯りだ。

 

この灯りも、僕のためだけにキキが点けてくれているものだ。

 

キキにとっては、眩しくてかなわないだろうに。

 

長い黒髪をまとめたことでむき出しになったキキの白いうなじを目にすると、その冷たく柔らかい皮膚に唇を這わせたくなる。

 

先ほどから冷蔵庫の方をちらちらと見るキキに気付いた。

 

「僕に構わなくていいよ」

 

僕は冷蔵庫の方をあごでしゃくった。

 

キキはしばらく僕をじぃっと見つめていたが、やがてにっこりと笑った。

 

「チャンミンは強いのね」

 

「どうかな...」

 

僕の心は元来タフじゃない。

 

キキを求める強い愛情が、彼女の全てを受け止めるだけの器を作っただけに過ぎない。

 

だから、タフでいられるのはキキに関することに限られるんだ。

 

「ごめん...僕がつきまとっていたせいで、キキは自由に動けなかったんだろう?」

 

「その通り」

 

冷蔵庫の中からポリタンクを取り出したキキは、きっぱりそう言い切った。

 

キキは僕が買ってあげた水筒に、ポリタンクの中身をとくとくと注いだ。

 

「危ない目にあったけど、チャンミンに助けられた」

 

注がれる液体の正体を思うと、不快感で胃の腑の辺りがむっとする。

 

「バッテリー容量が約1日と案外少ないの」

 

薄暗くて分からないけれど、キキの瞳はきっと墨色に沈んでいるだろう。

 

「正体を知られて楽になった」

 

「僕も...正体を知って楽になった」

 

「チャンミンに全部教えてあげるよ。

謎めいた女じゃ、チャンミンに対してフェアじゃないから。

質問には全て答えるよ。

ただし」

 

言葉を切ると、キキの瞳がぎらりと光った。

 

一瞬で身がすくむ。

 

「過去の恋愛については、詳しく話すつもりはない」

 

「そんな...」

 

「不安そうな顔をしないで。

今はチャンミンだけよ」

 

キキの目付きが優しくなって、細い指が僕の喉から顎へとつつっと撫ぜあげた。

 

たったそれだけで、僕の腰がかすかにうずいた。

 

「死ぬまで?」

 

「その通り」

 

よかったと僕は胸を撫でおろすのだった。

 

「Sおじさんとは結局、どういう関係なの?」

 

「彼の伯父を看取った」

 

「看取る...」

 

「私は死ぬまで離さないからね」

 

僕の胸元を汗がつーっと流れ落ちた。

 

蒸し暑さのせいか、冷や汗なのかは分からないけれど。

 

「キキが...殺したの?」

 

「チャンミンは、どう思う?」

 

キキの握力なら僕の喉くらい片手で潰せるだろうけど、キキはそんなことは絶対にしない。

 

しないに決まっている。

 

なぜって、僕を怖がらせるようなことを言うけれど、それは僕の反応を見て楽しむだけで、怯えた僕に憐れむような、慈悲深そうな微笑を見せるのだ。

 

身がすくんで逃げられないのではない。

 

自ら望んで、怯えることを「愉しんでいる」のだ。

 

僕もとうとうここまで歪んでしまったか、と呆れてしまうけど。

 

「チャンミンは甘いわね。

もし、私が本気で襲ったらどうするの?

怖いでしょ?

死にたくないでしょ?」

 

「キキは...そんな人じゃないよ」

 

もしキキが僕の命を狙うようなことがあったとしたら、僕は喜んで餌食になっていそうだ。

 

それ程までに僕は歪んでいる。

 

「キキは...いつから生きてるの?」

 

「時の流れがゆっくりなだけだよ。

チャンミンの10分の1くらいかな。

身体が冷たいのも、体温という無駄なエネルギーを使わないため」

 

「10年で1年...100年で10年...」

 

「退屈だよ。

繊細な精神を持っていたら、耐えられないでしょうね。

感覚だけは敏感に研ぎ澄まされていくのに、感情はどんどん摩耗していくの。

だから、身体の感触だけが「この世に存在する理由」を感じられる唯一のものになっていくの」

 

キキは僕の片手をとると、手の甲をすっと撫ぜた。

 

「撫ぜると気持ちがいいでしょう?

