真っ赤なドアが気に入らないユノ。
「気に入らないなら、ペンキで塗っちゃえば?」
「え?
そんなことしていいのか?」
「うん。
ここは自由だよ。
家具はネジで留めてあるし、カーテンとシーツは所定のものじゃないといけないけど...それ以外は好きにしていいんだ。
ユノさんだって、変な機械をもちこんでるじゃないの?」
消毒液入り蒸気を出す加湿器、脱臭・除菌効果が見込めるオゾン発生器のことだ(他にも何かありそうだ)
「そうだな」
「ステーションでペンキを借りてこよう」
「ペンキがあるのか!?」
「うん。
大抵のものは揃っているよ。
刃物やロープやライターなんかの危険なものは駄目だけど」
「ふぅん。
暴力沙汰が起きたら困るよなぁ、確かに」
「ここにいる人たちは大抵大人しくて礼儀正しいから、その心配はないけどね」
「洗濯の後にしよう。
お前もペンキ塗り、手伝え」
「人にものを頼む言い方じゃないなぁ。
あ、ここが洗濯室」
案内しても、ユノは廊下に立ったままだ。
ドアノブに触れたくないんだな、と察した僕は、バスケットにあった除菌シートで拭き清める。
ホント、面倒くさい男だなぁと思ったけど、僕は誰かのお世話をしたくて仕方がなかったから、全然苦にならない。
「どうぞ、王子様」
片手を胸にあて、うやうやしくお辞儀をしてみせたら、「俺をからかってるのか?」と、眉間にしわを寄せたユノ。
可愛い。
ユノはばい菌嫌いだけど、実は人懐っこい質なんだろうなぁ、と僕は思った。
僕の言うことにいちいちつっかかってくるけど、僕を遠ざけないもの。
洗濯機の中をのぞいたユノは、僕の予想通り思いっきり顔をしかめていた。
「雑菌とカビの温床だな」
「乾燥機にかけたら滅菌されるんじゃないの?」
「その乾燥機が汚れてたら意味ないだろう?」
「乾燥機の中も熱風で菌は死ぬよ。
ユノさんって、細かい男だねぇ」
異常なほどばい菌を恐れるのは、実はユノ自身の精神を守るためのシールドなのかな、と思った。
洗濯ものをたたむ為のテーブルを、除菌シートで清めた上でバスケットを置いた。
ユノは比較的綺麗な(これは、先月設置されたばかりの新品なのだ)洗濯機を選ぶと、洗濯槽にシュッシュとアルコールスプレーをたっぷり吹きかけた。
「女の恰好してたお前だって、変人だ」
人並みの間を縫って、僕の瞳に鋭い矢先の視線を飛ばしていたユノ。
しっかり僕の姿を認めていたんだ。
うふふ、嬉しい。
でも、ワンピースを着ていた事情を説明し出すと長くなるんだよね。
「女装が趣味なのか?
