身体を拭きながら、念入りに消臭スプレーを全身に吹き付けているユノをちらちら見ていた。
自身の体臭を徹底的に閉じ込めてやろうという、強固な意志が感じられる。
ユノとは消毒液の香り、無臭そのものなのに。
「どうせマスクをしてるんだからさ。
スプレーしなくちゃいけないのは僕の方じゃないの?
ほら、シューっとして」
ふざけた僕はユノの前で万歳してみせた。
スプレーのノズルをこちらに向けたユノは、視線をある一点に釘付けにしている。
「お前...脇も剃ってるのか?」
「わ!」
大慌てで下ろした両手で身体を抱き締め、その場にしゃがみ込んだ。
「脇毛ボーボーでワンピース、着たくないでしょ」
「...確かに。
ワンピースを脱がしたら毛深い脇...ムード台無しだなぁ」
制汗スプレーをひと缶使う勢いで噴霧し終え、ユノはようやく下着を手に取った。
とっくに着替えが終わっていた僕はベンチに腰掛け、ユノの着替えが済むのを待っていた。
「脱がされること前提じゃないんですけど?」
「俺はワンピースを着たことがないから、ムダ毛を処理したい気持ちが理解できん。
脱がす立場で想像するしかないだろう?」
「う~ん、その通りだけどさ。
ユノだって清潔第一ならば、脇を剃ったらどうなの?」
「......」
無言になってしまったユノに、皮肉がきつすぎてしまったかな?と不安になってきた。
「僕の言ったことはジョークだから、ね?」
ところが、
「...チャンミンの言うとおりだな。
どうして今まで気が付かなかったんだろう」
なんて言うんだ、驚いてしまった。
「それにしたって、チャンミン。
お前もなにかとこじらせてるな」
と笑われた僕はムッとしてしまい、荷物を抱えて椅子から立ち上がった。
「先行ってるよ!」
脱衣所のドアがノックされた。
その鋭い音に、廊下に待ち構えていた次の番の者が、僕らを急かしているのだ。
「早くしないと、待ってる人がいるよ!」
僕は着替え途中のユノに構わず、脱衣所の鍵を外した。
「チャンミン!」
ユノの下着姿なんて、見られてしまえばいいんだ!...なんて子供っぽいなぁ、僕って。
脱衣所のドアが開くなり、順番待ちしていた者が中に踏み込んできた。
その者との衝突を避けようと、ユノは後ろに飛び退いた。
まともにぶち当たってしまった僕はずっこけながら、その華麗な動きに魅入られていた。
しなやかな肉体にふさわしい運動神経の持ち主だ。
困ったなぁ、と思った。
僕は喪失感に打ちのめされてここにやって来て、もう二度と恋など出来ないと思い詰めていた。
退所できた日には、精神はガタガタなままでも、衣食住を最低限保てるだけ働くことができる。
これが僕の目指していた将来だった。
ぽっと現れた一人の男性に、あっという間に恋に落ちてしまうなんて...。
ユノも泣いていたように、俺にとってのその人の存在とは、その程度だったのか、と。
ユノの場合は、衝撃が大き過ぎて悲しいセンサーが狂っているだけ。
でも、僕の場合は違う。
失ってしまった愛こそ生涯最高のもののはずだった。
3年間のたうち回る苦しみを経て、さあいよいよ新しい人生の出発だ、の矢先に出会ってしまった。
他の入所者の人たちはどうか知らないけれど、僕は男の人にも恋することができる。
喪失に別れを告げる場所で新たな恋を見つけてしまい、困ったなぁと思った。
そして、片想いで済ませるつもりがないことにも困ったなぁと。
尻もちをついた僕はユノからの冷たい視線に気づき、彼から指示される前に手を洗った。
入浴を済ませ清潔にしたばかりの手は、手袋で覆われた。
・
自室に戻った僕は、一度着たパジャマを脱いだ。
クローゼットを開け、色別に吊るしたワンピースをハープの弦のように撫ぜた。
「どれにしようかな...」
ユノとの散歩ではパジャマ姿が常で、いざワンピースを着るとなると恥ずかしかった。
初めて会った時、ワンピース姿の僕に驚いていたけれど、その眼差しには軽蔑の色がなかったことに好感を持てた。
コットン、ポリエステル、リネン、シルク。
ここに入所する際、形見であるこれら全てを持ち込んだ。
僕は常にパジャマ姿で、ワンピースを着るのはごくごく限られた時だけ。
ワンピースを着ていると、その人と今も変わらず繋がっている錯覚を起こす。
同時にこれらを身にまとっていると、過去を否定したくなるドス黒い感情を抑えてくれる。
小箱の中で暴れまわるもののひとつに、僕らの愛が破綻した時、心の中で竜巻のように巻き上がった強烈な嫌悪感がある。
ワンピースはそれを鎮めてくれるのだ。
・
僕のワンピース姿をひと目見るなり、ユノは「綺麗な色だな」と言ってくれた。
ベイビーブルーと白の太いストライプ柄で、メンズライクなシャツワンピースだから抵抗感を持たれにくいと思ったんだ。
白キャンバスのスニーカーを合わせていた。
ワンピースを着た男とは、決して美しい姿とは言えない。
だから、ワンピースの色を褒めざるを得なかったにしても、嬉しかった
僕らはベンチに腰を下ろした。
ワンピースの時はいつもそうだけど、両膝をこすりつけるように内股になっていた。
ここは三方を建物で囲まれているけれど、フェンスの向こうから吹く気持ちのよい風で、僕らの濡れた前髪も乾いた。
風通しのよいここでは僕ら二人だけで、ユノはマスクもゴーグルも外していた。
僕らがやって来たことを察したラムネは、温室の中から餌をねだってピリピリとさえずっている。
ユノはガウンのポケットからビニール袋入りの人参を取り出した。
「あら、いつの間に」
「お前のサラダに入るはずだった人参だ」
僕は相変わらず白いものを食べ、ユノも相変わらず密封された保存食を食べていた。
手始めに色鮮やかなものが苦手な理由を、ユノに教えてあげようと思った。
「最後の食卓がね...」
(つづく)
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