でもね...チャンミン。

私の指を噛んでみて」

 

「え?」

 

「いいから」

 

突き出されたキキの細い人差し指に、恐る恐る歯を当てる。

 

「もっと強く」

 

歯の下に小枝のような骨を感じた。

 

「もっと強く」

 

冷凍庫にいれたチョコレートを齧るみたいに前歯に力を込めた。

 

僕の口から抜かれたキキの指には、歯型がつき皮膚が破れて赤いものが滲んでいた。

 

「例えば、こんな風に。

力の加減によっては、快感が苦痛になってしまう。

でも、苦痛が快感に変わることもある。

 

快感と苦痛は紙一重。

あなたの表情を見ながら、その狭間を探っているの。

これが私の愛し方よ」

 

キキはふふんと笑った。

 

「長く生き過ぎたせいで心はすり減ってしまったんだもの。

感触と、味と匂いから楽しみを見つけていかなければ、生き長らえるのは辛すぎる」

 

かつてのキキには、心があったのだ。

 

「感触と味と匂い...」

 

なるほど、と思った。

 

「動物的でしょ?

素敵な痛みを私に与え続けてくれるのなら、チャンミンがおじいさんになっても構わない」

 

キキはマットレスの上に仰向けに横たわり、組んだ腕に頭を預けた。

 

僕はそんなキキを見下ろして、何もかもが小さく整った姿を美しいと思っていた。

 

「でもね、嫌になる。

美しかった人が、老いて醜くなっていくのよ。

私だけが変わらないの。

 

そして、私の目の前で死んでいってしまうの。

私だけが残されるの。

ほんとうに...うんざりする」

 

「キキ...」

 

失う度辛くなるのに、長くこの世に存在していれば、出会いは次々と訪れる。

 

傍らに男を置くのは退屈まぎれなのだろうか。

 

その男が死ぬまで愛するのなら、それは退屈まぎれではないと僕は思った。

 

「この身体を維持するのは大変なんだ。

買えないものは何もないよ、お金さえあれば。

でも、手に入りにくいものは高価だ。

私が大金を持ってるのも、そのためだよ。

お金がかかる『お人形』なの、私は」

 

自嘲気味につぶやくと、キキはしばらく身じろぎもせず天井を見上げていた。

 

「人形...」

 

「処理場...あそこは私が資金を出した」

 

「えっ...!?」

 

なるほどと腑に落ちた。

 

 


 

 

電車の発車時刻ぎりぎりまで、僕らは互いの身体を貪った。

 

僕が貪られた。

 

もっと正確に言うと、貪られるのを望んだのは僕の方だ。

 

互いの性器を丹念に舐め合い、味わった。

 

前夜見た夢のことを思い出しながら、キキの中を貫く。

 

モノクロの世界の中、僕が全身を浸していた池だけ血のように真っ赤で、唇についたその水はザクロの果汁だった。

 

僕とキキとの恋には、先行きの見えない前途多難の予感しかしない。

 

僕らを取り囲む世界は灰色と黒色。

 

甘い蜜の池に沈んでいる間は、そのことを忘れられるんだ。

 

「縛って」

 

「正気?」

 

「僕を繋ぎとめて欲しい。

だから...縛って...」

 

キキは僕を憐れむような眼で見た。

 

脱ぎ捨てられたデニムパンツからベルトを引き抜き、配管に通すと僕の手首に巻き付けた。

 

「もっときつく」

 

「痕が残るわよ?」

 

「構わない...っ!」

 

ぎりぎりと手指の感覚がなくなるまでベルトが引き絞られた。

 

両腕を上げた状態で手を拘束され、自由を奪われた。

 

腕を下ろすこともできない。

 

僕の身体はキキに弄ばれるんだ。

 

僕は狂っている。

 

「厭らしい子」

 

そう言って、キキは僕の額に唇を押し当てた。

 

「可哀想だから脚は縛らないでおくわね。

ただし、動かしちゃ駄目よ。

少しでも動かしたら...」

 