よし、これくらいでいいか」
ユノは洗剤を投入し、洗い物を入れないまま洗濯機を回し始めた(スプレーだけじゃ足りないんだ。資源の無駄遣いだな)
「そう言われても仕方がないけど...。
...着たいから、着ているだけだよ」
僕は頬を膨らませ、スリッパ履きの足で床を蹴った。
リノリウムの床は、洗剤の粉やほこりで汚れている(今週の当番は掃除をさぼっているな)
(ユノはスリッパを二重に履いていて、部屋に戻ったら絶対に消毒するんだろうな。
それどころか、汚れたスリッパを室内に持ち込みたくないと言って、外側に履いたものは廊下に置きっぱなしにするかもしれない)
新入りとのファーストコンタクトでは、綺麗で可愛い恰好でいたかっただけだ。
ニュースを聞きつけた昨夜は、どのワンピースにしようか鏡の前で、とっかえひっかえ試着を繰り返した。
星屑が散った青いワンピースに決定した時には、深夜過ぎだった。
「男の恰好だってするさ。
その機会がないだけだよ。
ここではほとんどパジャマでいるし...。
たま~に、スカートが履きたくなる...それだけだよ」
ユノは潔癖過ぎて日常生活に支障が出たから、ここに来たわけじゃない。
僕だって、女装趣味があるからってここに来たわけじゃない。
壁にもテーブルにもよりかかれない、ましてや椅子にも座れず、両腕を組んで立ちんぼだったユノ。
組んでいた腕をほどき、ふっと肩の力を抜いた。
ゴーグルの下の両目からも、鋭い光がふっと和らいだ。
「悪かった。
馬鹿にしたわけじゃない。
...お前もいろいろあったんだな」
「...まあね」
少しだけ怒っていたけど、ユノの優しげな口調のおかげで機嫌を直した。
「...ユノさんもでしょ?」
「ああ」
「キツイ時だね。
ここに来たばかりだから、一番キツイ時だね。
泣いちゃうね」
「ピークは過ぎたよ...」
眼は悲し気なのに、マスクの下では口角を上げているだろう...そんなあやふやな笑みを浮かべているんだろうなぁと思った。
・
僕の予想通り、ユノは二重スリッパの外側の方を自室の前で脱いだ。
「じゃあな」
そう言って、僕を廊下に残したままドアを閉めようとするんだ。
「待ってよ。
ペンキ塗りは?」
僕の手にはペンキの缶と刷毛。
「疲れたから、寝る。
ペンキは明日だ。
お前も手伝え」
「僕は『お前』じゃない。
チャンミン、チャンミンだよ」
「はいはい。
チャンミン。
これで満足か?」
「夕飯前に迎えに来るね」
「俺は子供じゃない。
食堂くらい一人で行ける」
「まあまあ、そう言わないで。
ルールも教えてあげたいし...それに...」
ユノは、部屋と廊下の中間に立った状態で、僕の言葉を待っている。
急に恥ずかしくなって、僕は腕を後ろに組み、この場にはない小石を蹴る。
このいかにもな仕草は、照れた時の僕の癖。
「ユノさんとおしゃべりしたいなぁ...って」
「お前って...チャンミンって変わってるなぁ。
俺なんて退屈だぞ?」
「ううん」
僕はゆっくり首を振った。
「...僕。
ユノさんと友だちになりたいんだ」
ユノはじぃっと僕を見る。
そして、ぷいっと顔を背けた。
「あっそ。
じゃあな」
「待って」
僕の手はユノの手首を捕らえていた。
案の定、ユノの顔色はさっと青ざめ、僕の手を払いのけようと腕を振った。
凄い力だ。
振り払われまいと僕は握る手に力を込めた。
「手袋をしてるから。
後で消毒すればいい」
「お前は俺の嫌がることを平気でするんだな」
ユノの言葉は無視して、僕は「握手しよ?」と言った。
ユノの潔癖症を直そうなんて思わない。
ユノなりに事情がいろいろとあるんだろう。
小さい頃のトラウマとか(本で読んだことがあるんだ)
ユノはずっとこのままかもしれないし、いつか克服するかもしれない。
僕は構わない。
僕だってワンピースを着るのをやめたくないし、他にもいっぱいある。
忘れられない哀しい思い出もある。
ユノはしばらく無言だった。
僕は右手を突き出した。
僕と握手できるかできないかで迷っていたんだろう。
僕は辛抱強くユノを待つ。
ユノの視線は医療用の青い手袋をした僕の手と、白の布手袋の上にビニール手袋を重ねた彼自身の手の間を行ったり来たりしている。
部屋に戻ってすぐ消毒をすればいい、との結論に至ったのだろう。
おずおずと差し出されたユノの手を、僕はぎゅっと握った。
瞬間、僕の手に包まれたユノの手がビクッと強張った。
固く緊張したユノの手を上下に振った。
「僕をよろしくお願いします」
ユノは素早く手を引き抜き、くるりと僕に背を向けた。
「じゃあな」
「うん。
後でね」
真っ赤なドアがバタンと閉じた。
僕の心はふわふわっと上昇した。
色白のユノの首が赤くなっているのを、見ちゃったもんね。
積極的な僕。
ユノは潔癖症の美男子。
胸がドキドキした。
(つづく)
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