~ユノ~
チャンミンは「じゃあね」と胸の位置で女子っぽく手を振り、改札口の向こうへ消えていった。
なんだなんだ、可愛すぎるぞ。
俺が貸したボトムスはチャンミンの尻には大きいようで、余った生地が尻の下でたゆんでいる。
細い腰や小さな尻を注視する自分に、「こら!どこ見てるんだ!」と突っ込んだ。
なんだあいつは...。
なんなんだ、あいつは。
美貌のゲイボーイに口づけられた頬をこすった。
押し当てられた唇は柔らかかった。
特別おしゃべりでも騒がしい奴でもないのに、チャンミンがいるとそこは華やかに色づいた。
お開きになったパーティ、後に残されたホストのような寂しさというような...。
チャンミンと連絡先を交換したのは、うちで洗濯してやった衣類を返さないといけなくて、連絡手段がないと不便だろうと考えただけ...でもないか。
言い訳だな、これは。
正直に認めてしまえば、それだけじゃなく 「お友達になりましょう」と交際を申し込んだ奴が一向に、電話番号なりメールアドレスなりを教えてくれなかったことに焦れたのだ。
俺から言い出させる作戦だとしたら、さすが交際人数20人、恋愛の策士だ。
「ユノに見惚れてた」と言ったチャンミン。
目付きはとろんとしたものだったけど、ウルウルにさせた眼の奥はしん、としていた。
気になってしまって、おせっかいだってことは分かってはいても、忠告めいたことを吐いてしまったのだ。
20人だか30人と付き合ってきた、と話していた。
単に惚れやすいなだけの単純な奴なのか、独りになるのが怖くて男を渡り歩いていたのか...。
重すぎる愛情表現に付き合いきれなくなって、フったかフラれたか...。
いずれにせよ、チャンミンという男は恋愛ごとに関しては、馬鹿か達人かどちらかだろう。
どちらにしても、あのルックスだ。
チャンミンという蜜にひかれて、その気のある男どもがわらわらと寄ってくるんだろうな。
童貞の俺が言う資格はないのを重々承知で言わせてもらうと、『危なっかしい』に尽きる。
今までは何事もなくいられたのが不思議だ。
初対面の俺にケツの穴まで見せるくらいガードが甘い。
「気をつけた方がいいぞ」と俺の忠告にチャンミンは気を悪くする風でもなく、「ユノったら、僕を心配してくれるんだ」なんて、もっと眼をうるうるさせるんだから。
どこかでトラブルに遭うんじゃないかって、心配になってきた。
チャンミンが消えた後もしばし、そこに立ち尽くしていた。
それから突如、彼女との別れに胸がズキズキし始めた。
そうなんだよなぁ、忘れていたけど俺は傷心中だったのだ。
スマホを取り出し、彼女の連絡先を消去した。
俺は引きずるタイプの男なのだ。
鼻の奥がつんと痛くなり、じわっと涙がにじんできたのを堪えた。
失恋なんて慣れてるだろう?
次なる『この子だ!』を探す気にもならず、当分は喪失の痛みとぽっかり空いた時間を持て余すんだろうなぁ。
「おっと!」
改札口上部の時計が11時を指していて、今日の予定を思い出したのだ。
喉の渇きを覚え、ジュースでも買おうと自販機に駆け寄ったところで、チャンミンにポケットの中身全部、手渡したことも思い出した。
あ~あ。
俺はチャンミンに振り回されつつある。
でも、そんな自分が嫌じゃない。
なんでろう。
・
今日の俺は、実家に顔を出す約束があった。
ウメ祖母ちゃんの老人ホーム入居の日。
ばあちゃんっ子だった俺は、母さんと一緒に付き添ってやりたかったのだ。
実家の玄関の戸を開ける間もなく、「遅い!」と母さんに叱られた。
「ごめん。
えっと...荷物の用意は?」
「車に積んであるわよ」
小さく縮んでしまったウメ祖母さんを後部座席に、母さんを助手席に乗せて、ここから15km離れたホームへと車を走らせたのだった。
・
あてがわれたのは4人部屋で、備え付けの棚に持参した荷物を納めていく。
日当たりのよい広々とした部屋で、窓の外は芝生張りの広場と、色とりどりの花が植わっている花壇が周囲を縁取っている。
ヘルパーさんが車椅子に乗ったじいさんを押している。
出迎えたホーム長さんも感じのよい人だった。
いいところで俺は安心した。
鼻の奥がつんとしてきた。
半分ボケかけたウメ祖母ちゃんといえば、ベッドに腰掛けぼうっとしている。
ふと思い出したよう、「ユノや、こずかいをやろう」「ユノや、勉強はちゃんとやってるかい?」と俺に話しかけてくる。
その都度俺は、「この前もらったから足りてるよ」「いっぱい勉強しているよ」と答えた。
ウメ祖母ちゃんがここに入居することになってしまったことで、俺の目に涙が浮かんでしまう。
母さんは働いているし、俺も勤務先の都合上、ここから1時間離れた街に1人暮らしだ。
自宅で介護し続けるのも限界だったのだ。
出来る限りウメ祖母ちゃんの顔を見に来よう、彼女の好きなイチゴを買って来ようと心に決めたのだった。
「ユノや、嫁さんは元気か?」
「祖母ちゃ~ん。
俺はまだ結婚していないって」
ウメ祖母ちゃんの意識は過去と現在、さらに未来へとあっちこっち彷徨っているのだ。
「ユノや、孫を早く見せてくれ」
「うん、わかった」
「どうですか?」
ホーム長が顔を出したので、母さんは「いいところで、母も喜んでいます」と頭を下げた。
ウメ祖母ちゃんはベッドに横になっていて、俺は「喜んでいる『はず』です」と、心の中で付け加えた。
「担当の者をご紹介します」
ホーム長は振り向き、遅れてやってきた者を俺たちに引き合わせた。
「!!!!!」
銀髪のゲイボーイ。
俺はひっと吸い込んだ空気を、吐き出すことが出来ない。
チャチャチャチャンミンではないか!!!
チャンミンも目を真ん丸にして、言葉を失っている。
どうしてチャンミンがここにいるんだ!?
エロシャツにエロパンツ姿だったチャンミンが、ジャージパンツに白のポロシャツ、白のスニーカーに身を包んでいる。
なんと似合わないことか!
チャンミンがなぜ...ここにいる?
俺とチャンミンは真っすぐ目を合わせたまま、フリーズしている。
「あら?
知り合いでしたの?」
「...はあ」
俺は小刻みに頷いた。
「ウメさんを、このチャンミンが担当させていただきます」
ホーム長は固まってしまったチャンミンの背中を押した。
「ど、どうも、よろしくお願いします」
頭を下げるチャンミンは上目遣いで、俺から目を反らさない。
俺だって目を反らせない。
チャンミンが言い淀んでいた職業とは、介護士だったのだ!
(つづく)
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