僕のペニスが喉奥で締め付けられ、同時に会陰をぐりっと押された。

 

「ああっ...あっ...」

 

快感を逃そうと膝を動かしたら、キキは僕のペニスから口を離してしまった。

 

「舐めてあげないし、しごいてもあげない」

 

キキは立ち上がるとマットレスを離れ、何かを持って戻ってきた。

 

僕に唇に口づけると、僕の膝の上にまたがった。

 

ボトルを傾けて手の平いっぱいに中身を注ぐと、とろとろになった両手で僕のペニスを包み込んだ。

 

それは水筒を買ったあの日、キキが買い物かごに放り込んだものだ。

 

「ひっ...」

 

思わず腰が浮いてしまう。

 

かかとに力を込めて、快感にのたうち回りそうになるのを堪える。

 

強めに上下にしごかれて、開きっぱなしの僕の口から唾液が漏れる。

 

両手を握りしめようとするが、血の通わないせいで力が入らない。

 

「はっ...あっ...」

 

睾丸を握られて、僕は短い悲鳴をあげる。

 

「あぁっ...あぁぁ...」

 

痛みと快感の狭間をいったりきたりして、僕はどうにかなってしまいそうだった。

 

イキそうになると、キキは動きを止めてしまう。

 

キキを押し倒して、両腿を割って突き刺してやりたかったけど、僕の両手は封じられている。

 

ベルトの固い革が僕の手首の皮膚を、傷つけていく。

 

さんざん焦らされ、フラストレーションが溜まって爆発しそうだった。

 

ようやくキキが腰を埋めたときには、僕はイッたのかそうじゃないのか分からなくなっていた。

 

午前10時の廃工場内に、僕の嬌声が響き渡る。

 

左右に揺らすだけのキキの動きがもどかしくて腰を突きあげようとした。

 

「動かないでって言ったでしょう?」

 

僕の乳首が強くつねられて、僕は歓喜の悲鳴をあげてしまう。

 

「いっ...!」

 

「気持ちいいか?」

 

「うん...いいっ...いい...もっと...」

 

「もっと?」

 

僕の口元に耳を寄せて、「ここ?」と乳首をぐりっと押しつぶした。

 

僕の身体は、激しくのけぞる。

 

まるで、水槽から引き揚げられた魚が、まな板の上でびちびちと跳ねるように。

 

「あっ...ん...そう...そこを...もっと」

 

僕のペニスはこれ以上ない程に硬く膨れ上がって、下腹が痛いくらいだ。

 

動かしたい。

 

引っ張るほど手首に革が食い込むばかりで、強烈な性感から逃れられない。

 

幸福から逃げたくなる、逃げられないから幸福なんだ。

 

自分がそう仕向けたんだ。

 

不自由な状況下で一方的に与えられる快感に、目が眩むほど僕はのめり込んでいた。

 

手首の痛みがもはや、快感になっていた。

 

咥えられた耳たぶに歯を当てられた。

 

「っ!」

 

熱い痛みが走って、「噛まれた」と思った。

 

 


 

 

「はぁはぁはぁ」

 

まるでシャワーを浴びたかのように、僕の全身は汗びっしょりだった。

 

これから帰りの電車に乗らなければならないというのに。

 

手首の拘束を解かれた。

 

案の定、内側のやわらかい皮膚が帯状に擦りむけ、血が滲んでいた。

 

しびれた手指を開いたり閉じたりしていると、血の気が戻ってきた。

 

 

「種明かしをしてあげよう」

 

キキは僕の手首をとると、自分の方に引き寄せた。

 

そして、キキ自身の親指の付け根辺りに噛みつく。

 

キキの口が離れると、犬歯がつけた2つの穴からぷくりと血が膨れ上がり、張力を越えたそれはたらりとキキの手首を汚した。

 

何が始まるんだ?と僕は固唾を飲んで見守る。

 

その手を突き出された僕の両手首にこすりつけた。

 

「!」

 

僕の血とキキの血に覆われていて、その変化を確認することはできなかったが...。

 

 

タオルで僕らの血が拭われると、

 

 

