なぜ白いものしか口にしないのか?
ユノに説明をしていた。
「その人は料理上手でね、テーブルの上はいつも色とりどりの料理が並ぶんだ。
味はもちろん、栄養バランスもバッチリでね。
今夜は何かなぁ、って毎日が楽しみだった。
お互いシフト制の仕事だったから、すれ違う日も多かった。
うん、僕らの生活は 幸せだったんだ」
「そうだったんだ...」
「その日、風邪気味だった僕は早退したんだ。
帰宅したら、夕飯の用意が既に出来ていて、留守だった。
夕飯の用意にしては早いなぁと思った。
不思議なことにメニューが思い出せない...とにかくカラフルだった。
テーブルの上を隙間なく、料理が並んでいた印象だけだ」
僕はうつむいて、ワンピースの縞模様を無意味に指でなぞっていた。
僕の横顔に注ぐユノの視線が痛いくらいだった。
ここでユノの素手が伸びてきて、僕の手を握ってくれたら素敵なのにな、なんて思ったりして...もちろん、そんなことは起こりえない。
「『先に食べて』の意味なんだろうけど、どうせなら二人で食べたくて、僕は帰りを待っていたんだ。
熱はあったけれど、気分は悪くなかった。
お腹が空いていたけど、ぐっと我慢した。
本来なら僕はまだ帰宅していない時間で、婚約者の帰りが特別遅いわけじゃなかった」
「婚約者?」
「あ...!」
うっかり滑らしてしまったワードに慌てて、僕は口を塞いだ。
「婚約者か...」
「うん...」
「そりゃ辛いな」
「38度は熱があったから、僕は風邪薬を飲んで布団にもぐりこんだ。
薬が効いたみたいで、ぐっすり眠れた。
婚約者が帰ってきたら思いきり甘えようと思ったりしてね。
こういう時、誰かと一緒に暮らしているのって幸せだよね」
「分かるよ」
「雨のぱらぱらいう音で目が覚めた。
洗濯物はベランダに干したままだったことを思い出して、僕は飛び起きた。
出勤前に僕が干した洗濯物だよ...洗濯は僕が担当していた家事だった。
サンダルを履いてベランダに出た。
手すりにバスマットを干していた。
物干しポールにシーツも干していたから、部屋の中が薄暗かった。
サンダルはチョコレート色なんだ...僕が選んだものでね...ごめん、こういう細かいことばかり覚えている。
僕らの部屋は4階で、ベランダから見下ろしたそこがちょうど正面玄関だ。
シルバー色のスポーツカーから下りてきた人物に、僕は息をのんだよ。
婚約者だった。
心臓をぎゅっとつかまれたみたいだった。
ここまで送ってもらっただけだって、僕の早とちりに過ぎないって思いたかった。
婚約者は運転席の男とキスをしていた」
「男...か」
「うん。
婚約者の頭をね、ぐいって引き寄せたんだ。
男の手だった」
「......」
僕の話に集中するあまりか、ユノの視線はフェンスの向こうにあり、曲げた指で下唇を撫ぜていた。
「全く気付かなかった。
一体いつから?
さあ...分からない」
「気付けないものらしい...一般的な話では」
「まさか僕が先に帰宅しているなんて、婚約者は驚いていた。
僕に見られたのでは?って肝を冷やしたんだろうね。
僕は知らんぷりしていた。
指摘したら最後、婚約者は素直に認めて僕の元から離れていってしまうのが怖かった。
でも、裏切られたショックは計り知れない」
「...そうだろうな」
「食欲なんて消えてしまったよ。
でも、何事もなかった風に装わなければならないからさ、吐きそうになりながら全部食べた」
ユノの片手が持ち上がり、僕のこぶしの数センチ上で止まった。
「...色のついた食べ物が嫌になったきっかけや理由は、これくらいしか思い当たらない。
LOSTに担ぎ込まれた時は、既に食事を拒否していたから。
食事が摂れるようになった時、食堂で出されたものを見て吐き気がした。
ひと口も喉を通らなかった。
そこで自分の偏食に気付いたんだ」
ユノの手はそのまま宙にあり、彼が何に迷っているのかよく分かっていた。
「婚約者の浮気に気付いてから1か月経ったある日、僕はひとりぼっちになってしまった。
僕は浮気を許すような男じゃない。
一か月もの間、密かに心の中で、効果的な別れ言葉を考えていたんだ。
それなのに、向こうからいなくなるなんて...!」
ユノの裸の手がふわりと、ティッシュペーパーの軽さで僕の手の甲に落とされた。
「あ...」
「カラフルな食い物がダメなのも、ショッキングなことが起こった日を象徴するアイテムなんだろうな。
過去を無かったことにしたいのに、こびりついたままだ」
頭を上げると、すぐそこにユノの濡れた眼があった。
乾いて荒れた肌、充血した眼、目の下の隈は相変わらずで、生きているだけで身を削っているように見える。
「カラフルなワンピースを着れたりするんだから、人の精神って不思議なものだなぁ」
「...ホントにそうだね」
「馬鹿野郎、って叫べよ」
「え?」
「その人と別れざるを得なくなった原因は、チャンミンだけじゃなくその人にもあるわけだろ。
つまりだな、チャンミンは『悲しい』というよりも、『憎い』気持ちが多いんだ。
好きなのに憎たらしい」
「...あ」
ユノの手の平に重みが増してきた。
それは細かく震えていた。
「『好きだ愛してる』で誤魔化すな。
てめえのせいでどれだけ悲しんだか、って。
はっきり言葉に出して、『馬鹿野郎』って罵ってみたら?
相手が死んだ奴だからって遠慮する必要はない」
ああ...どうしよう。
ユノが僕を想って、とびきりの慰め言葉をかけてくれる。
「あの...あのね、ユノ」
「なんだ?」
「婚約者だった人...死んでないよ」
「え...?」
ユノは見開いた眼で僕を覗き込む。
「死んだって...言った覚えはないんだけど」
「なくなったって...?」
「そっか...僕の言い方が悪かったんだね。
ユノが誤解しても仕方がないよね」
「死んだんじゃなくて?」
「うん...『死別』していない。
僕の元から離れていったんだ。
単なる婚約破棄なんだ...。
ごめん、心配かけて」
(つづく)
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