~チャンミン~
僕は完全に油断をしていた。
「...チャンミン?
チャンミンだよ、な?」
聞き覚えのある声に振り向くと、『が~~ん』と、この時に相応しすぎる効果音が頭の中で鳴り響いた。
僕の目の前に、二度と会いたくない男...同時に忘れられない男がいた。
ノンケの男。
僕が初めて好きになった男。
僕のお尻バージンを奪った男。
「元気そうだね」
「......っ」
元凶の方から近寄ってきてくれるとは、なんてタイミングいいんだろう。
...と言いたいところだが、心の用意が出来ていない状態を襲われたせいで、バッドタイミングと言ってよい。
「大人っぽくなった」
準夜勤明けの僕は、1杯飲みたくて早朝4時まで営業している例の店へふらりと寄ったのだ。
「チャンミン?
もう忘れてしまったのか?」
ずいっと1歩近づいた男から逃れようと、1歩下がってしまいそうになるを僕は堪えた。
(お前なんか怖くないし、覚えていない)
ぷいっと顔を背けたくなるのも耐えた。
(号泣して、こいつにすがりついてしまった過去を消し去りたい!)
彼の見た目は中の中、ありふれた30代男性。
全身から男の色香をプンプンとさせたような逞しい肢体の持ち主でもないし、サイズの合ったスーツに身をまとった金の匂いをプンプンとさせた成功者でもない。
記憶にある数年前より、しわと体重が増えたように見える。
分かりやすいいい男に捨てられたのならまだしも、係長クラス程度の男に弄ばれたのだ。
でも、分かる人には分かる色気を彼は放っていた。
その点が悔しい。
「あれは、どうしたの?」
「っ!」
僕の耳に添えられた彼の手を振り払った。
「触るな」
「いいものだったのに...。
どうした?」
「...捨てたよ」
嘘だった。
「酷いなぁ。
アレを買うのにどれだけ苦労したか
高かったんだ。
知っているだろう?」
知っていた。
ぶわっと全身に汗が噴き出し、Tシャツにできた汗じみが彼にバレないでくれ、と心の中で手を合わせていた。
確かに僕は、彼に捨てられた被害者かもしれないが、捨てられる原因を作ったのは僕だ。
相手に注ぐ愛情の比重は、僕、彼、僕の順で変化していった。
彼に襲われる恰好で関係を持ち、次に彼自身が僕との行為に夢中になり、後半では僕の方が欲張りになっていた。
実は愛情の証としてねだったダイヤのピアスは、彼に無理をさせて手に入れたものだった。
思い返せば、若かったとはいえ僕も随分と酷い男だった。
好きになり過ぎて夢中になって、大学を辞めて追いかけて、押しかけたら彼には家族がいた。
『俺は男が好きなんじゃない。
男とヤるのが好きなだけだ』
この言葉はグサリと、当時ピュアだった僕の心に突き刺さった。
...これが、大したことのない僕のトラウマ。
ピュアだった僕の身体は短期間のうちに大人にさせられ、それに追いつけなかった心は折れてしまっていた。
ガチ恋はマジ勘弁だ、と心底疲れてしまった。
足を引きずりながらこの店に飛び込み、初めての酒を飲み、初めて初対面の男と身体を合わせた。
以降、僕の性生活は爛れたものとなる。
(真っ直ぐ帰宅すればよかった...。
今はまだ、会いたくない奴だった)
僕の手はとっさに後ろポケットへ向かった。
ユノにSOSの電話をしようとしていたのだ。
ユノならば颯爽と現れて、この場をおさめてくれるはずだ。
(...あ~、駄目だ)
今夜のユノは、仕事帰りに実家に寄ると言っていたから、ヘルプミーの電話をかけるわけにはいかない。
(ユノに頼ったらだめだ。
自分の尻ぬぐいは自分でする、ユノの助けは要らないと宣言していたのは僕の方だったじゃないか!)
今こそ、記憶の精算をすべき時ではないかと、決断を迫られた。
彼は必ず今夜、僕を誘う。
爪を短く切った彼の指がどれだけエロい動きをするのか、僕は知っている。
この店にやってきている時点で、一度限りの男を漁る目的がありありだ。
彼の趣味は未だに変わっていない、ということか。
僕が大騒ぎすることなく引き下がったおかげで、家族崩壊の危機を免れたというのに、性懲りもない。
(こいつにも痛い思いをさせてやりたい。
でも、どうすれば...?)
ユノとの交際にイマイチ集中できずにいる。
元凶はこの男だ
性癖を晒すぞと脅したところで、そういうことの出来ない僕の性格を知っている彼は、「どうぞお好きに」と、僕の脅しに怯みもしないだろう。
彼の中での僕は、未だに世間知らずで恋が全ての子供のままなのだろう。
男の腕が僕の腰に回された。
今夜の僕は、タイトなパンツを穿いてもいないし、髪も無造作に後ろで束ねているだけだ。
これが僕のナチュラルな姿だ。
そうさせてくれたのは、僕の今カレ。
その大事なカレのために、僕は忌々しい過去を清算させなければならない。
これは僕の気持ちの問題なのだ。
(どうやって復讐しようか?
プライドをずたずたにするのはどうだろう?)
という考えが浮かんだ直後、「待て」と僕の心の一部が襟首をつかんだ。
(思い出せ)
一度どん底に落ちてからの僕は、なかなかのタフさを発揮したんだっけ。
ちゃらんぽらんな私生活の真逆をゆこうと、資格をとってまっとうな仕事に就いた。
僕の職業を知ったユノの驚いた顔といったら...!
「なに笑ってるんだ?
思い出し笑い?」
「!」
いつの間にか彼の手が僕のお尻にまわっていたようだ。
「...っ!」
彼の指が僕のお尻の谷間で遊んでいる。
彼を見下ろしながら、僕の頭は「こいつをどうしてやろう?」でいっぱいだった。
(つづく)
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