「はい、出来上がり」

 

 

まっさらな僕の手首があらわになった。

 

 

 

消えた二の腕の傷の謎がこれで解けた。

 

 


 

 

乗り換えの駅を知らせるアナウンスに、僕は席を立った。

 

つい数時間前まで、緑迫る山中にいたことが嘘のようだった。

 

何の気なしに空虚な気持ちで帰省した結果、僕が陥ってしまったこと。

 

僕の魂を持っていかれた。

 

僕はもう狂っていた。

 

僕はもう一度、キキに会いたかった。

 

文字通り骨の髄までしゃぶられたかった。

 

僕をもっといたぶって欲しかった。

 

飽くことなく抱き合いたかった。

 

もっと、もっと。

 

 

 

 

街にもどった僕は、1週間も待てずに再び故郷へ向かった。

 

 

(つづく)

 

 

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(19)僕を食べてください★

 

 

目にしてきたものなのに、認識までたどり着かないように目を反らしてきたもの。

 

僕にとってキキは血の通わない人形だ。

 

これはどこかで見聞きした言葉なんだけど、「まるで神様がこしらえたかのような」精巧で美しい人形だ。

 

けれども、きめの細かい冷えた肌の下は、温かく湿っているから、僕は大いに混乱してしまうのだ。

 

今朝のこと。

 

突き放されてパニックになった僕は、林の中で倒れこんだキキを欲望のまま押し倒してしまった。

 

僕にされるがままのぐったりとしたキキを所謂、犯してしまった。

 

そして、身動きしなくなってしまったキキに対して、僕は罪悪感に苛まれる間もなく、Sおじさんの助けを借りて林を抜けた。

 

処理場のステンレスの台の上で死体のように横たわるキキを、医者に診せることもしないSおじさんに僕は焦れた。

 

Sおじさんはキキのことを知っていた。

 

キキとの関係性を問うたら、「ギブアンドテイクの間柄だ」と言っていた。

 

彼の口から語られた内容に僕は驚嘆した一方で、「やっぱり」と納得していたのだ。

 

どうりでおかしいと思ったんだ。

 

予感が的中、「なるほどそういうことなんだ」って。

 

キキのことを不気味だと感じる以前に、答えが得られて満足していた。

 

確実なのは、キキの正体を知ったからといって、彼女から離れたい意志が僕には全然生じなかったということ。

 

おかしいだろう?

 

その後、彼がキキに施した「処理」を目の当たりにして、僕は血の気がひき、吐き気をもよおした。

 

昨日からほとんど何も口にしていないせいで、何度えづいても吐き出されたのは胃液のみだった。

 

キキの側にいるには、これらを受け入れなくてはならないんだと、口の中を苦みでいっぱいにしながら最後まで見届けた。

 

Sおじさんの車で、僕ら2人は廃工場まで送ってもらった。

 

ふらふらだが歩けるようになったキキを先に下ろし、車のドアを閉めた僕にSおじさんは言った。

 

「俺にはチャンミンに何もしてやれない。

チャンミンには気の毒だし、残念だ。

彼女に魅入られてしまったら、遠くへ離れるか、行きつくところまで行くしかない。

お前に酷いことをする女じゃないが...。

ただし、命を大事にしろ。

お前にはばあちゃんがいるんだからな」

 

今の今まで、ばあちゃんのことが頭からすっぽりと抜けていた。

 

「命を大事にしろ」というSおじさんの言葉は、後々の僕に突きつけられる時が訪れることになるなんて、その時の僕は聞き流していた。

 

僕は今、マットレスに腰掛けて、汚れた衣服を脱いで着がえているキキの後ろ姿を見守っている。

 

キキの動きは敏捷で、数時間前まで死体のようにくたりとしていたのが、嘘のようだ。

 

「チャンミンには心配かけてしまった」

 

ロング丈のTシャツワンピースに着がえたキキが、僕の方へ歩み寄った。

 

キキが差し出した手を握ると、僕の方に引き寄せた。

 

「私のこと...気持ち悪いでしょう?」

 

キキは肩に回された僕の腕の下から抜け出してしまった。

 

「離れていいのよ。

あなたは明日、街に戻る。

それっきり、離れて行ってしまって構わないのよ」

 

「離れるもんか」

 

僕は再びキキの肩に腕をまわす。

 

「こんな言い方じゃ、チャンミンの意志に任せるみたいで卑怯だから、言い直すわ。

私から離れて欲しい」

 

「嫌だ。

帰るのは止めにした。

学校なんてもう、どうでもいいんだ」

 

「駄目よ。

私はそんなことを望んでいない」

 

「僕は覚悟を決めたんだ。

確かにキキは不気味な存在かもしれない」

 

薄墨色のキキの瞳が、僕の瞳から感情を読み取ろうとしているかのようだった。

 

見る度に目まぐるしく色を変えるキキの瞳の色に、僕は惹かれていた。

 

瞳の色の法則も何となく、読めてきた。

 

「確かに、とても驚いた。

驚いたっていうレベルじゃないな、ははっ」

 

キキの頬を包み込むように、片手を添えた。

 

僕の熱い手の平が、キキの肌で冷やされていく。

 

「『怖くなかった』は嘘になるから、正直に言うけど、

ぞっとした」

 

でも、僕の深層心理では、とっくに気付いてた。

 

だから、本当のことをSおじさんに教えてもらって、腑に落ちた。

 

「信じられないだろうけど、

本当のことを知って、これで真正面からキキを好きになれる、って安心したんだ」

 

「......」

 

「駄目かな?」

 

キキは長い黒髪の間からのぞく小さな耳をすまして、僕の言葉を考え深げに聞いているようだ。

 

「僕の身体だけが好きならば、それで僕は十分だ。

僕のことを少しでも気に入ってくれているのなら、離れろなんて言わないで欲しい。

僕の身体が好きだって言ってたよね?

僕は、キキの側から離れないと決めたんだ」

 

僕の顔を穴が開くほどじぃっと見つめていたキキは、小さくため息をついて「そっか...」とつぶやいた。

 

「さて。

セックスでもしようか?」

 

「え?」

 

キキに胸を押された僕は、マットレスの上に仰向けになった。

 

キキの唐突な誘いに僕はポカンとしたが、僕らは会えば必ず交わる関係性だ。

 

キキの「セックスしようか」の台詞は、僕の言葉に対する肯定の返事だと捉えた。

 

キキの肩を引き寄せて、僕は彼女に深く口づけた。

 

1枚1枚相手の服を脱がし合い、焦らすように肌をさらしていった。

 

僕のものは痛いくらいにそそり勃っていて、キキの温かい口内に包まれた時には、喉の奥から低い呻きが漏れた。

 

初めての日のように、僕の乳首が執拗にいたぶられた。

 

右が済んだら、次は左。

 

左右両方。

 

1センチにも満たない1点から強い快感が全身を駆け巡る。

 

きつく吸われながら、後ろ手で僕の亀頭をしごかれた時には、はしたないほどの嬌声をあげていた。

 

「あっ...あ...」

 

辺りに響くのはやっぱり、途切れることのない僕の喘ぎ声だけだった。

 

「気持ちいいか?」

 

キキに問われて、僕は答える。

 

「すごく...気持ちがいい」

 

すぐに達してしまっては勿体なくて、激しい腰の振りを弱めた。

 

ゆっくりと出し入れしながら、キキと言葉を交わす。

 

「Sおじさんとは、どういう関係?」

 

衰弱したキキを助ける処置で精いっぱいだった僕が、Sおじさんに聞けずじまいだった疑問をキキに投げかけた。

 

「古い知り合い」

 

「古くから...」

 

不安げな僕のつぶやきに、キキは僕の頬を軽く叩いて言った。

 

「昔の恋人だ、とかじゃないから」

 

Sおじさんがキキのことをよく知っていたから、過去に関係を持っていたのでは、と嫌な思いが浮かんでしまったんだ。

 

「本当にそういうのじゃない」

 

キキを荒々しく四つん這いにさせて、突き出された割れ目に僕のものを深くうずめた。

 

キキの背中にぴったりと覆いかぶさる。

 

片腕をキキの腰に巻き付け、もう片方でキキの乳首を弄んだ。

 

ふわりと甘い香りが、僕の鼻孔をくすぐる。

 

そう、この香りなんだ。

 

僕を愉楽の蜜の壺に沈めるのは。

 

下腹部の奥がせり上がり、視界が狭くなってきた。

 

「キキっ...イクよ?...イクよ?」

 

これ以上はないほどのスピードで、かつ奥の奥を小刻みに叩く。

 

僕はキキの最奥に勢いよく放った。

 

決して子種にはならないその白濁は、キキの膣の中を充たし、したたり落ちて内腿を濡らした。

 

小一時間も経たずに硬さを取り戻した僕のものは、再びキキの穴に突き立てる。

 

「チャンミンは、若いわね」

 

キキはクスクスと笑った。

 

「そうだよ。

僕は若い」

 

「でももう、小学生じゃない」

 

「その通り」

 

僕のものの角度を変えて、中の上辺を強めにこすり上げた。

 

直後に白い喉を反らしたキキに、僕は満足する。

 

「明日になったら、帰るのよ」

 

僕はキキを横抱きにして挿入する。

 

「僕を...置いて行かないで」

 

「置いて行かない。

ここにいる」

 

力強いキキの腕によって、僕はキキを組み敷く格好になった。

 

「絶対だね?」

 

「ええ。

私も覚悟を決めた」

 

ついた両手の間で、キキの紺碧色の瞳が僕をまっすぐ見上げていた。

 

その場限りの言葉じゃないことが、伝わってきた。

 

身体の重なりを反転させ、僕の上にキキをまたがらせる。

 

キキの腰骨を両手でつかんで、上下に揺する。

 

同時に僕の腰も高く突き上げた。

 

1度目より時間はかかったけど、やがて僕は射精を果たした。

 

放心する僕の隣で、キキは半身を起こした。

 

キキの背中に見惚れた。

 

キキの背骨をひとつひとつ指でなぞり、手の甲で背中を撫で上げた。

 

美しい身体だった。

 

それなのに、血が通っていないなんて。

 

そうか。

 

温かみがないからこその美貌なのか。

 

キキのウエストをさらって、キキを包み込むようにきつく抱きしめた。

 

じっとしているだけでじわじわと汗がにじむ中、谷川の水のように冷たいキキの肌が気持ちよい。

 

割れた窓ガラスから、オレンジ色の夕日の光が差し込んでる。

 

太ももに当たるものに気付いたキキが、呆れた顔をした。

 

「まだヤルの?」

 

「そうだよ。

あと...18時間しかない。

時間が勿体ないんだ」

 

いつまでも、いくらでも、僕はキキと繋がっていたい。

 

性器の接触だけが、キキを身近に繋ぎとめられる唯一の行為だ。

 

それでいいじゃないか。

 

僕の心がキキの心には届くことは、最後まで訪れないかもしれない。

 

「僕は...何人目?」

 

気になって仕方がないことを、僕はとうとう口に出す。

 

「過去の恋愛にについて尋ねるなんて、無粋な子ね」

 

「5人目?

10人目?

それとも...もっと?」

 

「今はチャンミンなんだから、それでいいでしょう?」

 

「うーん...」

 

はぐらかされて、僕は不機嫌になる。

 

「誘惑してごめんなさいね」

 

「そうだよ。

最後まで責任をとって欲しい」

 

「純粋過ぎるあなたが怖くなる」

 

「だから、僕から離れたくなったの?」

 

「そんなところね」

 

「僕は死ぬまでキキの側にいる、何があっても」

 

「勇ましいわね」

 

「そうだよ。

僕は勇ましいんだ。

キキのことが、全然怖くないんだ」

 

乱れた前髪をかき分けて、僕はキキの額に唇を押し当てた。

 

暗闇の中、倒してしまった水筒からこぼれ落ち、コンクリートの床に作った染み。

 

懐中電灯の灯りに照らされて、赤く光った瞳。

 

「狂ってるわね」

 

「そうだよ。

僕は狂っているんだ」

 

 

(つづく)

 

 

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